No.175 単なる好きと本当の関わり
いまここにある僕という存在は、これまでの数々の体験を引き継いでここにあるのである。その中には、ただふんわり好きだったものもあったし、内蔵を捻転させられ、わからぬ汗を掻いて広場にひとり崩れ落ちた経験もあった。その中に、僕自身の考えといったような、薄弱なものがどこまであったろう? 僕は無数の体験と、その影響に影響づけられてきたのである。僕が自分のこれまでをひたすら幸福に思うのは、これまでの経験が、たとえ苛烈に過ぎるものもあったにしても、僕にとって滋養に満ちた、かけがえの無いものであったからだ。僕はいわばそれらの影響の集合体としてここにあるのである。人がもし真に哀しむべきことがあったとすれば、それは生活の有利不利といったことではなく、自分を形作る影響を与えるべきなにものかの存在が貧しかったときであろう。人はなるべく、自らの体験を豊かにする権利を与えられるべきである。人はそれぞれ、願わくば、一人ずつ緑の野に放たれなくてはならない。
僕が人間の心、精神について、その奥行きを思うとき、そこにはユングやフロイトといった深層心理学の巨人らの解き明かしたところが深く影響づいている。僕はそれに影響づけられているとして、僕は声を大にしてこれを言わねばならない。<<それは知識ではない>>。知識というのは、仮に脳内にウェブのようなものが張り巡らされているとすれば、そのサーバーにアクセスすることに長けている、容易だ、ということに過ぎない。僕にとっての影響づけがいかに強大であったとしても、知識という側面でみればまず専門家や、あるいはクイズの名人などにはかなわない。そしてそのようなことは僕にとって必要ではないのだ。あくまで<<影響づけられている>>ということが、今に至るまでの僕を形作っている。仮にそれが僕に影響を与えていないのであれば、それは僕から分断された一種の記号や仮説の暗記にすぎない。それは穴埋め問題を回答することにしか役立たぬだろう。
阪神大震災の、傷跡のようにして残る体験の後、僕は被災地にボランティアラーとして数十日間を住み込んで過ごした。その中での、未熟者の無様が痛めつけられるような経験をして、僕は大阪の生家に戻った。ちょうど高校の卒業と重なって、僕は大学受験への浪人として、まだ肌寒い春を過ごしていた。そのときのことである。僕は今に至るまで、そのときのことを録画した映像のようにはっきり覚えているが、大阪天王寺の、かつてあったユーゴー書店の上階で、赤い表紙の心理学の本を手に取った。ソフトカバーの、さして分厚くもない本で、カウンセリングの理論と現場についてが書かれているものであった。僕はその冒頭からを読み進むうち、立ち尽くして、えもいえぬ衝撃に震わされていたのだ。そこに語り示されている人間の心の深層と、表れてくる現象は、僕の知っているものではない、聞き慣れないものだ。けれども、僕はどこかで、このような心の現象がありえると、なぜか知っていると、認めざるを得なかったのだ。
不思議なことに、僕はそのときその本を購入はしなかったのである。それよりもはるかに貴重なものを持ち帰ったと、このことも確かに記憶している。自分はこれから受験勉強に没頭するのではあるが、大学に入ったら、深層心理学についてのことを、気の済むまで勉強してやろう。僕が打ち震わされたあの衝撃と、謎の真相を、これでもかというまで自身で解き明かしてやろう。そのような決意が起こり、僕は深夜まで血が熱く茹るようであったのだ。
さかのぼれば、僕はその天王寺のユーゴー書店において、影響づけられたこと、そのことから今の僕として、人の心を思うことにまでが接続してあるのだ。大学に入った僕は、学友との親交を深めるべきさえ差し置いて、まず文学部の図書館へ向かった。そこでジグムント・フロイトの全集を読んだ。その読書体験は、生まれて初めての手ごわさのものであった。難解な内容は1ページをめくるのに30分、あるいは一時間を要することさえあった。物理的な苦しささえ感じながら、それでも読み通し、続いてユング関連の書籍を読んだ。このまま、何冊を読むことになるのだろう? その興味があって、今は亡くなられてしまったけれども、河合隼雄氏の著作を読むのに、その冊数をカウントしていた。40冊を超えたあたりで、数えるのもやめてしまったけれども。しかしそれらの体験は、確実に今の僕を影響づけている。心理学からの発想としてもそうであるし、またそのように読書をし、自らに何かを身につけようとすることの体験そのものとしても。
今こうしている作文の手法も、僕は大江健三郎の文学作法の影響を色濃く受けている。それに支配さえされているところがある、と言われても肯わざるをえないほどに。けれども僕は、そこに村上龍の影響を受けているし、高村光太郎の影響も受けている。中野重治の影響も受けているが、そのこと自体も大江健三郎に影響づけられてのことだ。しかし、ことは文学に限ったことではない。僕がここに作文することには、もっと無数の影響が関わっている。忘れてはならない純粋意志の高潔を活性化するヘヴィ・メタルや、慕情と官能と夜の潮風に屈服する自分を思い出させる桑田佳祐の歌声も、今このときの僕に影響づいている。肺腑を締め付けるような、岡本太郎氏の絵画や著作も僕に影響を深く与えている。
はっきりと言うべきである。影響づけられていると、言いうる、というのではなく、はっきりと影響づけられている。むしろその影響によって、僕はこう書かされている、と言うべきだ。
ムツゴロウこと畑正憲氏の全集を、やはり大学生の時分に読んだ。憑りつかれたように読んでいた時期があった。いのちとは何であるのか? そしてそこにあるきらめきは? 僕はこれらについて誰かと議論するに及んだことはないけれども、そのようなものが確かにあるのだ、ということのみ自身に知らしめられてある。僕はそれを知っているのみであって、僕がそう思うということではなかった。いよいよ、「僕の考え」などといった薄弱なものが、本当に僕のうちにあるものだろうか? 僕の内にあるものの全ては、なにものかによって影響づけられたものばかりだ。僕はその影響の集合体としてここにあるのである。
友人や、先輩後輩、あるいは親身にしてくれた先生たちや、懇意にしていたバーのマスターなど。彼らから与えられた影響づけはさらに大きなものだ。ここには父母や親族といったことはもう差し挟むまでもなかろう。それらは影響づけの第一にあって、指摘するのも馬鹿らしいものだ。
そして、僕を慈しんでくれた女性たち。彼女らから与えられた影響は甚大なものだ。僕はここにおいて、恋愛や恋人といった固定概念をいよいよ疑うのである。真に自分の生に深く関わってあるのは、どれほど自分に影響づけを与えたか、ということではないのか?
ありふれた良心が僕なりにも痛むところがあって、このような影響づけの与えられてきたことを見て、あらためて感謝をするべきなのではないか、という声が起こる。それでも僕は、またこれもなにものかに影響づけられてのことなのだろう、自らに不遜を課すようにして、別のことを言おうとするのだ。
僕に影響づいてある全てのものについて、僕は「好き」という語を当てられない。好きであるには違いなかろうが、そのような語は実にふさわしくない。それは尊厳に関わることだ。尊厳において、僕はそれらの全てに、いわば「好き呼ばわり」のことをできなくなる。
僕はいま、心中に居座るある思いについて、もっとも効果的に言うのにこのような表現を選ぶのである。
――好き、か。好きなら結構、ただ好きなら、後に忘れることもできよう!
僕に与えられてきた影響づけの全ては、忘れることなどできないものだ。それはすでに僕を構成する一部の成分であって、分離などできず、脳の破損でも起こらぬかぎりは、忘れるという概念自体が当てはまらない。たとえその源泉が手元から失われ、あるいは亡くなり消失してさえも、すでに僕の一部となった影響づけが消えてなくなるわけではない。だからこそ僕は、それにわざわざ感謝を示してみるというような、余所余所しいこともする気になれずにいるのだ。すでに僕の一部となったものに、道徳態度を示してみるのも馬鹿らしい。僕はそれを誇るのみであって、感謝の美徳を唱える気にはなれない……
少女が、まだ幼さの残るころ、アイドル・タレントの男性に、どうしようもなく入れあげることがある。彼女は成人では真似できない強度で、彼のことが確かに「好き」だ。けれども彼女が数年後、そのようなことはすっかり忘れ去ってしまっている、ということがある。珍しくもなく、むしろ誰でも心当たりを持ち合わせていること。それはまだ子供で幼いからだという指摘は、半分ほどにしか当たっていまい。まだ幼いころに触れたものでも、後々まで深く自分を影響づけているものや人はあるはずであるから。
好き、ということの薄弱さ。これは平易なことにおいても、あるいは残酷なレベルにおいても起こりうる。あれほど好きあっていた二人がどうして、と、人を悲嘆に暮れさせ、ときには人を絶望にまで追いやることがある。好きあっていたはずのものが失われ、むしろその喪失を互いに非難しあうようになり、もっとも気分の滅入る筋書きで別れに至る。別れた直後にはまだ胸の内に苦しいものがうごめていたのに、すぐにもむしろせいせいする気分がやってきた。ああすっきりしたわ、とは言ってみて、そのことには嘘はないのだけれども、何かそら恐ろしいものを奥深くに感じなくもない。――わたしはこれまで何をやってきたのだろう? ――これからも同じことを繰り返してゆくのか?
仮に二人が、単に熱烈に好きあうというのではなく、それよりも深く影響づけあうことがあったならば、このようではありえなかった。互いの影響は、互いの人間を形作る、すでに一部になっている。この人と出会い、こうして過ごすことがなければ、今の自分はありえなかった。今となってはもう、それ以前の自分を思い出すこともできない。漠然と、愚かなコドモだったという、恥ずかしげな記憶だけがあるけれど……
このような二人は、たとえ別れることになったとして、先の二人のようではあるまい。むしろ別れに起こる胸の痛みは、先の二人よりも何倍かして強くあるかもしれないけれども、二人はなお失意とは無縁であり続ける。互いの幸福を祈り、願い、最後は笑って別れようと、一生に一度の勇気と意地を振り絞るものだ。崩れる寸前で踏みとどまる二人は、またその体験を、影響づけとして互いに最後に与え合うのでもある。人の幸福を真に願い、弱きに泣き崩れずに意地を張る人間は美しい。彼らはその美しさを知り、その美しさを知っている人間として互いに生きてゆく。彼らが互いに与えた影響づけが、彼らという人間を作るのだ。
われわれが今、滑らかに生活する中に、単に「好き」というものを取り入れることは実に容易になっている。それをダウンロードすることもでき、オンライン・レジで購入することもできる。けれども僕は明らかに思う、単なる好きは薄弱だ。真に問われるべきは好きかどうかではない。今あらためて自分の触れているものの全てを見返す、――わたしはこれらに影響づけられてあるだろうか? 与えられた影響づけが、すでに自分を構成する一成分にまでなっているか?
――これらがわたしを新しく作り上げたか?
趣味や娯楽、あるいはイベントや社会勉強というのであれば、その単なる好きや楽しい、あるいは単なる面白いに留まっていてよいのである。それ以上は求められず、またそれ以上の影響づけは受けなくてよいという気楽さがむしろ趣味と娯楽の味だ。単に楽しみといってもいい。けれども全てがそればかりでは豊かでない。嘆くべきではないか、自ら触れてゆくものはその好きと楽しいの趣味娯楽ばかりで、自分に影響づけを及ぼしてくるものといえば、ネガティブな、仕事上の立場関係での、神経に障る卑俗なやりとりばかりというのでは。
自分を失意に追い込めてゆく、ネガティブな影響づけというのもある。それを乗り越えるには、やはりそれを上回る何かしらの影響づけが必要になるが、人はこれを前向きには試練と呼んできた。失意に追い込められていく苦しさから、強制されるようにして、救いを、ポジティブな影響づけを与えてくれる何かを探し始める。ときにはそれは宗教にさえ及ぶことがある。
好きと楽しいの、趣味娯楽に浸るばかりに生きてゆくと、この試練に立ち向かえなくなる。失意に追い込められてゆく自分の苦を、趣味娯楽でいっとき慰めることはできよう。けれどもそれは抗して戦っていることではない。麻酔にしか過ぎない。人の痛みについて、時には麻酔こそが真っ先に必要なことも確かに多いけれども。
このことは、おそらく誰にでも推察され、今さら僕が細かに言うまでもない、現代世情を映し出したものだ。漠然と、しかし確かに、現代人は弱くなった。そういう気がしているし、本当は気がしているというのではない、確かなことだとなぜか捉えている。少し前には、もう少し何かがあったはず。例えばひとつの歌に影響づけられ、立ち上がって戦ったというようなことが。気恥ずかしくて、とうてい人には語れないにしても。
僕自身にもそれはあった。やはり恥ずかしくて、実際どのようであったのかは、いくら勇気を奮ってもここに書けないほどだ。古い話、ある失意から、自己防御と逃避に頑強であった僕を、ひとつの歌が打ちのめしたのである。Hello,
my freind./君に恋した夏があったね/……
僕はこの歌に語られて、夕暮れの人の往来に、本当に崩れ落ちてしまったのだ。這いつくばり、ウーウーと唸って、泣くことをやめられず、通りすがる人が安否の声をかけてくれるのにも応えられず。歌詞どおりの夏ではなく、僕のそれは、春の日のことであったけれども。
それも僕に与えられた、そして今にも続いてある、影響づけのひとつだ。僕を構成する成分のひとつ。そしてもちろん、僕を打ちのめして救ってくれた歌についても、それを「好き」だなんて呼ぶことは僕にはできない。
「たくさん、しよう」
神戸の街は六甲の麓にあり、街そのものが勾配にある。従って坂道と階段が多く、階段も直ぐではなくうねっていることが多い。そのような階段の、よく冷えた夜中を想ってもらえれば幸いだが、僕はそのような場所をある女性と歩いていた。まだ僕が二十歳の頃で、彼女も同年か、その一つ下ぐらいであった。
二人は友人の垣根をやや越えて、はじめて情交したあとであった。どこにでもありふれた二人で、その肌を重ねた動機は、勢いというのではなかったけれども、彼女が寂しかったからなのか、あるいは僕が寂しかったからなのか、よくわからなかった。シンとして静かな中に、互いのありふれたやさしさが滲んだ情交で、ぬくもりのある時間であったし、彼女は善良で屈託のない女性であったけれども、どこか互いに探し物があるというような、わずかな引っ掛かりを残した夜であった。
何が正しいことなのやら、わからない、と僕は気を弱くしていたようだった。何も間違っていないように思われるが、その何も間違っていないことこそが間違っている、というようにも感じられてくる。冷えて澄んだ深夜の風と対照的に、僕の内はにごりゆくようであった。彼女のほうも似たような心地でいるのだろうと、勝手に僕は思っていたのだったが……
階段の中途で、僕は指をやさしく彼女に引きとめられた。立ち止まることを求められ、そのようにしてみると、普段は控えめな彼女が、何か言うべきを言おうとして、丸い目を慣れない決然さに光らせていた。そして小さな声だが、確信に満ちてこう言ったのである。
「たくさん、しよう?」
僕はハッとさせられた。改めて、大真面目な彼女の眼を見ると、彼女の眼差しは語りかけてくるのである。わたしにも、何が正しいのかわからないよ。でも、たくさんしよう。たくさんしないとわからないことって、きっとたくさんあるもの。そう言って憚らない。
僕は彼女の熱を直接に与えられていた。
そうだな、その通りだ。その通りだよ、と僕は答えて、答えるうちに声が高まっていった。その通りだよ! 僕はついに爆ぜるように笑い出しさえしたのである。
同年代なのに、と今になれば可笑しく思うのだが、若さだ、とそのときの僕は思った。わからないものがたくさんあるのは当然で、だからこれから知りにゆくのではないか? 先ほどの交合でまだわからないことが残ったのなら、今すぐこれからでもよい、百でも二百でも重ねてみればいいじゃないか? それだけしてみて、なお何もわからないまま、ということはあるまい。だからそうすればよいし、そうすることが、先に進むっていうことだ。
見つめあう向こうに、生気に満ちた彼女の紅い頬があった。
僕は何やら、彼女と一緒に、誰も彼もを置き去りにして進んでいってしまえ、とも思いはじめていたのだ。見上げる夜空の星々が一斉に刷新されるような、鮮やかな出来事であった。
人は影響づけられたものの集積で形作られている。一度の情交で与えられる影響づけもあるが、百度の情交で与えられる影響づけもあるだろう。数が物をいうわけでは決してないが、一度のそれのみを持って深刻に考えぶることはそんなに上等か? もし影響づけに単位を与えるなら、百度してからのそれを一とする、と単位を定めたほうがよいのではないか。情交などに限らず、何事についても、一度や二度、三度や四度触れた程度で、何か考え込むのは単なる知ったかぶりというやつではないのか。
僕自身に言いつけるようにもして、僕はこれを言いたい。人にせよ事物にせよ、触れる回数が少なすぎる。そんなことで豊かな影響づけが与えられるはずがないのだ。お見合いなら、一度会っただけでも、好きかそうでないかはタイプとして判断できるだろうが、それは影響づけが起こるというような話ではない。一ページが30分だったとして、僕はフロイトの全集を読み通すのにどれだけの時間が掛かったのだろう。数が全ての要素ではないけれども、ページをめくるたびに僕は影響づけを与えられていったはず。
人を好きになるのに時間はほとんど必要ない。僕などは、やさしい女性であるなら誰だって好きだし、それと知るにも視線を重ねるだけで十分だ。好きなどということは、人の関わりにおいては入り口、さらにはその手前の門でしかない。単に好きということでは人の関わりあいは起こっていないのだ。たとえば僕が一方的にアイドルタレントの誰かを「好き」だったとしても、そこには何の関わりあいもないというように。
好きということは門に過ぎず、そこをくぐっての関わりあいは、互いにどのような影響づけを与え合うことになるかだ。交際や恋人がどうこうというのも形式に過ぎない。いくら好きあって恋人同士と宣言しても、互いに影響づけが起こらないならば二人は本当には関わっていない。好きという門をくぐっても、くぐっただけでは見学に過ぎないのだ。
人と人との間に、何が起こって、互いに影響づけあうことが起こるのだろう。考えてみたがわからない。ただ僕は、人はそうして影響づけあい、その影響が互いの人間を形作るのだということに、今さらながら勇気を与えられるのだ。何とはわからなくても、やるべきことはもっとある。
インターネットで情報を集めて何になる。たとえオンライン上に10億の人人がいて、彼らからふんだんな意見を収集できたとしても、一体それが何になるのだ。いくら意見を集めて理解しても、それは自己への影響づけとはならない。こういう意見が多い、ということにしかならないではないか。そんな拾い物の意見などが自分を形作る成分にはならない。頭の中を巡りはしても、血の中に流れるようにはならないものだ。
そんなことをしていたら自分がやがて空っぽになろう。
好きなどという語を置き去りにして、もっと直截の、影響づけの起こるほうへ向かう。改めて胸を打つのは、影響づけを与えられたならば、人はそのときから新しいということだ。人は影響づけで形作られているのであるから。与えられた影響づけが、その人そのものであるのだから。
<<たくさんしよう>>という、彼女の声が思い出される。これだけがいつまでも正しい。何をすればよいのか、という問いはここに葬られよう。影響づけの起こることがあれば、それは何であれ何かをしているということであり、また新しい自分が生み出されているということなのである。
[了]