No.284 不幸に向かう彼女の上にも、九月の空はやはり青い
このところ幸福というものについて話してきたように思う。同時にそれについてやりきれない違和感を残してきていることも、別に正直にとはいわず気安く告白できる。幸福になるよとかなれないよとか、言うばかりでは手口が宗教の類だものな。ようやくここ数日に到って別のことを考えられている。人というのは生涯にわたってそうそう変わるものではなく、生涯にまつわる問題というものを結局は生涯に解決せずにひたすらもつれこむように生きるのが多い。
僕自身も御多分に漏れずというやつだ……たとえ不幸に向かうのだとしても、彼女の小さな背丈に九月の空はやはり青い。であれば、その天空にある空の青さこそが真実だと思う。ふとそんな気がしたのだ。そしてそんな気がする以上、それより先の追求などしようもないし必要もないと感じられるのだった。
幸福も不幸も、いかほどのものか。僕はたいへんいい気分である、もうだいたいのものは手に入ったから……僕はいつも目の覚める話をしたがっている。目覚ましい話を。それについて、僕はあなたの不幸について、「もしあなたが不幸へ向かうとしたら」という話をしたい。もしあなたが不幸に向かうのだとしたら、人々は大手を振ってあなたを後ろから蹴り出すだろう。まったく晴れやかな嘘偽りの無い顔で。
なぜだかわかる?
それは、たとえば僕の場合でもそうだけれども、僕は僕自身、不幸にまみれていくのだとしたら、たとえそれでも、胸を張って引き受けていくしかないからだ。僕が僕自身の不幸を引き受けていくのだとしたら、僕があなたに同じことをさせない道理がどこにあるだろう。ヨシ行ってこいと、喜んで後ろから蹴り出すに決まっているだろう。誰もが自分の不幸について、それが不幸であっても笑顔で大きく手を振って行く義務があると思う。
誰しも自分についての未知の未来があるのに。それを幸福なら飛びついて、不幸なら陰気になって愚痴を撒いて解決を依存しようなどというのは、虫が好すぎて狂っている。生まれついての身のことや与えられた境遇などもあると思う。それは誰にだってあるけれど、それについていやらしい顔をしてはいけない。恵まれている場合にも、恵まれていない場合にも。これはどうしようもない、この世界に生まれたからにはの鉄の則だ。
いささか言い方が大げさに聞こえるかもしれないけれど、僕は無益なことを言ってはいない。あなたが自分の不幸を振りかざすとき、あなたはきっと、その不幸に向けてヨッシャといわれて喜び蹴り出されるなんて想像していないはずだ。だとしたらあなたは誤解している。その誤解があなたをずっとよくわからない状態にしているのかもしれない。長年の疑問はここに氷解するかもしれないな。あなたの先が不幸であっても世界は喜びあなたをそこへ蹴り出してしまう。それが行く船であるか沈む船であるかは関係なく、祝福に打ち鳴らされるシャンパンは同じなのだ。ひたすら出航を祝福する。
それだけが、我々が我々をして、互いに軽蔑や依存をさせない唯一の方法ではなかろうか。誰の頭上にも、やはり九月の空は青いのだ。幸福なら幸福を照らすほどに、不幸なら不幸を照らすほどに、それは明るく光っている。こんなことを言い出したら僕は話す題材を失うしあなたも話を読む動機を失うのかもしれないが、そちらの題材や動機を保つために本当のことを曲げるのはよくないね。僕は――僕だけでなく本当の多くの人たちが――あなたの幸福とあなたの不幸を祝福する。そこにはいやらしいものは何もないのだ。
まあでも、そういうことならだ……幸福へ向かう船の場合はわかりやすいから話は要らない。問題はきっと不幸のほうだ。不幸への出航が祝福されるということはしばしば見失われてよくわからなくなる。そうして見失うことのないように、改めて重ねて申し上げれば、父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、それぞれはそれぞれを、それぞれの不幸に喜び蹴り出す。母の不幸を祝福せよ。娘の不幸を祝福せよ。友人の、恋人の、妻の、夫の、不幸への出航を祝福せよ。たいした理屈は要らない、何であれ出航はせざるをえないもので、出航というのはことごとく祝福されるものなのだ。出航といえば華やかなワインの栓を抜かないわけにはいかないというだけのことなのだ。
干渉的になるよりは、そうしてそれぞれが自身の本当のところへ行く出航をそのまま祝福して見遣るほうがいくらかまっとうだ。互いにとって清潔で、まるで九月の空のようであれる。
僕のような幸福の組があまり言っても、言うことに力が無いかもしれないが……でもこれが幸福なのかどうかもとても怪しい。僕自身にそのことへの疑念はまるでないが、それにしても出航してしまえばその旅路は海原に向けて一人の旅だ。一人になってしまえば何が幸福なのやらよくわからない。かつて丘で聞いた航海士たちの伝説はもうどこかへ消えてしまった。一人だものなとよくわかる。航海士の伝記を読むことは丘では役に立つことであっても航海の役には立たないだろう。
それでもそれぞれが孤絶しているかというと、まるでそうではなく……やはり全ての人の頭上に九月の空は青く明るい。どのような人の上にも、どのような船の上にも。幸い誰かが九月なら全ての人が九月にいるのだ。いちいち人を見るから惑わされるのであって、誰の頭上にも等しくある青空のほうを見ればよいのだとつくづく思った。
[不幸に向かう彼女の上にも、九月の空はやはり青い/了]