No.236 オオタカの杜
幸せは色とりどり。海辺に沿う国道にアウトレット・モールが立ち並び、季節ごと新色の布があざやかに示されてゆくように。夜になれば海は深い紫になり、ガス灯はそれぞれ鋭いエッジがハレーションする。煙って見えるのはガス灯の覆いが塩の結晶に包まれているせい。煙る夜は、やがて人がいなくなり、潮騒が恐ろしく聞こえ、いつかウミネコが鳴き始める朝まで続く。曙光は砂浜と国道の湾曲が実は艶めかしいことを教えるが、こんなものはどうだっていいじゃないか。僕の幸せと他人の幸せがあるが、それはそういうもの、どうでもいい。アウトレット・モールの裏には、深い森が続いている。国道を走る第一号はフォルクスワーゲン。
幸せは続いてゆく。勝手に続いてゆく。幸福なSALEの文字が更新されていく。ところであなたは、右手で自分の左肩、その肩関節を押さえる。押さえたまま、肩を大事にしてみる。すると、肩は動かない。肘を動かして、肩の代わりをさせ用を足そうとする。
大事なものは、守られるべきで、動かすべきではない。古い山門の奥に秘められたものが、変わらず守護されていくべきであるように。人はときに汗を掻いてそこに登りに行く。笑いながら、あるいはたまに一人で。何をしに来るかというと、そこにそれがあることを確認しに来る。実物が見られるわけではない。この奥にそれがあるはずだ、よし、変わってないな、というのを確認しにくる。わざわざ確認しに来なくてもよさそうなものだが。
確認を終えた一行は、ぎらぎらと陽気になり、再び幸福のアウトレット・モールへ向かう。
僕は街の住民であり、幸せの住民だ。そしてこんなものはどうでもいい。自分の幸せや他人の幸せは、どうでもいいものだ。国道を走るクルマは、車体がゆがむほどブッ飛ばしているほうがいい。インコースもアウトコースも。
大事にしているものは動かない。自分を大事にしたら自分が、恋あいを大事にしたら恋あいが、人生を大事にしたら人生が、動かない。肩の代わりに肘を動かして用を足す。恋あいが動かず頭や口先ばかりが動くならそのせい。
大事なものから幸福への接続は、自然に事物が降りてくる仕組みが前もってあって、いちいち確認しに行かなくてもよい、確認しに行ってもよいけれども。まだ夏の終わりは遠く、SALEの文字の向こうには七色のビーチ・パラソルがあり、そのはるか上空を飛ぶオオタカの影がさっと過ぎた。
[了]