No.092 イマイチなあなたから脱出する方法
ども、九折です。
ずいぶん長いこと、コラム更新できず、すいませんでした。
本文に先立ち、ひとつお詫び&ご挨拶です。
更新の遅滞は、アレです、サボっていたわけではないんですが、なんというか、僕なりにいろいろと、格闘してました。
プライヴェートのこととか、その他、これからの創作についてのこととかについて。
あと、カラダも少し、悪くしてしまったしね。
カラダのほうは、別に重大な疾患とかというわけではないのだけれど、それでも今ようやく、松葉杖なしに歩けるようになったところ。
まったく歩けない日が、まるまる一週間ほど続いてしまったのだけれど、たぶん一過性のものなのでもう心配はいらない。
僕は、ストレスが溜まると足に来るタイプなのだ。
心配してくれたみんな、ありがとね。もう、大丈夫です。
寝たきりになって動けなかった一週間、あれこれ考えてました。
考えてるつもりはなかったけど、いつの間にか考えてたな。
その中で得た結論は、なんというか、スリリングなものでした。
その結論は、一言で言えば、「世間から離れろ」ということになる。
世間から離れろ。
その一言で済ますと、勘違いする人がいくらでも出てくるのはわかってるけど、そういう人はもう無視しろ、ということも今回の結論には含まれている。
勘違いする人というのは、要するにコミュニケートするための下地が出来ていない人なので、その人とコミュニケートしようとするとものすごい手間が掛かってしまう。
手間が掛かってしまう上に、無意味だ。
勘違いしてしまう人の問題は、まさしくその勘違いをしてしまうところにあるのであって、その人にとっての最優先は、まず勘違いをしないことにある。
しかし、勘違いをする人に、勘違いはやめましょうと言っても無意味なのだから、そこに取り掛かっても全ては結局無意味になる。
いわゆる「世間」では、人間は勘違いをしない生きものであって、「話せば分かる」ということになっているようだが、どうもそれは聞こえのいいウソだ。
話しても、分からない人はいるのだ。
「話せば分かる」が世間のモットーだが、「話しても分からない」が世界の真実なのだ。
まあだから、そのことも含めて、結論としては「世間から離れろ」ということになってくる。
というわけで、世間から離れましょう。
勘違いする人は、なるほどじゃあ非常識で近所迷惑な人になればいいのか、と勝手に思い込むのだろうけど、それについてはもう僕は知らない。
分かる人だけ、一緒に、世間から離れようね。
分かる人は、もう知ってることだと思うけど、「世間」から離れると、「世界」が見えてくるものだ。
そして、「世界」の中に生きていくことは、「世間」の中に生きていくことの百万倍楽しい。
「世間」はあなたを縛るけど、「世界」はあなたを縛らないからだ。
まあ、一週間ベッドに臥せて、僕が手に入れた結論はそんなところ。
そんなところで、とりとめもないので、そろそろ本文にいきます。
今回の話は、恋愛のエンターテイメント主義、ということの話。
あなたをダサい恋愛のサイクルから救う、ひとつの思想の話です。
恋愛はエンターテイメントであって、そのことに真っ直ぐ向かう主義は
正しくて力がある。
全てのときめきは、エンターテイメントから生まれる。
エンターテイメントとは、生命維持には全く関係が無い、純粋に楽しむ・楽しませるためだけにある、人間の営為だ。
サッカー選手がボールを蹴るのも、F1レーサーがアクセルを踏むのも、ビリー・ジョエルがピアノ・マンを歌うのも、全て生命維持には関係が無い。
ビリー・ジョエルのピアノ・マンは、死ぬほどステキな歌だが、それが無いからといって実際に人が死んだりはしない。
もし、僕たちがケモノだったら、ピアノ・マンの存在価値は、ネズミの死肉の一片に劣るだろう。
その意味で、エンターテイメントとは、単純な生命維持の観点では、ただのエネルギーの無駄遣いと言える。
しかし、そういうものにだけ、ときめきというのは生まれうるのだ。
すなわち、全てのときめきは、エンターテイメントによってのみ生まれ、またエンターテイメントとは、言うなればときめきのためだけにあるもので、意志やお金やエネルギーを、ときめきのために「無駄遣い」する営為であるということだ。
このことは、もちろん恋愛についてもあてはまる。
恋愛は、ときめきがなくては恋愛ではありえないし、ときめきありき、むしろときめきこそが恋愛の全てと言っていいだろう。
だから、恋愛というのは要するにときめきの現象なのだから、恋愛はエンターテイメントによってのみ生まれる、ということになってくる。
恋愛とは、要するに、オトコとオンナのプライヴェートなエンターテイメントなのだ。
僕は、このことを正とし、恋愛をエンターテイメントとして考えることを、恋愛のエンターテイメント主義と呼んでいる。
この主義は、正しい。正しいし、力がある。
力があるというのは、間違ったものを粉砕できる、ということだ。
あなたの周囲にわんさといる、ダサくてジメジメしたオトコとオンナを、あなたはこの主義において粉砕できるのだ。
「あなたには、意志もお金もエネルギーも無いから、エンターテイメントとして根本的にNG、No Goodなのよ。知恵や経験や性格の問題じゃないわベイビィ、要するに、あなたには誰もときめかないっていう、ただその事実だけが問題なのよ」
そう言って粉砕してしまえるだけ、この主義は正しいし、力を持っている。
誰でも薄々は知っていることだと思うが、恋に悩むある種のオトコとオンナには、悩んでもムダ、根本的にムリ、と言いたくなるようなタイプがいる。
要するに、恋愛で予選落ちするダサいオトコとオンナがそうなのだが、そういうオトコとオンナを、エンターテイメント主義は「NG」の一言で一刀両断できるのである。
「どうすればいいっていう話じゃなくてさ、そもそもどっちかっていうとブサイクなのに、ビクビクしてるしユーモアも無いしさ、それじゃあ全体的にNGとしか言いようがないんだよ。笑えないお笑い芸人が、方法論で飛躍しないのと同じでさ、まずはNGゾーンから脱出しないと話にならないよ」
もしあなたが、ブレイクしない友人に、正面からそのように言って斬り伏せたとしたら、あなたと友人の関係はどうなるだろうか?
ひどい、なんて残酷で冷たい人だ、絶交だ、ということになるだろうか。
これは、僕の経験からだが、案外そういう破滅的な結果にはならないものだ。
現実は、むしろ逆、あなたは友人から、尊敬と感謝を受けることになることのほうが多い。
ダサい人はダサい人で、行き詰っていることを自覚しているから、正しい力で誰かに粉砕してもらいたいということがあるのだろう。
まあでも、そのことはどうでもいい。
とにかく、恋愛はエンターテイメントであって、そのことに真っ直ぐ向かう主義は、正しくて力があるのである。
いっちゃんは、自慢の一品でーす、と八重歯を見せて笑った。
「恋愛のエンターテイメント主義」では、字面が長すぎるので、ここからは略して「レンタメ主義」と表記することにする。
急に安っぽい言葉になるけど、そこはもうしょうがないな。
さて、そのレンタメ主義についてだが、レンタメ主義者は、恋愛を難しく考えることがない。
脳みそを使って、知恵とセンスとアイディアを手に入れてはゆくが、思考のループにはまって無意味で恥ずかしい消耗に陥る、ということがない。
レンタメ主義者は、気に入ったオトコ、その彼のときめきのことだけを考える。
メールを交換する、手をつないで歩く、ベッドの上で真っ白になる、その全ての時間が、彼にとってエンターテイメントの時間であるように、ということだけを考える。
そして、そのために必要な、知恵とセンスとアイディアを手に入れてゆき、当たり前のようにいいオンナになってゆくのだ。
思い出してみるなり観察してみるなりすれば誰にでもわかることだが、いいオンナというものは、タイプは人それぞれであっても、やはりそれぞれにレンタメ主義を実現できているものだ。
本人が、それを自覚していないことの方が多いが、いいオンナの発想や振る舞いは、全体として自然にレンタメ的になる。
それについては、そうだな、例として、いっちゃんというオンナの話をしようか。
残暑の深夜、大阪のダーツバーで会ったオンナの話だ。
いっちゃんは、おっぱいが大きいオンナだった。しかも、そのおっぱいはとびきりキレイな形をしていて、いっちゃんはそれを隠しもせず、大胆な胸開きのタンクトップを着ているのである。
そのおっぱいが、ダーツを投げるたび、ふわふわと揺れるのだ。
注目するなといっても、それは無理な話で、またゲームに集中しろといっても、それもやはり無理な話だった。
僕は、そのいっちゃんとクリケットで勝負して、集中力を欠いた僕が負けた。近々アメリカに留学するといういっちゃんに、僕は敗者として、コスモポリタンをおごった。
―――本当に、サイズといいデザインといい、見事なおっぱいだよなぁ。
飲みながら、僕は降参するように言った。
これは、僕のいつものセクハラ発言だったのだが、それについていっちゃんはどう応えたか?
いいオンナとは、自覚の有無に関わらず、レンタメ主義的なものだ。
いっちゃんは、
―――自慢の一品でーす。
と、八重歯を見せて笑ったのだ。
いっちゃんは、その自分のおっぱいを、このコ、と呼んだ。
―――このコ、まだ微妙に大きくなってるんですよ。それも、人に褒められると大きくなるみたいで。多分、元気玉みたいに、みんなの元気を分けてもらって、大きくなってるんですよ。
いっちゃんは、その当時まだ十代の大学生だった。が、当然の若さと幼さはあるにせよ、幼稚なところがなかった。控えめで、堂々としている。しかも、育ちがいいというか、品が良かった。
いっちゃんは、どれだけ肌を出して、おっぱいについて明け透けに話しても、下品になることがなかった。二の腕には、エンジェルのタトゥーがあったが、そこにもやくざめいていない清潔感があった。
いっちゃんみたいなオンナは、ヒールを履かせたままハダカで縛り上げておまんこにバイブを突っ込んで絶叫させても、まったく下品にならないんじゃないかな……
もちろん、いっちゃんは店内のアイドルと化していて、僕が独り占めすることはできなかった。
もう一度、まともに話をしたのは、朝方、みんながぼちぼち退店し始めたころだ。
―――いっちゃんさ、ひとつ、言っておきたいことがあるんだけど。
僕はエレベーター前で、彼女をそう呼び止めた。
―――そのおっぱいは、みんなに元気をもらってるだけじゃなくて、むしろそれ以上に、みんなに元気を「与えてる」と思うぞ。そのコは、見てるだけでこっちの心の底が元気になってしまう、それぐらい本当の本当にキレイでセクシィで、ステキなおっぱいだよ。
僕の発言のバカさ加減のせいか、さすがに少し、いっちゃんは照れた。
照れられると、こちらもなんとなく照れくさくなる。
チン、と音が鳴り、エレベーターのドアが開いた。
普通なら、このあたりで「じゃあまたね」的におしまいになるものだが、デキるオンナはそうではない。
―――あー、ヤバいよ。
いっちゃんは、上目遣いで、意味ありげに言った。
エレベーターのドアが閉まり、誰も乗せないままエレベーターは下降していったが、いっちゃんはそのことを気に留めなかった。
そして、
―――今日ぜったい、このコ、すごい大きくなるよ。
と、八重歯を見せて笑ったのだ。
レンタメ主義という言葉は、僕がハナクソをほじりながら思いついた造語なので、そんなことを意識しているオンナはいないと思う。
しかし、造語のセンスはおいておいて、どうだろう、いっちゃんのようなかわいいオンナを表現するのに、またそういう方向を志向してゆくのには、レンタメ主義という考え方をするしかないのではないだろうか。
いっちゃんのようになるにはどうすればいいか。いいオンナになるにはどうすればいいか。
レンタメ主義者だけが、そのことを難しくせずに考えてゆけるのである。
全てのオトコは、「いいコ」を賞賛し、応援するが、
ときめかないことについては一切触れない。
あなたの顔とカラダは、そこそこ悪くない。
基本的に、人には好かれるし、オシャレのセンスも普通にあるし、友人には愛されてるし、生活もだいたい頑張っている。
告白されたりしたことも普通にあるし、飲み会に行くと一応メールアドレスを聞かれる。
あなたの性格は、歪んでないし、ひねくれてもなくて、それでも少し弱気なところもあって、こっそり一人で自己嫌悪する夜もあったりする。
セックスも、実はけっこう好きで、テクニックに自信はないけれど、好きな人に抱かれるときは、いっぱい頑張ろうと健気に思っている。
エロいオンナになれる自信はないけれど、彼氏ができたら、彼氏を欲情させる色気のあるオンナでありたいと、また彼氏を満足なり恍惚になりさせるオンナでありたいと、実はこっそり願っている。
要するに、あなたは全体的に「いいコ」であって、基本的には明るくてやさしくて、常識もあって敬語も使えて、そこそこにエッチで、全体として健康的なオンナだ。
もちろん僕は、ここではそういうオンナに向けて、話をしているのでもある。
(歪んで根暗で手首を切るようなオンナとは一切関わりたくない)
あなたは、一言で言って、十分に愛されうるオンナだ。
恋愛を楽しめるオンナ、ということであって、その素質はあなたにある程度備わっている。
ところが、だ。
実際の、あなたの生活は「十分」かというと、それがそうでもなかったりする。
あなたの生活は、どうだろう。
あなたの生活は、恋愛面において、はっきり言ってしまうならば、「いまいち」なのではないだろうか。
僕の知る限り、恋愛の素質はそこそこあるのに、実生活は「いまいち」という、そういうオンナがものすごく多い。
胸がキューンとなったり、涙がこぼれそうになって眼がキラキラになったり、心臓がバクバクになって押し倒されるイメージにこっそり濡れてしまったり、口説き文句を思い出しては帰り道に頬がにやけてしょうがなくて少しスキップしてしまったり、さよならの意味を噛み締めながら凛々しい表情で喧騒の中を一人静かに歩いたり、そういうことがあなたの生活にはない。
別に飢えてはいないけど、油断するとため息が出そうになる具合に、「いまいち」なのだ。
そんなあなたに、今回はレンタメ主義の視点から、はっきりしたことを申し上げておきたい。
あなたが、なぜ「いまいち」な生活をしているのか、そのことの理由についてだ。
あなたが「いまいち」なのはなぜか。
それは、あなたがオトコを、ときめかせていないからだ。
冷静に考えれば、誰でも知っていることを、僕はあなたに思い出させておきたい。
あなたは、十分に「いいコ」だ。
しかし、オトコというやつは、「いいコ」に恋をしないし、そのことをわざわざ忠告したりもしないのである。
むしろオトコは、あなたを褒めて、応援さえするだろう。
しかし、だまされるな、全てのオトコは、「いいコ」を賞賛し、応援するが、ときめかないことについては一切触れないものなのだ。
スリリング、という一点のみでも、
オトコに強烈なときめきを与えることはありえる
全てのときめきは、エンターテイメントから生まれると言った。
オトコがあなたにときめかないのは、オトコにとって、あなたの存在がエンターテイメントではないからだ。
あなたがオトコと過ごす時間、そこには、意志やお金やエネルギーが交錯していない。
チェーン店の居酒屋で、十一時には帰らなきゃねと暗黙裡に合意しながら飲食し、笑い話めいた世間話に仕事の愚痴など織り込んで、いつかみんなで温泉とか行きたいよね、と話を締めくくったりしている。
もちろん、それはそれとして、生活の余暇の営みとして悪いものではない。
ただ、エンターテイメントの時間ではありえないということ、よってときめきが生まれることはないということ、そのことは明らかだ。
仲良くなるとか、親しくなるとか、それと「ときめき」はまったく別の現象なのだ。
余暇の中で親しさを積み重ねて、たとえ成り行き的にセックスをしたって、そこにお互いのときめきが生まれることはない。
その成り行きから、あなたが彼氏を手に入れたとしても、あなたの内心にある「いまいち」の感触は、決して消えうせることがないだろう。
そんなことでは、ダメなのだ。
あなたが、一度しかない人生で、また長くはないオンナとして若さのある時間で、その「いまいち」を打破したいと思うならば、あなたは恋愛において、エンターテイメントということに向き合うしかないのだ。
繰り返して言うが、それが今回僕が提案する、レンタメ主義という考え方だ。
あなたが今、その考え方に、どこまで賛同してくれているのか僕は知らない。
しかし、幸せになりたいオンナの全ては、レンタメ主義であるべきだと僕は信じているので、あなたもそうあるべきだと、決め付けて話を続ける。
お気に入りのオトコを、あなたがときめかせるとして、そこにはエンターテイメントが必要だとして、あなたは具体的に何を考えればいいのだろうか。
そのことは、さして難しいことではない。
あなたが、存在としてエンターテイメント的になりうるよう、新しい要素を自分に身に付けていけばいいだけのことだ。
それについて、具体的に言うならば、例えばこんなのはどうだろう。
「お前といる時間は、何と言うか、スリルがあるよ」
あなたがもし、お気に入りのオトコにそう言われたとしたらどうだろう。
ときめきが灯り始めた、恋が脈打ち始めた、という気がしてこないだろうか。
そういう気がしてくるのは、「スリル」という要素が、エンターテイメント的であるからだ。
単純に、そういうことだけを考えていけばいい。
それらの要素を、集約していくと、先に言ったように意志とお金とエネルギーになってくるわけだが、まあそこは難しく考えず、自分としてこうありたいと望む、エンターテイメント的な自分をイメージしていけばいい。
エンターテイメント的な要素というと、そうだな、それこそ列挙すれば、無数に出てくるわけだけど……
ダイナミックであるか。スリリングであるか。自由であるか。個性的であるか。セクシィであるか。創造的であるか。すっきりしているか。堂々としているか。オープンであるか。大胆であるか。意志的であるか。視線は強いか。笑顔は素直か。姿勢は正しいか。声は豊かか。言葉は練られているか。頭は回転しているか。服装は整っているか。肩の力は抜けているか。感情は活性か。視野は広いか。思考は柔軟か。四肢が元気か。祝福的であるか。
これらの、無数の要素の中から、あなたがまず何を手に入れようとするかは、まったくあなたの個性による。
まあこのあたり、手に入れた要素があなたの個性になる、というほうが正しくて、それまではあなたは何の個性もまだ持ってないのだけど、それは話がずれていくからやめておこう。
とにかくも、あなたがエンターテイメント的なオンナになるためには、そういう具体的な要素を身に付けていけばいいだけのことだ。
一応言っておくと、ここで、ダイナミックとかスリリングとか、そういう言葉を「抽象的」と感じてしまう人もいるのかもしれない。
が、そういう人は、勘違いをしている。それらの言葉が抽象的に感じられるのは、あなたがダイナミックとかスリリングとかいったことを、具体的に考えられていないから、だ。
ここまで説明して、わからない人は、残念ながらもうダメだ。
小悪魔風にヘアメイクして、合コンではみんなの脱いだ靴を揃えたりする、そういうことだけが具体的だと信じて、アホのまま生きていくしかない。
具体的ということは、手ごたえがあるということで、決して物理的ということではないのだが、わからない人にはわからないし、わからせる方法もない。
まあ、そのことは置いておいて、話を前に進める。スリル、ということを例に挙げたので、そのまま例えばスリルということについて具体的に考えよう。
エンターテイメントにおいて、スリルは大事だ。
「あのオンナに、こだわる理由はないんだ、だけど、あいつとの時間にはスリルがある」
「あのオンナは、悪くないオンナだ、ただ、あいつとの時間にはスリルがない」
例えばこうやって並べて考えると、スリルということの威力がよくわかる。
前者には、恋につながるときめきがあり、後者にはそれがまったくない。
こうやって考えれば、スリルがあるオンナは、レンタメ的で、オトコをときめかせるということ、そのことが手ごたえとしてわかるだろう。
具体的に考えるとはそういうことだ。
あなたが、彼の乳首をいやらしく舐めながら、手でペニスをしごく、そして「ねえ、あなたの声が聞きたくてやってるんだから、もっと声を出してよ。ね、没頭して。今だけ、わたしのことだけで充実して。誰にも見せられない、恥ずかしい人になって」と言ってのけたとする。
その後、二人でハダカのままベッドに座って、あなたが下唇を噛み締めながら、恐る恐る彼にラブレターを渡したらどうなるか。
「もし、わたしのこと嫌いじゃなかったら、受け取ってください、そして考えてみてください」
と、丁寧に頭を下げたりしたらどうなるか。
スリリング、ということを具体的に考えていくと、例えばそういうベッドシーンにたどり着いたりする。
そういうシーンがあったとして、またそれが実現したとして、その結果がどうなるかはもちろんわからない。
ただ、スリリングだ。
スリリングであり、エンターテイメントであり、エンターテイメントであるからには、そこにはときめきが生まれる。
スリリング、という一点のみでも、オトコに強烈なときめきを与えることはありえるのである。
レンタメ主義者のせきずいには、
いつでも大事なテーマが詰まっている
「そこそこ」の素質で、「いまいち」な恋愛生活をしているオンナは、世の中に多い。
多いというか、大半がそうだ。
そういうオンナは、「いまいち」という感覚にくたびれつつも、自分の何かを変えて、その「いまいち」から脱出しようと試みている。
そして、女性誌の記事をアテにして、イメチェンして小悪魔ふうを装うことに挑戦する。
ファッションを甘辛ミックスのお姉系にしてみたり、モテ小顔のふんわりボブに秋の新色リップ塗ってみたりする。
朝のメイクに、時間はかかるけど、オンナを捨てちゃやっぱりダメだと、しばらく頑張る。
そして、飽きる。
合コンでちょっとモテ気味になるだけで、本質的には何も変わっていないことに気づくのだ。
とりあえず、そういう自己装飾は、モテるためにやっているのではなく、自分で自分を好きになるためにやっているのだ、というようなことを自分に主張しみたりもするが、結局のところ肝心な、「いまいち」というところは変わらないままになっている。
そういうオンナは、本当に世の中の大多数を占めている。
僕は、そういうオンナを、アホだと言っているのではない。
ただ、損をしている、と言いたいのだ。
あなたは、「世間」の情報をアテにして、だまされているのだ。
女性誌なんて、「世間」の代表選手みたいなものだから、参考資料にするのはいいにしても、決してアテにしてはいけない。
裾が破れたジーンズに、ノーブラのままグレーのニットを着ている、誰にでも笑顔を向けてしまう少女、すっぴんのままアコースティックギターの手入れをしながらきれいなハミングをしている少女に、「世間」の情報をいくら集約しても太刀打ちできるわけがない。
そんな少女、世の中にそうそういない、なんてあなたは思うだろうか?
もしそう思ったなら、あなたは相当なピンチだ。あなたは、世界にまったく触れておらず、本当に世間の中だけで生きている。学生時代の友人と、中堅企業の職場の同僚だけで世界が構成されてしまっている。
少なくとも、日本という国から一歩出れば、ノーブラでギターを弾いている少女なんか珍しくもないのだが、あなたにはもうそのことへの想像力も無いのかもしれない。
まあ、そこまで行ってしまったら、もう世間の中で世間のオトコと世間のお付き合いをして生きていく方法を、目を閉じたまま目指したほうがいいのかもしれないな……
(ただ、繰り返して言うけれど、世界に生きるほうが、世間に生きるより百万倍楽しいんだよね)
あなたが、「いまいち」から脱出して、自他共に認めるいいオンナになって、誰にも真似できない恋愛をするには、レンタメ主義者を志向するしかない。
そして、レンタメ主義者になるためには、オトコをときめかせるオンナ、彼にとってエンターテイメントになりうるオンナになるしかない。
そのために必要なのは、レンタメ的な要素を、シンプルに、具体的に考えて、身に付けていくことだ。
単純な話であって、何も難しく考えることはない。
レンタメ主義を目指して、吹っ切れるか、世間から離れてそのことを追求できるか、ただそのことだけが問題なのだ。
あなたには、あなたに合ったレンタメがあって、それをどういう方向で構築していくかは、あなたの個性、あなたの自由だ。
もちろん、先に言ったように、スリリングなオンナ、を目指してもいい。
ただ、ここで一応言っておくならば、あなたが「○○なオンナ」を目指すとして、それを頭で理解していてもまったく意味が無い。
どんな主義でもそうだが、主義というのは頭脳に入れるものではなく、せきずいに入れるものだ。
スリリングなオンナを目指すというならば、レンタメ主義の一項目として、あなたはまずスリリング主義を目指すわけだが、その主義がせきずいに入っていなければ意味が無い。
「彼氏いるのー?」
あなたが、誰かにそう尋ねられたとして、あなたは普通にというか、世間的なやり方で答えてはいけない。
スリリングに、答えなくてはいけないのだ。
その発想が、あなたの日常、条件反射にならなくてはならない。
それが、主義をせきずいに入れるということである。
もちろんそこで、うふ、彼氏いるっぽい? というようなありがちな答え方をすると、センスがないことがバレて恥ずかしい思いをする。
だから、あなたはここで脳みそを使わなくてはならない。
脳みそを使って、スリリング主義ならスリリング主義の、知恵とセンスとアイディアを磨いていかなくてはならないのだ。
それは、具体的に大変な作業、というかトレーニングだが、ちゃんと意味のあるトレーニングだ。
いいオンナになるためのトレーニングとして、まったく適切で有効なのだから、あなたはそれに精進するしかないだろう。
「彼氏? あのさ、もっと大事なこと話そ?」
今のあなたがそう言って、八重歯を見せて笑えるかどうかはわからない。
が、あなたがいいオンナになるためには、そういう方向へ発想のトレーニングをしていくしかないのである。
その意味で、レンタメ主義者は、いつだってぼんやりは生きていない。
レンタメ主義者のせきずいには、いつでも大事なテーマが詰まっているのだ。
あなたもぜひ、せきずいに、レンタメ主義のテーマを植え込んでほしい。
植え込んで、育てて、完成させてほしい。
それは大変な作業だが、まあそれでも、完成させる価値はある。
圧倒的な価値だ。
そのテーマは、完成すると、羽になるのだ。
羽になって、そうだな、「キャプテン・ジャック」みたいに、あなたを別の世界に連れて行ってくれるのだ。
(別に僕はビリー・ジョエルの熱烈なファンではない)
ではでは、そんなわけで、今回の話はこの辺で。
楽しんでもらえたかな。
レンタメ主義という話。
大事な話だと思ったから、丁寧に、僕なりに考え抜いて話しました。
考え抜いたということは、無駄遣いと言えるまでエネルギーを割いて取り掛かったということで、まあ具体的に言うと、原稿用紙を二百枚以上無駄にしてしまったということになる。
もちろん、こんな低レベルな創作力では、この先やっていけないので、頑張って成長します。
そのあたり、今の僕のせきずいには、テーマがぎっしり詰まっていて、もう僕としてやりくりが限界に近かったりするのだけど……
さて、ただいま、午前四時。
僕は、あなたのせきずいから、大きな羽が生えてくることを祈ってます。
お互い、がんばろうね。
(羽が生えたら、見せに来てください)
じゃあ、またね。