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8.「話」ではありえないことの端的な証拠
新世紀エヴァンゲリオンに「考察」を向けて愛好するファンたちは、作中に示される台詞や映像が、何かしらの話の「断片」だと前提している。
ひとつの「話」があり、そのすべてを表示はできないから、その断片だけが思わせぶりに表示されている、それがエヴァの「メッセージ」だと捉えている。それはもとの話を「読み解ける」ものだと思っているのだ。
けれどもわたしがいま唱えているところはまったく逆だ。
作中に示されているのは何らの断片でもない。
そのときごとに思いつかれたパトスの形状でしかなく、これらがひとつの命ある形に整合することなど決してない。
一体の像を地面に投げ落として、それが砕け、それが地中に埋まり、後の世に遺跡として掘り出されたなら、その断片から全体像を導き出すということを考古学者たちは為しえよう。
けれどもここで地面に投げ落とされたのは一体の像ではなく、無数の「感情的なだけの形」だ。似通ったフレーバーがこすりつけられているので、さもひとつの何かに結ばれそうに期待したくなるが、誤った見込みに過ぎない。
むしろ、すべてのシーンとカットが、そのときごとの感情的なだけの形でしかないということがこの作品の誉れであって、これらがひとつの「話」に綯い合わされると夢想することこそ「エヴァ」への冒涜となる。
一つの話・ロゴスに結ばれるのであればそれは新世紀の福音書たりえない。「話」たりえる福音書なら、もともとの福音書のままでよいではないか。
考察などせずとも、「エヴァ」がそもそも何ら「話」たりえない証拠は端的に無数に見つかる。
まずエヴァ◯号機なる機体を設計・製造しているのが誰なのか見当もつかない。三菱重工が設計・製造しているというような様子はない。
不明の誰かが造って、不明の誰かがいきなり「持ってくる」みたいな感じだ。
かといって摩訶不思議な機体でもなく、「充電」というわかりやすい動力源を持っている。
どのような電圧で、どのような電荷量を蓄電できるのかもわからない。蓄電するならバッテリーがあるはずだが、どのようなバッテリー液を内臓しているのかまったく不明だ。電力量はジュール・仕事量と同じなので、消費される電力量以上の仕事はできない。つまりエヴァ機体の最大出力はバッテリー上限まででしかありえず、搭乗者がヒステリー奇声をあげても何の関係もないことだ。
どのメーカーがどのように設計して製造したものか不明で、素材も不明だ。これを「修理」するというのはわけがわからないし、誰が修理するのかというのはさらに不明だ。
LCL溶液というのも誰が何から作っているのか不明だ。輸送手段も不明だ。そもそも地球上の工業生産が大きく破壊されたのにエヴァ周辺だけ潤沢に工業品が供給されるのはおかしい。「シン・エヴァ」においては自給自足の風景がやたらアピールされるが、郷愁を誘うオンボロ車のガソリンだけは問題なく供給があるらしい。日本の備蓄が残っているのか、それとも海外と原油の交易を続けられているのか。クラッキングをするコンビナートは残っているのか、それを輸送して小売・ガソリンスタンドに供給するシステムは残っているのか。
イエスキリストがある宴で真水をぶどう酒に変えるという奇蹟をもたらしたことのような、それ以上のことが各方面で毎日常時のこととして起こっていなければ、ネルフにあれだけの工業品は供給されえない。
不明の「結界」みたいなものをもたらす巨大な黒光りの棒が、いきなり発明されいきなり製造され、いきなり運搬され、いきなり運用されている。
そんなものが運用できるならそもそもネルフ本部をその結界で守ればよかったではないか。あの黒い棒を運んだ重機のパワーはエヴァ◯号機の機体出力などをはるかに超えているだろう。
すべてのことは、ゼーレと呼ばれている黒い板どもが段取りしているというような冗談じみた設定が押しとおっていく。その板どもが段取りをしてもかまわないが、板どもが小包の一個だって輸送できるわけではない。板どもが段取りをするにしても、板どもが使役する何かしらの業者や部隊が必要なはずだ。そしてそちらの業者や部隊のほうが実績から見てネルフより巨大なはずだ。
「パターン青、使徒です」というが、どういうシグナルでその使徒を同定しているのか不明だ。その同定装置を作った人やメーカーはさらに不明だ。シンクロ率が0%でも400%でも構わないが、そのシンクロ率を測定する原理と機材が不明だ。誰が造ったのか、誰が修理とメンテナンスをするのか。測定される数値の信頼性と誤差範囲は誰が担保しているのか。
ネルフの予算はどこから出ているのか、そもそもネルフは法人なのか、それとも官公庁なのか。法人なら代表役員は誰なのか。私設の軍隊だとしたらますます財源はどこなのか、司令官の階級は何で、オペレーターたちの階級は何なのか。ネルフの意思決定は誰がしているのか、結社の名簿はどこにあって社則はどうなっているのか。ゼーレが非開示で意思決定しているのだとするとゲンドウが業務命令を受ける根拠は何なのか。
「使徒」が襲来するが、なぜそれが「使徒」と称しうるかが不明だ。使徒なるものはまったく自己紹介をしないし政治的要求も交渉もしない。それが「使徒」なるものだとゼーレに教わったのだとして、ゼーレなる板どもがどこからそれを知ったのか不明だ。「使徒」の数は一定でそれを撃退したら敵勢力は途絶えるという情報もどこから得ているのか不明だ。
使徒が◯thインパクトをもたらしに来るとして、なぜ使徒側にその意思があるのか不明だ。仮に聖書に結び付けて「神」なるものが背後の主体としてあるにしても、それがあるのだという言葉を預かった預言者がいない。エヴァにはモーセもエリヤも出てこない。預言者の存在なしにいきなり神側の情報が湧いて出てくるというのは意味不明だ。すべてをゼーレとかいう板に押し付けるのもさすがに無理がありすぎて失笑が湧いてしまうだろう。「すべてシナリオ通りに」とすでにコンセンサスが取れているなら、何の議題もない会議を装った「板トーク」みたいなことはしなくていい。
こんなことを言いだしたらキリがない。そもそもシンジもアスカも綾波も、「パイロットはみんな十四歳ね」ということに明らかな無理がある。自動車の免許も取れないのに。
まして、人類存亡の危機が掛かっているのに、その十四歳のパイロットたちをのんびり中学校に通わせているなどありえないことだ。消防署に詰めている消防官たちだってもっと危機感がある。スクランブル発進のときパイロットたちが「いま、学校に行っています!」「しかも彼らは徒歩通学です!」なんて馬鹿げたことがあっていいわけがない。プラグスーツもエントリープラグも誰が造っているのかわからない。ネルフの規模に比べてあきらかに従業員が少なすぎる。
このように、「エヴァ」はSFでも何でもないのだ。かといってファンタジーとしての原理も持っていない。
だからこれは「話」ではないのだ。
本当に「感情」しかない何かであって、「感情」のために絵が動き、それにさまざまな用語やセリフが「フレーバー」として焚きこまれるというだけだ。
もちろん本当には、これが「話」として破綻しているということに気づかないような作り手はいない。いくらなんでも露骨すぎて、この破綻に気づかないのではさすがに単純に知的障害のたぐいだ。
だから、気づいていながらやっているのであり、さらにはわざとやっているのだ。
わざとやっている、つまり、初めから「話」とは違う何かをやっているということ。
本当に初めから「感情」だけをやっているのだ。
すべて碇シンジに見せかけた感情の具材でしかない。
いい感じに感情が高まり、挫折蓄積してその圧力を上げていくのなら、何でもかまわない。両足がとつぜんイモムシになっても構わないし、とつぜん舞台がそろばん教室になっておばさんにディープキスされるのでもかまわない。死海の塩水を飲んでとつぜん背中に十二枚の羽が生えて「約束のときが来た」と言って父親を酵素分解してもいい。「マグダラ・サーペントが制御を受け付けません!」と大声を出しておけばいい。
「話」が無いのだから何でもいいのだ。話が無い以上、その話から逸脱するということもないし、その話が壊れるということもない。
ただし実際には、そこに作り手側のフレーバーへのこだわり、蓄積されるフラストレーション感情の種類へのこだわりが強烈にあるので、その「こだわり」において、当作群は話ではないまま一定のまとまりを皮肉にも得ることになる。
その「こだわり」はどのような基準になっているだろうか、そのことについて次に述べる。
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