No.124 座ってるだけでかわいい女
7月19日土曜日、第二十二回のパーティをやった。会場は新しく高田馬場。JZ−GARUDAという、ウエスタンテイストの角店。BGMにずっとビリージョエルが流れていた。ジョエルの「エンターテイナー」という曲は、曲の後半から始まるジャジーなピアノがすさまじくグルービィで、これは何回聴いても鳥肌が立つ。
高田馬場はいい街だ。空気がいい。いや空気は悪いのだが、その悪い空気がいい。こじんまりの店が多いのに、商店街の明かりは全体としてギラギラで、道端に唾を吐き捨てても大目に見られるような街だ。早稲田の学生がバカになるのもよくわかると思った。寂しがり屋の人間は、たいていこういう街が好きなんじゃないかと思う。僕も好きだ。
僕たちはその街で酒を飲んだ。
参加者は合計12名。うち8名が新規参加者で、会場は新しい雰囲気になった。僕もいろんな人と話をした。そういうことは、原始的に楽しい。その気分で酒の味もずいぶん変わる。
でもなぜだろう、パーティが始まると、いつも通り僕は徐々に端っこに追いやられる。ガッツ不足が我ながら情けないところだ。あと、初対面の人が僕のことを一方的によく知ってくれているというのは、なんだか照れくさくて、気が引けてしまうのかもしれない。
僕の無様はさておき、パーティはよく盛り上がった。みんなそれぞれに楽しんでくれたようだし、楽しかったですという報告も後に複数頂いた。とりあえず成功した、と僕は思っている。飲んで騒いで楽しかった、それだけが残れば十分だ。ところでパーティももう二十二回を数えるのに、その中で発生するべき九折さんモテモテ状態は、いまだに一度も発生したことがない。もうそっち方面は成功しなくていいや、という気がしている。開催当初のもくろみは、すっかりアテが外れてしまった。
アンチョビのピザが、やたら塩辛くてうまかった。23時に店を出るまで、時間はあっという間に過ぎた。
今回のパーティでは、僕は参加者の方に、素敵に教えられることがあった。手前味噌になるが、参加者の方に改めて、僕の書いているものについて、心を込めて褒めてもらえたのだ。これは何よりうれしかった。心を込めて、というのがポイントだ。それは日常的な褒められ方と、少し違う。
「どうやったら、あんなのが書けるんですか?」
僕はその質問に答えられなかった。
手前味噌のついでに、堂々と自慢話をしてしまう。自慢話が嫌いな人は、読み飛ばすことをおすすめする。
最近になって、僕は自分の中で、文章を書くときの意識というか、書くということへの取り組み方が変わった、と感じていた。そしてそれによって、引き出されてくる表現が変わってきたこと、そのことの手ごたえを自分なりに得ていた。
そしてそれに合わせるように、メールで頂く応援のメッセージとか、賞賛の言葉とかも、より熱を帯びたものに変わっていった。
今回のパーティでは、それを目の前で伝えてもらった、ということになる。それによって僕は、ああそうか、ようやくここまで来たのか、と自分なりに深く納得させてもらえたのだ。
熱を込めて褒めてもらえるようになるまで、ずいぶんかかった。
もう何年か、こうして文章を書くことに取り組んでいるから、自然に僕の性格は悪くなる。だから、ちょいと褒められた程度では浮かれたりしなくなっていたのだが、そこに熱がこもるなら話は別だ。熱を込めて褒められれば、どうしたってうれしい。うれしいし、同時にこれは本当に新しいところに来たのだと、素直に感じもする。
熱をこめて褒めてもらうのは、実はかなり難しいことだ。何かしら「本物」がそこにないと、褒め言葉はいくら発生しようとも、そこに熱は発生しない。言葉はウソでも出てくるが、熱はウソでは出てこないものだ。
僕たちは心を込めて会話をする。しようとする。心を込めなくても会話はできるが、それはウソの会話で、そのことは僕たちは乾かしてしまう。言葉はいくらでもウソをつく。だから僕たちは、その会話の言葉ではなく、そこにこもる心や熱を感じ取り、それが本当のものかウソのものかを自然に読み分けている。
これは音楽に引き当てて言えば、言葉は楽譜に過ぎないということだ。同じ楽譜を与えられても、誰でもがビリージョエルのようには弾けない。心を空っぽにしたまま、楽譜の音符だけを再生することは簡単だ。ただそれは、同じ演奏であっても、音楽としてはニセモノと言わざるを得ない。これは誰でも皮膚感覚で知っていることだ。
まあそんなわけで、とにかく僕は褒められたことがうれしかったわけです。心を込めて褒められたことが。
ああして心を込めて褒められることは、一生のうちそう何度もないことのような気がする。
僕の目の前の人が、僕にウソの言葉を向けなくて済むように、僕は出来る限り自分なりに本物の何かを提出していきたいと思う。名作気取りのニセモノを作るよりは、クソみたいな駄作でもいいから、本物と言える何かを出していきたい。
大仰な自慢話になって聞き苦しいのが恐縮だけど、とにかくそんなわけで、僕はとてもうれしくて、今もちょっとした充実感の中にいるわけです。
宣伝をしておきます。
次回パーティは、第二十三回、9月20日土曜日の予定です。会場は、多分また高田馬場になると思う。
ここで書いている分には、九折さんはヘンなことばかり言っているけど、別に電波系の危ない人ではないので、どうぞ誤解のないようお願いします。
写真には載ってないけど、いつの間にか端っこに追いやられ、ちびちび飲んでいる地味な奴が、現場にいる九折さんです。
グラスをぶつけて挨拶しましょう。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
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かわいくなりたいなら、まずジタバタするな
酒を飲みながら、新しい女たちを眺めて、僕として再発見することがあった。
かわいい女は、座っているだけでかわいい、ということだ。
ただ座っているだけ、グラスに唇をつけるだけ、それだけでかわいい。
笑いたいときだけ笑って、あくびをしたいときはして、たまにお手洗いに席を立つ、それだけで十分かわいい。
当たり前のことだが、これは大事なことだと僕は思った。
かわいい女になりたいと思う人にとっては、これはとくに大事なことだと思う。
同じ目指すなら、座っているだけでかわいい女を目指すべきだ。
どうすればそういう女になれるのか、という方法論については、まったく回答する方法が無い。
何しろ、「座ってるだけ」を条件にするのだから、努力する余地がほとんどない。
でも、こういう志でかわいい女を目指すほうがきっと正しいのだ。
あれこれ演出してかわいい風を表現する女はニセモノだ。
現時点で、自分をかわいくないと思う女の子は、ただ座ってボーッとしてみて、その自分から何が漏れ出ているか、それを観察することから始めるのがいいと思う。
ジッと座って何もしないからこそ、そこから漏れるものが自分でよくわかる、ということがあるのだ。
こんなあやふやなやり方には、五分も耐えられない、頑張り屋さんの女の子なんか、特にそうだと思うが……
でもきっと、このことが一番大事。
かわいくなりたいなら、まずジタバタするな。
ジタバタする奴は、結局何も伸びずに終わる、これは男でも女でもまったく同じことだからね。
ジタバタしてなければ本物が出てくる、本物であればジタバタしない
色恋沙汰のあれこれが、うまくいかず納得がゆかないのは、ほぼすべての場合、ジタバタすることに原因があると思う。ジタバタする女はモテない。ジタバタする男は、さらにモテない。
何度も言うが、かわいい女は座っているだけでかわいいのだ。そしてそれを見初めた男が、「かわいい」と女に言い寄るわけである。そしてそのように言い寄るにしても、ジタバタせず、心を込めて「かわいい」と言うことが出来たら、女だって嫌な気はしないものだ。そしてそうこうしているうち、男と女は親しくなる。親しくなるのに、努力なんて要らないのだ。
ああ、ジタバタするのは、イヤだね。ジタバタしても、そこからはニセモノしか出てこない。
「どうやったら、あんなのが書けるんですか?」
僕は今回のパーティで、その質問を二度受けた。そして二回とも答えられなかった。今更になって答えられるような気がしてきたのだが、それはきっと、ジタバタしなければ書けるよ、ということになると思う。ジタバタしなければ、本物がちゃんと出てくる。そして本物は、本物の熱を帯びる。
実際、今こうして文を綴る僕自身、自分がジタバタしないように、必死に諌めながらやっているところだ。僕は文章を、どうしてもうまく書こうとする。きれいに、かっこよく、イケているふうに書こうとする。
ジタバタ、ジタバタ……(死にたくなる)
よくある恋愛の悩みのタイプで、思った人と親しくなれませんとか、恋愛モードにならず友達モードに終始しますとかいう話がある。そういう人は、おそらく典型的にジタバタしているタイプなのではないだろうか。ジタバタすると、僕たちはニセモノしか生み出せない。ニセモノしか出てこないから、あなたと彼の関係性は本物のほうへ向かう力を得られないのだ。
「血液型、何型?」
「B型です」
「やっぱり笑」
「ちょっと、それって失礼じゃないですか笑」
こういう会話を重ねていっても、二人は恋仲にならない。
「血液型、何型?」
「うーん……」
「あれ、どしたの」
「その話、ちょっと寂しいかも。ごめんね」
たとえばこういう会話にならないと、二人はあるべき関係へと進もうとはしないものだ。
前者の会話と後者の会話、それぞれにあるジタバタの感じを汲み取ってみてほしい。前者は楽しげだが、ジタバタしている。後者はどうだろう、静かな印象を受けないだろうか。
そして、会話に本物もニセモノもないけれど、便宜上本物とニセモノを振り分けてみるとしたら、前者と後者、どちらが本物っぽく、どちらがニセモノっぽいだろうか?
ジタバタしてなければ本物が出てくる。本物であればジタバタしない。そんな当たり前の話。でも僕たちは、気を抜くと毎朝毎晩ジタバタしている。誰もがジタバタするのは嫌いなはずなのに、裏腹に、ジタバタすることには結構熱中するみたいだ。
この全身の感触を、拒否することから、僕たちのジタバタは収まってくる
何か役に立つことを言っておきたいので、頑張って言ってみるが、ジタバタするしないということについて、一番僕たちがジタバタするのは「会話」だと思う。座っているだけでかわいい女が、会話を始めてそのかわいさごと行方不明になる、そういうことはよくあることだ。
僕はその点について、会話を警戒せよ、と言いたくなる。会話は、一般的にはコミュニケーションを深める方法であるように言われているが、そんなに単純なものではないと僕は思う。会話することで、逆にコミュニケーションが浅くなってしまうこともあるし、お互いが行方不明になることもよくある。誰もが知るように、ささいな言葉の行き違いで、若い男女がシリアスなケンカをしたりもするのだから、僕たちの会話という営みが、かなり粗雑で危なっかしいものだと、そこは合理的に理解しておくべきように思われる。
会話というのは難しいのだ。いやもちろん、会話するだけならカンタンなことだが、それによってより「本物」に近づこうとするのはそんなにカンタンなことではないのだ。それはたとえば、美しい風景を美しい写真に写し取ろうということに似ている。美しい風景を美しい写真に収めることはとても難しい。シャッターを切るだけなら、誰でもできることだけれども。
会話に発生するジタバタの現象を、ここで具体例を挙げて、実際にあなたに引き起こしてみたいと思う。挑戦的なやり方だが、僕の読みではきっと図に当たると思っている。ぜひこのまま、自然に読み進めて、お遊びのつもりであなたなりに実験してみてもらいたい。
具体例は、過去に僕が受けた相談の事例を、そのまま引用することにする。これは実際に、向かい合って会話した話なので、そのようにイメージしてもらいたい。
27歳、クミさんからの相談。クミさんは髪が長く、ゆるくカールしていて、どことなく昭和スタイルを思わせる風貌だったが、唇に差した紅が似合っていて、美人だった。
「先月、お見合いをしたんです。それで、相手は私を気に入ってくれて、ぜひ結婚したいと言ってくれてるんです。私もまあ、悪くない人だなとは思ったんですが……。
でも私、もう三年も付き合っている彼氏がいるんです。ただその彼は、年下というのもあるんですが、経済力がなくて、このまま一緒にいるのは不安なんです。彼にもっと頑張ってほしいと、そのように今までも伝えては来たんですが……。
一方で、お見合いしたその方は、立派なところにお勤めで、またお人柄も紳士で頼りがいのある方で、安心できる人だと思うんです。それで、正直なところ私も結婚願望がありますし、その人と一緒になってしまおうか、ということも真剣に考えているんです。ただ、お付き合いしている彼のことが、やはり好きではありますし、その彼を裏切るようなことはしたくないという気持ちもあって、どうしたらいいのか迷っているんです。私はどうするべきなんでしょうか?」
このようなケースがあれば、多くの回答は、まず次の三つに分類されると思う。
■1. 彼氏のことが結局「好き」なら、お見合いの男性は断るべき。付き合っている彼との自然な愛を大切にするべき。経済力は、彼がこれから伸びるかもしれないし、自分も働くことでカバーできる部分があるはず。また経済力のある相手とお見合いすることは、年齢的に見て今後も機会があると思われるので焦らずにいるべき。
■2. 「幸せ」になりたいなら、お見合いの男性と結婚するべき。結婚とその幸せを女は追求するべきだし、結婚とその幸せは愛や気持ちだけでは達成できない。この場合、お見合いの男性と結婚することは今付き合っている彼に対する裏切りにはならない。彼がクミさんを幸せにするには力不足だったのだから、そこは男が自分の非力を受け止めるべき。
■3. 結局自分で決めるしかない。人に相談して結論を出しても、結局自分が後悔する。
そしてこれらの三つそれぞれに対する、反論はおそらくこう。
■1a. 愛だけで結婚はできない。恋愛結婚を神聖化しすぎ。
■2a. 好きな人と結ばれない結婚なんてどこまでいっても偽物。経済力と結婚するな。
■3a. それは承知した上で相談している。相談は相談であって決定権の委譲ではない。
さてどうだろう、あなたの意見は三つのうち、どの立場におおよそ当てはまっただろうか?
考えてみて、きっとあまり楽しい話ではなかったと思う。
あなたが今、いろいろ考えている脳みその具合、呼吸の具合、それらを感じながら、話の続きを聞いてもらいたい。
***
意地悪なというか陰険なというか、うっとうしい書き方をして申し訳なかった。演出上のものとしてご容赦いただきたい。
テーマは、ジタバタしてるとか、してないとかの話だ。
あなたとしての回答が、3つのうちどれに当てはまったとしても、どれかに当てはまってしまった以上、あなたはジタバタしていることになる。この相談者、クミさんはいかにもジタバタしている真っ最中の人だ。真面目でお人好しの人ほど、このジタバタに付き合ってしまう。そして一緒に疲れてしまう。
先の相談を、実際に受けている立場をイメージして、自分なりにいろいろ考えてくれたなら、あなたはきっと呼吸を浅くしていると思う。肩や目元に力が入り、脳みそはキリキリっと硬い感触になり、口の中はやや乾いているのではないだろうか。今声を出すと、こわばって出にくいか、逆に少し大きな声になってしまう気がする、そういう感覚はないだろうか。
それが、ジタバタしているという状態だ。こういうとき、僕たちはニセモノしか出すことができない。本質的に愉快にもなれない。この全身の感触を、拒否することから、僕たちのジタバタは収まってくる。
この相談について、僕が実際にどのように答えたか。その、実に不真面目でいい加減なやり方を、思い切って暴露してみる。もちろん、あまり褒められたようなやり口ではなく、どちらかという性格の悪いやり口だ。
「私はどうするべきなんでしょうか?」
「うーん、どうするかは置いといて、なんだろう、なんかしんどそうだよね。幸せそうじゃないというか、満たされていないというか。一緒に生きようとしてくれる人が二人もいるなんて幸せなことのはずなのに、何かひたすら疲れているように、俺には聞こえるよ。声の調子とか、表情とか……。何が不満なのかわからないけど、不満ならいっそ、両方とも捨てれば」
そういうふうに話をすると、クミさんは慌てて気付いたように、すいません、とゆっくり頭を下げた。そして、確かに疲れているのかもしれません、ごめんなさい、とうつむいたまま言った。
両方捨てれば、不満はなくなるよ。何しろ自分しか残らないからね。僕は少し茶化すような感じで、空気を和ませようとして言った。しかしクミさんは、それに茶化されることはなかったようで、
「……そうなんですよ。確かにそれは、そうなんです」
と真剣に答えた。
僕の茶化した言いようの、その含みをすぐに受け取って、すぐにでも新しく考え始められたクミさんは、きっと頭のいい人だったのだと思う。クミさんの目の奥には、新しく何かと向き合い始めた橙色の明滅があった。
こういうふうに物事が動き出すと、僕はもう何も口出しする必要が無かった。僕目の前に座ってジッとしているだけでいい。クミさんは自分の中で取り出すべき言葉を手探りしている。そしてなぜか、こういうシーンの共有は、静かに二人を親しくしてゆく。
こういうとき、僕が余計なしゃべりを挟むと、せっかく輝き始めたコミュニケーションが、一気にニセモノになって曇るだろう。会話することで、コミュニケーションが浅くなってしまう、そういうことは実際にあるものなのだ。
心より先に、言葉が出てきてはいけない
お説教くさくなって恥ずかしいが、このクミさんと僕との会話について、またそこでジタバタするとかしないとかについて、カンタンに説明というか、ノウハウ化して話してみる。題名をつけると九折流会話術ということになるだろう。題名をつけると恥ずかしさに死にそうになる。これはあくまで、役に立つための何かを書こうとしてしぶしぶ書いているわけで、喜んでこんなことを書いているわけではない、そのことをどうか肝に銘じて読み進めてほしい。
(恥ずかしすぎてめまいがする)
クミさんが持ち込んだ話は、要約すると二者択一の話、合理的な結婚をするか、非合理的な恋愛をするか、ということの話だった。そしてクミさんはその選択に迷っている。この迷っているということが案外重要なポイントだ。迷っているのは道が間違っているからで、それを正すにはいったん来た道を引き返してみるしかない。
カンタンに言って、迷っているのは、そこに本物の何かがないからだ。本物の恋愛なり本物の幸せなりがあれば、迷うという現象自体が発生していないだろう。そのことに、落ち着いて目を向ける必要がある。ここで、「これは難しい問題だ」とか、こちらが同じ分岐路まで足を運んで、一緒に迷ってもあまり有意義なことにはならない。
ジタバタしないためには、ジタバタしている人に巻き込まれないことが大事だ。そのために、相手の話をよくよく聞きつつ、自分は自分として自分の心にしっかり目を向けてみる。自分の中で、考えることではなく、感じることをまず受け取ってみる。これが会話をジタバタさせず、本物のほうへゆっくり向かわせる、コツみたいなものだろう。
クミさんの話を受けて、僕の内心ではどのような感覚が生まれているか。そのことを見つめれば、単純にこんな感じ。実際は、見つめるなんてたいそうなことではなく、ただそのようにしてある、ということでしかないけれども。
■クミさんの将来は僕には関係ないし、別に興味も無い
■どうするべき、と言われても僕にはわからないし、どちらが上位と判断する基準になる主義も僕は持っていない
■どっちもどっちというか、正解不正解は初めから存在していない気がする
■本質的に、あまり楽しくない、話していて疲れてくる話だ
■クミさんはしんどそうで、このことを解決したがっているように見える
■恋愛と結婚の話をしているが、どちらもキラキラした印象を受けない
■今のクミさんは虚弱で、しょうもないことに悩んでいる、という気がなぜかする
■それは置いといて俺と浮気して遊んで欲しい
僕の内側では、おおよそこんな感じだ。この内容がいかにゲスなものでも、さしあたりそのような感覚や感情がある以上、それを否定しても意味がない。日本の地中に活断層がある、というのと同じで、僕の内心ではこういう感覚がぽこぽこ沸いて出てきているわけだ。(またこの内容で軽蔑されると思うけど、そこはもう諦めた)
会話をニセモノにせず、またジタバタせずに会話を進めようということになると、僕はこの自分の中にある本当の感覚に依拠して会話を進めざるを得ない。だからまったくその通りにするのだが、その通りにすればコミュニケーションはちゃんとあるべきほうへ進んでくれるのだ。
それが、会話術といえば会話術かもしれない。
たとえば、先に羅列した僕の内部の感触を、そのまま伝えたとしても、これは十分会話になりうるのだ。
「どうしたらいい、なんて俺にはわからないし、どうすべきなんて主義も俺は持ってないし、また俺の立場でそのように言い放っても、それは無責任な主張の押し付けでしかないと思うんだけど、その前になんとなくの印象として言えば、まず初めからこれは正解不正解というような二者択一の話ではないみたいだね。どちらを選択しても、それなりに幸せになるし、またそれなりに平凡になる気がするよ。
それより先に、今俺の目の前のクミさんが、とてもしんどそうというか、弱っているというか、そのことが一番よろしくないように俺には感じられる。大事なシーンに立っているはずなのに、しょうもないことに悩んでいるときのような、曇った顔をしてるよ。ひょっとすると、どちらと連れ添って生きていくとか、そんなことから離れてしまって、もう迷うこと自体に嫌気が差してる、さっさと決めて解決したい、みたいな状態なんじゃないかな。
そんなクミさんの目の前で、俺としては、クミさんのその悩みは、ごもっともな話として確かによくわかるんだけど、それより先にエロくて楽しい話でもして、スキがあれば口説いて落として悪いことしたい、なんてことを先に考えてしまってたりする。これはまったくゲスな話で、まあそれは俺がそういうとてもダメな人なのでしょうがないんだけど、逆に言うと、そういう目の前のことを楽しむ余裕もないまま、弱ったままのクミさんでゴリゴリ考えても、正しい決断なんて出てこないんじゃないかな、とも思うよ。
俺が思うに、大事なのはどちらを選ぶということじゃなく、むしろ『どっちでもいいや』ってぐらいの度量で、ただ表情をキラキラさせている、そういうクミさんのところに立ち戻ることなんじゃないのかな。そのために、クミさんはまず俺と無意味にキスでもして、空気を変えてみてはどうだろう」
このようにして話せば、その内容がいかにゲスであっても、ニセモノの会話になりコミュニケーションが浅くなっていく、ということは起こらない。
僕は本来、会話というのはこういうものだと思っている。本当は、言葉なんかでコミュニケートしたくないのだ。本当は、心の中に起こることを、そのまま超能力で伝えたいのだけれど、超能力を持ち合わせてないから、その内容を出来る限り言葉で仮に伝えようと、試みているだけなのだ。
大事なのは心だ。感覚や情動だ。心より先に、言葉が出てきてはいけない。言葉は思考を生むし、思考は言葉を生むけれど、その循環の中に、心の中のことはほとんど何も入ってこない。
「結局自分で決めるしかないと思うけど、やっぱり今の彼氏のほうがいいんじゃない? 彼のことが好きなら」
「やっぱり、そうですかね」
こういう会話のやり方は、あまりに粗雑ではないだろうか。正直僕のような、おセンチな人間からは、こういうのがとても「心ない」会話に聞こえるのだ。―――東京より埼玉のほうが物価が安いからいいんじゃない? というようなレベルでの会話と同じ程度にしか心がこもっていない。僕はそのことを、不誠実、と感じて寂しく思ってしまうのだ。そしてそれは、寂しがりやの僕たちの中で、決して僕だけのことではないはずだろう。
会話術、ということで確認する。会話をニセモノにしないためには、まず自分の心のうち、そこにある感覚や情動に真剣に心を向けよ。自分の心のうちに、よくよく耳を澄ませ。そこから聞こえるものを、ただ歪めずに伝えればそれだけでよろしい。逆に言えば、それを伝えないなら会話なんて、しているようでしていないことになる。
固まった思考と言葉の習慣だけで、ジタバタあれこれ物事を言い合う、その老化の臭いがする―――オヤジギャグと同質の―――クセを見切って、今ここで捨ててしまうのだ。
クミさんがそれからどうしたのか、詳しくは知らない。最後に聞いた話では、お見合い相手には断りを入れ、また付き合っていた彼とも、いくらか距離を置いて過ごすことになったとのこと。妙にすがすがしい気分です、と、クミさんはあたらしい自分を立ち上げたように言っていた。お見合い相手は、断られるとすぐに諦めて去っていったし、そのことが釈然としない気分もあるし、彼氏のほうは公務員試験を受けるとか受けないとか、相変わらず情勢は安心とは程遠いですけど―――クミさんは楽しそうだった。
なんか、楽しそうだね。いいね―――僕はそのように応える。相変わらず、僕はクミさんの将来に興味が無い。ただ自分の心のうちに起こる感覚や情動を、言葉として拾い上げるだけだ。
僕はきっと、クミさんと二度会わないと思うけど、それがごく自然だと思う。そして、この一度交差しただけの関係が、二度と会えなくて少し寂しく、ニセモノっぽくなくていい。それが僕としての、地味ではあるけど満足なのだ。一度きり会ったクミさんに、キスはさせてもらえなかったけど、まあそれはそれでいいかと、そう思えるぐらいには、僕はささやかに満足するのだ。
ジタバタしていないということ、静かに本物でい続けているということ
ジタバタしないこと。徹底的に、ジタバタしないこと。このことが、結局一番大事なのだ。ジタバタしなければ、自分のことが見えてくる。自分の中にある感覚や情動、それらの本物を拾い上げてゆけば、僕たちは差し当たりニセモノにはならない。
かわいい女は、座っているだけでかわいいと言った。それは、座っているだけということは、何もしていないということではなくて、ジタバタしていないということ、静かに本物でい続けているということなのだと思う。座っているだけでかわいい女が、視線を合わせて会釈をする。そこには不純物が無いのだ。この本当のコミュニケーションが、男を素直に恋に落とす。
かわいい女になりたいあなたは、どうぞジタバタすることのないように。ジッとして、自分の中に起こっていること、それをよりよく深く、拾い上げる訓練などしてみてください。それは、結構楽しいことです。
最後にもう一度、宣伝。
次回、第二十三回パーティは、9月20日(土)の予定です。会場はたぶん高田馬場。空気が悪くて空気がいい、ジタバタする努力家とジタバタをやめたろくでなしが、入り混じって仲良くできる街です。
パーティの会場で、九折はやはりジッとしてます。
ただこの場合は、単に僕に若さと元気がないだけなので、次回は少し、エンジン吹かしてがんばります。
ではでは、そんなわけで。
皆様のご参加を、心よりお待ち申し上げております。
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