No.357 平成二十七年ニュースリープの報道
わたしは四角いソファで眠りこけていた。四角いソファも黒なら壁も天井も黒色で、ちりばめられたハロゲンライトが橙色に四方を艶光りさせている。わたしは眠っていたことを知っていたが起きられず、覚醒してはいたが眠っていた。四角いソファに縫い付けられたようにわたしは動くことができない。わたしは夢を見ていた。夢の中で新聞記事を読んでいる。記事はしきりに「ニュースリープ」を報道している。わたしはそれを何度も読もうとするが読み取れず、そもそも見出しにあるニュースリープが、new sleep なのかそれとも news leap なのかが読み取れない。前者ならばそれは新しい眠りであり、後者ならそれはニュースに係っての「跳躍」であるはず……あるいは「跳躍」そのものを題材に報道をしようとしているのか? だがわたしにはわかっていた。四角いソファに縫い付けられたまま、涙を流すことさえすでにできなかったが、決して起きることはできず、わかっていた。わたしは二〇一一年まではやさしかった。それが二年後の二〇一三年になると崩れてゆき、現在二〇一五年となると、すでにやさしさは残されていない。
今のわたしに、やさしさはもう残されていないように見える。けれども弁解させてもらえるなら……わたしは実のところわたし自身から一歩も離れてはいない。わたしの内にわたし自身はずっと残されたままだ。あのときのまま。そしてごく一部の人には照れくさいがきちんと報告しておきたい。――ちゃんとあなたの好きな「九折さん」が帰ってきたよ。本当はどこに行っていたのでもないのだ。弁解させてもらえるなら、僕はこの二年間、特にひどい戦いをしていた。その戦いの最中、わたしは強固な「実力強さ」のスタイルを採るよりなかっただけだ。それは無謀な戦いざまだったけれども、今振り返ってもなお、他に選択肢はなかったと思える。
わたしはそうして戦い、その戦いはわたしの奇妙なことへの技量を飛躍的に伸ばしもした。でもそんなことに本当の自負が宿るわけではなかったし、技量を伸ばした結果その戦闘スタイルはわたしをただ「何を話す値打ちもない者」にした。残念ながら、そもそも戦闘というのはそういうものだ。
この二年間に何があったかを話そうと思う。またそのことをわかるように話そうとすると、遡ってさらに以前のことにまでつないで話しきる必要があると思う。また二〇一一年に起こった東日本大震災と、あの津波、核プラントの破局的事故、そこに起こった全体的な人心の傷つきは誰にとっても深い陰を落としており、また"僕"自身もそのこととは無縁でありえない。
僕はこの二年間、ありていに言うと、あくまで説明的な気分を添えるとしても、「傷つきまくった」と言いうる。それは誰の意志によるものでもなく、繰り返し言うように時代のせい。誰一人僕のことを能動的に傷つけようとした人はいないし、そもそも生きることから傷つくことを除外しようという意図を持ち合わせているものではない。けれども、もしオゾン層が破壊されたなら陽の光は紫外線をあらわにして人の皮膚を焼き焦がすに違いないように、誰の直接の意志にもよらず僕はすべてのことに傷つけられてきた。そういうとき、僕はどうすると思う? 幾人かがすでによく知ってくれているように、僕はそういうとき、自分の負傷の具合と関係なしにまず完全な勝利を得ようとする。僕が傷つけば、僕が引き下がるのが当然の筋道に思える。けれども僕は、生来の気質において、その当然と思えることをこそ逆転させ、「な? 数学的に当然というわけではなかっただろう?」ということを闇雲になって証明したがる。僕は、本来ありえない笑い方をして、ありえない勝ち方をした。そんな曲芸じみた勝ち方を示してみたところで、平穏な誰も真似する類ではないので何の助けにもならないのだけれど、僕は僕自身の矜持においてその無理やりの勝利の得方を自分自身に誇らせてやらねばならなかった。そうせねば、すべてのことが終焉するだけだったから。傷ついて引き下がるのは当然で自然なことだけれど、いくらそれが自然であったとしても引き下がれば敗北となり、敗北となれば終焉する。僕はそうして正当な終焉を迎え入れることを、思い切って拒否した。正当な終焉を迎え入れるぐらいなら、不当な勝利を得てなおも生きることを継続したいと、悪趣味の牙を剥いて望んだ。いわばゾンビ的な勝ち方をしてきた。「な? 死んでも動けば勝てるだろ?」。そうゾンビに詰め寄られた人にとっては、理路はともかくとして鼻白む気持ちが強くあったに違いない。
ゾンビになってでも不当な勝利を得るという方法がありえたとして、その無謀で採算を度外視した戦いぶりを選択したことは、引きあたる言葉を用いればまさにleap/跳躍の方法と言える。ここにはただちに思い出されるフレーズ、「ぢやあ、よろしい、僕は地獄に行かう」がある。地獄を経由すればその者の戦いぶりはゾンビじみるのが道理と言えるだろう。わたしは二年と少し前、まざまざと自分にとって事件と思える現場に直面し、そこでleap/跳躍の方法を採った。そして現在に至って、急に力尽きたように四角いソファで起床不可能の眠り方をしているからには、夢の中で見た報道の「ニュースリープ」は、new sleep でもあるし news leap でもあると言いたげなのだ。
同じように思い出される言葉として、陳腐かもしれないが力強い言い方、「強くなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく値打ちがない」というのがある。まだ少年じみていた十代の頃の僕は、この言葉を陳腐にせよ真実と信じて抱えていたところがある。その言葉は今ふたたび息を吹き返して僕に真新しい問いかけを示してくるのだ。ゾンビになってでも勝てるでしょ? というやり方。それは確かに強いかもしれない。けれどもその地獄を経由するleapのやり方を用いざるをえなかったとき、僕は勝利の壇上ですでにわずかのやさしさも身に残していなかった。「何を話す値打ちもない者」という事実が突きつけられる。また皮肉なことに、他ならぬ僕自身がこの十年に亘って「話す値打ち」のことを追求してきたものだから、自分の書き話すことに値打ちがあるか否かということだけは厭というほど読み取れずにはおれないのだ。それで文言の示す問いかけは僕に益々突き刺さってくる。――強くなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく"値打ち"がない/If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive....
けれどもすでにこの問いかけは、新しい眠り/new sleepを経た僕にとって恐ろしいものではない。弁解させてもらえるならば、僕は戦っていただけなのだ。しょうがないだろう? すべてを正当な終焉として迎え入れてガッカリするよりは、こうするより他に方法はなかった。僕はしょせん仮初めに戦っていたにすぎず、戦う技法を手放してしまえば元々の僕自身はどこにも行っておらず残されたままだ。ごく一部の幾人かには照れくさいが笑って聞いてほしく思う。「九折さんが帰ってきたよ」。あなたが好きだった、独特の感じのあの人だ……聞いて驚くが、本当はどこにも行っていなかったらしい! 何しろ元々が、戦闘になどまるで向いていない人だから、内心で相当な無理をしていたのだろうね。
やさしくなければ生きていく値打ちがない。先日の伊勢丹デパートの地下で見た物品になぞらえて言えば、やさしさとはちょうど薄く作った羽二重餅のようなものだ。物品の感触としてのやわらかさがやさしさであり、またそれがやさしさとしてよろこばれるから物品としての羽二重餅も"デパ地下"に並んでいると言える。元々の僕は暢気(ノンキ)に薄い羽二重餅をこしらえていたように思う。それはしばしば人によろこばれもし、愛されもしたが、時代が移り変わると共に、人々は厚い革底のブーツを履いて踏み砕いて入ってくるようになった。そうして踏み入られたときすでに足元に羽二重餅は踏みにじられて砕けており、その上に佇立して「話す値打ち」のあることを問われることに僕はずいぶん苦しめられて傷つけられた。とっておきのものをこしらえた日々もあったが、それらはすべて二年間のうちでまず人に靴底で踏みにじられた。その上で「とっておきのものって?」と無邪気に詰め寄られるとき、それがたった今失われたのだと告げることはいかにも心苦しかった。薄い羽二重餅をこしらえるたび、それはまず靴底で踏まれるよりなかったので、僕は常に餅をこねる粉まみれのまま、何も言えず棒立ちして無能化していた。
今振り返っても、あのときあの瞬間の僕は、やはりそもそものやさしさなどを捨てるより他になかったと思える。「これまでよろこんで作っていたが、羽二重餅屋は廃業だ」。何のために廃業するのか? そんなことはわからない。話す値打ちのあるものを、これまでよろこんでこねくり回していたが、今はそれがまず踏みにじられる前提がある以上、逆転して「話す値打ちの無いもの」を話し続けるよりない。その先がどうなるものかはまったくわからなかった。
靴底で踏みにじられるものを、より大きな靴で踏みにじり返すことは勝利とは言えない。そこで僕はこれまでの羽二重餅の代わりに、流れる金属のようなものを商品にして、それを踏みにじらせるようにした。するとそれは流れるものだから、確固として踏みにじったつもりの当人が流されて転ぶ。ズデン!
「な?」
そうして人をすっ転ばしてきたことは、人々を一定程度驚かせたし、ひいては僕の話すことに一定の説得力を与えもした。そうして僕は、それ自体に何の値打ちもない勝利を重ねてきた。本当に、そうする他に方法はなかった。もちろん逡巡がなかったわけではなく、何度かは思い直してとっておきの羽二重餅を練ることもしたが、そうして練られた羽二重餅は以前より一層きつく踏みにじられた。そのとき、時代はなおも進んでいるのだという事実に直面するよりなかった。それ以降は僕のほうも、こしらえる流金属のほうをより強烈なものに向上していく他、対抗する方法はなかったわけだ。時代の進行はひとつひとつショッキングな事件として受け取られ、そのたびに僕は不当なまでのleap/跳躍で対抗してきたと言える。
残念ながら今もこうした時代の状況は改善しておらず、なおも僕の知らないところで時代は進行を続けているに違いない。出したものはまず靴底で踏まれる。なぜ人々がそうして出されたものを第一に踏みにじってから付き合おうとするのか、その現代の原理は定かではない。よって、宣言どおり「やさしい九折さんが帰ってきた」としても、状況に対して無為無策であることは変わらないままだ。それは僕が今も羽二重餅を薄くこねうるというだけで、何らの解決策を引っ提げて帰ってきたのでもない。
ただ僕は、この二年間、幾人かの人を助けたかったのだ。出されたものをただちに踏みにじる、そのことを前提としたやり方は正しくないよということを伝えたかった。それで、あえて踏ませたものを「流れ」に持ち込んですっ転ばせるという技芸を繰り返し示した。「な? 踏むことは正しくないだろう?」。おかげで僕は、この二年間で、人をすっ転ばせる技芸だけ名人じみるまで向上させることになった。
もし僕が、羽二重餅のやさしさを愛することをすっかりやめ、完全に忘れ去ることができ、かつ人の靴底を流金属ですっ転ばせて、そこに無上の快感を得るという性向を得られていたとしたら……僕の生きる本分はすっかり入れ替わって満足の中を伸びあがり進めただろう。けれども結局のところ、僕はそうした技芸で人を驚かせたり感心させたりすることに一切の感興を覚えない。僕はこの二年間、幾人かの人を助けたくて、時代と向き合い、「いざ戦えば負けるわけではないのだから」という普段は使わない自負を張り巡らせて戦った。それが何だったかの結論はまるで出ないままだ。人をすっ転ばせる流れの技芸は高いレヴェルで身に付いたように思うけれど、これが果たして本当に必要なものだったのかどうかはわからない。使えば大いに役に立つだろうが、そもそもこんなものを使うことに僕のよろこびはないのだから……
とはいえ、レターパックを届けに来た郵便配達員のインターフォンコールに起こされたに過ぎないにせよ、実際に僕は縫い付けられたソファからなんとか起床し、今こうして書き話すことで過ごしている。少なくとも"わたし"は、昨日から今日にかけて、新しい眠りを経てきたには違いないわけだ。縫い付けられてげっそりとした十数時間の執拗な眠りニュースリープ。
引き続き無為無策のままであることはやむをえないにせよ、ひとたび新しい眠りを覚えたからには、この新しい眠りが途絶えることのないようこの先を目論んでゆきたい。確かに僕はこの二年間、幾人かの人を助けたくて戦った。戦ったが、それが何だったのかは、ついにわからないままとなった。
***
この季節には例年どおり円筒の石油ストーブを焚き、照らされる大腿を焼くようにしてデスクに丸まりこんでいる。こうした形も人間のよく取りうる形の一つかもしれなかった。実に、「どこにも行かない」ということが傍目にも看て取られる姿。僕はいくつかの電子化された動画にスピーカーをつなぎ、その音声にしばしば慰めを得ながら、かつて寒々しい曇天の下で見た日本海側に住む巨体の老人とあわれな一匹の犬のことを思い出している。平日は役場の仕事をしているその老人は、巨体だがどこか気が小さく、振る舞いの気勢は強いのだが逞しさよりは偏りの印象を受ける。老人は偏った印象のままその地域に馴染んでいたが、自らの飼い犬をしょせん毛の生えた獣とみなしているところがあり、つまりは犬との付き合い方がわからないふうだ。それで老人はよく犬を叩くふりをし、また実際にしばしば叩きもした。犬は叩かれると耳を伏せて怯え、背中から胴体を丸めて固くする。そのことがずっと繰り返されているらしく、遠く聞こえるテトラポット群に打ちつけられる波音の空漠さと共に、犬がすっかり不本意なアルマジロのような姿に成り果てているのを思い出した。犬には頼れる他の者がおらず、また老人のほうも他に頼れる者がおらぬふうで、そのことはどうしようもなく繰り返されていくほかないというありさまだった。
犬にせよ人間にせよ、動物は叩かれると硬くなるだろう。それは一時的なことではなく、叩かれることの繰り返しで、元々がそうであったかのような硬い生きものの姿に変形してゆく。叩かれる以前から備えて身を固めるのであるから、それは叩くふりだけでも十分なのだ。叩かれてきた当の犬はすっかりただ硬いだけの生きものとなっており、ひるがえってみれば老人のほうもかつて叩かれて育ってきたため、硬くなった自分の胴体からは、生きものに対して――叩く、という付き合い方しかできないのだという様子にも見える。
電子化された動画に回線をつなぎ、探し当てるものが益々古い時代のものへ収束してゆく、救いがたい僕の慰めの得方がある。ほとんど窓の外の喧騒を忘れるために慰めをむさぼっているふうの僕は、古びた電子化映像の中に或る種の共通項を見出している。それは現代に作りだされるすべてのものと比較することでごく単純明快に看取りうるものだ。
時代が進行するにつれ、現代のものはことごとく「強烈」という一語に結びうるのだと発見する。誰がどのようにして見ても、過去の人間の話し方や、過去の人間の笑い方と比較して、現代の人間の話し方や笑い方が、同質であるとは見えようがない。その同質でないところを上手く言い当てようとすると「強烈さ」という一語が普遍的に当てはまるのだった。現代は一言にまとめれば「強烈」なのだ。それは僕のようなノンキ者には、何かを叩きつけてくるふうに感じられるので、僕はそれに晒されるたび、――僕はアルマジロのような硬い生きものに成り果ててしまうのでは? と怯えるのだった。
現代に流行するテレヴィ番組の映像や、あるいはマンガやアニメの文化。それらの全ては、過去より「強烈」になったに違いない。あるいは犯罪にせよ事故にせよ、それらは過去に比べて「強烈」になった。人々のキャラクター性やその表情も、過去と何が違うとは言い切れないにしても、「強烈」になったことは疑いなく看て取られる。たとえばこの二年間で起こった印象的な事件などで言うと、ある特定の新細胞が「あります」と言い張った女性の詐話とその演出の仕方はまさに強烈な仕方の何かだった。あるいは聾を言い張って聴衆へのアピールの足しにした上に、自身で作曲していない音楽をベートーヴェンふうに振る舞って成功を収めていたという男についての暴露もあり、それはまさに現代のやり口についての笑うしかない「強烈さ」を市井に印象づけた。また、本来は輝かしくあるべきはずの新東京五輪の意匠はただちに盗作を指摘される騒ぎになり、「ブラック企業」というおぞましい言い方が躊躇なく振り回され始めたかと思うと、違法性をごまかしたみじめな薬物で神経を狂わせた男がそれ以上の無様さと不気味さを衆目に見せつけるということも横行した。ありふれた少年誌や少女雑誌の紙面に、性的なかわいらしさについての表現が盛り込まれるのは旧来からのことだとしても、今少年誌や少女雑誌に描かれているそれは旧来とは比較にならないもっと直接の扇情の表現だ。これまでにも、一部の女性の性癖として、男性同士の性愛を遠くから空想に眺めるという趣味はあったに違いないが、今公共の場にでも晒されるその趣味への広告は容赦なくどぎつく、当事者も周辺もそれを「腐」だと知って眺めておりすでに誰もが見慣れている様子がある。かつてすべてのものはこんなに「強烈」だったろうか? 今は「穏やか」なら「穏やか」で、その穏やかさのアピールが「強烈」であり、流行する○○系という言い方に連ねて「癒し系」というなら、その癒し系ぶりの見せつけもまた「強烈」に思える。
現代はすべてのものが、すでによく知られている或る種の独特な「強烈さ」へ、ことごとく加速したのだと言いまとめることができる。「強烈さ」は人々の身を叩くふうに作用するから、人々の身をアルマジロの硬さに作り上げることへ加担するだろう。ずっとさかのぼれば、初めて「オレオレ詐欺」のやり方が出てきたときに、そのやり方のえげつなさ・強烈さに、旧来の犯罪に向けたものとは違う尖鋭化した怒りを覚えたことを僕自身記憶している。同じ悪事をはたらくにしても、やっていいことと悪いことがあるのじゃないか? その他さまざまな文化や出来事や事件について記憶をまさぐると、次々に強烈化したこの時代の証拠品のような感触が見つかる。ひとつひとつを取り上げるのはキリがないだろうし、またひとつひとつを言い立てるのは個別のものへの非難や誹謗に受け取られそうでここでは望ましくないと感じられる。これまでにも嫌煙家というのはいただろうし、これまでにも自己責任という考え方はあっただろう。だが多くのものはすでに、取り返しがつかないと言いたくなるほどのレヴェルにまで強烈化している。イケメン/リア充/メンヘラ/勝ち組・負け組。現代の言葉を使って何かを言い表そうとしたとき、すでに言葉そのものの作用によって全体は独特の「強烈さ」を帯びざるを得ない。
子供の時分に、母にきつく叱られることは誰しもあっただろう。また子供の時分に他愛もないアニメーション映像に恋するように釘づけになることは、誰の記憶にも心当たりのあることだ。けれどもかつて母が子を叱るというとき、きつく叱るというのはそこまでの"独特の強烈さ"を帯びていただろうか。母親がグズる子供に向ける見せつけの「無視」のやり方が、やり方としてはありふれていたとしても、そこまで本気の無視なの? と、そこに強烈さを帯びていることが周囲の通行人どもまでもヒヤリとさせずにいない。また子供向けのアニメーションというのは表現が誇張されて子供を愉快さのとりこにするものだけれど、ひとつひとつのキャラクターが、こうも強烈に偏った個性から強烈な叫び声を上げるほどだったろうか。存在のアイドル化は、こうも「強烈さ」によって定義されていただろうか? 現代の子供が三十年前と比べて遺伝子の突然変異というレヴェルで強靭になったというようなことは科学的には考えられない。すべての強烈さは子供の背を叩き、子供をただ硬い生きものにするのではなかろうか。またそうした作用の中を生かされているのは大人も子供も同様なのだ。
生きものを叩いてはならない。それは生きもののことをよく知る人ほど口を酸っぱくして言うことだ。生きものを叩くということは、我々が認知している害悪や危険性よりもっと重大な哀しさを含んでいる行為なのではなかろうか。生きものを叩いてはならない。しかし寒々しい曇天の下、巨体の老人は、生きものを叩くという方法でしか付き合っていく方法を知らない様子だった……「強烈さだけが有効なのだ」と、老人は目を剥いて明言したわけではなかったにしても。
僕は二年前の春、旧居のあった葛飾区から現在の目黒区へと引っ越している。一身上の都合があってのことだが、初めて目黒区で暮らし始めたときの驚きを今もまだ忘れずにいる。トタン板のはびこる葛飾区の街に比べて、目黒区の街は先進で、こじゃれており、十分に快適に暮らしうるが、すべてのものが「強烈」だった。すれちがう人々の顔、飛び交う声。有効だと信じられている何か。それらは歩き去ろうとする僕の背中を後ろからでも叩かずにいなかった。僕は単純な転居という意味でも、現代という時代と向き合い戦うということに晒されていたことを報告しておきたい。
今まさに僕がデスクに丸まりこんで「どこにも行かない」という姿をしているのも、その中で人間のよく取りうる戦いの形であるわけなのだ。目黒区に移り住んでからの僕の戦いぶりが、新しい眠りを経てもなお続いている。その実際が今どのようであるかについては、ここに示した――僕なりの親しみをこめた――文章の綴られ方によく表されていよう。デスクに丸まりこんだ腹の内側に羽二重餅は薄く丁寧に引き伸ばされていくこのやり方。
***
かつてほどの権威は失ったにせよ、今もやはりこの年末の気配に並走するようにクリスマスの儀式が期待と共に接近してきている。本来のクリスチャンがする礼拝の様式から逸脱した、むしろ周辺的な催事だけを抜粋して営もうじゃないかとする、腰を低くした様式こそが我々の失うべきでない確かなクリスマスだと思える。このクリスマスが過ぎれば、人々はホール・ケーキの叩き売りを済ませてただちに年明けの皮膜――旧年と新年の――に向かって狂奔する。なにしろ猶予は一週間しか残されていないのだ。門松は準備したか? そうして、周辺的であることを善しとするクリスマスから一気に年末年始の狂奔へ流れ込む、どうしようもない慌ただしさがここの人々は好きなのだ。それでクリスマス・イブから始まる数日の狂奔の中で人々はふと慣れない破顔が自分に起こるのも――また他人に起こるのも――ヤレヤレということで目こぼしをする。こうしたことが毎年起こるからには、十二月末へ向けての日々の愉しみ方はともすれば年功者のほうがよく識っているかもしれない。もし正式なクリスチャンが日本のクリスマスのありようについて首をかしげることがあれば、次のように語りつくせば一定の了解を得られるのではないだろうか。日本人が桜の咲くさまに群れて、特にそれがパッと散ることに禅性を見つけて一献を傾けるということがよく知られています。そのHANAMIの仕方が示すように、我々は年明けに向かう一定期間についても、我々の時間がパッと咲いてパッと散ることをよろこぼうとするのです。そのことに不遜ながら、輸入したクリスマスの美もしたたかに取り込もうと企んでいるのですよ。そのことの節操無さも、自覚はしながら、願わくばそのことさえもパッと散って、忘れられてゆきたく望んでいるのです……
もう十年も前から僕の書き話すところへ心を傾けて聞き取りをしてくれている、またそこで聞き取ったものをどこか自分の指針にしていたようだと告げてくれるまだずいぶん若い女性が、今もまだ僕の継続するパーティ企画へ顔を覗かせてくれることがある。先日も時間が熱融解して無限に流出するのだと感じられるような過ごし方の中で、彼女を含めた数人と話し込んだことがあったが、正統に義理を重んじるところのある彼女は翌日僕に向けて、今まさに彼女の身に起こっている感興についての一通のメッセージをリアルタイムによこしてくれた。文面から察するに、彼女はあのあと結局、友人宅で身の溶け込むまま床に眠りこけた様子。
おはよう
目が覚めて第一の実感として、あれー、自分のいる世界ってこんな色とりどりで美しかったっけって今なってる。
実際東京の地下鉄の何が色とりどりやねん。酔っぱらったごきげんなおっさんばっかりやんけって話やけど、そうじゃなくて...。
まぁ、羽二重もちが心から喜んどるんやなぁ。
めっちゃ嬉しいんやん!ってやつ。
口頭であれ紙面であれ、通常は奇妙な単語の用いられ方として人を可笑しがらせることしかしないであろう「羽二重餅」の使われ方が、思いがけない確かさですでに彼女の心に受け取られている。僕が今着座しているロケーションからは耳を澄ませるまでもなく商店街のスピーカーの鳴らすよく知られたクリスマス・ソングが聞こえて来ているのだが、そこに歌われる英語のままの詞の一節に結び付いて一通のメッセージが再翻訳されることはこのときの僕にとって自然なことだ。
Silent night, holy night
(無音の夜、聖なる夜)
All is calm, all is bright
(すべては静謐に満ち、すべてはきわやかで)
十年来、彼女は僕に特別の好意を寄せるわけではないにせよ、僕と係ることで後に顕(あらわ)れてきて体験される世界の様相を認めよろこぶことには殆ど屈託がない。思えばこのときも、十二月中旬にも窓を開けて換気をせねばならないほど蒸しかえるようにして話し込んだ時間があり、彼女もまたその熱い時間の内に普段は押しとどめていた自分の佳い声を思い切って公示したという伸びやかな一幕もあったわけだ。その後の一眠りを経て顕れてきたきわやかな世界の明視について彼女は「自分のいる世界ってこんな色とりどりで美しかったっけ」と落ち着いて自己の驚きを報告してくれている。ついては僕も、数日のうちにやってくるはずの彼女の生活の内のHoly nightの日へ、いくらかでも前向きな、出しゃばりでない足しになっていればよいと、稚気めいたことを願わずにはいないのだった。
そうした小さなことの一々を励ましに確かめて進もうというのは、いささか男気に欠けた涙ぐましいことなのかもしれないけれど、ひとまず、僕は一通のメッセージや商店街の「きよしこの夜」をさえ励ましとして得た上に、二年前から続き今もなお続けている僕なりのシツコイ戦いのことを報告しておきたい。僕がこの二年間、確信犯めいて周囲の人間を巻きこもうとし、時には口調の激しくなることも辞さずに来たのは、何も年長者から若年者へ説教を垂れこめたいからではなかった。僕の人格からは、とてもAll is calmというようなこじゃれたことは言いようがない故に、その感触をありのまま言うなら心実体の感触のほうを捉えて「羽二重餅」と言うよりないのだが……すべての強烈さにシツコク制止の水を差そうとするのはやはり、All is calmでなければAll is brightが現成しないということを、僕なりについに知り抜いてのことなのだ。叩かれると身が硬くなるよりない生きものとしての我々は、「強烈さ」の中を生かされることで容易に「羽二重餅」を硬く石灰化させてしまう。石灰化した羽二重餅を、どのように食らわせたとして、そこにやさしさが感じとられようか?
僕はすべての強烈さに水を差して制止するために、まずほとんどの強烈さより僕の技芸のほうが勝るということを、阿呆くさくともデモンストレーションのように示さねばならなかった。「強烈さはまるで強くないんだよ」。そう語ろうとするならば、何かしらの形で僕は「強烈さ」の何かを実際に打ち破って見せることが必要だっただろう。そのことの、本質的にくだらない見せつけは、すでに周囲の友人たちに向けては十分に済んだと思う。それが済んだからには、早々にそのくだらないことからは離脱し、本来の値打ちあることへ踏み入ろうではないか。――強くなければ生きていけない。やさしくなければ生きていく"値打ち"がない/If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. だとしてもすでに、強さについての話は済んだだろう?
今から十年前、敵対的買収という語の流行と共に、日本の産業が立て続けに金融技術的な攻撃を受けることが起こった。それに関連して、「人心も政治も、すべてのものはカネで買える」という言い方が為され、その渦中における最大当事者でもあった発言者はやがて時代英雄のように奉られた。一時は政治家として国家の中枢へ入り込むやもというムードにもなったのだ。既(すんで)のところで彼は司法警察から攻撃を受けて失脚させられているが、その失脚も含めて一連の出来事はカネということを含めての独特の「強烈さ」に貫かれている。「すべてのものはカネで買える!」。少なくとも、少年らが「ドラゴンクエスト」の発売日におもちゃ屋に行列を為したというような微笑ましいニュースとは強烈さの感触において異なるだろう。
それと同時期に、かつては奇抜な趣味と思われていたコスチューム・プレイの遊びが次第に見慣れて認めるべきものとして押し出されてくると共に、メイドカフェ・メイド喫茶と呼ばれるものが、やはり奇抜な趣味という範囲を超えて一般の好奇心に愛好される大きなブームになった。それとほとんど並行するように、現在はすでに最優秀の雛形として広く使われているところのある集団的アイドル・グループの形態が、やはり奇抜な趣味というのでなく大衆に広く受け入れられるべきものとしてメディア・スクリーンの壇上に現れだしてきている。当初は特に、一部の熱狂的なファンが本来の物品購入額を大幅に逸脱してほとんど当人も認めるところの依存的投資をするということ、およびその資金を吸い上げて拡大することも堂々とスキームに取り入れるというやり方が、強い非難と反感を買った。今はすでにそれらの反感は軟化したが、とはいえ今もってなお根源に独特の「強烈さ」が消失したわけではやはりない。
時代の移り変わろうとする中、この時点できっと多くの人が、冗談半分か、もしくは半分以上が冗談でないという形で、一種の末世観を覚えていたように思う。「キョーレツすぎるでしょ。本当にこのまま行くの? このまま行くと、マジでこの先どうなるの?」という、すでに打つ手立てのないヤケクソの混じった憂い。だが状況は思いがけないところから次の一手を指し示してきて、我々はどこか、「過剰に憂いていたつもりの末世観でさえ、てんで甘かったのだなあ、ハッハ!」とニヒリスティックにならざるを得なかったのではないか。我々は大地震のことを知っていたつもりでいたが、大津波のことはまるで知らずにいたのだとあの三月に誰もが痛感し、またパニック映画で見る限りと思われていた核プラントの極大事故が、ともすれば映画より早いと感じられる歩調で悪いほうへ進展していくのを、背筋の凍る思いで傍観するよりなかった。我々は漠然と自国を特に安全で平穏な国と信じてきたはずだったが、その隠れた弱点を末世観の中で入念に暴き立てられることとなった。このとき誰しも無垢な自信を失わずにいられようか? むろん、国家の危難に際して、義侠心と善意で立ち上がった人々は無数にあったが、そのときどのように義侠心と善意を自分で取り扱えばよいかについて知らない人も多かった。また急に気持ちの昂るのに制御も利かなかっただろう。むしろ義侠心や善意こそが取り扱いに細心の注意を要するということを経験的に知らずにいたので、市井に湧き起った義侠心と善意の活動のありさまは、残念なことに多くの人をわざとらしさへの厭気においてウンザリさせる作用をもった。義侠心と善意でさえ、このとき「強烈さ」を伴って現れるよりなかったのだ。
このような出来事が立て続けにもたらされる末に、誰がノンキに「世の中を信じる」というようなことができよう? 何もかもが「強烈」でありすぎた。この立て続けに来る強烈さの中、よほどの極端な覚悟者を除いては、誰が身を硬くアルマジロのように備えずにいられただろう? ほとんど全員と言ってよいほど、ここ十年に起こった強烈さを「乗り越えた」などと言い張れる人はいないはずなのだ。単に立て続けに叩かれすぎて、身を硬くすることにも慣れたよというだけのことは、むしろ乗り越えるべきことからすっかり遠ざかったが故の安穏の錯覚に過ぎない。
結果、この平成二十七年の終わりに至るまでのここ数年、すべてのものは尖鋭化して現れ、陳腐化して去っていくということを繰り返していくのみに見える。すべてのものは、奇抜に見えるほど尖鋭なやり方をもって新しく出現し、それは数ヵ月の間よろこばれるけれども、数か月後には陳腐の海に流し込まれて忘れ去られる。そうした一連の手続きが予定調和されていて、そのことを愚かしいと誰しもが思いながら、そのことが繰り返されることに抵抗する術はもうないのだ。「世の中、そういうもんじゃないの? 別に悪い意味じゃなくてさ」。人々は今、自己の振る舞い方も含めて、次々にやってくる新しい強烈さを自分に取り入れることに鷹揚で、また続いてはそれを適宜陳腐の海へ流し込んでいくことに、さしたる疑問や不平不満を覚えはしない様子だ。その中でなお、僕は僕なりのシツコイレジスタンスの戦いを続けている。
今僕が、ここに語られる「羽二重餅」の奇妙な理論を持って、市井のムードと対決したならば、そこにはきっと滑稽なことが起こるだろう。ひとまずの鷹揚さにおいて、僕の話すところは「とても個性的」な何かとして批評のまな板に受け取られるに違いない。それは話半分に聞きとられながら、無数の短いコメントを内心にでも引き出すことを成し遂げ、それでいて何らの実効も為さずに終わるだろう。そのような不毛の野はすでに僕自身にもよく知られ、僕自身なんらの苦もなく受容して笑えることだ。僕は物事の展開について理想的な成り行きを期待するタイプの夢想者ではないから。最も了解しやすい例え話として、今ある市井のムードの中に「クリスマスはどう過ごすの?」と問いかけてみる。すると、自らの心が強いと信じる者ほど、何かしらクリスマスを「強烈に」過ごすことを勇んで答えるだろう。「強烈なクリスマスだったね」ということを為し遂げてよろこぼうとする発想の方法。それは今、まさに若々しさの発想に思える。もちろん僕は、強烈さに裏返っただけの惰弱さで人々にクリスマスを過ごしてもらいたいわけではない。いっそ惰弱よりは強烈なほうが自己都合においては良いクリスマスだろう? と僕でさえ思う。とはいえ僕はここにおいて、クリスマスおよび自分も含めた人々がそこに過ごすことに、アハハ、アハハと笑うことができるのだ。クリスマスが好きだからという理由だけで笑うことができる。それは羽二重餅のする笑いだ。クリスマスはどう過ごすの? という問いかけから、問答へ流れ込むスタイルは、すでに十分なニュースリープを経た僕にとって古く過去のものだ。羽二重餅には何の強さもないが、僕はかつてのやさしかった自分でありたく思う。
もう二度と、強烈さにさえ打ち勝つというような、実力強さの技芸を主体とした僕自身を持ち出すことはしない。だからこそ改めて、最もバカバカしい恥のように聞こえるせりふとして、――九折さんが帰ってきたよ、という報告をしておきたい。幸せは色とりどり、と冒頭から躊躇なく書きだしたあの独特の人が帰ってきたよ。東京の地下鉄が色とりどりだというリアルタイム報告も受けた僕は、クリスマスをどう過ごすかについても「色とりどり」と答えて差し支えないだろう? 羽二重餅のする笑いを付きまとわせて。
所詮、柄にもなく、幾人かの人を助けたいというような無謀を思い込み、緊急に戦闘しうる自分に転じたのに過ぎないわけだから、その出過ぎた出しゃばりの救済志望の終わりこそが、ニュースリープの見出しで報道されたのに違いない。この二〇一五年、平成二十七年は、僕にとっておそろしく長かった! いつまで経っても一年が終わらない! そう感じていた。確認してみたところ、昨年の年末にも似たようなことを書き残していたので……つまりこの二年間はそうして柄にもない志望と戦闘をしていたことになる。もし来たる平成二十八年が同じ長さできたらどうしようと、僕は心の底から怯んでいたところだ。来年はどうか、アッという間に一年が過ぎますように。
もう二度と、実力強さの技芸を主体にすることはないので、置き土産のようにして、愉快な話を残しておこう。たとえ天井の隅へ置かれているスピーカーから、聞いたことのない都会的な西洋のラップ音楽が流れているだけだとして、どうしてそれに「同調」を直観させうる声とリズムの表れ方で、ノウノウと世間話の続きができるのか。は? 頭の中どうなってんの? だが脳の聴覚野に途端に音楽はきわやかに響きはじめる。どうしてたとえカラオケ遊びの施設に置かれている些末なプラスチックのタンバリンでさえ、指で適当に打つとして、不快でなく脳に突き刺さるようなパーカッション音を鳴らせるのか。しかもこいつはそれらのすべてをまともに習ったことがない。習ったことがないうえに、これという練習や訓練さえもしていないのだ。何も習っていないはずのこいつが、なぜ本来は訓練を必要とする特殊で重要な身体操作ができるのか。その背骨の動きはなんだ。その手先と足先の動きは一体何をどうやってしているのだ? そもそもなぜこのだらけた肉体に腑抜けた顔面が据わっているだけのこいつを、数人がかりになっても誰も取り押さえることができないのか。どうして典型的にふざけて汚らしいダミ声を出しているだけの不真面目なこいつの声が、何の不快もなくどこかの世界を拓けるように聞こえてくるのか。音楽的でない声が音楽的な作用を持つ。何一つ優れているようには見えないこいつは、なぜいつまでたっても声が嗄れず、息切れなしにキャアキャア遊び続けているのだろう? ほとんど泥酔しているはずなのにどうしてこいつは調子が精密なまま狂わないのだ。アッ! 調子が狂う前にこいつ倒れやがった! それは順序がおかしいだろう!? そういえば、そもそも自分はなぜこいつの長ったらしい話を、何年もかけて読み続けているのだ?
唯一の自慢として言えば、件の女性が東京の地下鉄の色とりどりを報告してくれたとしても、或る意味ではタチの悪いあの女性に、「ほんまにすごいなあ」と感心させて言わせるのは、けっこうな至難の業なのだ。何しろその女性は、僕に特別な好意があるわけではないのでまるでお世辞を言ってくれない。
「ほんまにすごいなあ」と言わしめたのはそれでよしとして、実力強さの技芸についてはそれまで。それ以上はいいかげん本当に僕にとってどうでもいい。これ以降、実力強さの技芸についてこれから訊かれることがあれば、「そんなものはしんどい」とだけ答えるのが最も誠実さに適うだろう。僕は値打ちのない実力強さを眠らせることで羽二重餅に還り、それにより新しい眠り方を得たのだ。だからしんどい戦闘なんかやめて新しい眠りを続けることがこれからの戦いの仕方、断固として。
***
ノンキな羽二重餅。羽二重餅はずっとやわらかくてノンキに蠢いている。
まるで春のような光の差す十二月の、クリスマスの前の日に。
それが今や俄かには受け入れられようがないことはわかっている。
けれども今さら、「受け入れられる」って何だ?
受け入れられないことなどすでに敵ではない。
僕のほうが年功者だ。
新しい眠りは、僕に新しいうなずき(かつてやさしかった僕のそれ)を与えている。
それによって僕は改めて、値打ちのあるほうへ跳躍しなおしができる。
問答屋ではない、羽二重餅屋のうなずきだ。それは今改めて、本当に値打ちのある揺さぶりを人に与えずにいないだろう。
芸術に係る本は、童心をくすぐるほど背表紙ごと美しく、無限回の通読ができる。
芸術に係る本が、想像力を肯定する文脈は、それ自体がまばゆいほど美しいものだけれど、僕は寒空の下でそのト書きのようにして生意気な一節を書き足したく思う。
――羽二重餅は想像力より先行する。
かつての人々はこの項目を必要としなかったのだろう?
だが僕たちの時代はここまで進んだのだから。
「生きてるのが愉(うれ)しいからだろうね。おれ、何でも好きだもの」
という、畑正憲氏の声が耳朶に残っている。
今になって僕もその意味が少しはわかるようになった。
かつても今も、僕はこっそり、朝起きたときから迷っている。
朝、寝床で目が覚めてまず、右を見るか左を見るか迷うのだ。
起きて右を見るのは愉(うれ)しく、起きて左を見るのも愉(うれ)しいからだ。
いつも毎朝、このどちらを先に見るか、迷っている。
また、手を伸ばすか、足を伸ばすか、それとも全身を背伸びするか、いつも迷っている。
羽二重餅は想像力より先行する。
人が人を好きになることは速すぎるのだ。また人が世界を好きになることも速すぎるのだ。
速すぎて、確認を待っていたら間に合わない。
人が人を好きになることは、即時のことで、まるで僕の気持ちや意志など入り込む余地はありえない。
心の深奥、羽二重餅が事物を「好き」と覚えるタイミングはおそろしく速い。
即時、へたすれば接触と「同時」ではないか。
もし僕が、自分の心の、時間軸上の先端に立ち続けることができたなら、心情のすべては羽二重餅の持つ唯一の覚え、「好」だけで埋め尽くされ、生涯にそれ以外のことを思う機会はないに違いない。
何を言われても「好き」であり、何を思おうとも「好き」だ。
何を言われたとかどう思ったとか、それらのすべては到底、羽二重餅の起こす「好き」の現象に追いつけない。
だから何を言われても同じで、僕が何を思おうと同じだ。羽二重餅には届かない。何も届かず、羽二重餅は「好き」。
羽二重餅は、時間軸上の先端において、唯一「好き」をしか覚えない。
音は「好き」であり、光は「好き」であり、線は「好き」、動きは「好き」だ。
認識の途中に起こる全ては、意味ありげで、でも値打ちの本質には至らない。
時間軸上の先端には「好」しかない。
それは誰の心だってそうだ。
僕はそれに触れようとしている。
ずっと初め、生まれて物心ついてからか、あるいはさらにそれ以前からか、僕はそれに触れようとしているだけだった。
結局、羽二重餅以外に、僕には生きていると思えることは存在しないらしい。
「好き」は、速いぞ〜笑え!
人は心の時間軸上、先端に立ち続けたとき、笑い続けずにはいられないだろう。
羽二重餅について話したとき、ある女性は涙ぐんで、
「そういうものが、あると思う、絶対にある」
と言った。
ある女性はまた、
「そういうものって、ずっと前にはあった気がする。どこで無くなってしまったんだろう」
と言った。
「いつからか、怖い思いをしてからかも」
と言われ、
「いつか、裏切られてからかもしれない」
とも言われた。
そのことは、わかる気がする。
わかる気がするし、叩かれると身が硬くなるのは生きものだからしょうがないことだ。
でも我々は人間だから、色んなことを自分で変えることができる。
「好き」は判断に拠らない。自動的に最初に起こっている。
「好き」はしかも、想像力にさえ拠らない。
何にもよらず、初めからすべてのものへ、接触するなり「好き」は決定されている。
(本当は、想像力のほうが羽二重餅に拠っているのだ)
この「好き」は案外、わかりづらいものじゃないよ。
「好き」なんだ。目の前に何かがあれば。あるいは目の前に誰かがいれば。
わかりづらいものではなく、胴体にドカンだ。「好き」なんだからドカンと来るに決まっている。
羽二重餅はノンキだ。時間軸上の先端、そこに立ち続けるから羽二重餅に時間は流れない。
どれだけ風が通り抜け、どれだけ季節が巡ってゆき、どれだけ時代が変遷しても、羽二重餅に時間は流れない。
羽二重餅は時間軸上の一点、ずっと「どこにも行かない」という形で薄く丁寧に引き伸ばされている。
羽二重餅は、そうして永遠に好きを言い続けるだけの、ずっとやわらかく蠢くだけ、途方もなくノンキなものだ。
そしてどこにも行かない僕が持つ、僕の唯一のやさしいものだ。
[平成二十七年ニュースリープの報道/了]