No.235 十年前の別れてくるり
十年前の僕たちはまったく暇だったのだ。声を掛けられるのを待ってさびれた街を歩く女性が本当にいた。慣れてくるとそういう女性はわかるものだ。歩く速さや、表情、視線の動き方や重なり方で、男を誘うというのでない、自分の戸惑いを勇敢に明かしていた。それは、「ああ、誰かが必要なんだな」と見えた。それでいちおう、今日はいい天気ですね、と声をかける。相手は警戒する。この人は大丈夫だろうかとこっそり伺っている。それでこちらのほうから、いやあ何かやりきれない気分でね、つい声を掛けてしまった、というふうに言う。それで、少し一緒に歩きませんか、と言うと、一拍おいて、ウンウン、とうなずいた。そのとき二人の間で、本当には何が合意されたのかは、もちろん互いにわかっている。わかっているが、言いっこなしだ。
しばらく話して、何かいいことありませんかねえなどと言っていると、彼女から次第に話がこぼれてくる。
「昨日、彼氏と別れたばかりなの」
「ああ、それで。それで、そんなに綺麗な顔をされているんですね」
綺麗な顔というのは嘘ではない。男と別れた直後の女は、取り乱して醜くなる場合もあるが、ほとんどの場合は物のあはれを体感している、奥行きのある繊細な顔つきをする。自分の生を受け止めるのに真剣な顔だ。女性は、綺麗と言われて気分悪くはないので、ぷっと笑う。そうか、そういう捉え方もあるのか、などと彼女は一人でうなずいている。たいてい、そこからビールを飲みに行く。おすすめの場所があるのと彼女のほうが教えてくれる。
ビールを飲みながら、深い話なんかしない。大騒ぎもしない。だいたい男の側が、実にくだらない話をする。友人をドライブ旅行に拉致するのに、逃げてはいけないからズボンを脱がして確保した、しかしパンツのままそいつは走って逃げた、その二十分後、彼は本屋でエロ本を立ち読みしていた、というような話。男は女に現実を突きつけないといけないのだ。現実というのは、女が男と別れて傷心、というようなことではない。それは女の妄想だ。女もそれが妄想だとわかっているから、現実を教えて、笑わせて、と願っている。コンビニでからあげを買い食いし、TSUTAYAで「くるり」のアルバムを買う。これいいんだよ、と知ったかぶりして。
その後はホテルでなく一人暮らしの彼女の部屋に行く。彼女はすっかり大丈夫な男を引き当てた自分の幸運を喜んでいるのだ。そしてホテルでなく彼女の部屋に行かねばならないのは、彼女の生きている空間にこびりついたものを、解体工事せねばならないからである。新しい男を連れ込んで、現実の更地に返す。そのために、「あ、うちにコンポあるよ」と言う。
実際、CDコンポはいい音を出す。けれども、それをしんみり聴くということはあまりしない。そこでセックスをすると、最中にだいたい女は泣き始めるが、それは思い出が解体されていく切なさで泣いているので、そっとしておくべきだ。男はこっそり気遣いながらも、あまり遠慮するべきではない。男は物理的に解体工事に協力しているだけだ。鉄球で建物を壊すあれみたいに。
彼女は思い出話なんかしない。思い出話を、もうしなくて済むように、男を連れ込んで、自分を肉体ごと更地に戻しているのだ。彼女は純粋に女として男に尽くすので、男はただその幸運にまみえたことを喜んでいればいい。なかなか、更地の女性を体験できることは少ない。彼女は肉体と神経が疲れ果てるまで自分を性に供するので、その夜はなかなか終わらず、終わりというよりいつか泣き疲れて眠りに落ちる。こちらがオレンジジュースを飲みに、勝手に冷蔵庫を開け、振り返ったときにはもう眠っているという具合だ。男は彼女の衣類が皺を作らないようにハンガーに掛けたりし、ちょっと物思いに耽ろうかと思っているうちにやはり眠る。
翌朝、といってもたいてい昼間だが、男が起きると女の姿が横にない。出かけたのかな、と思い、煙草を吸いながら目をこすっていると、すっかり立ち直った女が、ドアを開けてただいまと帰ってくる。昼食の用意を買い込んできたのだ。おはよう、ゆっくりしてて、と彼女は照れくさそうに言うので、男はボーッとして昼飯を待つ。女は、昨夜のわがままなセックスに付き合わせたことを今更ながら申し訳なく思っているのだ。マヨネーズをかけたチャーハンを食うと、またすることがなくなるので、今度は男が純粋な性欲として彼女を適当に押し倒す。女のほうは、この人きらいじゃない、いい人、と思っているし、お礼をしたいから好きにして、と思って女らしくほほえんで受け入れる。女はひさしぶりの自分の女としての更地を自ら愉しんで無邪気に自分を性に供する。大遊びする。男のほうは馬鹿なので昨夜のことなどすっかり忘れている。もし記憶に残っていても、それはもう古い思い出話みたいなもので、今さら取り出されるべきものではない。
そうしてわけのわからず始まった同棲生活は一週間ぐらい続く。何もしない、ひたすら庶民的な享楽が続く。カロリーの高い食事、セックス、バラエティ番組、またセックス。身体にエネルギーがたまればすぐ使い切るので酒を飲む余裕が無い。彼女が絵を描くのが得意というのでそれをたまに見せてもらう。見せてもらうとびっくりするぐらい上手で、芸大出身だという。一週間のうち、一日ぐらいは男がメシを作る。大量の豚肉とエビを天ぷらにして遊ぶ。食べたらまたセックスして、お互いにふらふらの足取りのまま、気分転換にコンビニに行く。食べたことのないアイスクリームを買って遊ぶ。口移しごっこをして遊び、これってセックスよりエロいよね、と納得しあう。
それでも一週間も経てば、さすがにおいとましないといけなくなる。家に残したままの炊飯器の中身がどうなっているものかとても心配だ、という。長いこと引き留めてごめんね。いや、幸福だったし、我ながら俺らしい時間だった、とやりとり。何はともあれ、お互いに少し休まないと、本当に死んじまうぞ、このままだと。男が言うと、女が「確かに」と笑う。荷物をまとめて、今日の終電で帰るわ、といっても、すさまじい離れがたさが押し寄せてくる。世間のすべての用事がクソつまらないということが確信される。お互いに隠すことは何もないので、離れがたいね、うん、としみじみする。女はふと遠い目をして、物思いに耽る。どうだった? と男が聞くと、なんかね、もうすっかり、遠い過去のことみたいね、すべてが、と言う。そういえば、お前がどこぞの男と別れて、なんかどっかで、声かけたんだったよな。そんなことすっかり忘れてたけど。なんか現実感がないな。うん、ないね。そうして残りの時間はまた最後の気力で女が男に愛撫を差し上げて過ごす。
男はこの一週間を振り返りながら、ふと思い出す。それでリモコンを手にとって再生ボタンを押す。くるりが流れ始める。女の肉体は少しどきりとした表情を見せるが、気にせずそのまま愛撫を続ける。しかし、やがて大腿部に熱い液体の流れるのを感知し、あごをぐいと持ち上げると、女はペニスを咥えたまま泣いている。笑ってもいる。笑いながら、胸が苦しいよ、と言う。「いい歌だね」と言う。だろ? と答える。
ラフラフ&ダンスミュージック
僕らいつも笑って汗まみれ
どこまでもゆける
***
十年前の僕たちは、そんな具合に暇だった。今はそんなに暇ではないし退屈もせずに済む。男と別れたら、その胸に起こる複雑な気持ちを、ばれない程度にただちにツイートすればいい。そしたら慰められるし、レスポンスもつく。自分を慰めるものは実に手元に満ちている。男に声を掛けられるのを待ってさびれた街を歩くなんて、道徳に反したリスクのある行為をしなくていい。
高円寺のマンションに住んでいたあの女性は、今頃どうしているだろう。すっかりおばさんになっているのだろうか。所帯を持ったりして、子供がいたりして。押し入れにあのCDアルバムは残っているだろうか。たまにi−podでそれをこっそり聞きながら、ひさしぶりに鉛筆画でも描いたりしているだろうか。美人だったから今も美人のままだろう。あのときお礼と賞賛を言い忘れたが、彼女はセックスが上手だった。僕はあの暇な時間の記憶を一生忘れないだろう。
すべては十年前のことだ。
[了]