出会いのコラム









ルナさんに、会ってきた!



五月、ゴールデンウィークの終わりかけ。当日は、あいにくの雨天だった。
ルナさんは大阪在住だ。僕は、大阪の実家に帰省するタイミングとすり合わせて、待ち合わせ日時を決めた。

僕は待ち合わせをかっこよくアレンジする才能がないので、待ち合わせ場所は大阪難波のロケット広場にした。東京で言えばハチ公前みたいなもので、わかりやすくてダサい、待ち合わせのメッカだ。

「九折さんですか?」

僕は、ロケット広場で、ルナさんにそう声をかけられた。
僕は、彼女をはじめてみたとき、驚いた。彼女からもらったメールの文体から、二十代後半ぐらいだろうと思っていたのだが、彼女はもっと若かった。

僕の目の前に立っていたルナさんは、21歳の、大学生だった。


ルナさんは、このサイトに、二番目に書き込みを残してくれた人だ。
そして、ルナさんに、実際に会って下さいと申し出たのは、もちろん僕のほうだ。

「こういうサイトを立ち上げたからには、とにかく実際に人と会って見なくては始まらない。そして、そのためには初めが肝心だ」

という僕の口車に乗って、ルナさんは快く、僕と会うことを了承してくれた。

僕は、インターネットを起点にして人と出会うのはこれが初めてだった。顔もわからない、声もわからないという、この見えない相手との出会いは、なんとも不安で楽しいものだということを発見した。わくわくする感覚と、不安。この性質から、「待ち合わせの約束をして当日すっぽかす人」がたくさんいるんじゃないかなと思う。

ルナさんは小柄なほうで、身長は僕の肩ぐらいまでしかない。あまり着飾ったところはなく、まず奇抜なところのない、普通の女の子だった。

僕とルナさんは、はじめまして、と、なんとなく腑に落ちない挨拶をして、歩き出した。

「思ったより、若い人だった」。僕はまず第一印象をそう述べたが、それはルナさんも同様だった。文体から推測して、僕のことを、30歳を超えていると思っていたらしく、そう言ってルナさんは笑った。仲良くしましょうね、というメッセージがよく伝わる、笑顔だった。
それは嬉しいけれど、僕は自分の文章が老けているというコメントがショックだった。外見は老けていようがどうでもいいが、文章が老けていてはだめだ。なんとかしよう。僕はまだ27歳のおじさんなのだ。

歩きながらルナさんは、穏やかに言った。

「九折さんに、興味があったんですよね」

それが僕にとって、ルナさんという人間を、初めて感じた言葉だった。誰だって人に興味を持つが、それがアクションにつながるとはかぎらない。また、それを口に出して意思を表明する勇気のある人はあまりいない。

それを、実際にアクションし、言ってのけるのが、ルナさんの個性だろう。意思が強く、自分を律することのできる心を持っている人だった。

僕は歩きながら、そう考えた。また、「興味がある」、とはっきり言われることは、嬉しいものなんだということを知ったのだった。



僕たちは、「北極星」という店に入った。オムライス発祥の店、という、日本に100軒ほどもありそうな怪しいふれこみの店だったが、どうやらまともな店だった。古い日本家屋をそのまま店に使用しており、客は畳の上でオムライスをオーダーする。なかなか趣がある。4000円も出して伊勢海老オムライスを食べる人はいないだろうけど。

僕とルナさんは、あぐらをかいて、チキンオムライスを待っていた。
僕はあらためて、ルナさんを観察した。ジョシダイセイにはめずらしく、髪は染色も脱色もしておらず、黒髪だ。声とか仕草とか、それらの印象を一言でいうなら、表面に見える育ちの良さ、芯にある気っ風の良さ、というところだろうか。

そんなことを話していると、

「いいお母さんになりそう、ってよく言われます」

と彼女は笑っていった。彼女の笑いは屈託がなく、また普段からよく笑っている人の顔だった。

「いいお母さんになりそう、か」

僕は一拍おいて、やむをえず同意してしまった。
彼女は、自分をネタにして笑いにしていくことに慣れていたから、なにか違うことを言って意表をついてやろうと思ったのだけれども、いいアイディアがでなかったのだ。

僕たちは、そんなこんなでムダ話をしていたが、その間、気まずい沈黙に陥ることはほとんどなかった。それは僕の器量によるものではなくて、彼女の善意によるものだった。
彼女は自分からも話をふってきてくれて、またそれはタイミングがよかった。そして、僕のしょうもない話を、熱心に聞いてくれた。余計なことを考えず、相手に気持ちよくいてもらおうとする、彼女は善意の人だった。

その善意の表れとして、彼女は、ボランティア活動をしていた。

「わたしは、あなたが、すきです」

と、彼女は手話の一例を教えてくれた。それは残念ながら僕に向けられたものではなくて、単なる手話のサンプルだったけど。
彼女は奉仕活動のいくつかについて話をしてくれた。介護関係や、教育関係など、活動はさまざまだ。

彼女は、まちがいなく善悪のうち善に属する人であって、タフと繊細でいえばタフのほうだった。彼女は、いいところの大学の学生であったが、それは納得のいくことだった。

「受験勉強した、ってはっきり言えるほど、してなかったと思うんですけどね」

ルナさん本人はそう言っているが、それは、日常的に勉強することが、勤勉でタフである彼女にとって大した負荷ではなかった、ということだろう。受験生なんだから勉強する、そういう当たり前のことを当たり前として、無駄に考え込まない強さが、彼女にはある。

彼女は現在、就職活動中とのことだったが、その活動においてもしり込みするところはないらしく、混ざり気のない熱意にあふれていた。彼女の勤勉さとタフさを認めた会社が、彼女を採用するだろう。考え込まない、という点が裏目に出ることもあるかもしれないが。

そんな彼女と話をしているのは、それだけですがすがしいものだったが、彼女にも悩みはあるらしい。

「色気が、無いんですよね」

きっと怒られてしまうけど、その点は僕もよく分かった。色気なんて、無数にある人間の魅力のうちの一要素にすぎないけど、21歳の乙女にとって、無視できる要素ではないだろう。

男勝り、って感じするもんね。それでオトコともすぐ友達になっちゃって、恋愛にならないって流れになりそう。僕がそう言うと、彼女は笑って、そのとおりなんですよ、といった。

「あたしなんか、誰か相手にしてくれるのかな」

と彼女は冗談めかして言っていたが、僕はそんな心配はまったくしていない。色気の無い人には、「本当に無い人」と「あるけど見せない人、見えない人」がいて、彼女は後者だったから。

僕は、ルナさんは胸が大きいから大丈夫ですよ、それを駆使すれば、と、頭の悪いコメントをした。ルナさんは笑ってくれた。僕としては、僕はあなたのカラダもちゃっかり見ているんですよ、と伝えたかったわけだけども。

僕は最終的に、彼女からバストのサイズを聞きだしたけれども、それはさすがにここに公表できない。ただ、僕を含めた哲学の無いオスどもにとって、憧れのサイズであった、とだけ言っておこう。


午後一時を過ぎると、雨が止んだ。
僕たちは電車に乗って神戸に行った。僕は大阪生まれだが、大学が神戸だったので、遊ぶなら神戸のほうが詳しい。
神戸は、デートに向いた土地だ。街と海と山がコンパクトにまとめられているので、山の空気を吸った後、カラオケに行って、夜の潮騒を聴きに行く、なんてことができる。

僕とルナさんは、元町にケーキを食べにいった。商店街から一歩脇道にそれたところにあるパティスリーで、僕たちはチョコレートケーキを食べた。
表面をコーティングするチョコレートがツヤツヤと光るケーキで、これはテンパリングという技術なのだが、この技術において僕はこの元町のケーキ屋の上をいくところを知らない。キルシュかフランボワーズかは忘れたけど、お酒の香りも十分に生きていた。
ちなみに僕は、個人的に、素人が作れないケーキを出す店のみ、パティスリーと呼んでいるのだ。

ルナさんは21歳の女の子らしく、甘いものが好きだった。チョコレートケーキを食べているルナさんは、幸せそうに頬が緩んでいた。
僕は改めて、女性は甘いものが好きだ、という一般論の信憑性を確認した。好きといっても、男が甘いものが好きというのとはレベルが違う。女性にとってそれは人生のなかの大きな喜びの一つであって、単においしいと感じるとか、そういう次元をはるかに超えたものなのだ。
だから、「おいしいケーキ屋、甘味処を知っていること」も、女性をデートに誘う男の資格の一つだと、僕たち凡人の男は知っておいたほうがいい。

僕はふと思いついて、幸せそうなルナさんに、お酒は飲めるの、と聞いた。

「お酒、好きですよ」

飲めるの、と聞いて、好きですよ、と返ってくるのが、いかにもルナさんらしいところだ。話を前向きに進めるのが、上手なのだ。

僕は、どうもルナさんが酒豪っぽく見えてならなかったので、問いただしてみると、ルナさんは、

「うーん、どうでしょう。確かにいつも、介抱されるより、介抱する側ですね。友達の部屋にいって飲み会とかすると、気づいたらみんな酔いつぶれているから、それをフォローしてます。」

と笑っていった。どうでしょうもこうでしょうもなく、やはり彼女は酒豪だった。

酔わない女性は、口説きにくいんだよな。僕がそういうと、ルナさんも、

「口説かれないんですよ。男の子がつぶれているのを介抱するたびに、『逆だろ!』って思うんですけどね」

と笑っていた。笑っていたが、そろそろ僕は彼女が少し気の毒に思えてきた。
彼女は明るく前向きで、物事に熱心な人だ。そしてたくさんの魅力的な部分を持っているのに、周りの男がだらしないがために、姉御役になってしまっている。損な役回りだ。

僕は、冗談めかして笑う彼女が、本当はすごく女の子らしく、切実に、恋に憧れていることを感じていた。だから僕は、彼女を甘えさせることのできるタフな男が現れることを祈りたい。その男は、彼女の芯の強さと矛盾して存在する彼女の弱さを察することができて、かつ、パワフルで優秀な彼女から、尊敬を勝ち得る人でなくてはならないだろう。

ケーキに満足した僕たちは、街を歩いて、ゲームセンターに入ったり、大道芸人を見たりして、楽しんだ。ルナさんは、ひとつひとつに、はしゃいでくれた。お化け屋敷に入ったとき、怖い怖いといいながら、先陣をきっていったのが面白かった。



中華料理のバイキングで、お互いに夕食を過剰に食べた後、僕はカードを取り出した。クレジットカードではなく、プレイングカードだ。日本でトランプと呼ばれているものだ。

余談だが、「トランプ」とは、カードゲームにおける「切り札」の意味であって、その用具そのものを指すのではない。だから、その用具は正しくはPlaying cards と呼ぶ。昔々に日本にカードが入ってきた時、カードゲームをしている風景を見ていた誰かが、トランプという言葉を聞いて、勘違いしたのだろう。「カンガルー」が、実はアボリジニの言葉で「知らない」という意味だった、というのと同じようなものだ。

僕はルナさんに、手品を見せることにした。幸い、周りにあまり人もいない。

まず、カードをさばいてみせた。スプリング、リボンスプレッド、カスケード、ウォーターフォールシャッフル、プレッシャーファン。
その後ルナさんは、一枚のカードを選び、記憶する。僕はそのカードを混ぜ込んでシャッフルする。つづいて、一枚の無関係なカード、ダイヤのQを、ルナさんの手の中に置く。そして、僕が魔法をかけると、その手の中のカードは、ルナさんが記憶したカードになっているのだ。

カード、コイン、その他を含め、僕は手品をいくつか披露した。僕としては、お酒を飲みに行く時間までの暇つぶしのつもりだったが、ルナさんはこの日一番の興奮を示してくれた。
感想は、すごい、すごい、だけだったが、僕としてはそれが一番嬉しい。
逆に、タネを必死になって考える人には、僕はあまり手品を見せたくない。それはマジックを見る人の態度ではなく、トリックを見る人の態度だから。
僕に言わせれば、それは映画を見ながら、撮影の方法についてあれこれ推測しているのと同じような、味気の無い態度なんだけど。
ルナさんのように素直な人なら、また別のネタを見てもらいたい、と思う。ルナさんはきっとその素直さで、いろんな人に、また会いたいな、と思わせているに違いない。僕も見習わなくてはならない。

手品を終えた僕は、ルナさんが興奮冷めやらぬ様子を、しばらく楽しんだ。まだ夜になりきらず、空には宵の明星だけが出ていた。

「あたしも、こういうのできるようになりたいな」

ルナさんはそう言って、遠くを見るような目をして、テーブルに置かれたコインを、指先でもてあそんだ。
こういうの、とは、手品そのものを指すのではない。自分の武器になるもの、人に誇れるもの、自分を表現できるもの、そういうもののすべてを指して、そう言ったのだ。

彼女は21歳だ。これから自分の人生を作り上げていくんだ、という、その情熱が、彼女にはあった。
そして同時に、怠惰に生きれば、本当に怠惰にふさわしい自分が育ってしまうであろうことを予感して、不安も感じているようだった。

しみじみとしているルナさんをみて、僕は柄にも無く真面目な気持ちになって、

「なにかモノにするためには、出会わなきゃだめですよ」

と言った。今僕が、ルナさんに手品を見せたことで、ルナさんはささやかに、コインを手に取ったのだ。たとえそれが、もてあそぶだけであっても。
テレビでやっている手品をみて、ハトを買ってくる人はいない。物事の始まりは、すべて自分の目の前にいる人から伝えられたことによって始まる。それが好きか嫌いか、また続くか続かないかというのは、その後に見えてくることだ。

興奮が一段落すると、お決まりのこととして、ルナさんは僕に、タネの開示を迫った。僕は、手品のタネはベッドの上でしか教えない、という僕の主義を説明した。ルナさんはもちろん迷うことなく、タネのことを諦めたのだった。

そうこうしているうちに、夜が来た。夜には、お酒を飲まなくてはいけない。

コラムの中に、モルトの話を書いてしまった以上、飲みに行くならモルトを飲みに行かねばなるまい。僕は銀座のバーテンダーN氏に電話をかけ、三宮のモルト屋の心当たりを聞いた。

N氏は、Main maltというバーを強く勧めた。僕もその名前は聞いたことがあったし、財布の中を調べてみると、誰かにもらった、Main maltのショップカードが入っていた。

東急ハンズから歩いて2分ぐらい、僕とルナさんは、Main maltに入った。カウンターとテーブルをあわせて、せいぜい12、3席ぐらいだろうか。棚にはボトラーズのカスク物が並び、カウンターには、飄々としたしゃべり口調に味がある、Gさんというマスターがいた。
僕は、N氏から紹介されたことや、僕が普段行きつけにしている店の話をした。Gさんは、きょうは、こんな店にきてしまって気の毒に、と関西ならではのジョークをいい、N氏にもO氏にも宜しく伝えてください、と僕に伝言を託した。
バーの人間というのは、なぜか連帯感が強く、健康的に仲が良いのだ。

僕は、いくつかのモルトを、ルナさんに試してもらった。60度を超えるスコッチを、わりとすんなり飲めるところが、ルナさんらしいといえばらしいところだった。

ハーフショットの何杯目かで、ルナさんは、スコッチの甘みに敏感だということがわかった。
僕は、甘みが強いモルトを、いくつか思い出してみた。
その中で、最高のものといえば、グレンモーレンジの出している、バトル・オブ・カロデンという銘柄だった。ワイン樽で熟成した変り種で、最近評判の悪いグレンモーレンジが、めずらしく本気で作った酒だ。

とはいえ、値段が値段なので、まず普通のバーには置いていない。僕は、だめもとでマスターに、バトル・オブ・カロデンをオーダーした。スコットランドで、かつてカロデンの戦いという戦争があり、その戦争跡地からモーレンジのボトルが発掘された。その過去と歴史にささげるためにつくられたモルトだ。

しかしMain maltもなかなかあなどれない。バトル・オブ・カロデンは、あっさり僕たちの目の前に現れた。「おいしいんだけど、値段が値段だから、気軽にオススメできないんですよね」、というのはGさんの談だ。シングル一杯4000円。ただし、普通のバーで飲めば、6000円ぐらいは覚悟すべきなのだから、Main maltは素晴らしいサービスをしていると言えよう。加えて、Gさんは、注ぐ酒の量が過剰だ。シングルで頼むと、きっちりダブルで出てくる。僕が、入れすぎですよ、というと、ついつい入れすぎるんですよ、とGさんは笑っていた。

ルナさんは、バトル・オブ・カロデンを、おいしい、すごくおいしい、本当においしい、と言いながら、惜しむように飲んだ。そう言ってもらえれば、満足だ。
本当においしいものを口にした時、プロでなければ、首をかしげて「おいしい」と連呼するしかなくなるものだ。僕は今まで、ゴードンマクフェイルの1950年のマッカランを飲んだとき、富山の氷見漁港で冬の甘エビを食べたとき、ガンジス川のほとりで日の出を見ながらタバコを吸ったとき、腹の底から、おいしい、という言葉が繰り返し出てきたことを覚えている。

だから僕は、一時期ブームになったワイン会とかで、即席にワイン通ぶる人などが好きじゃない。ソムリエのデキャンタージュをまじまじと真剣に見つめる姿は、まるで爆発物処理班のように重苦しいし、飲んでから開口一番、渋みがどう、酸味がどうと、講釈ばかりだ。それでいて、ブルゴーニュのワインをボルドーグラスに注いでいたりする。

ルナさんの、おいしい、という言葉は、もっと素直で、実感のこもったものだった。ルナさんはこの日、生まれて初めて、おいしいと連呼できるお酒に出会い、スコッチとはこんなにおいしいものなのだということを知るという、貴重な経験をした。
人間は、人生において、心から絶賛できるものに、どれだけ出会えるのだろう。それがわずかチューリップグラス一杯のスコッチというささやかなものであったとしても、とても貴重なものだと僕は思う。
僕は、それをルナさんにアレンジできた自分に対して、たまにはいいこともするではないか、と、大いに満足した。

ルナさんは、きょう一日に満足を感じてくれたのか、よりリラックスした声で、

「やっぱり、こうして、連れてきてもらうのって、嬉しいものなんですねえ」

と、もらすように言った。それは、彼女が初めて聞かせてくれた、色気のある言葉だった。

女性から見て、いいお店につれていかれて、雰囲気に酔って、相手に好意を覚えてしまうというのは、だらしなく、恋としては安物の部類だろう。恋をするのは、あくまで相手の個性、人格に対してであって、環境は無関係であるべきだ。

でも、理屈はそうであっても、現実はそうじゃない。ムードに流される、ということは、確かにある。お相手がダサい男であっても、お金をつぎ込まれ、お姫様扱いされれば、クラッといってしまうことが確かにあるのだ。それは、理性的でない、オンナゴコロというやつなのだろう。

意思が強く、明るく前向きで善意の人であるルナさんにとっては、雰囲気に酔うなんてオンナゴコロは、普段体験しない感覚だったかもしれない。そのルナさんが、自分を律することからはみ出して、オンナゴコロを感じちゃいました、とこぼしてくれることは、とても色気のあることだった。

ルナさんは、良かれ悪しかれ、立派な人だと僕は思う。でも、立派であれば素敵か、といえば、そんなに単純なものではない。
僕は、立派なルナさんが、だらしないルナさん、オンナゴコロを感じてしまうルナさんを、うまく自分の中に取り入れられるようになればいいな、と思った。
まったく、大きなお世話なんだけども。

バトル・オブ・カロデンをおかわりするルナさんを見ながら、この時間が、今日のクライマックスだろうな、と僕は感じた。
今日はどんな一日だっただろうか。そうだな、僕がしゃあしゃあと締めくくるなら、こんなところだろう。
ルナさんが、ちょっとだらしなくなって、ちょっと色気づいた一日。
僕は独断で、今日はそういう一日だった、と心の中で結論づけたのだった。


僕たちは、Main maltを出て、ビリヤードをしにいった。いい店でいい酒を飲んだルナさんは、ごきげんだった。女性がごきげんになっている姿をみると、僕はなぜか、男に生まれてよかった、といつも思う。
ルナさんには、ぜひ、友達に自慢話をしてほしい。すごくオシャレなバーにいって、すごくおいしいスコッチを飲んだ、という自慢話を。
できれば、すごくステキな男性と一緒に、と、ささやかなウソを付け加えて。





出会いのコラムへ戻る
出会いと恋愛のtopへ戻る