No.107 ミジメさの谷の向こう側 〜愛される決め手は清潔感〜
愛されるオンナには清潔感がある。
少女のようなオンナには清潔感があるが、幼稚なオンナには清潔感がない。
エロいオンナには清潔感があるが、ふしだらなオンナには清潔感がない。
オトコも同じだ。
セクハラオヤジが嫌悪されるのは、セクシャリティのどうこうより以前に、その不潔感による。
僕の知り合いに、弓道の師範代をやりながら夜は大変元気な色事師というオトコがいるのだが、彼はスケベだが清潔感があるのでオンナにモテている。
それに比べると、セクハラオヤジは気の毒なことに、スポーツ新聞を読んでいるだけで、オンナたちに「まあ破廉恥ね、風俗記事を読んでいるに違いないわ」と思われてしまう。
決め手は清潔感なのだ。
清潔感というのは、もちろん衛生的な問題ではない。
清潔感のない人を、クレンザーで磨いて塩化ベンザルコニウムで全身消毒しても、それで清潔感が得られるわけではない。
清潔感というのは、むしろ逆だ。
不衛生なことをしたとしても、清潔さの印象しか与えないオンナ、そういうオンナが清潔感があるのである。
清潔感のあるオンナは、飲ませて、とベッドの上で口を半開きにしたとしても、その清潔さの印象を失わない。
清潔感のあるオンナは、Tシャツに汗がじゅくじゅくに染み込んでいたって、そこに腋臭が漂っていたって、ただ蠱惑的なだけで不潔さの印象を持たない。
ノーメイクでスウェットを着て道端に座ってタバコを吸っていても、そういうオンナはやはりステキなオンナになってしまう。
一方、清潔感のないものはどうかというと、これはダメだ。
清潔感のないものを、人は本能的に愛せないのである。
オトコの場合で言うと、その典型がセクハラオヤジやアニメ・オタクで、そういうオトコはどういじくってもオンナに愛されない。
オンナの場合で言うと、常にイライラ度数が臨界に来ているお局OLとか、浮気しないオトコとセレブ婚したいわーということしか人生の目標が無いアタマのネジの緩んだギャルとか、そういうのが典型だと思うが、そういうオンナもオトコに愛されない。
清潔感のないものを、人は愛せないし、逆に言えば、清潔感さえあればそれだけで人は愛されるものなのだ。
あなたは、清潔感のないオトコと深いキスを交わしたいと思うだろうか?
「いやあボクはもうこの年だし若い女性に興味があるわけじゃないんだけどそれにしても君はオッパイが大きいねえ、走ると揺れたりして大変なんじゃないかいイヤッハッハッ」
と鼻の下を伸ばしているオッサンと深いキスを交わしたいと思うだろうか?
また、高校野球のマウンドに立つ少年に、
「自分はガキだとわかってるけど、それでもあなたのことが抱きたいんです」
と不器用に抱きしめられたとして、あなたはそれを不愉快に思うだろうか?
清潔感のあるなしは、そのままキスしたいかしたくないかということに直結してくると思う。
清潔感のないオトコと、オンナはキスしたいと思わない。
オトコだって同じだ。
清潔感のないオンナに、秘密の店で奇跡のグランマニエを飲ませてやりたいとは、オトコは決して思わないわけだ。
清潔感があればそれだけでオンナは愛される
Rちゃんは、十九歳の受験生だった。白い肌とやわらかい黒髪を持っていた。彼女はまだ世慣れていないので、新宿を歩いたりすると、声をかけてくるナンパオトコを無視することができない。ついつい会釈をしてしまって、しつこく付きまとわれて、最終的にはすいませんすいませんと謝って逃げ出し、ナンパオトコを苦笑させている。
以前、Rちゃんから「お願いごとがあるんですけど」と電話を受けたことがあった。お願いごとと言っておきながら、「えーと、やっぱりいいです、ごめんなさい」と笑ったりして、彼女は電話口で三十分ぐらい逡巡した。お願いって何なんだよと、僕がしつこく聞くと、彼女はアーとかウーとか言いにくそうにしながら、
「あの、ほんとごめんなさい、よければ、二千円貸してくれませんか。いつか絶対返すんで」
と言った。Rちゃんは家庭の事情があり、どうしても必要なときに親に小遣いをせびれないことがあった。僕は大笑いしながら、その二千円、何に使うのと訊いてみると、友達とサイゼリヤに行くというのと、ニキビが治らないので皮膚科に行きたいということだった。
Rちゃんには、オトコ運がなかった。何人かのオトコに口説かれて、付き合ったりしたこともあったが、彼女持ちのオトコのセカンドになることが多かった。Rちゃん自身、人懐こくて、単純にセックスも好きだったということもある。そのせいでRちゃんは、
「わたしこのまま、誰も付き合ってくれなくて、誰とも恋人になれなかったらどうしよう」
といつも不安がっていた。僕はそれについて、大学に入れば彼氏なんてウジャウジャ作れるよ、とあやしていたのだったが、彼女はそれを受けて「ホントに?」と素直に喜んで、気を取り直して無心に受験勉強に取り組み始めた。Rちゃんは、まだ心も風貌も少女で、美人の素質を持った、現在美人未満のオンナのコだった。何年後かには、本当にきれいなオンナになっていると思う。
この彼女、Rちゃんみたいなオンナのコは、大丈夫だ。大丈夫と言うと何が大丈夫なのか意味がわからないが、とにかく大丈夫なのだ。Rちゃんみたいなオンナのコは、別にあれこれ余計な小細工を使わなくても、心あるオトコにごく自然に愛されるようになる。友達とも上手くやれるに違いない。上手くやるどころか、何かヘマやチョンボをしたって、そのことを逆に絆に変えて、彼女は人に愛されて生きていくに違いないのだ。
こういうRちゃんみたいなオンナのコ、「大丈夫」なオンナのコは、なぜ人に愛されるのだろうか。それは結局のところ、清潔感があるからなのだと思う。ナンパオトコもあしらえない、二千円さえ都合できない、自慢できるような彼氏も恋愛遍歴も持たず、自分の肌色とそれに合うファンデーションも知らないようなオンナのコで、それは見方によってはダサいオンナのコなのだが、ダサかろうがなんだろうが、清潔感があればそれだけでオンナは愛されるのである。
Rちゃんは、昔好きだった先輩からもらったトレーナーを、自慢の宝物にしている。
少しサイズが大きくて、ぶかぶかだったが、それを着ているときの彼女は、本当に無邪気に幸せそうだった。
自己美化の一グラムは、あなたの気配の全てを不潔にしてしまう
清潔感とは、何なんだろうか。
それは、自分を美化していない、ということなのだと思う。
皮肉なことだが、自分を美化する人間ほど、清潔感を失ってしまうものだ。
自分を美化するのはダメだ。
見苦しくて、うっとうしくて、いかがわしくて、清潔感がない。
もちろん、美化するのがダメだと言っても、自己嫌悪するのも同様にダメである。
自己嫌悪というのは、美化がひっくり返っただけで、要するに自己陶酔の色合いがポジティブかネガティブかの違いというだけだから、本質的には自己美化も自己嫌悪も同質のものだ。
美化するということは、虚飾で彩るということであり、そのウソ臭さは全ての清潔感を犯してしまう。
例えば、文庫本を一冊読みきるだけの集中力も無い、そのくせ髪の毛のカラーリングと眉毛の整形だけにやたらに気合の入っているナルシスト君が、
「君の瞳はこの夜空よりずっと綺麗だよ、僕はもう君無しでは生きていけないんだ」
と言い出したりしたら、あなたはゾゾゾゾと寒気を感じるはずだ。
虫酸が走るというやつだが、それはやはり虚飾に満ちた自己美化にある不潔感に対する拒絶反応である。
それは極端な例だとしても、例えばもっとリアルな例で、あるオトコがあなたをデートに呼び出すとして、
「いやーたまたま偶然映画のチケットを友達からもらっちゃって、もしよければ一緒に来ないかな? とか思ったりするんだけど、どうかな、まあ別にムリに誘うわけじゃないけど」
とオトコが目を泳がせたりしたら、あなたはガッカリするというか、なんとなくため息をつきたくなってしまうはずだ。
そこにある幻滅というか軽蔑というか、ささやかながら強力な絶望感は、やはり虚飾に対する嫌悪感だ。
オンナをデートに誘っておきながら、さも自分には余裕があるというふうな装いをする、そのチンケな自己美化は、オンナの嫌悪感をツンツン刺激するし、またオンナとしてはプライドとしてそういうオトコの誘いを受けることはできない。
その時点で、もう「ムリ」になってしまうだろう。
オンナも同様だ。自己美化の手続きには無数のパターンがあるが、例えば、
「別に彼氏が欲しいとかって焦るわけじゃないしー、それだけでオンナの価値が決まるわけでもないからぁー」
とか必要以上の大声で主張しながら、その実その手の話と機会に興味津々のオンナがいたりするが、そういうオンナは典型例で最悪だ。そんなオンナを助手席に乗せたいオトコは世界中に一人もいない。
そのほか例えば、
「最近は、オトコより仕事かな? 遊ぶのは、友達と飲みに行くだけで結構満足だしー」
とか言いながら実際には冷凍サバみたいな目をしているオンナとか、
「アタシ好きになられるより好きになることのほうが大事だって思う人だからぁー」
とか言いながら実際には別に誰にも求められておらずそれによって自尊心の危機に瀕しているオンナとかもいるが、そういうオンナは自己美化に必死をこいており、残念ながらどっぷり愛される生活とキラキラの人生に拍手をする機会はそのままでは決してやってこない。
うーん、自己美化する人について考えると、考えるだけで疲れてくるな。
もうやめよう。
とにかくだ、清潔感の全てが、自己美化の有無だけで決定されるわけではないだろうが、それにしても自己美化というのはいただけない。
自己美化の一グラムは、あなたの気配の全てを不潔にしてしまうだろう。
僕たちはどれだけバカでも、自己美化だけは自分で拒否しなくてはならない。
難しいけどね。
しょうもない自分を認めて、陽気に生きていく
自己美化はいけません、なんて立派なことを言ってみたが、僕自身ももちろん、自己美化と無縁に生きているわけではない。
オレは自己美化なんかしたことない、なんて言い出したら、それは世界一の自己美化だろう。
僕たちは誰だって、多かれ少なかれ、自己美化しながら生きている。あるいは自己嫌悪しながら生きている。
大事なことは、それに向き合うことだ。
僕たちは、自分からそれに向き合うことでしか、自分の清潔さを保つことが出来ない。
自己美化と向き合うのがイヤで、自己嫌悪に逃避してみたり、あるいは「アタシ自分がどう自己美化してるかなんてわかんなーい」と早めにサジを投げたりするようなオンナは、もう見込みが無い。
見込みの無い人は、オトコもオンナも、自分がいまいち愛されていないということを心のどこかで知りながら、そのことを見てみぬ振りして薄ら笑いしながら生きていくしかない。
そういう陰気な生き方は、僕はごめんだ。
自分がしょうもないオトコであることを、認めてしまってもいいから、そうして自分に呆れながらでも、僕は陽気に生きていきたい。
あなたはどうだろう。
こう言ってはなんだが、あなたもどうせ、しょうもないオンナだ。
僕たちは誰も立派じゃないし、偉人にもなれない。
あなたが選べるのは、単純な二者択一だ。
しょうもない自分を認めて、陽気に生きていくか。
しょうもない自分を隠蔽して、虚飾して、陰気に不潔に生きていくかだ。
オトコは自分勝手に欲情し、恋をする。
そうでなければ、不潔だ。
友人に誘われて、夜遅くからのライブ、アマチュア・バンドが狭いハコに集うようなライブを聴きに行く。
友人は舞台の上で練習不足のベースを弾く。
ヴォーカルは女性で、美人だったが、さして上手くはなく、それ以前に気持ちが引いてしまっているような歌い方だった。
音大出身らしく、音感には絶対の自信を持っているらしかったが、正直聴いているほうは退屈で、聴衆は惰性的に体を揺らして聞き流していた。
友人に連れられて、ライブの打ち上げに混じる。
ヴォーカルの女性、ローマ字でサチと名札をつけたオンナは、そのかわいい顔で愛想を振りまきながら、ライブについて大きな声で話していた。
話の内容は、遠まわしな自己弁護だ。
ウチらの歌、詞が難しすぎるしね。前の組のバンド、ラウドっぽかったし、まあそういうのはウケいいからさ、その後はやりにくいよ。てゆうかハコ狭すぎるよねー。あれはさすがに客もストレスでしょ。今日は声出にくかった、昨日タバコ吸い過ぎちゃったよ。
彼女の話に、全員があいまいな相槌を打つ中、僕は内心で素直な感想を確かめる。詞も何も、そもそもちゃんと聞き取れるほど声量もなければ迫力もなかったなあ。前の組のバンドが、力量あったから、負けちゃったよなあ。
酒が進むうち、場がグダグダになり、僕は彼女の隣で安ウイスキーを飲んでいた。
「飲んでるー? かんぱーい」
彼女はコロナビールの瓶を僕に向けて差し出した。乾杯の挨拶に、タンブラーと瓶をゴツンとぶつける。
ラメ入りのタンクトップから、彼女の汗の匂いがした。オンナの匂い。胸が大きくて、煽情するようにスキだらけのノーブラだ。僕は彼女に触れたいと思った。首筋から、肩口へ、そして胸元へ、彼女の肌はよく手入れされていて、滑らかで舌先がよく滑りそうだった。
しかし、もちろん彼女はその打ち上げのお姫様である。僕はお近づきになろうと目論むが、しょせん地味なヨソ者、取っ掛かりも見つけられないまま、結局はむりやり気勢を上げただけのムダ話に終始してしまう。そのうちに、バンドリーダーのドラマーが彼女を引っ立てて集合写真の真ん中に連れて行ってしまった。彼女は遠くに離れてしまい、僕は彼女にちらちらと視線を向けるが、彼女はそれから一度も僕のほうへは視線を向けなかった。
帰り道、終電を降りた頃に襲ってくるのは、ぼんやりと形の無い寂しさである。ライブの全体は、大音量だが退屈だった。打ち上げでずいぶん飲んだが、残ったのはかすかな失恋だけ、そして失恋というものは、小さければ小さいなりの悲しさをもたらすものだ。
彼女は今ごろ、酒の勢いで、酩酊のまま誰かと寝ているのだろうか?
今から僕は、とぼとぼと歩いて帰り、寝る前には見苦しい自慰でも済まさなければ、眠りにつくこともできなさそうなのに……
このようなとき、ふと自分の中に、黒い想念が湧いてくる。
―――どうでもいいわ、あんなしょうもないオンナ。ライブもつまらんかったしな。
自己美化を拒否するということは、このような孤独と寂しさの中での、自分の黒い想念と格闘するということである。
立ち止まって、不安定な肺腑を押し付けるようにして、深呼吸をする。
―――何考えてんだ、オレ?
自分の中に生まれてくる、黒い想念、陰湿な発想、それを見つめると腹の底からゾッとする。ウジウジしていて、矮小で、そう、清潔感がないのだ。
わざと遠回りして、家に着かないよう、歩きながら冷静に考える。
ライブは確かにつまらなかった。彼女はそのことについて大声で自己弁護していたし、そこには彼女の肥大したプライドが見え隠れしていた。それは誰が見たって、肩を竦めたくなる風景で、そこにはおそらく彼女の人間としての課題が示されているだろう。
しかし、だ。そのことを僕が自己防衛の材料にしようとするのは筋違いだ。それは、ただ僕の矮小さであり弱さでしかない。見苦しさ以外の何物でもない。
そうして考えるうち、僕はいよいよ認めざるを得ない。僕は彼女を軽蔑したくせに、その彼女の体に触れたかったのだ。彼女がその夜、他のオトコに抱かれることに生々しく嫉妬したのだ。あげくに僕は、彼女に名前を知られることさえなくミジメにフラれた。その後に残されるのは、傷ついた自尊心と、敗者の感覚、そして自己弁護と思考停止とさもしい自慰の衝動しかなかったのだ。
人間の心の内には、おそらく二者が住んでいる。一人は自分だけを見ようとする者。もう一人は、事実だけを見ようとする者。
自己美化を拒否すると、自意識がミジメさの谷に落下していく。その落下は、その後の死を予感させて恐ろしいものだが、実際にはそうそう自意識の死には至らないものだ。
ある一点の引っかかりにおいて、自意識の落下は止まる。それは、心の内の二者が合意する点だ。自分から見た自分と、世界から見た自分、その認識が矛盾せず合意できる点。
僕は事実としてしょうもないオトコだった。そして今、落下していく自意識においても、しょうもないオトコであると、その認識の合意点にようやくたどり着いたのだ。
その点にたどり着くと、心は確実な安定感を示して、同時に無闇な陽気さと、力強い活力を生産し始める。
「ああそうか、そういうことか。オレは自分勝手なんだ」
不意にそういう結論が口から滑り出て、そのことに自分でおかしくなる。自分勝手というのは、実に的を射ていた。ライブに退屈しながら、打ち上げで肩を竦めておいて、そのくせまったく自分勝手に、僕は彼女に恋をしたのだ。
「そして今、自分勝手に落ち込んで、結局一人でモンモンと寂しがっているということか」
思索がミもフタもない結論を次々に発見する。
ミもフタもないのは、ミもフタも要らなくなったからだ。
笑いの衝動がこみ上げてきて、くっくっ、と息が漏れる。両手両足に元気が湧いてくる。目に力が入って、視界が明るく広がって、喉は今さら懲りもせずに、酒が足りないな、とあらためて渇きを訴える。
身勝手な恋があり、独りよがりでミジメな失恋があった。恋とさえ呼ぶべきでない、ただ欲情があっただけなのかもしれないが、それはもう恋でも欲情でもどっちでもいいことだった。重要なのは今歩いているショボクレの自分だけ、ショボクレのくせに陽気で元気になっているひたすらバカな自分だけだった。
オトコがオンナを求めるときは、いつだって自分勝手なものだ。フラれるときはいつでもミジメなものだし、それはそれでいいのだ。それはそういうものでしかないし、そのことについて良いとか悪いとかの尺度はそもそもから存在していない。
「オナニーして、寂しく寝るか」
その日僕のその夜は、そのようにして終わった。
オトコは自分勝手に欲情し、恋をする。
そうでなければ、不潔だ。
オトコは自分勝手、あげくにミジメにフラれたときは、オナニーして寝ればそれでいいのである。
傷を舐めあうような不潔はせずに、ただ清潔感に向かえ
清潔感のあるものは、明るく陽気である。
それは、自己美化しておらず、負い目がないからだ。
そういうオンナは、毎朝さわやかに目覚める。
生活の中で、小細工なしに、はにかんでいるうちオトコに自然に愛されるようになる。
自己美化をせずに生きるというのは、大変なことだ。
特に恋愛においてはそうだろう。
恋人のいないオンナが、努力を重ねるも実らず、ゴールデンウィークを退屈の中で過ごす、そういうときオンナの自尊心はかなりの危機を迎える。
自信をなくすし、疲労がたまるし、街を歩く幸せそうなカップルに当てられて、内心でこっそり世を恨んだりすることもあるだろう。
ま、それが人間だ。
大事なのは、そこで深くねじくれないことだと思う。
寂しくなんかないわ、と虚勢を張ることはオススメしない。
寂しいときは、どうしたって寂しいもんだよ。
僕は昔、後輩にひどいことを言った。
恋愛談義をしていたのだが、頭でっかちの童貞だった彼に、
「お前のは、さしずめ小便専用の管だあな。あっはっは」
と暴言をぶつけてしまった。
ひどい暴言だが、まあ先輩というのはそういう存在であるべきなので、僕はこれっぽっちも反省していない。
後輩の彼は、さすがにしばらく落ち込んだが、墜落はしなかった。
逆に奮起した。
オンナを口説いて、恋人にして、手探りで愛し合うことを覚えて、生意気にいい顔をするオトコになってしまった。
その後輩は今でも、あのときのあれは効きました、感謝してます、と言う。
僕は彼の自尊心を谷に突き落としたのだが、彼は僕に感謝さえしているという構図。
清潔感のある人になるというのは、そういうことだ。
自己美化から手を離して、自分を落下させる勇気を持たなくてはならない。
屈辱の向こう側に、清潔感があると言ってもいい。
このことは、オトコもオンナも違いは無い。
僕はしょうもないオトコで、あなたもしょうもないオンナだ。
立派でもなければ賢くもないし純潔でもない。
しょうもないのだ。
僕たちの人生は、おそらくそのことの確認の繰り返しである。
さしあたりあなたは、今晩あたり友達に電話して、自分のしょうもなさを告白するといい。
「寂しいの、話相手になって」
飛び降りる覚悟でそう告白すれば、友達はそんなあなたを無碍に扱うことは決してしない。
友達は、そんなに冷たくないからね。
合わせて、臆病者のあなたは、早めにゲロってしまったほうがいいだろう。
実はわたし、いつもどこかビクビクしてるのよ、とミもフタもなく自分を晒してしまうのだ。
友達は、わたしもそうだよ、と言ってくれるだろう。
友達同士は、そういう自分たちをお互いに確認して笑い合える。
笑い合えるということは、陽気だということだ。
傷を舐めあうような不潔はせずに、ただ清潔感に向かえ。
恋愛というやつも、結局そういう営みとほとんど変わりが無い。
ステキな人と出会ったとき、お近づきになりたいわと、あなたがさっさと白状できるかどうか、清潔感と陽気さの中で白状できるかどうか、そのことだけが問題なのだ。
白状できれば、物語が進むし、白状できるオンナは、白状しなくてもオトコの側が目に留めてくれるものだ。
とにかく、それだけで恋は勝手に進むものなのだ。
フラれることももちろんある。もちろんあるが、フラれたときは、オナニーして寝てしまえばそれでいい。
ん?
オンナの場合は、そういうわけにもいかないのかな。
オンナの場合はどうすればいいか?
もちろん、そんなことは僕にはわからない。
僕はオンナじゃないからね、オンナの場合はどうするか、それはあなたが見つけなくちゃならないことだ。
いつだって、恋愛に善悪は無い。
頼れる指標は、清潔感しかない。
僕はいつだって身勝手にオンナに欲情するし、欲情は心を灼いて恋になる。
僕はそのまま自分勝手に、オンナのカラダを求めたあげく、オンナに奉仕を求めてしまったりするわけだが、そのわがままに善悪を考えてもしょうがない。
善悪を考えるのはPTAのおばさんだけでいいし、おばさんにほめられたらオトコはおしまいだ。
僕は自分勝手に恋をして、フラれたらミジメさにしょげて笑ってオナニーして寝る。
ただそれだけだ。
その中で問われるのは、清潔感があるかないか、その一点だけだ。
清潔感がなければ、あなたは僕にキスしてくれない。
僕が考えるのはそれだけでいいのだ。
オンナのあなたも、同様で、あなたが考えるべきは、あなたの清潔感についてのみだ。
清潔感のあるオンナは、ただそれだけで愛される。
愛されるオンナになるということは、清潔感を手に入れるということだ。
今のあなただって、もうさっきのあなたより清潔だよ。
ま、そんなわけで。
陽気にいこうね。
じゃあまたね。
[了]
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