No.133 他人と仲良くするな
どうか目を見て話してほしい。僕は寂しくて仕方がないのだ。
目を合わせるにもいろいろある。挨拶程度のそれもあれば、訓練されたウェイトレスの上等な職業技術としてのそれもある。それらも素敵なことだけれども、僕はその先を思わずにいられない。視線を重ねているとやがて何かがウワッとつながる。ただそれだけによって、二人が泣いたりすることがあったって、何をか不思議がることがあるか。そういうときは泣いたりしてしまうものだ。
凍った空気が空から押し込めてくるような夜である。駅前の安っぽいツリーが、それでもがんばっていてくれるから、僕はクリスマスの気分になる。クリスマスは年々商業化が激しいけれども、僕はクリスマスが好きだから、今もクリスマスにしがみついている。懐かしく思い出される、十二月の追い込みに感動したあのときの記憶に。あのときツリーは光って見えた。初めてのデートに付き合ってくれた、恥ずかしがりやの同級生も、同様に光って僕には見えた。
最後に誰かと向き合ったのはいつごろだったろうか?
視線を重ねるとウワッとなるが、声を届かせてもウワッとなる。つながる、つながる、どれだけ酒酔いしていてもつながる。
あのときは勢いで注文した食べきれない鶏丼に大笑いしていた。全員が確かにそこにいたし、僕も確かにそこにいた。何もしていなかった。僕がそのような中にいて、生きるというのはそういうことだと思い込んでいたのだったが、それは僕の世間知らずというものだった。もっと別の時間空間をそのとき過ごしていた人もいて、それを当たり前としていた人もいたのだった。カッコつけてはいるけれども、つながってはいない時間。それはつまらない時間だと思う。だがそれを見下している場合じゃない、真剣にいこう、それどころじゃもうないはずだ。
人と人とはつながるのだ。視線を重ねているうちに、それはもう視線と呼ぶべきでさえない、ナゾの黒い結合になる。お互いの瞳が透き通った黒曜石みたいなつややかさでお互いを包んで、わけがわからん、ただつながったなという感覚だけをお互いで納得する。そのことに何の意味もないし、外から見たら何をしているかわからないのだけれども、とにかくそういう現象はあるし、そういう現象の中にいるうちは、その現象だけがすべてになる。
いやいや、もうそろそろ嘘の時間はやめにしような。あなたも本当はすべてを知っているはずなのだ。人と人とはつながるもの、これは当たり前のことだ。あなたも赤子のころそれを経験した。そして生きるということをそのときにおいて理解した。
人と人とはつながるのだ。目と目はグワーッとつながるし、声は届く、ぐいぐい届く。名前を呼び合い、笑い声を響かせあい、これからのことなんか考えないし、これまでのことも考えない。みんな元気で好き勝手にやりあうが、どこにも騒がしさがなくて落ち着く。ひたすらつながっているのだ。つながっているということだけがある。
バカな奴もいて独りよがりな奴もいて、誰も気を使ったりしないのに、わずらわしさがどこにもない。若造が酔っ払って、テーブルの上で逆立ちしても、その迷惑を迷惑として誰も感じることができない。つながっているから、他人がどこにもいないのだ。
あなたと他人でなくなりたい。僕はあなたに何も与えないし、気の弱いあなたに無理を言って、どうせ僕はあなたに性的な行いを強いるだろう。あなたが僕を他人として見る限り、あなたが僕を好人物と見てくれるわけがない。僕はあなたと他人ではなくなりたくて、また他人でなくなる以外に、受け入れてもらう術がないのだ。
せっかく目の前にいるのに、他人のままじゃ寂しいじゃないか。
目と目をつなぐことができるし、声と耳をつなぐこともできる。手と手をつなぐこともできるし、肌と肌をつなぐこともできる。婚姻届を出したって、そのことでは何もつながらない。全部あなたの知っていることだ。
お互いをつなぐことは誰でもできる。あなたが僕を好きでなくても、あなたは僕とつながれる。つながってしまえば、あなたは僕をバカだと言いつつ、それでも他人ではあらずにいられる。そうなれれば本当にいいと、真剣に思っているのは僕だけだろうか。
つながることができる分、他人のままでいることもできるね。目と目を合わせて、声を交換しあったりして、手をつなぎキスをしてセックスをして契約をして、なんじゃかんじゃやってみても、つながらなければ他人のままだ。それは孤独ということで、孤独であればすべての風景とすべての音があなたに辛く響くだろう。僕は今日、鉄道の走り抜ける音にやられて、しゃがみこんで泣いている人を見たよ。
ああ、くそ! とデスクを蹴飛ばしたくなってくる。なぜ僕とあなたはつながれない。いったい何の障害があって、ドウモドウモとお遊戯をしなくてはならんのだ。つながるのに技術も努力も人格もいらない。幼児と幼児だってやっているのに、僕とあなたは何なんだ。僕はもうのたうちまわりたい。僕はやせがまんしているだけで、僕だって高架下で本当はしゃがみこんで泣きたい気分だったのだ。
なぜ僕の目を見てくれない。なぜ手をしっかりつないで、それだけになろうとしてくれない。心をつなげてしまうのに、はじめは少し怖い気がする、照れくさくて恥ずかしい感じもする、そんなことはわかっている。でもそれも、他人でなくなるまでのわずかな時間の話じゃないか。
それをなぜ怖がってしまう。いや、怖がってしまっているのはあなただけじゃない。どちらかというと、犯人は僕のほうだ。
僕はいつの間にか、他人と仲良くすることばかり上手になってしまったのだ!
季節の変わり目に僕は弱く、また季節の変わり目が僕は好きだ。アスファルトは寒さにミシミシ言うようで、歩くだけでドキドキする。僕は誰かと一緒に歩きたい。仲のいい他人とではなく、大して縁も深くない、それでもつながっている誰かとだ。
つながれ。僕にこれを言う資格はないけれど、僕は記憶に基づいてこのように言うしかない。つながれ、目を見て、声を届かせて、手を重ねて、つながれ。他人でなくなってから、おしゃべりするんだ。
つながるのに努力も技術も人格もいらない。つながるために何もしないことだけが大事だ。目を逸らしたりしない、声を逃がしたりしない、いい人になったりしない、相手を評価したりしない。
ごめんなさいを決して言うな。ありがとうも決して言うな。やり取りで解決しようとするな、つながることで解決しろ。赤子は母乳に礼を言わないし、ボクサーはセコンドに礼を言わないだろう。迷惑掛けてごめんなさいは、あくまで他人に対する礼儀だ。
付き合うな、つながれ!
全部あなたの知っていることだ。
僕の部屋からも大橋を超える電車の音が聞こえる。
泣いていた彼女はもう立ち上がっただろうか。
僕ももう、泣き止まねばなるまい。
[了]