No.195 ガールズ・レンジャー、出撃せよ!
もう年の瀬だ。たまにはバカな話。今どき恋愛を題材にこんなクソマジメに話をしているのは僕だけじゃないのかと思えてくるのだ。よりによって俺が、そんなまさかと、やってられなくなるのである。だからバカな話、バカな話だ。冗談じゃない、僕は生まれてこの方、砕けたシャーペンの芯先ほどもマジメになったつもりはないのだ。
◆基本兵装は、今もCanCamとインドア趣味である。
以前、十九歳になったばかりの女の子が、「要するにCanCamでしょ」と名言を吐いた。大学生になって合コンにも慣れてきたころだ。彼女いわく、CanCamに準じた装いをしていれば、男がガンガン掛かってくるというのだ。僕は彼女の才能に思わず敬礼した。
まったくその通りなのだ。
あのときから、いくらか時代は移った。当時はエビちゃん・押切もえ・山田優の三師団が最前線にあった。あれから、今は佐々木希、ガッキー、堀北真希らの勇士に最前線は移った。いや今はもう、ローラ、トリンドル、アンジェリカと、海外からの傭兵部隊がゲリラ前線を支えていることに注目すべきかもしれない。なおAKBを中心とした、特殊任務部隊は今は考慮に入れなくてよかろう。
時代は変わった。けれどもなおである。今もなお、基本兵装はやはりCanCamにあるのだ。慮るべきは敵方の事情である。時代が変わったからといって、若い男のヤボテンたちがそれにキャッチアップしているとは限らない。男たちは口では頑張ったことを言う。CanCam的なものはどうも、ホステスの従兄弟みたいなファッションじゃないか、それよりはラフで薄化粧で、仕草がかわいくて個性的な……みたいなことを言う。しかし彼らの多くは、実際にはCanCam兵装のやわらかいファーとブーツから伸びた生足に敗北するのだ。彼らは好きではないくせに落ちるのである。女の子が、なんだかんだでちょっとしたイタリアンレストランが嫌いではないように、男はなんだかんだで嫌いではない。
CanCamが基本兵装である。実際に、その兵装を採るかどうかは各人に依るとして、兵士の常識としてはこれを知りおかねばならない。
ただしCanCamといっても、その兵装だけでは片手落ちだ。男はわかりやすくドキッとしたいくせに、ドキッとしたあとは親しみに安心したいのだ。すなわちインドア趣味である。ありふれた音楽を聴いたり、料理をしたり、マンガを読んだり、ビデオゲームをしたりしてよい。実際にはしていなくてもいい。休日は何してるの、と聞かれたとき、本当のところはどうでもいい、お掃除してるかな、のんびりお掃除するのが割と好きなの、と咄嗟に答えていなくてはいけない。カルボナーラを作るのに挑戦してるの、カルボナーラ難しいよね、というような追撃があればなお可だ。
CanCamとインドア趣味。これは、世界各国の兵士が、とりあえずAK−47とグレネードで武装していることに等しい。必ずしもそれでなくてはいけないわけではないが、あくまで基本兵装はこれだ。あらゆる場面で、有為な戦闘能力を発揮する。美術館で美人にもなれるし、居酒屋で酔いつぶれて色っぽくもなりつつ、軽薄な女とは決め付けられない。
これに対して、たとえば全身を異民族レベルのフォークロアで固める。そして休日は、クラブに行ってるか、バンドでスチールギターを弾いてます、なんて言ってはいけない。男は、へへえ多彩だねえ、興味あるなあと反応するが、虚勢だ。彼らの生態はザリガニに類似すると知るべきだ。自慢のハサミを高々と上げてみせるが、行動としてはすぐ後ずさりするのである。
両耳と唇にバリバリにピアスを入れて、肩にはタトゥーが入っている、しかし休日は乗馬をしている。そういうのもよろしくない。男は即刻ベイルアウト、交戦を拒否するだろう。
もちろんそれらの、スペシャリストとしての兵装が大きな戦果を上げることもある。けれども、それはあくまで特別の状況だ。オールマイティには基本兵装、CanCamとインドア趣味である。知りおくべし、リップグロスを塗り敬礼と共に了解せよ。
◆近接戦闘に優れていなければ兵士とは言えない。
メールのやりとりは砲撃戦だ。面談での会話は銃撃戦である。そして酒の席などで隣り合ってはしゃぎあうのは近接戦闘である。いかに近年、遠距離攻撃のツールが発達しても、やはり近接戦闘に優れていなければ兵士とは言えない。
近接戦闘の、大前提となる極意がひとつある。それは「踏み込み」だ。基本は50cm、優れた兵は1mを大胆に踏み込む。踏み込まねばコンバットナイフは致命傷を与えず、ハンドガンで返り討ちにされてしまうように、まずこの踏み込みが近接戦闘の大前提にある。要するに、女の子が半歩近づくだけで男は半分ほどもう恋に落ちている。ドキッとして好きになってしまう。アホなのだ。
対人心理学のパーソナルスペースの概念からは、なるべく真正面ではなく、側面、あるいはそのやや後背から踏み込むべきだ。ただしあくまでも知っておくべきは、近接するときの緊張感というのは、男性が女性に踏み込むより、女性が男性に踏み込むほうがはるかに緩やかだということである。それはなぜか? おおよそ体躯が、男性より女性のほうがずいぶん小さいからである。小動物が足元に駆け寄ってくることに心理的な抵抗はほとんど起こらない。ガールズレンジャーはそれを心得て、より大胆な踏み込みを行うべきだ。
そして多くの場合、自分の肩が相手に触れるほどの近接距離に入れれば、勝利はすでにガールズのものだ。男は鼻の下を伸ばし、また別の場所は充血し、精神はみだらな妄想に支配され、まともな抵抗ができる状態でなくなる。
近接戦闘は、男の五感にことごとく攻撃を行うものである。所詮メールは言語野からの攻撃しかできない。面談の会話でも接触は不十分だ。近接戦闘こそガールズの独壇場であるべきである。
五感の全てに攻撃をかける。まず視覚だ。これについて、十七歳だった少女が名言を残した。彼女はティッシュ配りのアルバイトをしていたのであるが、
「ノースリーブ着て配ったらバカバカティッシュが売れる」
とのことだ。男はアホなのである。そこに女の肌があれば夢遊病のように突入してくる。
ここにおいて、やはり女性のミニスカートは最強の近接戦闘武器だ。全ての若い女性が重々ご承知のように、ミニスカートを支える下半身のその他の装いは、色気を演出するというよりも、過剰な色気を抑制するために整えられるものだ。サンダルに全力のミニスカートではいくらなんでもということがある。そのためにブーツが装備され、ニーソックスが装着される。けれども、もはやそれは、衣装を見せているというよりは、肌を額縁で囲っているに等しい。
肌による視覚への攻撃。これについては、ドレッシーに胸元を開けたものもやはり有効だ。これは意外に、バストのサイズに関わらず、それなりの攻撃力を発揮する。大バストを好む男性は多いようだが、それは適正バストの攻撃力を無効化するものではない。小さいものは小さいものなりに鋭い効果を上げる。なお実戦で効果を上げるのは、デコルテが大胆に開けられている装いよりも、ただ胸元が「ゆるい」という服装のほうである。動きに合わせて胸元が揺れ内部があらわにちらつく。これは上半身にフレアスカートの揺れを導入した兵器とみなしてよい。
また、ドレッシーに胸元が開いた装いというのは、装備に費用がかかる。宝飾を添えようとするとさらにハイコストだ。ここで思い出されるべきは、男はドキッとしたあと親しみに安心したいということである。そのためにも、ざっくりとして胸元がゆるいという装いのほうが総合的な効果を上げるのだ。いくら理論上の威力が高くても、超高級コールガールのようであってはやはり男はザリガニ退避をする。
次に、男性がヒロインを意識する現象について、あの有名な「パンチラの法則」を思い出さねばならない。漫画ドラえもんにおけるしずかちゃんに明らかなように、男にとってヒロインとはパンチラをする少女のことだ。なおこの点に加え、入浴・ピアノレッスンといったインドア趣味のあるところから、ヒロインしずかちゃんは伝説的兵士の一人と捉えるべきである。ルパン三世の峰不二子に比べて同性へのインパクトはないが、仮に実戦に出たとき、どちらの戦果が上だとも言えないすさまじい能力を持っている。なおこのパンチラの法則を堂々と正面に描いたのが、宮崎駿の「魔女の宅急便」であったし、宮崎氏自身もそのことを誇らしく語っている。
戦陣訓の一として記憶せよ。女性の下着は、「見られてはいけないもの」ではない。正しくは、「撮影されてはいけないもの」だ。
これを語るのは厳しいことだが、女性の下着というものは、戦場における化学兵器だと捉えてよい。国際法上は使用を禁止されている。けれどもその兵器は実在し、仮に使用されれば敵兵をまとめてなぎ倒してしまう威力を秘めている。その効果はまさに毒のように作用する。視覚に一瞬触れただけでは、オッとは一瞬思うものの、どうということはない気がする。けれども敵兵の神経に時間をかけて入り込んでいくのだ。彼の神経は欲情のほうへ傾き、その欲情を起こした者をヒロインと無自覚に認め始めてしまう。
このような兵器を、使っていることを公に知られてはならない。法的には禁じられているからだ。けれどもバラエティ番組に出てくるアイドル女性たちを見れば、この兵器をデビュー当時などに有効に使っていることは明らかなことだ。もはや戦場において抜きには考えられない兵器となっている。実際の使用は各人にためらわれても、いざとなったら使いこなせるということは重要だ。
◆近接戦闘においてもっとも重要なこと。それはディフェンスだ。
五感には、その他触覚や嗅覚や聴覚がある。触覚への攻撃はボディタッチで単純かつ的確に作用する。さっきからずっとくっつけているノースリーブの肩も、女性側が考えているよりはるかに大きなダメージを男に与えているものだ。じゃれるようにして、軽く体重を掛けるなどするのも大変効果的である。このとき男の心境は、ときめきを飛び越えてすでに幸福に至っていることさえある。
触覚への攻撃の威力は絶大だ。女性が一般に思う程度のおよそ数倍の効果が実際にはある。隣り合った席で足が触れ合っているだけでも強力なもので、腕にバストが触れることなどがあればもうダメージは回復できないレベルになる。
この触覚への攻撃は、特に先の「踏み込み」ということと合わせて体得されねばならない。電車内でドア脇に立つとき、金属で出来た垂直の手すりに掴まるはずだ。あの距離感が基本の間合いとなる。飲み会の帰り道で、彼の側面、やや後方に位置する。そして十分な踏み込みから、電車の手すりに掴まるような心地で、男の腕にするりと絡みつく。踏み込みが不十分だと余計にリスクを高めるものだ。十分に踏み込み、当然の距離から攻撃せよ。
女性の多くは冷え性である。秋から冬にかけては、このことも攻撃に有効活用しうる。冷え切った手指の温度を確かめさせるため、両手の指で男の頬の左右を覆ってみせる。冷たいでしょ、とおどけるようにすれば、やはり男の側のダメージは甚大だ。男の触覚はどのようにしても、触れた女性の肌を無視することはできない。勝手に、その手指を温めなくては、とさえ思い込んでくれる。
またそれに似た動作としての、聴覚への攻撃もある。男の耳元に手指を添えて、耳打ちをするのがそれだ。耳打ちには、音源を手の甲でカバーするものと、手のひらでカバーするものがあるが、必ず手のひらでカバーするべきである。手の甲でやると、急に事情通のババアのようになり、面白いキャラになってしまう。途端に渾名は「渡る世間」になってしまうだろう。
耳元でささやく女性の声。ウィスパリング。この攻撃は、一見ありふれているようでいて、実際に食らったことのある男は思いのほか少ない。騒がしい飲み会の中で、急に違う温度の女の声が耳元にぶつけられる、この効果はあなどりがたいものだし、向こうに経験がなければ容易に致命傷になりうる。男はアホなので、余裕ぶってみせるが、実は耳に掛かる女の吐息の温度までしっかり感じ取っているものだ。
ささやかれる内容は、「向かいの席の、○○ちゃんと△△ちゃんなら、どっちが好み?」というのがよい。これについては、また後段の「理念」の項で思い出されるだろう。そして聴覚への攻撃はショットガンのようである。接近していればいるほど破壊力が増す。また飲みにいこうね、という声は、お別れにハグをしているとき、その耳元でそっと言うのが一番効く。
嗅覚への攻撃。これにはやはり、パヒューム類が有効だ。男は今でも、香水をつけすぎている女は嫌いだ、などと言うが、だまされてはいけない。彼らはまた、その嫌いであるはずのものにあっさり陥落するのである。石鹸の香りやシャンプーの香りのほうがいい、とも言われるが、それは女子高生に向ける幻想と同根の幻想に過ぎない。誰も風呂上りで合コンには来るまいし、酔っ払った喧騒の中でそのような繊細な匂いは嗅ぎ取られない。パヒュームは確かにつけすぎると強烈になるし、コロンだとあっという間に消えてしまう。だから誰でもそうするように、ガールズにはトワレあたりが妥当になる。そして男はそのような香水の種類があることをそもそも知らない。
嗅覚への攻撃は、火炎放射器のようなものだ。距離が離れていては使えない。ターゲット以外にも攻撃を及ぼしてしまうし、あえて積極的に使われる兵器ではない。
ただ、敵が様子見に篭城しているとき、それを燻し出すのに有効だ。篭城で銃弾は防げても、火炎放射の熱は防げない。飛び出して戦うことを余儀なくされる。女性は何気なく、自分の手の甲の匂いを訝しげに嗅ぐのだ。どうしたの、と男は問うから、香水つけすぎたかなって思って、と女性は答える。そこで女性が手の甲を差し出せば、男はそれを受け取って、香りを嗅いでみるしかなくなる。
haha、「石鹸やシャンプーの香りのほうがいい」だって? その言もむなしく、男はすっかり女の肌の香りを嗅ぐのに心拍を早めている。
女が汗臭かったらいやでしょう? だから首筋ぐらいにはね。そうして女が自分の首筋をつつくと、男はもう突撃か降伏かの二択になる。
最後は味覚への攻撃か。味覚への攻撃というのは、手料理を食わすのでもなければ直接にはありえない。また手料理が上等だったとしても、その威力は実は思われているほど強力ではない。これは兵士としては、戦闘というより平和外交に近い。先方の戦力がもう残っていなければ、それだけで降伏してくることはままあるけれども。
味覚への攻撃は、代替としてこのことが言われるべきだ。すなわち、間接キスはシューティング・ナイフである。シューティング・ナイフとは仕込み銃のことで、ナイフのグリップ部にピストル構造が仕込まれてあり、そこからバンと弾が飛び出すようになっているのだ。弾丸の殺傷能力は大きなものではないが、こんなものを近接で打ち込まれたら虚を突かれてアッとなっておしまいだ。そして間接キスというのも、男はやられると虚を突かれてアッとなるのである。
女性の側には大したことではなかったとして、男は悲しいほど間接キスに敏感だ。男というのは、たいていが子供のころ、母親に「汚いなあもう」と扱われて育つ。それでどことなく、自分を汚らしいものだと思い込んでいるのだ。そこに不意に間接キスが行われると、自分が受け入れられた、という感動を起こしてしまう。ちなみに男性が精神的な喜びとしてどうしても女性にフェラチオを求めてしまう理由も大きくここに掛かっている。
彼が口をつけたドリンクに、何それおいしそうと言って奪ってしまう。口をつけてごくごく飲む。そのとき男は不意打ちの弾丸を食らっているのだ。あるいは逆に、女性が口をつけた飲み物を、飲む? といって差し出してくる、そのことにも男は間接キスの許しを強く感じるものだ。
それどころか、女性が男の手元にあるおしぼりを手にとって、口元を拭く、それだけでも間接キスに近い感触を覚える。「あっ」と本当に思っている。女にそうされるのは、男はどうしても嬉しいのだ(つくづくアホだ)。
さて近接戦闘について、敵の五感をことごとく攻撃することについて話した。それではここで、近接戦闘においてもっとも重要なことを伝えよう。それはディフェンスだ。ディフェンス無しに近接戦闘の勝利はありえない。勝利どころか、こちらが大怪我をすることになるだろう。
「下着をちらつかせて誘惑するなんて、まるで売女じゃない、軽蔑されるに決まってる」
そう思った人もいるかもしれない。けれどもそこをディフェンスで十分補うからこその近接戦闘なのだ。
なぜ女性は品性を要求されるか? 背筋を伸ばし、はじめましてとにこやかに挨拶をする。隣り合った男にささやかにお辞儀をする。綺麗な箸使いで食事を採る。透き通った声で男性に向けてはサン付けで呼ぶ。「男はさぁ」とは言わず「男性の方は」と言う。
これら品性のディフェンスは、品性のためにあるのではない。近接戦闘で大胆不埒な攻撃を仕掛けるためにあるのだ。下着を見せるために品性が必要なのである。父が厳しくて書道だけは長くやらされたんです。最近は新聞学の講義が面白くて。掃除はこまめにしないとさすがに女らしくないかなと思って……あまりできていないんですけどね。そう言ってはにかむ女が、お酒に赤くなってほぐれてしまい、姿勢を入れ替えるのに足を動かしてちらりと下着を見せてしまう。ちょっと前をごめんなさいといって、やはり胸元を見せてしまう。思いがけず近くに寄り、甘えて身体に触れ、セクシーな耳打ちをし、グロスで光った間接キスの不意打ちをする。それが近接戦闘の達人だ。よく思い出してもらいたい、近接戦闘の達人は下品か? 下品なのは達人ではなく、ただの乱暴者であるに過ぎない。達人なればこそ、近接戦闘も野蛮にならず、切れ味鋭いのに静かなのだ。気がついたとき敵兵は苦も無く制圧されているであろう。
作為的だ。作為的でなくてどうする。兵士が作戦行動を忘れてどうする。自然体なんて大それたこと思うんじゃない。
自然体を追求することは確かに崇高なことかもしれない。が、諸君、主眼を忘れてはならない。その崇高な自然体を、合コンにきている男が看取して惚れるとでも言うのかね?
忘れてはならない、男はアホなのだ。上品な女の子が間接キスしてくれたらメロメロになるのだ。作為的だろうが何だろうが、これで実際男は落ちる。全員直ちに復唱せよ。これで実際男は落ちる。
◆「女は選ばれる側だから、男性に指図するのは何かみっともないと思っていて。変ですか?」
警察官が制服を着たとき、彼は単なる一個人ではなくなる。彼は警察官となり、警察官の理念を個人の意見に優先する。彼の個人的な思いは意識の隅へ追いやられ、公僕としての精神が立ち上がるのだ。兵士は軍服や戦闘服を着て兵士になり、アサルトライフルを抱えて兵士としての理念に立ち上がる。男には男としての理念があるべきだ。そしてガールズにもやはりガールズの理念があるのである。CanCam兵装に身を包んだとき、彼女はすでに単なるひとりの個人ではない。
勇敢な彼女は、個人としての考えを意識の隅に追いやっている。そこに、どんなタイプの男性が好き? と問われたら、彼女はそれを、個人的な質問とは捉えない。
ガールズとしての理念を問われていると捉える。
だから、軽く頭を掻いて、
「男らしい人はみんな好きです」
と答える。
いやいや、でもタイプ的にいろいろあるでしょ、と言われるけれども、
「女は選ばれる側だから、男性に指図するのは何かみっともないと思っていて。変ですか?」
と照れくさそうに答えるのみ。
彼氏いるの? と聞かれたとして、いるわけないっしょ、あたしぜんぜん色気ないもん、前の彼氏にも言われた、などと彼女は正直に答えない。それは彼女個人のことであって、今彼女が語るべき理念ではないからだ。
「好いてくれる方はいます。お付き合いは、まだお断りしているんですが、あまり熱心に迫られると、つい気持ちが揺らぎますよね」
彼女はそのようにしか答えない。
休日は何をしているの、と聞かれたら、割とのんびり過ごしています、と答える。SかMかと聞かれたら、恥ずかしいほうです、どっちかはそのときまで内緒です、と答える。悩み事とかないの? と聞かれたら、親身に聞いてもらいたいことはいくらでもあります、だらしなくて、と答える。
CanCam兵装に身を包んだ彼女の理念。それはまず、女は男を愛するもの、ということである。そして、女はすぐ男に取られてしまうものである。休日はのんびりしていなくてはいけない。そして少し寂しがりやで、男性に親しくされ、やさしくされることを待っている。
なぜこのような理念であるべきか。それは、このことの正反対を採ってみればわかる。
「あたし正直、男ってもの自体があまり好きじゃないんだよね。好きになった人には、すごい好かれたいけどさ、そうじゃない人に好かれても正直うざいじゃん。それに最近、そういうことってまるで縁がないんだよね。元々あたし色気ゼロだしさ。だいたい休みの日もさ、なんだかんだで忙しいじゃない。今あたしバイト掛け持ちしてっからさ、チョー疲れてんだよ。時間あったら友達とワイワイやってるほうが楽しいし、男に変に気ぃ使われるのもイヤなんだよね」
これでは、逆にある意味また兵士なのかもしれないが、少なくとも男がオッと色めき立つ女ではない。男を落とすという目的、男を実は手玉に取るという目的にそもそも合致していない。
女は男を愛するもので、男に取られてしまうもので、休日はのんびり、少し寂しがり屋。やさしくされるとうれしい。
なぜこのような理念になるか。それは、これが最も効果的に男に訴えかけるからである。
男はこの女について、まず、すぐ誰かのものになってしまいそうだ、と感じるのだ。何しろ、男らしい男はみんな認めたい、好きでいたい、と彼女自身が言っているのだ。誰かが強引に言い寄ってきたら、それに押し切られてしまう可能性は十分ある。休日はのんびりしていて、電話が掛かってきたらそれが誰からでも素直に出てしまいそうだ。呼び出されたらデートに行ってしまうに違いない。ひょっとしたら、もう来週にでも、彼氏ができました、こないだ言っていた人とお付き合いすることにしました、と言っているかもしれない。
男らしい男の人はみんな好きです、という健気なこのコが、しょうもない男に取られるのはいやだな、と男は感じる。やり方は男らしくても、ろくでなしっているからさ、と心配する老婆心も起こってくる。
そうなると、ちょっと放っておけない。
そういえばさっきからこのコは、挨拶が丁寧で箸使いも綺麗で、声がやさしくて上品だったのに、ふらっと身体をくっつけてきてしまうし、お酒に酔うとゆるくなって、無防備に下着を見せてしまったり、間接キスみたいなことをしてしまったりする。そういうのは、男を誤解させてしまうものだ。特にしょうもない男に限って、お前から誘ってきたんだろとか、とんでもない誤解をするものだ。それにファッションも、女の子らしい格好だし、こういうってやっぱり男は好きだからなあ。
「あのさ、今度また話そうよ。なんか心配だし、話したいこともあるからさ。連絡先交換しよう」
「相談に乗ってくださるんですか?」
「ん? うん、まあ」
「いいんですか。うれしい、ありがとうございます」
彼女はそこで、すっと親愛の握手を求めて手を差し出す。こうなると男はもう引っ込みがつかない。握手して、にこにこして、またたくさんお話聞かせてくださいね、と彼女は言う。このころ男は、彼女を放っておけないという気分と、「……ん?」というわずかな違和感を覚えている。
そうやって彼女に気を掛けている男はもう何人もいるのだ。男がそれぞれ、それに気づくのはかなり後になってからだ。そんなに美人ではない、そんなに派手なわけでもない、口笛を吹かせるいい女というわけでもないのに、気づけばものすごい競争率になっている。男はみんな、このコを誰かに取られるのは無性に気に入らないという気持ちになっているのだ。
珍しい恋をしてしまった、と特別な気分でいるのは男の側だけだ。この恋をどうしたものかと、男は彼女の友人に相談する。ところがその友人はよく知ったものて、あんた何いってんの、と呆れて言う。
あのコ実際チョーモテるよ。昔からそうだったもん。一緒にいて不思議なぐらい、あのコ愛されるんだよね。まあだから、がんばんなよ。厳しいとは思うけど。あのコ本当にいいコだよ。
CanCam兵装から始まって、ここに書いたことは、特に奇抜なものは何もない、誰でもやっていそうなことばかりだ。女の子らしい格好をして、男のことがちょっと好きで、酔うと甘えんぼうになりちょっとエッチ、「女として」の意地をこっそり持っている。
けれども、これらの基礎項目を、ことごとくハイレベルでこなせたら、その女はレンジャーだ。このガールズレンジャーが出撃したら、アホな男どもは朽木のごとく制圧されていってしまう。男のほうはごきげんに、主導権を持ったつもりで……。そういう女の子は実際にいるから怖いものだ。だまされた、と泣いて抗議する男まで出たりする。でも愛されているのはそのコのほうだからいくら詰ってみても説得力が無い。
こうやって考えてみると、やはり恋あいは楽しいものだ。まったくバカな話をしてしまったが、バカというのは気分がいい、いつもの僕の与太話よりいくらか役に立つかもしれない。
ガールズレンジャー、基本兵装に身を包み、下着を見せに出撃せよ。それで何がどうなってほしいかというと、僕がアホみたいに制圧されたいのだ。夢があるなあ。
[了]