No.164 正午のニュース
女が深く頭を下げたところへ、僕は彼女の綺麗に整えられた髪の分け目が、まっすぐに、奥の地肌を白く光らせるのを見た。そこからは生きものの香が匂い立つようで、僕はどきまぎしながら、立ちつくすようであった。一本ごとが太い黒髪が、重みに揺れ、彼女が頭を立ち上がらせると、再び彼女の顔の輪郭を覆った。やや乱れた黒髪の囲いの中で、少年と見まごう勇ましい造りの顔は、それでも目元がやわらかく、低頭の余波もあり、上気して笑っていた。気持ちをこちらにはっきり向け、心をほどいた笑みであった。鮮やかに赤く、似合ってはいない、またそれが逆に愛らしさを増している、目の細かな布地のトレーナーが、彼女の白い首筋を照り返しに染めている。周囲は観光客らがゴム底に踏みしだく砂利の音で包まれており、乾いた音は奥歯に痒くにじむようであった。
このような心があったのだ、と思うと、僕は悔しさにひざまずきたくなった。そして誰にも何をも説明せず、高笑いして懺悔をしたくなった。全ての過ちを認め、気楽の極に身を投げ出したかった。自らを粉々に砕きたい破滅の願望があり、同時に全身の血がわななく歓喜があった。
両ひざに両手をついて、僕は深く頭を下げた。慣れぬ体勢に、鼻の奥に血が溜まり圧迫するようだったが、その苦しさは一時快楽であった。このようにできることが有難かった。そうして一度頭を下げてみると、なるほどこのようにすれば、好きなだけこの賛嘆の思いを爆発させうるのだ、とも納得された。そうして我儘に振る舞う僕を、女は困ったような穏やかなほほえみで、ずっと受け止めて立っていた。頭を上げてからも、女はずっと困ったようにほほえんでこちらを見つめていた。ひとしきり僕の嵐が乱暴をするのをかわいがるのみというようであった。やがて彼女はポシェットから、ゆるく織られた綿のハンカチを取り出すと、雨に濡れる洗濯物をかばう動作で近づいてきて、僕の額の汗を拭った。僕はされるがままの、電柱のようであった。
苔むして水気に冷えた、台形をした外来樹木の粗製のベンチに座り、しばらく気を鎮めることにした。女は少し間をあけて隣に座っていてくれたが、僕は片手で額を押さえ、もう片の手で女の素足の腿に触れ、その肌のなめらかさに縋っているより、気の落ち着かせ方がなかった。女は献身的というふうではなかったが、僕の窮する様をほうってはおけず、ただこちらに気遣いの心だけを痛いほど向け、女としての自身を何かに役立てるなら提供する、という具合であった。
境内の中ほどには、黒く腐食した木柱があり、その高みからはだらしない電線が数本垂れている。舌こそ生えていないが、いかにも何かを吹聴したがって見える、灰色樹脂の拡声器が三口据え付けられており、三口は互いに捩れの方向を好き勝手に向いているのだ。
やがて正午を知らせる電音のチャイムが、たるんで保たれていない音程の不安さで鳴り響くと、ガガガという雑音とともに、正午のニュースです、というアナウンスが流れた。
本日行われた本会議で、頭を下げない人間は、いかなる誰ともよしみを結ぶことはできない、と閣議決定されました。それでは、本会議場より中継です。
音量だけはこちらの耳を割るほどであるけれども、年齢を感じさせない男性アナウンサーの、ことさらに落ち着いて歯切れのよい声がそう告げると、まだ喧騒収まらぬ本会議場の音声が中継された。与野党の罵声が、互いを諦めきって飛び交っていた。思い上がり! という語が、どちらの陣営にも取り扱いきれぬと見えて、互いに押し付けるように投げかけあっていた。
今更当然過ぎる報道だ、と僕はそれを聞き流していた。やがて男女の若い二人連れが、手洗いの前で切羽詰った声を出しはじめ、なによ、なんだよ、と口論をしだした。声はすぐに怒りと悲嘆を帯びてゆき、ナニヨー! ナンダヨー! と叫びあいになった。互いに眼に涙を溜めて、互いのすねを力一杯に蹴りあい始めた。哀しみにくれたふうのその傷ませあいは、それでも互いに分かり合おうと痛みを分け合っているようにも見えた。
眼球に黒いビー玉をはめこんだような中年女性の一群が、無表情をつらぬくように必死に糊塗しながら、頑なに前だけを見るようにして、鯉の泳ぐ大きな蓮池にざふざぶと入水していった。そのようなことで死ねぬと知りながら、何かのためパフォーマンスか、パントマイムをしているようである。全員が首まで浸かると、無表情のまま浮かんで停止していた。
アナウンスが一旦止み、代わってコマーシャル・メッセージのそれが、上等の化粧品の説明をした。周囲がすさんでゆくのを受けて少し怯えた女は、身をこちらに寄せてきて、肩のぬくもりをくっつけにきた。わたしを守ってください、というようで、幸い目前の乱痴気騒ぎから彼女を守ることぐらいはできそうだったので、僕は安心した。手のひらに汗をかいて、彼女の腿を締め付けてしまっていた。僕は額に手を当てたまま、腹に湧くのは、思い上がりということのどうしようもなさと、ひたすらの詫びばかりであった。
[了]