No.179 馬の骨から恋人へ
例えば僕はこうやってずっと文章を書いているけれども、それは他人から見れば知ったことではない。書けたとか書けなかったとかで、僕が煩悶することはある。けれども、それは他人からみれば「はぁ」というだけでしかない話。この当たり前のことを、人はしばしば見失う。当人が真剣なつもりでいればいるほど。
僕がかつて総合商社に勤務していたとき、人並みに合コンや何やらとしたけれども、その中でずいぶん楽に女が引っかかるということがあった。いちおう国立大卒の上場の商社マンだということであれば、積極的になってくれる女性は少なくなかった。はじめのうち、こりゃあ便利だと僕も喜んでいたのだが、すぐに興が冷めてやめてしまった。職業を聞かれても貿易関係だとしか答えないようになった。
彼女らは経歴に恋をしていたのである。それは確かに、ロマンスの一つではあるのだけれども、僕の趣味ではなかったので、僕はやめてしまった。そういう女性について、低質だ、と捉える感性は僕には無い。なんであれ僕に心を向けてくれた人にそういう侮蔑を向けることは僕は決してしないが、僕は自分のやりくちこそが物語を低質なほうへ引き起こすものだったと認めたのである。
経歴や立場、あるいは名誉や権力に向けて、女性が恋をするというのは、一つのロマンスであり、不潔と言いうるものではない。けれども僕は、そのタイプのロマンスを大事に持ってゆける性格ではなかったし、そのようなロマンスを求める女性であれば、堂々ともっと高みを目指してもらいたかった。超一流の経歴と、超一流の実力を持つ男以外に、そのロマンスを中途半端に向けてもらいたくない。またそこにある動機がロマンスでなく、生活の不安と安定保護だったとしたら、それはまた別の話になるだろう。
人は案外このことを見失うのである。それは、僕が丸ストーヴで暖めた部屋で小説を書いていようが、商社マンとして輸出入のハンドリングをしていようが、他人から見ればやはり知ったことではないということだ。
そのことを何と言うかというと、どこぞの馬の骨、というのであった。
趣味や経歴、職業や出身地といったことは、各人のプライベートである。すなわち、ここでない場所では普段何をしていますか、というのは全てプライベートだ。文章を書いているのも電子部品を輸出しているのもプライベートである。
本来、このプライベートは、純粋会話の中に持ち込まれるべきものではない。お見合いならばいい。お見合いならばむしろ、趣味と経歴が話題の第一で、ここではない場所で普段は何をされていますか、ということが持ち込まれてよい。けれども本来の、勇敢な馬の骨同士としてはそれを持ち込めば堕落である。
それを持ち込んだとき、実はすでに会話の醍醐味は奪われている。
例えばこのように捉えればわかる。あなたがバスケットボールの3on3、そのオフェンスとしてドリブルをついている。前に敵ディフェンスが低く構えて立ちふさがる。あなたはチェンジ・オブ・ペースから、ペネトレイト、さあ行くか、と神経を研ぎ澄ましている。相手の眼の色をじっと伺いながら……
こんなときに、「普段何してますか」なんて聞かない。趣味はとか、経歴はとか、出身地はとか聞かない。そんなことを聞いたら、清潔な何かが台無しになることをあなたは知っているはずだ。この「場」、現にある今のこの「場」から離れて、ここでないどこかで普段は何をしていますか、なんて聞くものではない。それは現のこの場を冒涜し汚す行為である。やる気が無いなら帰れよ、と相手プレイヤーは言うだろう。
これが、普段は何をしていますかというプライベートではなく、
「ずいぶん離れて守るねぇ」
「ギャラリーが見てるぜ」
「ずいぶん練習してきやがったな」
ということならかまわない。これは現の場の醍醐味を失わせるものではない。
<<職業や経歴や趣味を聞いてはならない。普段は何をしていますかと聞いてはならない>>。そんな無茶なと思われる人もいるだろうけれども、これはまったく無茶でも無理でもない。当たり前のことを人はしばしば見失うのである。これは当たり前のことであった。このことが無理だと感じる人は、少なくともバーテンダーにはなれないだろう。職業や経歴や趣味、あるいは名前を、自分からは決して聞かないのがバーテンダーの鉄の掟である。
実は、経歴その他のプライベートを聞いた瞬間から、会話はいったん打ち切り・中断になっている。バスケットボールの選手が控え室にいるときのように、そのときはプレイはお休み中なのだ。そのお休みの中で交わされる会話は、死んだ会話であり、生きて大海を泳ぎまわる会話ではない。
プライベートを聞くしか、つまり経歴や立場や普段は何をやっていますかということを聞くことでしか、会話ができないという人もいる。それ以外にありえないでしょう、と怒ったように信じている人も。これについては僕はこう答えうるだろう。僕は男性に向ける言葉は常に冷酷である。それは僕が自身に向けて甘えたことを言わないようにという躾である。すなわち、<<現に今ある「場」、その「場」から着想を得られない奴が悪い>>。脳みそがトロいのだ。別にバスケットやサッカーでなくても、人とプレイしている最中に脳みそをトロくしていいはずがない。
脳みそをサボらせている奴が人との関わりで玄妙の快楽を得ようというのは虫が好すぎるのである。少なくとも僕は僕自身に向けてはその緩和を許さない。会話というのは、頭を柔軟にフル回転させ、その「場」から「愉快さ」を作り出すプレイである。
たとえば舞台に一人のオペラ歌手が出てくる。いい服を着て微笑んでいる。そこに司会者が経歴を説明して、この方はどこどこのコンクールで金賞を獲り……なんて言いだしても、聴衆の側はどうだ。そんなもの、「知ったこっちゃない」に尽きるだろう。経歴なんかどうでもいい。そんなことより、経歴はわかった、「じゃあこの場で金賞を獲ってくれよ」と思っている。そのために聴衆は来たのだから。
一人一人、誰も同じ。プライベートは「知ったこっちゃない」。そんなことはどうでもいいから、それよりこの場に愉快さを生んでくれ。せっかく一緒にいるのだから。
それだけのことでしかない。
特に男は、女のプライベートを聞くべきではないし、自分のプライベートを話すべきでもない。男なんざ何者であっても女からみれば馬の骨である。勘違いしてはいけない。どこぞの馬の骨、プライベートを話す義理もなければ、プライベートを聞いてやる興味もないのだ。
現のその「場」から着想を得て、その「場」でプレイして魅せるしかない。そうでなければ、互いにその「場」にいる意味がない。
頭が良くて発想が豊かだというのなら、それによる経歴なんざ披露していないで、この場で「頭いいな」「発想が豊かだな」と思わせてみせてよというのである。顔が広いというなら、この人は魅力的で顔が広いんじゃないか、と伺わせるものを見せつければよい。プライベートは聞くのも言うのも禁止だ。プライベートの全ては一言でいえばただの野暮である。
会話から厳密にプライベートを除去するのは難しいだろう。けれども、これは空論に遊んで言っているのではない。きわめて実際的な話である。何なら僕は、この原理を人に知られてしまうのはいやだなと、渋りたい気持ちさえ持っている。
「その髪型、似合ってるし、どこにでもありそうで、ちょっと無いよね」
「あ、美容師です」
こういう順序で、職業などのプライベートが出現するのはいい。
けれども、
「美容師です」
「あ、その髪型、似合ってるし、どこにでもありそうで、ちょっと無いよね」
という順序ではいけない。前者の会話のいきいきしているのと、後者のもっさりとして死んでいるのとを見よ。
会話にプライベートを持ち込んではいけないのだ。主義思想の話ではなく、本当にただいけないのである。会話の醍醐味、現のその場のプレイの味が失われる。そんなものはもう会話ではない。真っ先に相手の職業や年齢を聞いてよいのは、お見合いか、さもなくば金貸しや不動産屋や面接官など、人を査定する従業員だけだ。
電車のドア脇に若い二人として立っている。流れる車窓を眺めていて、冬のピーカン空からまばゆい光が照っている。
このとき、「どこに住んでますか」と聞くな。
「どこに住みたいですか」と聞け。
そこには馬の骨同士、世界の全域で通用する会話が生まれる。
[了]