No.212 女は男の欲望が好きだ
女性は男女間に欲望を持てない。女性が持つのは願望だ。だから恋あいは男の欲望からスタートする。男の欲望を受けて、どうしようか、ということから女性の側はスタートする。
男の欲望は、女に触れたいということに尽きる。性交がしたいという直接の衝動は実は無く、女に触れたいという欲望が高まる先にただセックスがある。そして射精すると欲望のメカニズムが一旦終結し、再構築に向かう。
女性はこの男の欲望の仕組みを愛している。自分には分かりえないものとして、どこか畏れながら、また敬いながら、慈しみを覚えている。
だから女性は、デートの申し込みにせよ、手の指に触れる求めにせよ、交際の申し込みにせよ、セックスの求めにせよ、それを求められると真心を立ち上がらせて応じようと自然にする。あなたに触れたいんです、と、男が、告白して苦しそうにしている。彼が自分の肌肉に向けて心を燃やしている、そのことに女性はときめきを覚える。女性は、男に欲望が起こることを畏れ、敬い、まずその心の焼ける苦しそうなのに痛ましさの謝罪を向ける。「ごめんね」。
女性には、男の欲望の具体は分からないので、男の求めに応じうるときは、よく分からないままがよく表れた言い方として、「わたしでよければ」と応える。応じえないときは、「ごめんね、せっかくそう思ってくれたのに」と、痛みを覚えながら彼を慰めようとする。
逆に男の側からは、女性がそのような慈愛と労わりの態度を向けてくれる仕組みが分からない。女性がむしろ、当然の責任を果たすというように、ただ彼の欲望の火をなだめるために、自分の心身を投げて与えることがある。男はこれに衝撃を受ける。男は自分が欲望の対象として求められることがないからだ。
このように、女は男の欲望が起こるのを愛し、男は、女が向けられた欲望に慈愛的に応えるのを愛する。この性愛のやりとりで生まれてくる互いへの特別な尊敬と親愛、感謝の情動などを指して、まつわる営みの全体を「恋あい」と呼ぶ。
この然るべき営みの手続きが、汚損する場合。多くは、第一にある男性の欲望が、「事情」と呼ぶべきものに汚染され、その純性を失うことに起こる。特に、見た目秀麗の女性に向けられる「事情」として顕著なものに、男性の自信回復の求めがある。多くは社会的な作用を背景として、美女・美少女を獲得することには、男性の失地回復・自信回復、あるいは優越感の保護といったはたらきがある。けれどもこれは、男の欲望本来である、女に触れたいということから逸脱している。自信を回復したいという「事情」は、その認知自体、彼自身にも隠蔽されていて、「事情」に駆り立てられた彼の欲望は、冷静を気取っていてもどこか妄念じみている。女性はこれに慈愛的に応じる心を自然に起こすということがない。
そのようにして、女性から慈愛の対応を得られなかった男性は学習する。良性の学習が起こったとき、彼は女性の態度から、自分の欲望に混入した妄念じみた成分に気づき、その背後に潜んでいた「事情」を自ら看破する。悪性の学習が起こったとき、彼はただ女性がそのような冷淡の態度を向けてくるということだけを記憶し、恐れと警戒を学習する。これより彼は、女性に欲望を開示するにおいて、恐れと警戒を含ませた振る舞いを保つことになる。これは彼の第二次の「事情」となる。
女性の側に「事情」が生じる場合。最も多くは、男からすでに汚染された欲望、「事情」によって妄念じみた欲望が向けられ、それが繰り返されることによって、男の欲望を愛する本来の機構より、前もってそれを忌避し疎んじる機制が優勢になる。彼女は実際ストレス面に攻撃を受けているに等しければ、「うっとうしい」「わずらわしい」の情緒が正当となる。
またこれは、男の妄念じみた欲望が暴力的な行為を引き起こし、当の女性を加害した場合にも、今度は明確な恐怖さえ伴い、より激しい強度で起こる。男の欲望に対する忌避感は、やがて嫌悪感になり、男性嫌悪・男性不信となって強固化する。
これらの、「事情」が「事情」を生む悪性の連鎖は、近年の通信端末の発達によって加速した。恋あいが手に入らない女性はその淋しさから通信端末に依存し、その依存した先からまた、妄念じみた欲望に曝されることになった。
この悪性の連鎖の中で、男女共に新興の勢力が生まれた。欲望の仕組みを自ら生き埋めにした男性や、あくまで児戯として表現された同性愛の中で遊び、欲望の仕組みを自己完結させるやり方の勢力である。これらは悪性の連鎖の中で疲れた者によく受け入れられた。
けれども、どのような「事情」がはびこったにせよ、恋あいそのものが変化したわけではない。女に触れたいということに尽きる男の欲望は変わらずあり、これが純正に開示されれば、女性はやはり自然な慈愛をもってこれに応じる。ここに起こる独特の味わいが、まったく美しいことを人人は知っており、知りながらときに永く忘れる。しかしなお、完全に忘却はできず、心の奥で焦がれたままだ。あなたに触れたいんです/ごめんね/わたしでよければ。
[了]