No.293 祝第二十七回Quali's Party盛会追想
もう、何から話したらいいのか……
ひとまず、楽しかったわけで、「嘘みたいに楽しかったね」と言ってくれた人がいて、僕は満足している。
が、partyの前半と後半では内容がけっこう変わってきて、後半は、謎の濃厚きわまる時間がだな……
後半というのはつまり、終電を諦めて朝まで粘った組で、この「居残り組」のほうでは、朝までもう、濃厚きわまる……
改めて思うが、ああして朝まで、ダレずにテンションも下げずに、ムードがズンズン深まっていくというのは、今時それだけで珍しいんじゃないだろうか。
「居残り組」には、何が「濃厚」か、はっきりわかってもらえるし、僕はその濃厚さについて、「何になるかはわからないが、何かにはなるだろ」と捉えている。これにはきっと、苦笑の賛同が得られるだろう。
あとはもう、我々の体力と気力がもつかどうかじゃないかな。
こんな言い方が、足しになるのかどうかわからないが、僕はかつて、ああいう濃厚な夜の中を、ずっと過ごしてきた。薄味の夜なんてほとんど無かったんじゃないかな。
だからそれが、何になったのかはわからないが、きっと何かにはなったんだ。
こんなクサい青春風味の文体が正当に通用すること自体、まあ、今どき希少な、絶滅危惧種のような、あれは空間ではあったと思う。
まあでも僕としては、アレだから、「またこれか」「またこうなるのか」という感触でもあったのだ。ずっとそうしてきたというか、ずっとそうなってきたからね……
だが僕はもちろん、何もああいう濃厚さが、イイね、と思ってやっているわけではない。何かしらんが、勝手にそうなるだけだ。
僕などは、言わずもがな、そんなことはどうでもよろしい、何か退廃と悦楽が無料で降り注いでこないかなあ、ということしか夢に描いていないのである。
終電までの前半部は、とにかく楽しくていいね。
マホガニーという木材は、今では希少で貴重なものだけれど、かつてはそれで船を作っていたわけだから、それがワンサカあるときには、それは希少でも貴重でもなかった、それと同じで僕は何も希少で貴重な特別のことをしたいわけではない、という、このたとえ話は、きっと逆にわかりにくいだろう。
それは置いておいて、とにかく、第一として「楽しい」というのはいいな。
まず楽しくないと、何事においても説得力がない。
楽しいだけじゃダメなんだ、と、わかっているが、まずその楽しさもないのでは、何かしらんがそれは罰ゲームみたいなものである。
楽しいということは、「いいなあ、ずっとこういう中にいたいなあ」と思わせる何かであり、そうして腰を落ち着ける気にならなければ、そこにどんなマジメぶったものをブチこんでも無駄なのであった。楽しくない先生の授業こそもっとも聞き流されることのように。
女性は、まず一緒にいてどこか楽しい男にでないと、口説かれる前に口説かれる気にもならないだろう。何をどう間違っても、楽しくない中でガードをゆるめるような女性は宇宙に一人もいない。
というわけで、まずは楽しいということが、事実としてあるので、これを拡大していこうということであった。
そして、後半居残りの、謎の濃厚な展開については、元気な奴に任せて、おれなんかは極力サボるぞ見てろよ、と、改めて決意するのであった……
***
何の話をしたらいいのかまったくわからないので、「値切り」の話をしよう。
先日僕は、家電量販店のK電器で、店頭表示価格6,980円のホットカーペットを、値切って3,980円で買った。
本当の話だし、実際Partyで話してウケた話なので、ここに話してもいいだろう。
「値切るというのはだね」と、僕はコツを話した。
値切るコツを知っているのは、僕が大阪出身だからでもなく、僕の特殊技能でもなく、知っていれば誰にでもできる、必然のことでしかないのであった。
知っておいて損をする話ではありえないので、耳の穴をかっぽじってよく聞くとトクだ。
値切るということの、第一の大前提はだ。
・店側は、毎日値札を更新なんかしていられない
ということなのだ。ただそれだけなのだ。
まして、金額も大きくない、売れ筋でもない商品のいちいちについて、先週は○円だったけど今週は×円で、と、毎日価格をアップデートなんかしていられないのだ。値札だって印刷して貼り付けてという手間があるし、レジ端末で反映される価格だって改定しなくてはいけない。
あなたが社員で店員だったと想像してみろ、毎日、何万点もある商品の価格を更新していたら、面倒くさくて死にそうだと、容易に想像できるではないか。
だから、ずばり言うと、値札なんてものは、
「何ヶ月も前に貼り付けて、正直ほったらかし」
なのだ。こんなものを鵜呑みにするほうがどうかしているのである。
そうだな、どこか大型の家電量販店に行って、店員さんに、
「値札の価格と、レジで出る価格とで、違うことってあります?」
と聞いてみたらいい。
「はあ、正直、よくあるんですよ、ごめんなさい」
と答えるはずだ。
それは、改定した価格を、レジのデータベースには反映させたが、値札の貼り替えまでには手が回っていない、すいません、ということだ。こんなことはしょっちゅうあるし、珍しくない。
まあそんなわけで、商品によってはだ。去年の値札を貼りっぱなし、みたいなものもあるので、スマートホンでササッと調べて、
「今これぐらいの価格ですけど、ここでの実売はいくらなの」
と聞いてみればいい。
「ちょっとお待ちください」と言って、店員さんは走っていくはずだ。それで戻ってきたら、
「ウチはこの価格でやらせていただきます」と、電卓を叩いて数字を見せてくれるはずだ。
そしたら原則、買ってあげること、と、僕はいちおう、自分については決めている。
そのほかにも、いろいろコツというか、原則みたいなものはあるけれど、たとえばこんな具合になる。
・クリスマス前の休日とか、書き入れ時には絡まない。膨大な売り上げノルマ達成のために彼らは戦闘中である。
・財布を取り出して値切る、ぐらいの、「買う気」を見せつけて値切ること。店側にとっては売り上げに協力してくださる方が「客」である。向こうもプロなので客が客であるかそうでないかは勘で見抜く。
・帳簿上には原則として「仕入れ」「売り上げ」の項目しかない。簿記三級を参照のこと。だからいちいちの商品の簿価がいくらだったかなんて把握していないし、いちいちの商品の利益率なんて伝票に残る程度で最終的な決算書類に反映はされない。この事情の作用は大人になればわかる。
・そもそもやる気のない店とは話のしようがない。やる気のない店は、もう「別に売れなくてもいいもん」という死に体になっているので、そこに合理的な話は持ち込みようがない。「別に売れなくてもいいもん」が経営方針なのでどうしようもない。
・値切るのが「厚かましい」と感じられて気後れする人は誤解をしている。値切る上での最大のマナーは「手早く」終わらせること。値切られるのが迷惑なのではなく時間をダラダラ取られるほうが店側としては迷惑になる。心配しなくても店側はどうせ損をするような価格で売るわけがない。サッと値切って、サッと買うか、サッと引き下がるのみ。
・当然だが、価格が型落ちで下落していかない、たとえば生鮮食品などで値切るのは実質不可能だ。オーディオやカメラのようなマニアック系についても名器は相場変動がほとんどないので値切るのは難しい。ちなみに「通販なら○円だから」というだけの理由でゴリ押しする方法はいささか下品に思えるので僕はその方法を採らない。
こんなところか。
こういう話のほうが、いつもの与太話よりは、いくらか有益な気がしないでもないな……
冗談でなく、まあちょっと聞いてくれよ、という気がする。
値切れ、というのではなくて、「相手の立場に立て」という話だ、本質的には。
「値切るとか、厚かましくて、気が引けてしまう」とかいうのは、相手の立場に立てていないのである。
それで通販で買われたら、店側としては最大にガッカリなんだからね。
あなたが店長だったとして、僕が、「おいおれが最新の相場を教えてやる、このあたりの価格と勝負せんかい」と絡んだとしたら、あなたはちゃんと、ああわかってくれる商売相手が来た、と感じるはずだ。
「店舗販売と無店舗の通販いうのは、商売が違うやろ、同じ価格で出せとは言わんから、でもこのほったらかしの価格で売るなや」と言えば、あなたは「そのとおりで」と、手早くその場で価格を改定するはずである。
そうしたら、適正な取引が為されて、あなたは店長として、通販に客を取られずに済んだわけだ。
価格改定の会議とか、値札の貼りなおしとか、地域統括のチーフからのテコ入れとか、そういった手間を省けて、残業がわずかでも減ってだな……
相手の立場に立ちましょう、という話で、ちなみにホットカーペットの3,980円は、通販価格そのままだったけれど、「ウチもその価格でやらせてもらいます」という、快諾だった。みんながんばっているなあということなのだった。
***
Partyの後半、居残り組で、何がどうなったかというのを、少し話すとだな……
別に何でもないが、「緊張感を作る」というようなことを、まあ僕が実演として、進めてみたのだった(そのときは僕もその後の進みゆきを想像していたわけではない、ノンキなものだった)。
「緊張感を作る」といっても、肩を凝らせるわけではない。ただ、「半笑いでごまかす」という行為とそのタイミングを、実験的に禁じてみただけだった。
僕は諸事情から、そのタイミングをよく知っており、見落とさないし、それを瞬間的につぶしてまわるのを得意にしている。
ある参加者からは、その点について、「ひたすら上手なので、ひたすらそのことに驚いた」というコメントを頂いたが、まあそんな感じで、うっへっへ、と思っておいてもらえればいい。
現代では特にそうなのだが、人は人と話すのに、土台を「半笑いでごまかす」ということを、もうマナーのようにしている。それは多分、実験的に停止されないと、自分がそのことをいつの間にかしているとは、気がつかないようなことだろう。
ほとんどの場合、通信テキストのやりとりなどでもそうだし、ほとんどの娯楽コンテンツでもそうなのだが、半笑いでごまかすことを土台にする、つまり初めから「茶化して」、それを安全装置にしている。
その安全装置がはたらいているので、人は安全にやれるわけなのだが、それは同時に、緊張感を喪失させるものでもあるのだ。「安全」だから。
その安全装置を、実験的に、強制停止させてみる。すると、安全でなくなる。安全でなくなると、人それぞれ、危ないところ、危ういところ、物騒なところ、人とぶつかってしまうところ、などが出てくる。
それでまあ、平たく言えばだ。安全装置なしで出来る人と、安全装置がなかったらめちゃくちゃになる人とが、実はいるわけだ。そういうものなんだ、と、僕も改めて思い知った感じがした。
それで、剣呑な瞬間もややあり……
でも、みんなあれだな、きっと、ある種の満足を抱えて、帰ってゆかれたと思う。
虚無では、なかったものね。
人それぞれ、ナマでどうなのよ、という、それぞれの現時点の、あるがままが、出たし、出てしまった、というのでもあっただろう。
もちろん、僕は何も、そんな文学的なことが好きなわけではないので、そういった文学的なことには興味はなく、ただ楽しいのがイイね、ということで、参加しようかなと思われる方を、今後とも心よりお待ちしております。どうせ前半部では、時間の進行上、まず楽しさの満喫で終始できるしね。
「人と人のマジの関わり」みたいなものが、あるけれど、それにキョーミありますという奴は、たぶんどうかしているので、頭を冷やして来いな。
そのためにわざわざ、第一回から、「マジになるのだけは」と銘打ってきたんだからな……
ナマの人間というのは、たぶん心の栄養なのだが、楽しさとはそれ以上に、心の酸素なので、酸素がなくなることに比べれば、栄養なんかどうでもいいのであった。
***
Partyも、復活第三回ということになり、ほとんどは新しい人々だが、その中でそろそろ互いの気心も知れてきた。
思いがけず、ムードは熟成に向かってきたな。
この時代でも、こんな単純なムードの熟成ってあるんだな、と、僕は驚いている。自分でやっておいて何だが。
すでにきっと、数名の方は、これから毎月でも「ダリーな」「でも行かないとな」という、後ろ向きな感じで参加してくれるであろう。いやそれはもう参加ではなく「出席」だ。
そして僕はそうして、学校の必修科目や部活の朝練のように、とにかく「出席」しなくてはいけないという文化姿勢が自然発生していくことが、基本的に好きなのであった。
人はきっと、「欠席すると気が咎める」というとき、本当に何かに取り組み始めている。
そういうのは、何も僕のよくわからんPartyじゃなくても、何についてでも、あればいいし、あるべきだと、思うのであった。
そうでないと、成長しないしな……
突然マジで重大で重要なことを言うと、人は能力を得て活躍するのではなく、活躍して能力を得るのである。
ゲッまじかよ、と思うが、残念ながらマジだ。
活躍したことなくて能力だけ持っている奴を見たことがない。
それで、活躍というと、何か「場」「場所」「空間」が、要るんだな……
と、でもこれ以上、ここでマジメな話をするのはやめよう。
このParty企画は、なんとか僕が続けられるうちは、がんばって続けていきます。
そして、身分制度は、常連が一番下で、新規の人が一番エラいので、清潔だろ、ということで、あなたのご参加を、お待ちしております。次回は2013年、11月16日(土)です。毎月第三土曜日に開催が、今のところ原則です。おやすみなさい。
[第二十七回Party盛会追想/了]