出会いのコラム









出会いを待っているうちに、人生がスカスカになる





人生が充実するとき、必ず誰かに出会っている。
だから、出会いが無いと、人生はスカスカになる。


銀座は、世界で一番スコッチが飲める街である。スコットランド現地のバーよりも品揃えの良いバーがいくつもある。

僕はスコッチが好きで、コリドー街から一本外れた通りにあるバーによく行く。この店は、目立たないが、この業界では有名なO氏というバーテンダーがいて、秘蔵のストックを、オークションに出さず、仕入れ値ベースでおしげもなく客に提供している。それだけに、著名なウィスキーの評論家もくるし、スコットランドの蒸留所の工場長が来たりもする。そして、それにもましてこの店に通う最大の理由は、何よりこのO氏のお人柄である。O氏に会うたびに、人間が練れるというのはこういうことか、と、モルトの香りの染み付いた空間の中でしみじみ思うのだ。僕の中で、O氏と、モルトの熟成と、人間の熟成が連想のスキームとして固着してしまっているので、、今この瞬間も、O氏の顔、50歳には到底見えない若々しいあの顔を思い出すだけで、Rosebankの香りが鼻先をかすめたような錯覚すらしてしまう。スコッチというものは、まともなものであれば、まずシングル一杯\1,500ぐらいは最低でもするものだ。それでも、すばらしい人とすばらしい酒を飲めることを考えれば、全く高いとは思わない。

意中の女性と、あるいは友人と、一緒にバーにいくこともある。連れが女性であって、酒に詳しくなく、また酒に強くもない場合であっても、半ば強制的に、グレードの高いモルトを勧め、ニートで(ストレートで)飲ませてみる。グレードの低いもののほうが雑味が多く飲みにくいのは当然だし、何より、まず初めにいいものを飲まなければ、モルトが好きかどうかなど判断のしようもないからだ。熟成のレベルが高いと、アルコール度数が50度を超えていても、滑らかに喉を通り過ぎて、ニートゆえの強烈な香気を口中といわず頭蓋骨全体に残してゆく。さらにその香りが、バニラになったり糖蜜になったりフローラルになったりと変化を起こす。それ楽しむため、数秒間、ただ静かに呼吸する。そのうちに集中力が高まり、日常の有象無象を忘れ去る。それがスコッチの楽しみ方だ。せっかく一緒に来たからには、それを楽しんでもらいたい。結果、会計がお高くつきすぎても、僕がしばらく昼食をコンビニ弁当にすれば済むことだ。それにより、その女性の世界が広がり、お互いの人間関係が深まるならば、安いものだ。

バーにいく、モルトを飲む。そういう話をすると、よく友人に羨ましがられる。どうやら、独りで堂々とバーに入れるようになること、行きつけの隠れ家的バーで女性をエスコートすることに、憧れている人は多いらしいのだ。中には、書籍から勉強し、デートのクライマックスでエイヤっとおしゃれなバーに飛び込んだ友人の話も聞いた。メニューも出てこず、知ったかぶりをするチャンスもなく轟沈したということらしいが・・・。

さて、僕がどうしてモルトを楽しむようになり、バーライフ(ダサい言い方だ)を嗜むようになったか、その理由をたどっていくと、神戸夙川のバーテンダーC氏との出会いに行き着く。学生だった当時、バーに入っても、モスコミュールとサントリーのウイスキーをオーダーすることしか知らなかった僕に、C氏が、学割価格で、UDのPort ellen 23yearsを飲ませてくれたことが、僕のモルト飲み生活の起点である。夙川に友人の自宅があり、友人に連れられてそのバーに入った。C氏は、貧乏そうな我々を、快く迎えてくれた。気さくで粋な、口ひげのよく似合う人で、力強い笑顔を持つ人だった。その笑顔を見るだけで、人を受け入れられる心の広さと深さが人並みはずれている、ということがわかる、そういう人だった。若さに似合わぬダンディさを持ち、酒が良く似合うその人を、僕は格好いいと思った。
僕はC氏に、ウイスキーが好きなので、ウイスキーのことを教えてください、といった。C氏は、僕を見つめたまま、遠い目をして、一拍おいたのち、「僕が勧めると、まずPort ellenになっちゃうな」と笑って、奥の棚から、見たこともない黒い瓶を取り出してきた。C氏が遠い目をした理由が、今なら僕もわかる。僕も、後輩に、スコッチを教えてくださいと真剣にいわれたことがあるが、そのときは、昔、自分も同じこと言ったよな、お金かかる上に胃を悪くするし、色んな感動に出会ってしまって混乱するんだぞ、と思ったものだ。C氏は、学割価格だといって、毎回、僕と僕の連れに大盤振る舞いをしてくれた。僕は、C氏に足を向けて寝られない。

C氏との出会いを起点とし、モルトを飲むようになった。東京に出てきたときは、飛び込みでバーに入れるだけの知識は身についていたので、足でモルト屋を探し回り、最終的に銀座に落ち着いた。そのような過程で、ごく自然に、モルト飲みになっていってしまったと思う。
そこそこの年齢になり、好きなもの、造詣が深いものがないというのは、寂しいものである。何が好き、何が趣味と聞かれて、大して読まない読書とたいして聴かない音楽鑑賞としか答えられなかったとしたら、自分の人生がスカスカであるような気がしてしまう。せっかく歳をとっていくのだから、物事の楽しみ方も洗練されていくようでありたいと、誰しも思うだろう。僕は、モルトが自分の人生に艶を与えてくれていることが嬉しい。この世界に案内してくれたC氏に感謝する。あの時、教えてください、と言った自分も評価したい。あの時、席に座ってただ待っていたら、人間関係は何も起こらなかっただろう。その出会いは、無かったのと同じだからだ。

どういうきっかけで、趣味が深化してゆくか。キザないい方をすれば、自分の世界が充実していくか。
自分の世界が充実してゆくときのルール、それはあらゆるジャンルで共通だ。
すなわち、人と出会うことだ。

僕は、趣味として手品をする。一時期それでお金を稼いでいたこともあったので、習得した技術については、プロに見劣りしない自信がある。ジャンルの広さという点では、プロに到底勝てないが。僕はサラリーマンをしていたとき、部長に連れられて六本木のお高いクラブによく行った。その店は、某党の党首である国会議員がくるような店で、当然、一見さんの入店などできない。女性陣の華やかさも、そこいらのキャバクラとはまったく別のものだった。僕はよくそこで、部長のリクエストを受け、カードの手品をやった。安くない人たちの注目をいっせいに浴びるので、緊張感のある空間だったが、臆することはまったく無かった。こういう場でダサくないショーをきっちりやること、それが手品師としての楽しみでありプライドであると思っていたし、それを部長が信頼してくれいたからこそ、僕みたいな若造を連れて行ってくれたのである。

さて、この手品という趣味が垢抜けるまでに至った経緯をたどってみても、やはり人との出会いが思い出される。コイン一枚を手に持ち、消す。これをバニッシュというが、この完成したバニッシュの高等技法の一つを、目の前で見せつけてくれた、師匠と呼ぶべき人がいる。そのときの、師匠が演出する奇跡にショックを受けるという体験があり、その人に憧れる自分がおり、その人から教えてもらうこと、その物語と人間関係によって、コイン一枚の扱い方にすら、気を入れて練習、鏡の前で四時間も五時間も独りで黙々と、練習するようになってしまったのである。因みに僕は、このバニッシュの技法一つを身につけるまで、約二年かかった。

逆の例もある。僕はドラムを叩けるようになろうとチャレンジしたが、これはモノになっていない。機材を買い、練習し、レッスンに通い、初級として基本の形を叩けるようにはなったが、ドラムをプレイする醍醐味にはほど遠いまま、興味の賞味期限が切れた。この経緯をたどってみると、やはり、然るべき人との出会いが思い出されない。練習の向かう先に人がいなければ、ドラムを叩いていても、それはまるで何かのパルスの訓練のような、寒々しいものになってしまうのだ。そんなものが続くわけがない。師匠と出会わなければ、向上心は空転するのだ。

人と出会うことが、人生すべてのきっかけだ。人と出会ったとき、憧れが生まれる。あらたな人間関係に対する高揚感があり、それらが動機や推進力となって、ふわふわしていた好奇心は、骨太な興味となる。これを、後で振り返って、きっかけと呼ぶのだ。このきっかけが、その人の人生を、よりその人らしいものに醸成していく。

僕は、これから自分がどのような人に出会えるのか、とても楽しみだ。出会いは、待っていて転がり込んでくるものではないだろうから、貪欲に求めていくように心がけようと思っている。生来横着な僕ではあるが、そこだけは努力しよう。






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