恋愛偏差値アップのコラム









彼に「選ばれる」オンナになる (前編)






ミキティが転倒してしまった。ミキティと呼ぶと失礼に当たるので安藤選手と呼ぼう。安藤選手が転倒してしまった。世界初の四回転ジャンプの挑戦は失敗に終わった。回転不足によって、四回転の失敗とさえみなされず、三回転の失敗として扱われてしまった。

水色の衣装に包まれた安藤選手の体がトリノの氷上に倒れこんだとき、僕は真剣に心臓が痛んだ。それは単なるファン意識でもないし、かわいいコだからえこひいきして応援していたのでもない。いや、まあたしかにかわいいコだから、ちょっとぐらいはそういうところもあったかもしれないが、一応僕の中で本質的には違う原因で僕はショックを受けたことになっている。

安藤選手は、その滑り出しの時点から、はっきりいって躍動感を漲らせていなかった。エッジの使い方や身体をスピンさせる筋肉、その他バランス感覚などのレベルが高いのは見て取れたが、それは単なる基礎体力と基礎技術に過ぎない。安藤選手は躍動感を失っていた。フィギュアスケートという競技において躍動感を失うというのは致命的なことなのではないだろうか。正直、演技が始まった時点から四回転ジャンプが成功する気配は感じられなかった。音楽が始まる前から、すでにいわゆる「イヤな予感」があった。

あのときの安藤選手のまとっていた雰囲気とその演技の全体は、夜中の放送をライブで観た人にしかわからないと思う。後でいくつかスポーツニュースのダイジェストを観たが、安藤選手についての枠は四回転ジャンプ失敗の瞬間の映像しか流れないのがほとんどだったからだ。僕は当然、その夜中の放送をわざわざ漫画喫茶までいって手に汗を握って観ていたのだが、確かに安藤選手の演技は改めてスポーツニュースで放映したくはない出来栄えだった。出来栄え、という言葉すら当てはまらないかもしれない。一言で言うならズタズタの演技だった。僕がその演技を観ながら感じた第一の印象は「痛々しい」という具合ですらあった。

僕は決して、安藤選手を非難しているわけではないし、安藤選手とフィギュアスケートの世界について評論しようとしているのではない。そういうことに僕はあまり詳しくない。詳しくないというか、そんなものはフィギュアスケートで実際に世界レベルに触れた人間でないとわからないことのはずだ。僕が言いたいことはもっと別にある。

四回転ジャンプに失敗したのはいい。世界最高難度の挑戦なんだから、失敗しても何の不思議も無い。ただ、あんな失敗の仕方があっていいものかと思う。

何の根拠も無く僕が信じていることだが、安藤選手には四回転ジャンプをオリンピック本番で成功させるだけの実力があったのだ。(いや、ホントに根拠はない)

実力はあったのに、何者かに足かせをつけられて飛ばせてもらえなかった。

僕は根拠なく、そう信じている……

ミキティに、あんな悲痛な、やけくそのような飛び方をさせたのは誰だ? 僕はそのことに、今も少しばかり真剣に気分を悪くしている。みんなはどう感じたのだろうか。安藤選手は試合前、失敗してもいいから四回転ジャンプに挑戦したいと言っていた。そのことに僕は当然の納得をした。挑戦したい高みがあるなら選手はそれに挑戦するべきだし、失敗するかもしれないというのは二回転だろうが三回転だろうが同じだからだ。自分としてやれると思う最高のジャンプをしたいというのが選手として当然の本能だろう。もし成績のみを最重要視してスポーツ選手としての本能を否定するなら、もう未来永劫オリンピックなんか開催するべきではない。僕たちは選手の成績に胸を打たれるのではないのだから。

僕たちはオリンピックに、選手達の本能のほとばしりを見て心を打たれる。オリンピックは、そのことの感動の祭典なのだと僕は思っているけど世間的にはどうなんだろうな。

スポーツ選手の本能のほとばしり、それが結晶するかどうかのスリルと興奮、そしてそれが成らなかったときの悔しさを四年分の重みで感じ取る選手たちの深みある表情、それらのものを僕たちはオリンピックに見る。それらの全ては爽やかで、僕たちはそれに素直に心を打たれる。だから、そこにはスポーツとしての勝ち負けの厳しさはあるけれども、感動の祭典の出演者としての優劣は無い。誰も彼も、一流の選手たちは爽やかだ。

しかしだ、実際に安藤選手が四回転にトライし、失敗したときはどうだったか。そのような爽やかさがそこにあっただろうか? 僕にはそれが感じられなかったのだ。僕はそのことが残念でならなかった。そのことに、僕は心臓を痛くしたのでもある。

安藤選手の転倒は、オリンピックにあるべき爽やかさの無い、もっとグロテスクなものだった。あの美しき姫がそのようなグロテスクさの中に倒れるのは文学的でさえあったが、僕はそんな文学は見たくなかった。トリノの氷の上、そしてフィギュアスケートの歴史の上に美しき姫として輝いてほしかったし、それが成らなかったにしても、美しくひたむきな女の子として僕たちの記憶の中に輝いてほしかった。

僕はそのことが残念でならず、今も気分が晴れないでいる。

そんなわけで、あの日以来僕はミキティにいつでも僕の胸に飛び込んできていいよとテレパシーを送っている。まだ彼女からの連絡は無いが、多分明日ぐらいにメールでも来るだろう。来なかったら携帯が壊れているに違いない。

(と、どうしてもネタに走ってしまう僕は大阪の出身です)



■人は人に作用する。高みへ持ち上げることもできるし、沈めることもできる。

人が人に作用するのは当たり前だ。人は人に殴られると痛いと感じる。愛撫されると気持ちいいと感じる。好きだよと言われるとうれしいし、大嫌いですと言われると悲しい。ありがとうと言われると気持ちが温まるし、関わらないで下さいといわれると寂しくなる。オンナは僕の前で裸になると恥ずかしいはずだか、チワワの前で裸になっても恥ずかしくないはずだ。人は人に作用する。人は人に影響を受ける。こんなこと改めて言うと僕がバカみたいだが、このことを真剣に忘れている人が実際に結構いるのだから、バカと思われるのを覚悟で言うしかない。人は人に作用するのだ。そのことを忘れた人は、脳みそに自己責任という言葉しか入っていなかったりする。

先の話の続きで、僕が安藤選手の転倒について、何の挙証もできないままに確信めいて思われている一つの推論を話そうと思う。僕の推論、推論というかある一つの仮説だけれども、その仮説においては物語は次のような背景を持っているのだ。

―――安藤選手には四回転ジャンプを成功させるだけの実力があった。しかし、それを「阻害する作用」が働いたのだ。

これは、あくまで仮説、フィクションとして聞いてもらいたい。

安藤選手はもともと、オリンピックで四回転サルコーを成功させる自信があった。自信があったから、当然それをやりたいと望んでもいた。

しかし、周りにそれを否定する者がいた。

―――失敗するんじゃない? 失敗したらどうするの? 

そのようなことを、言葉なりあるいは言外の圧力なりで安藤に訴えかけてくる者があった。その訴えかけによって、一旦安藤は四回転ジャンプをやる意欲を殺された。

その訴えかけは、メダルが全然取れなくて窮地にさらされたJOCサイドの者からの―――三回転を確実に決めて銅メダルあたりを狙えばいいじゃないか、というような具合の―――ものだったかもしれないし、遠目に見る分にも情緒が安定しているとは決して言えない安藤選手の、過激な発言なり激しい反応なりを期待した報道レポーターの者からの―――四回転を失敗したら、今回年齢制限で出場できなかった浅田真央選手にメンツが立たないですよね? というような具合の―――ものだったかもしれない。そこは推測のしようもないが、なんにせよそのような悪質な訴えかけで安藤選手は本来の選手としての本能に水を差されたのだ。汚水を差された、と言ってもいいかもしれない。

(念のため繰り返しておくが、あくまでひとつの仮説でありフィクションだ)

しかし、真剣にスポーツを打ち込んできた者にとって黄金の夢であるオリンピックの舞台、そこで選手としての本能を殺しきることは容易ではない。一旦は四回転を放棄した安藤も、すぐに葛藤に苦しむことになった。やはり四回転に挑戦したい。でも失敗したらどうしよう。失敗するかもしれない。でも成功させる自信がまったく無いわけでもない。この葛藤の中で、安藤はただでさえ年齢としての幼さにとどまらない情緒の敏感さを、さらに過剰なものにしてしまう。葛藤の内圧に意識が侵略され、練習に集中力が生まれなくなった。このままではいけないということで、安藤は決心する。決心の方向は、四回転サルコーに挑戦「する」という方向だった。

さてでは、その決定に際して、先にあった葛藤はどのように解決されたか? 葛藤を終結させるための思考の方法はどのようであったか?

このときの彼女の思考の方法が、あまりに彼女にとって不慣れな、また信じて支えにするに相応しくないものだったのではないかと、僕には思われてならないのだけれども……

「誰がなんと言おうと関係ない。もう誰に文句を言われても気にしない」


***


―――失敗してもいいし、メダルを取れなくてもいいから、四回転に挑戦します。代表に選ばれたのだから誰にも文句は言わせません。

そのようなことを、安藤選手は記者会見で言った。そのシーンについては記憶に新しい人も多いと思う。あのときの安藤選手には、モニタの中からでさえそれを感じさせるただならぬ空気が漂っていた。あのときのあの空気を、安藤選手の強固なる決意、情熱を伴ったデタミネーションと見るだろうか。僕はそう見ない。僕が見るに、あれは一晩泣きつくして泣き疲れた、疲労と悲嘆の空気だった。人は人に作用する。高みへ持ち上げることもできるし、沈めることもできる。安藤選手は、沈まされてなるものかと、人の作用を断絶したのだ。人の作用を断絶して、自分の力だけで飛ぼうとしたのである。

人の作用を断絶するということ。その意思が言語化して、「誰にも文句は言わせません」となったのではないか? もしそうだったとして、そのように「他人は関係ありません」と言う自分を、はたして安藤選手は自分自身として好きになれただろうか?

そういう自我の確立、他者と自己の峻別というやり方が身体にすんなり馴染む人もいる。しかしそれも、ある程度の年齢と経験、そして個性があってのものだろう。僕はあの発言と決意で、他ならぬ安藤選手自身が孤独と寂しさに傷ついたのではないかと思えてならない。そしてその孤独と寂しさが、彼女を氷上に打ち倒したのではないか、というようにも思えるのだ……

っと、さっきまで小説を書いていた余波でヘンに文学的な調子になってしまった。最後にもう一度繰り返すが、この話はあくまでも仮説である。もちろん、周りの者は最大限のフォローをしたけれども、安藤選手の精神は選手のマインドとしての強さに到達しなかった、ということだったのかもしれない。あるいは安藤選手には四回転ジャンプを成功させるだけの実力も自信もなく、それでもいちかばちかで金メダルを獲りに行ったということだったのかもしれない。あるいはもっと単純に、体調が悪かったというような可能性もあるだろう。まあだから、あくまで思考実験として楽しむフィクションとしておいてもらいたいところだ。(ま、どうせ真相は永遠に僕たちにはわからないんだし)

さて、なぜかミキティの話をやたらに長々としてしまった。まあアレだ、なぜか僕は、安藤選手のオリンピックが痛々しい結果に終わってしまったことに、自分でも思いがけないほどダメージを受けてしまったのだ。それがなぜなのかはまったく自分でもわからない。オレはロリコンなのだろうか、という気もしてくる。まあでも、せっかくだからこれは愛ゆえのことだということにしておこう。愛する人が転倒したのだから、自分のことのように痛みを感じるのが当然だ。そんなわけで、みんなはミキティを見かけたら九折さんに連絡しなよ心配してたよと言っておくように。

えー、なんの話だかワケがわからなくなってきた。妄想もたいがいにしなくてはならない。本題はアレだ、人は人に作用する、というような話だ。その話は、次節からちゃんとお話しよう。

(ところで、ミキティの薬指にはまってた指輪、アレはなんだ。オレは買ってやった覚えが無いぞ)



■第八回パーティで、僕は色々感じた。それは僕が、人から色々な作用を受けたということだ。

ええと、宣伝が入ってしまうカタチになって申し訳ないのだけれども、前回のパーティについての話をします。タイミング的にこの話も入れないといけないとこなので。本題に外れるわけじゃないのでガマンして読んでください。すんません。

第八回パーティは、前々回より人数は縮小して十名の参加だった。人数は縮小したものの、ある種の充実を見せたので僕は大成功だったと思っている。パーティの趣旨から言うと、人数としては本当は十人ぐらいがベストなのかもしれないとも思った。


二次会の模様。一次会で写真撮るの忘れてた。

赤外線通信か。若いコは多機能だ。

絵画風。最近のCGはスゴい。




ある種の充実。それは一言で言えば、色んな会話、色んなやりとりが充実したということになる。でもそれではイマイチ言いたいことが表現できていないように思うので、僕は次のように言ってみることにしたい。

―――人から人へ、色んな作用があった。人と人との作用が充実した。


***


人と人との作用が充実したということ。具体的にどのようなことがあったかというと、例えばこんなことだ。ちょっとプライベートを勝手に明かすことになって申し訳ないのだけれども、十八歳の少年が、東大に入れる実力があるにも関わらず、自分は抗がん剤の研究をするために薬科大へ進学するのだという話をしてくれた。さすがにここで、なぜ彼がそのような選択をするに至ったかは書くわけにはいかないけれども、彼には抗がん剤の研究をして人を救うという夢があって、彼は世間的な価値観を放り捨てて自分の夢に向かって進むのだということだ。僕の感覚だと、これはなかなかやれといわれてやれることではない。まず東大に入れるぐらいの学力を身につけるのは簡単なことではないし、しかもそれを捨てて夢に進むというのはもっと難しいことだ。僕は正直、すごいなコイツ、と気圧される具合に感動してしまった。

(ちなみにこの彼、その強靭な意思とは裏腹に、穏やかな気性の男前で、古い言葉でいうなら優男だ。しかも海沿いに住んでいてその爽やかさもネイティブとして持っている。皆様方、ツバをつけておくなら今のうちです)

そして彼だけでなく、ある女性は将来は政治方面に進むということ、またある女性はお笑い芸人になりたいということ、またある女性は今はイラストレーターが本業だがこれからは漫画家になるということ、またある男性は四月から就職して離れてしまうけど自分はあのオンナのことが好きなんです彼女には彼氏がいるんですけどねということ、そんなことを話してくれた。別にこれは、将来の夢はなんですかとか今の恋愛状況はどうですかとかアンケートをとってまわって聞いた話ではない。なぜか自然にそういう話がぽろぽろと出てくるのだ。しかもパーティの終了時には27歳のナイス・ガイが申し出てくれて、やれ大学合格祝いだの海外旅行出発の壮行だのと、数名を池袋の路上で胴上げまでした。別に全員が酩酊していたわけではない。これは僕としても不思議に思われてならないことなのだが、みんな大して飲んでもいないのに、奇妙な気持ちの熱さでそういう展開になったのである。

こうやって書くとまったく冗談みたいな話なのだが、実際にそういうホットな空気でパーティは進行したわけだ。ホットと言ってもテンションが高いわけではない。テンションはどちらかというと緩やかだ。ただ、みんな夕食を食べていないはずなのに、用意された軽食を食べるのも忘れて会話に夢中になっていたのは事実ではある。

(そんなわけで、新宿ホスト的なテンションの高さの人や王様ゲーム合コン的なノリが好きな人はウチのパーティに合わないです。念のため)

そういう形で、第八回のパーティは、人数は縮小したけれどもある種の充実を見せた。パーティが進化してきた、と僕は感じたのでもある。僕にとっては嬉しかったし、何より楽しいパーティだった。何が楽しかったかと聞かれると、やはり先に言ったとおり、人と人との作用が充実したのが楽しかった、と答えることになるだろう。

第八回パーティで、僕は色々感じた。それは僕が、人から色々な作用を受けたということだ。僕はその作用によって、自分にはもっと覚悟がいるしもっと努力がいる、十八歳の小僧に負けるわけにゃいかないと思ったし、祝福するときには胴上げという方法があったのにオレはそのことをすっかり忘れて冷たいやつになっていたと反省したし、オトコがオンナに惚れたとき不器用でも光を放つことはできるのだと確認させられたし、オンナの社会進出という認識はすでに古くてオンナが夢に向かうというところまで時代は来ているんだと発見させられた。そのそれぞれの作用が僕にとって貴重なもので、また快感のものでもあった。そういう体験をしたとき、僕たちはそれを楽しいと表現する。

さて、ここでひとつあなたに問いかけるとするならば、あなたに好きなオトコがいるとして、あるいは気になるオトコがいる、あるいはこれからいいオトコとたくさん親しくなっていきたいと考えているとして、あなたが彼に与えうる「作用」はどんなものだろう。このことについて考えるのは意味があるのではないかと思った。自分にはどんな魅力があるかと考えると、たいてい思考は迷妄して不毛な結果に終わる。しかし、自分は彼にどのような作用を与えられるだろう、どのような作用を与える人間であろうとしているのだろう、そう考えることには方向性がある。そして、あなたが彼に貴重な作用、快感の作用を与えられるなら、彼はあなたといて「楽しい」と思うようになるだろう。このことを、次節でじっくり考えていくことにしよう。

さて、パーティについて、参加してくれたみんなが僕と同様に楽しかったとを信じてます。で、改めてナンですが、参加してくれてホントにありがとう。

そしてまた、次回もよろしくです。

えー、次回パーティについて宣伝しておきます。次回のパーティ、案内はこちら☆ですm(__)m。ヨロシクです。

あと、カンタンに説明しておきます。ウチのパーティがヨソさまの「オフ会」と違うのは一点です。オフ会というのは、基本的に「サイトの常連」が「オフラインで集まる」ものだと思います。だから「オフ会」と呼ぶわけです。でもウチは違います。なにしろウチのサイトには、「常連」という存在がありません(笑)。なので、今までサイトに書き込みをしたこともなければ管理人にメールを送ったこともない人が、参加してみようかナという動機だけで(ホントにそれだけで)参加してくれてます。それは僕の狙い通りで、僕の自慢でもあります。

(まあこう言っちゃアレなんだけど、いっつもサイトに書き込みしてる「常連」さんってのは、あんまり健康的な感じがしないわけですよ僕的には。自分でサイト運営してる奴が言うなって話ですけどね汗)

そんなわけで、新規参加の方、僕は超お待ちしてます。

ミキティも参加してくれてOKです。

(しつこい)

(というかもし安藤さんがホントにこのコラムを見たとしたらオレは思い切り嫌われるよな……)



***


以下後編に続く。

後編・■あなたは彼に五つの作用を与えればいい。







恋愛偏差値アップのコラムに戻る
出会いと恋愛のtopへ戻る