恋愛偏差値アップのコラム









恋愛の知性 ■恋愛は個人のもの■







少し、ダイヤモンドの話をしたいと思います。あなたが今恋愛をしている、あるいはこれから恋愛をするとして、その恋愛がダイヤモンドのようなものならいいなあ、というイメージを重ねてです。

ダイヤモンドは世界一硬い結晶です。それは皆さん、聞いたことがあると思います。ではその世界一硬い結晶を、かなづちで殴ったらどうなるでしょう。ちょっと想像してみてください。お母さんの指輪を、コンクリの地面の上において、ハンマーでごつんとやるのです。

「ハンマーのほうがへこむ」と思いますか?そのように思っても、是非実行はやめてください。ダイヤモンドは粉々になってしまいます。硬いといっても頑丈というわけではないのです。ダイヤモンドは引っ掻き強度においては比類なく硬いですが、展延性が全く無く、その意味においては脆いものなのです。

ダイヤモンドは炭素の結晶だから、火をつけると二酸化炭素になってしまう、と聞いたことがある人もいるかもしれません。では、お母さんの指輪を、ライターであぶったらどうなるか。「ダイヤは煙を上げて気化してしまう」でしょうか。これも、そんなことはありません。せいぜい、表面が白くなってにごるぐらいのものです(もちろん価値がなくなりますのでやらないでください)。これは簡単に言うと、確かにダイヤモンドは炭素の結晶ですが、その結晶の構造(理想的な共有結合)が強すぎて、ライターの火であぶったぐらいでは、その構造を破壊して二酸化炭素にすることはできないのです。

そもそも、ダイヤモンドは価値のあるものなのでしょうか。それも、疑わしいといわなくてはなりません。現在ダイヤモンドの採掘量の大半を抑えているデビアス社が、徹底的に価格操作をしています。採掘量が多すぎたりする場合、それを買い上げては海に捨てるなどといったこともしているようです。「ダイヤモンドは永遠の輝き」「エンゲージリングは給料三か月分」というのも、かのデビアス社が作ったキャッチコピーです。ダイヤモンドの価値がどのようなものなのか、本当に稀少なものなのか、そのような視点で考えると怪しくなってきてしまいます。

さて僕たちは、ダイヤモンド一つにして、このように知っているようで知らないわけでもあります。であれば、これと重ねうるイメージ、恋愛についても、ひょっとして知っているようで知らないということがありうるのではないでしょうか。僕はそのように考えて、ここで恋愛の知性というタイトルで書いてみることにしました。これはテーマとして、「僕たちは恋愛をどのように理解し捉えるべきか」というものになっていくと思います。またそれは、僕自身、このあたりが整っていないと、いくら努力しても空回り、異性にモテることもなければ、想いの彼とラブラブになるとことなど到底おぼつかない、と思うからです。

というわけで、前置きがいささか長くなりました。「恋愛をどのように理解し捉えるべきか」。僕はこの点についてまず、「恋愛は個人のもの」ということを言いたいと思います。僕としてこのことも、案外知っているようで知らない、という類のものだと思うわけでもありますが。

例えば、次のような問いかけがあります。

「彼が浮気をしているようなんですが、どうすればいいでしょうか」

それについて、このように答える人がいます。

「さっさと別れなさい。あなたが損をするだけです。もっと別のいい男を見つけましょう」

このような答え方について、僕としては、ちょっと待った、と言いたいわけです。恋愛とか浮気とか、それはものすごく個人的なことだから、個性と状況によってケース・バイ・ケースじゃないのか、と僕は思うのです。そして、そのように考えることこそが、まっとうな恋愛の知性だとも思うわけです。

浮気といっても、色んなものがあります。映画「タイタニック」に出てきたジャックとローズの恋、あれもローズにフィアンセ(ホックリー)がいるからには、浮気・不倫と言って差し支えないわけです。中には、「あれはフィアンセとの愛がニセモノだったから例外」と言う人もいるかもしれませんが、例外を作ってしまったら結局はケース・バイ・ケースということになります。また逆に、「浮気も恋のうちだからどんどんしなさい」と言う人がいるかもしれませんが、浮気といっても、確かに目も当てられないみっともない浮気、見苦しい浮気もあります。いい年をしたおじさんが、キャバクラ嬢に入れこんで、浮気の挙句に借金を作っていた、というような場合です。これも「どんどんしなさい」というわけにはいかないですから、やはりケース・バイ・ケースということになります。

ここで浮気という話一つをとっても、あまりにも千差万別すぎるということがわかると思います。彼が浮気をしたとして、彼が40歳手前の市役所職員というのと、17歳のミュージシャンというのでは、まったく話は別物になってきます。それらをまったく考えることなく、「浮気=悪、別れなさい」「浮気はむしろどんどんしなさい」と言う人は、恋愛の知性が劣化している、考えることを放棄しているというように、僕などには思われるわけです。もし、「恋愛六法と判例集」などといったものがあればそれでいいのかもしれませんが、残念ながらそのようなものは存在しないのですから・・・。

さらに具体的な話をしましょう。僕が目の前で見た、恋人のワンシーンです。僕は同期の男友達と、いわゆる合コンに出ていました。その僕の友人である彼は、まったくもってけしからん奴で、恋人を選ぶ基準は、「どれだけパイズリが上手いか」だと公言するような奴です。またその日も、胸の大きい女性をターゲットにしていました。彼はそれでいて、彼女がいるということについては隠そうとしません。彼は、彼女がいるからどうとかそんなことはどうでもいい、ただ人生において一番大事な時間はいつだって今という時間しかないだろう、というような勢いで(彼はいつでもそういう奴なのですが)、エロ話を含めて、大いにはしゃぎ、また女性陣を笑わせてもいました。

ところがです、彼は、ある一通のメールを受け取ると、やにわに僕に耳打ちして、その場を急いで立ち去ってしまいました。皆は、仕事の急用でも入ったのだろうと思ったようですが、そうではなかったのです。彼が僕に耳打ちしたのは、このようなことでした。

「彼女、また発作が出たらしいから、ちょっと行ってくるわ。すまん」

ここで彼の言った発作というのは、彼の彼女がここのところノイローゼ気味、ややうつ病気味であるらしく、夜中に一人、激しく落ち込むことがある、そのようなことを指してのことでした。彼が具体的にどのようなメールを受け取ったのかはわかりませんが、彼はそれを受け取って、逡巡のかけらも見せずにその場を去ったのです。僕たちがその時いたのは池袋、彼の彼女が住んでいるのは鎌倉でしたから、電車だけでも少なくとも片道一時間以上、なんだかんだで片道二時間は覚悟しなくてはなりません。時間も時間でしたから、電車で鎌倉までたどり着けるかどうか、それも微妙なところでした。翌日も仕事でしたから、翌朝の出勤も朝早く大変になるでしょう。僕はひとごとながら、大変だなあなどと思ったわけですが、彼はそのあたり持ち前のパワフルさで、さっさとその場を去ってしまったのでした。僕はその場で、彼がなぜ突然行ってしまったのかを皆に説明しました。すると女性陣は、彼について複雑な評価をしました。けしからぬ奴と思いつつも、なかなかやるじゃん、本気で愛してんじゃん、と思わされるところもあったからです。それは、僕としてもまったく同じでした。彼は浮気性かもしれませんが、彼女を強く愛せているのでもありました。僕としてそのような彼のことを考えると、貞操を重ねてそれを愛に摩り替えようとしてしまう、僕たちの軟弱な傾向について反省させられるところもあるわけですが・・・。

このような恋人のワンシーンを見せ付けられた後で、恋愛がどうの浮気がどうのと考えても、それはまさしくケース・バイ・ケース、個人的なもの、としてしか考えられません。そして、そのように考えることが実のところまっとうで、正しい態度なのです。僕たちは恋愛を考える上でしばしば形而上(ケイジジョウ:リクツの話)的なことに捕らわれ、このような恋愛の深みについて、考えることを放棄してしまいがちです。それは、恋愛の知性の劣化、と言わざるを得ないわけです。

あなたの場合はどうでしょうか。あなたが恋愛をしていて、あるいはこれから恋愛をするとして、そのような深みにまで思いをめぐらせて、全てはケース・バイ・ケース、個人的なものだなあと捉えられているでしょうか。そのように捉えられたとき、その恋愛は、本当にあなたの、あなた個人の恋愛となると思います。

例えばあなたが、あなたの想うあの人に告白するとして、それを口頭にするかメールにするか手書きのラブレターにするか。それもものすごく個人的なことです。あなたはものすごく綺麗な字を書けるかもしれませんし、あるいは電話口からでもどきっとさせうる透き通った声を持っているかもしれません。あるいは何も持っていないかもしれません。そのような中で、あなたがどのような選択をするか。そしてその中で、先の言葉を借りていうなら、どのようにして、「なかなかやるじゃん」と思わせることができるか。あなたが恋愛は個人のものなのだと捉えるようになるうちに、自ずとあなたはそのことを考えるようになってきます。それが本当の意味で恋愛を考えること、ということにもなってきます。

あなたが個人として恋愛に向き合うとき、失敗も出てくるでしょう。あなたが手書きのラブレターで告白した、そしたら彼がデートに誘ってきて、付き合おうという前に体を求めてきた。惚れた弱みで許したら、ずいぶん乱暴で涙が出るぐらい痛かった。家に帰ってから後悔が押し寄せてきて愕然とした。そのようなことは誰でも経験すると思います。さてそのときに、あなたはどうするべきか。初めてのデートで体を許すべからず、そのように恋愛六法に書き込むのではないのです。彼はどのような個性の持ち主だったか、はたして自分はそれを理解した上で好きになったのか、自分にとってセックスとはなんなのか、それを理解した上で体を許したのか、出来事のすべてを総じてみたとして、自分として美しいもの足りえていたか。そのようなことを、自分で見つめていかなくてはなりません。それが恋愛の知性の働きであり、それがいずれあなたを成長させていきます。それを積み重ねていくと、いずれ友人から「○○ちゃんってオトナだよね」「かっこいいよね」と言われるようになり、また自然と自分にとって素敵だと感じられる恋愛ができるようになってきます。それが恋愛の知性、それによる成長です。

恋愛は個人のもの、それだけに個性的で、ケース・バイ・ケースのもの。僕たちは案外、そのことを知っているようで知らないような気がします。だから僕たちは、恋愛を考えているつもりで、誰のものやら分からない、形而上的な恋愛をどうのこうのと語り合い、いざ自分が恋愛に直面すると無力だったりするわけです。僕として、恋愛の知性ということを考えるなら、まずこのこと、恋愛は個人のものであるということを、真っ先に理解しなくてはならないと思います。そのしっかりとした理解が、あなたの経験や失敗を、これからの成長に結び付けていく基盤になると思いますから。

恋愛は個人のものです。僕として、あなたと恋愛について話すとき、あなた自身のことについても聞かせてもらえたらうれしい、と思います。あなたという個人が、個人としてする恋愛。そういうお話は、きっと楽しいものになるだろうとも思いますので。









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