No.162 最も交際してはいけない相手
ベッドに足を広げて座り込んでいるところを、裸のまま髪を梳いていた彼女が眼に留めて、あらと気がついたように立ち上がってこちらに来て、ごめんね寂しかった? と問う。ぼうっとしていただけの僕は、いや別に、と首を振るが、そうか今おれは寂しかったのか、と彼女に教えられて気づく具合。それほどぼうっとしていた。ただ煙草をだらしなく吸っている。彼女は僕を寂しがらせたお詫びというふうに、僕の下腹に唇を寄せてきて、さっきまでそうしていたように愛撫を再開する。こちらから見下ろす黒髪としなやかな肩が、ほうっておいてね、好きにさせてね、と無言に意思表示をしている。僕はぼうっとしすぎて、もうこれがいやらしいことなのか何なのかわからなくなっている。ただひたすら全てのものが静かで、点けっぱなしのテレビニュースまで静かで、窓明かりの暮れなずみが紫色に染まりきっているのを見て、このままずっと夜はこないような錯覚をする。力がぬけきって骨と肉さえ離れてある感触が全身を包んでいる。このようなとき、お互いには心のつながりが馬鹿馬鹿しいほどあって、それはそのとき明らかすぎて感動することもできない。愛も恋も性も感謝も吹き飛んで、ただ明らかすぎる心のつながりだけがある。きわめて平穏、日常的で、しかし実際の日常に帰ったあとは、あれがとんでもない非日常だったと遅れて思い知らされる。
僕はそのような記憶の手触りとともに、人が生きるということや、幸福とはなんなのかということを、一人でこっそり考えている。
友人Kの母御さんは、夫について、「あの人はそういう人だから」と諦観をこぼした。ある夜のことである。彼女は猛烈な頭痛を起こし、床についても眠れずにいた。そしてその痛みがあまりに強烈なので、不安と苦しみからたまらず寝ている夫を揺り起こした。夫は眼をこすって面倒くさそうに起きたが、妻の頭痛をそれと知ると、それはいけないねということで鎮痛剤を取り出してコップの水と共に彼女に飲ませた。そして再び眠った。もちろん彼女はそんなもので痛みが治まるわけがなく、朝にはもう意識が朦朧としていたそうだ。やや遅れて眼を覚ました夫は、妻を心配しながらもいつもどおり仕事に出た。息子も同じく心配しながらも中学校へ登校した。しかし当時中学生だった友人Kは、やはり様子がおかしすぎるということで、通学路の途中で引き返し、走って帰宅しては勇気を出して救急車を呼んだ。診断結果は脳内出血であった。Kは母が一命を取り留めたことに安堵したが、同時に父への不信をつのらせた。薄情すぎやしないかと、彼はむしろ母御さんのほうに詰め寄ったのだが、それを受けての「あの人はそういう人だから」の答えであった。彼の家族は特に不仲ではない。
ハムスターのカイ君が、むごたらしい死を遂げた。カイ君は気密性の高いマンションの一室のケージの中に閉じ込められ、夏場の熱気に耐え切れず蒸し殺された。給水器の水を必死に飲んで生き延びようとしたカイ君の姿が僕の想像力に浮かんで今もまだ消えずにある。カイ君が死んじゃって、と報告する、飼い主であった彼女はもう二十代の後半であったが、彼女の反省ぶりには心を痛めている波長が見当たらなかった。当時の僕はエッと驚き、途端に索然としたものだ。責めたくあった気持ちもどこかへ消し飛んでしまった。彼女の想像力にはカイ君の苦しみは受け取られていないようであった。動物好きにもいろいろある。その後も注意深く彼女を観察してしまった僕であったが、最後の印象は、彼女は手元に動物を飼い、それに名前をつけることに特にぎらぎらした歓びの気配を漲らせるということだった。それはともすれば、そのこと自体が彼女にとって動物を飼う目的なのではないかと疑われたほどだ。
「なぜわたしは、こんな人と付き合いたいと思っていたのでしょうか?」という、印象的な文末で締めくくられたメールをくれたナミエさんは、今は公認会計士になられた。彼女の事件はある暴力から始まっていた。左遷で出向してきた男性がヒステリーを起こし、彼女は殴打されたのである。「女のくせに偉そうにすんな!」の罵声と、頬の青あざと、転倒して打ちつけた右尺骨のヒビが彼女の受けたダメージだった。男性は法的に処罰を受けることとなったが、一方で療養する彼女もショックから一時的に人間不信となった。彼女は同期会と呼ばれる宴会の、その出席予定をキャンセルするために、幹事の男性に連絡を入れた。彼女が頼ったのもまた彼であった。彼女は親にも話せずにいた事件の痛みを、連絡の電話にかこつけて思わず細かに話し伝えた。それはひどい話だねと彼は唸ったが、その後に勢いよく言われたのは「二次会だけでも顔出せない?」であった。彼女は通話を切ったあとも、携帯の端末自体がおぞましく思えて、思わず投げ捨ててしまったそうである。
人の痛みや苦しみが、あるいは喜びや楽しみが、さらには静けさや満ち満ちてくるものといったようなことが、とんとわからない人がいる。そういう人と交際することは、僕の知るところの幸福にはつながらない。僕はずっとそんなことを考えている。そして漠然と思われているほどには、人の心がとんとわからない人というのは、決して少なくないものなのだ。
人の痛みや苦しみついては、いたわりなさい、という教育がほどこされている。また人の喜ぶことをしなさいとも教育されているし、相手の立場に立って考えなさいとも教えられている。だがその教育を骨身に染ませて誰もが生きているわけではない。感動しなかったクラシックコンサートにも大きな拍手をするように、痛みや苦しみなどわからないままに、教育された善人としての振る舞いをなぞることは誰にでも出来る。その善人像ということで言えば、例話の登場人物を並べてみれば、善人像からもっとも遠いのはむしろ僕だろう。
人の価値観はさまざまであれば、もっとも付き合ってはいけない相手は、彼らか、もしくは僕だ。ただ僕は、馬鹿馬鹿しいほど明らかな心のつながりと、その中に見える永遠の暮れなずみの紫色を知っている。そしておせっかいにも、願わくばあらゆる人がこれを見ればよいとどこかで望んでいるのだった。
[了]