笑ったことのある人へ
リビドーの仕事、ロータリーをぐるぐる回る
丸の内に勤めていたころ、よくオイといって後輩の友人を呼び出し、彼はホンダのバイクを乗り回していたものだから、残業で最終電車の無くなったころに鍛冶橋の交差点で待ち合わせた。彼は永代通りを走ってくる。僕はよく言われるようにふてぶてしく待ち受けている。当時の、板橋本町へ帰るのはどうせ遠いので、そのまま彼の江東区の寮室へ泊めてもらうのだが、シューエイも閉まっており……(秀英だったか? 唐揚げ肉のやけに旨い店。現在はない)、かといってこちらはイケイケなのだ。帰る時間に帰るなどできない。馬鹿げて若々しいころ。
「帰るぞ、ただし、皇居を一周してから」
「相変わらず、いいところを言いますね」
話は変わるが、そのころ僕は部長に呑みに連れていってもらい、部長がタクシーで帰ったところで、六本木に置き去りにされるのが好きだった。ガーナから来た黒人に、「haha,お前昨日も置き去りにされていなかったか?」と言われる。よく見てるな、チョコレート野郎、haha、みたいなことになって、どうやって帰宅したのかは記憶にない。
初ボーナスがただちに、おそろしい速度でスコッチに変換されて飲み干されていったことについて、僕は自分でビビったが、その後輩の友人いわく、「たぶん何百万あっても使い切る日数は同じですよ、九折さんの場合」と言われて、そうかそれはいけないなあ、社会人じゃないなあ、と頭を掻いた。何かこう、歴史書でも読む? みたいなことを考えたが、さすがに役立たずのことを言ったので、友人も交通標識を見上げて喫煙していた。
深夜の皇居を、半時計廻りに一周する。ウラ行かんかい、と焚き付けるのだが、友人は安全運転だ。オイ三千回転しかしていないぞ、お前の人生はそれだ、三千回転の男。
三千回転の男ですか! と、友人はしきりにそれを気に入っていた。
皇居の周囲は、どこから見張っているのか知らないが、少しでもふざけて芝生でくつろいでいたりすると、どこからともなくパトロールカーがやってきてしまう。地面にはチリひとつ落ちておらず、堀にも枯葉の一つもない。
昼には安穏さに慣れたスズメがいて、昼食の米粒を指先につけてやると、てんてん、と近寄ってきて指先をつついていく。
ナイト・クルージング! クルージング! おらああ! と、とにかくそうわけのわからないことを、確信をこめて叫び、タンデムからガシガシ彼を肘打ちするのだが、その程度の僕による打撃や叫喚に彼は慣れっこだ。これという反応はない。
何の話をしているかというと、リビドーの話で、真夜中の八重洲や丸の内に、バイクが乗り付けているのに、皇居を一周せず帰宅する奴は精神病だということだ。河合隼雄の全集をワイヤーで固めて前頭葉をブン殴ることでしか治癒しないという。
もし、真夜中に二人乗りのバイクで皇居の周囲をぐるぐる回る、そのことに何の意味が? と問う人間がいたら、そいつは精神病である。最近、めっきり多い。
神戸大学の、文理農学部のキャンパスに入ると、よくわからない針葉樹を真ん中においたロータリーがあると思うが、本を読みながらぐるっと迂回しようとすると、気がつけば何周かしているときがあった。夜中に淡路島コーヒーを買いに行くつもりが、ぐるぐる、回っていることがあった。何によってそうぐるぐるしているかというとリビドーのせいである。本を読むなら読む、考えるなら考える、怒りに舌打ちをするならするで、それは全てリビドーが引き込まれてのことだった。ナラティブのところを強調して言わせてもらうが、それはおれがやっていたことではなくて、リビドーのやっていたことだから、おれの責任ではないし、動機や値打ちをおれに訊くべきじゃない。おれは深夜に皇居の周りを二人乗りで回ったりしない。
学生当時、ギャッツビーのブリーチ剤が流行っていたから、最強のそれをストアで買ってきて、ジャンケンで負けた奴が脱色な、ということにした。K君が負けて、すばらしいつやめきの茶髪になった。しかしギャッツビーブリーチは半分方残ったので、もう一回ジャンケンをしようということになって、ジャンケンをしたらまたK君が負けた。もう一度ブリーチをかけると、K君はどこからどう見てもブロンドヘアーになった。神々しいとしか言えなくなった。彼はそのまま風呂掃除のアルバイトに行った。というエピソードがあるが、この話は本線に何の関係もない。
リビドーといって、いちいち言わないが、まともな男なら、仕事にリビドーを向けているはずだ。仕事など一ナノグラムもやりたくないのだが、そのこととは別に、リビドーは仕事に向かっている。誰も自分の人格で仕事をしているのではない。リビドーが勝手に仕事へ向かうだけだ。そのことは学生でも変わらない。学問でも、部活動でも変わらない。別に学生でも子供でも、ワークといえば全てワークで収まる。
何を言いたいかというと、男がリビドーによってワークへ没入しているなら、そのリビドーが今度は女性に向けられて、女性として彼に求められて抱かれるということがあったときにも、そこには何の問題も違和感もない、ということだ。生きているんだから当たり前、とも思わないし、男性なんだから当たり前、とさえ思わない。何も思わないまま、ただその人のリビドーの矛先を自分が引き受けるかどうかだけを考える。それを引き受けられれば、女として誇らしいことだと感じられるし、引き受けられないときは、「ごめんね、わたしも女として情けないけど、でもごめんね」ということになる。別に、何の問題も違和感もない。あるのは集中力ぐらいしかない。
冷静に考えて、仕事に熱意を起こそうとしている男なんて気持ち悪い。まともな男なら、熱意なんか起こさなくても、リビドーの先っちょが常に仕事を撫で回しているはずだ。このことは、たとえばこう考えてみればわかりやすい。食事をするのに、「食事に興味があって」「それはやはり食事というのは価値のあるものだから」「愛と生命の営みとしてそれを確認するためにそれをするべきだと思っている」「みんなもっと食事に熱意を持とうよ」みたいなことを言っていたら気持ちが悪い。
これと同様に、たとえば男が女に向けて、「セックスに興味があって」「それはやはりセックスというのは価値のあるものだから」「愛と生命の営みとして確認するためにそれをするべきだと思う」「みんなもっとセックスに熱意を持とうよ」みたいなことを言っていたら気持ちが悪い。気持ちが悪いのだが、今実際にそういう男は少なくない。
人間が、食欲によって食事をするとか、性欲によってセックスをするとか、そんな話は阿呆らしいスッカスカの話に聞こえる。まともに物事を考える能力を失った人間の発想だ。食欲によって食事をする人間、性欲によってセックスをする人間、それも割とそれに必死になる人間がいたとしたら、その人間は寂しいのだ。寂しさに押し殺されて、もうすがる先が食欲とか性欲とか、物欲とか名誉欲とかしかないのだ。そうした人間は、本当に寂しさによって気が狂っているから、どれだけ笑顔のふうを見せていても、近寄ってはいけない。寂しさは人間を狂わせる。本当はそうではないのだが、寂しいということが「負け」のように感じられているようなアホは気が狂ってしまう。寂しさについて、正しい教育を与えられてこなかった人間はそうなってしまうが、そういう人は結構多い。年寄りのほうが多いんじゃないか。このごろ日本ではよく老人が暴力を振るっている。
仕事にリビドーを取り込まれてしまった男が、深夜に一人ででも居残り、煙草をくわえていてもいいじゃないか、次々に書類をわしづかみにして睨みつける。気取っているのではなくて、口が半開きになり、目線に異様な集中力がみなぎっている。彼の目には他の人には見えない何かが見えている(ここ重要)。同じ調子で仕事をしている同士で、冗談を混ぜ込んで大いに笑う。泥酔していても仕事の新しいideaについて語ろうとする。
その彼が、書類をわしづかみにする動作と、まったく変わらぬ動作で、女のことをわしづかみにして、手元に引き寄せようとするとき、そこには何の違和感もない。彼は仕事をもみくちゃにし、仕事にもみくちゃにされる男だから、女をもみくちゃにすることは、リビドーの行き先として何も不自然ではない。ヘトヘトになっても無意識に手が書類を掴む動作をするように、ヘトヘトのくせに女を抱こうとする動作が彼の身体に起こっている。
二人で眠って、女のほうが先に起きて、朝食の準備などしているところ、オアヨウ、といって男が起きる。煙草を吸い始めるが、もう彼の目には仕事への集中力とideaが光っているので、朝食の準備をしている女は、それをそっとしておこうとする。
これの何がおかしい。別に、男尊女卑ふうにわざわざ書くこともないのだけれども。
もっと楽しくいこうじゃないか、お前はバカか。と、この話は何の役にも立たないが、全て自分のやる気ちゃ〜んなどではなく、リビドーが引き込まれてのことだ。そうでないからワークに向けてもうさんくさく弱っちくなり、セックスについても動機が不明みたいな禅問答が起こる。そうしてリビドーを循環させて生きていない男は、マティーニで鼻うがいしないと治らない。
皇居のまわりをぐるぐる回る、ナイト・クルージングだといって、意味があるとかないとか言うとして。よくよく考えよ、
本当に同じところをぐるぐる回っているのはどっちのほうだ?
吾ら、リビドーに営為を直結、エネルギー全て直進であるのに、そこをいつまでもぐるぐる不毛に循環させているのはいったいどっちのほうなんだ。口を開けさせて下あごを傘立てにしてやろうか。そこに立っていろ。
興味があるとか、意欲があるとか、そんなことは信じない。たぶん僕は、その興味とか意欲とか言う奴がいたら、「ゴミだぜウポッ」みたいなことを言うだろうが、興味と意欲はそれにどう返答するものなのかお聞かせ願いたいものだ。殴り合いから帰宅した男性を見て、女性は「残酷だわ」と言った。何かと訊けば、「違うのよ、そうやって血を流してでも戦う人を前にすると、それ以外の人には抱かれたくないって気づいちゃう、それってすごく残酷。しかも彼、笑っているし、顔もかっこいいし」ということだった。僕は暴力には反対だがリビドーには賛成である。
リビドーを循環させたらお肌ツルツルになるよ、という言い方をすれば、もっと興味を持ってもらえるだろうか。このご時勢、僕だってそれぐらいの捏造はしていい気がする。しかもこれは捏造ではない。冷静に考えて、本来は日々循環すべきリビドーが、数年単位で便秘を起こしている人間の、肌や顔つきが美しくなるわけがない。リビドー・コンディションを表明せよ、そして便秘ですと高らかに叫べ。
リビドーだ、リビドー。情熱では足らず、熱意ではさらに足りない。意欲とか興味とかは話にもならず、意識を高くしているのは先ほど申し上げたように精神病だ。リビドーは営みの全てに向かい、その中に女性やセックスのことも含まれる。細胞の全てがリビドーだけから動作する。もちろん女性の側にもリビドーがなければそれに正当な呼応ができないわけだけれど、そんな眠たい女性は白亜紀から現代に至るまで哺乳類の次元として見つかっていないから考えなくていいだろう。リビドーに呼応がない女性なんて凶悪なジョークでしかない。二千回クリックして下さいなんて面倒なPCはない。
もしくは、単に体調が悪いんだ。しっかり休んで、おやすみなさい。あなたには佳い男性を、やさしい人を。寂しさからくる性欲の狂気乱暴でなく、リビドーが愛に向かって死にゆくよく笑う人を。
(あと言い忘れていたけれど、ワークにリビドーを向けない人間が、あなたに性欲だけを向けてきたとしたら、それはとにかく猛烈に気持ち悪いことで、あなたの具合はすっごく悪くなるけれど、それはあなたのせいではないしあなたの問題ではないから心配しなくていい)
[リビドーの仕事、ロータリーをぐるぐる回る/了]
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