恋愛偏差値アップのコラム









顔とカラダに自信のないあなたへ





顔のいいオンナは得をする。ゴミを拾えば善人に見えるし、ポイ捨てすればエゴイスティックなかっこよさが演出される。カラダがいいオンナも得をする。自転車に乗っていても貧乏くさくないし、ビニール傘を使っていてもダサくならない。
なんて不公平なことなのだろう。

顔、カラダ。それらは遺伝的な要素が強い。美人でナイスバディの人は、きっと努力もした上でそれを保っているのだろうが、そもそもその努力は、自分に素質を感じたから努力する気になったというのもあるだろう。初めから努力をする気になれない素質の人もいることを考えると、やっぱり遺伝的な要素は強い。

だから、顔とカラダで魅力的になれる人は、ある程度素質がある。そうでない人は、健康的で身だしなみのいい顔とカラダを目指すしかない。

じゃあ、普通の顔と普通のカラダをした人は、どこで魅力を稼げばいいか。性格とか優しさで稼ごうという人は傲慢だ。それらは手に入れるのが一番難しい要素だし、そこで稼ごうとする人に、そういう徳は宿らないだろう。

僕が勧めるとすれば、知性だ。知性と教養で魅力は稼げる。今の時代の価値観は外見偏重になっていて忘れられがちだが、品性を伴った知性と教養は、やはり時代にかかわらず魅力的なものだ。

本や新聞をよく読んでいて、物事をよくわかっている人。自分のユニークな意見を持っている人。敬語や挨拶が適切で、折り目正しい人。箸を正しく使えて、背筋が伸びている人。そういう人は、やっぱり魅力的だ。

ところが、そういう自分の磨き方を志向している人は、かなり少ない。「知性と教養を身につけようと努力してます」という人は「ダイエットしてます」という人の百分の一ぐらいしかいないのではないだろうか。普段、めったにお目にかからない。いいオンナを目指す方法として、今の流行から外れているというのはわかるけど、そこまで捨てた方法じゃないと僕は思う。むしろ、誰も志向しないだけに、今そういう女性を目指すのはオトクな選択ではないかな、とも思うのだけど。

顔もカラダも十人並みの人であっても、「モネの絵が好きです。それも前期中期の、河の絵」と背筋を伸ばして話す人と、「イラクってどこにあるのか知らないけど、自衛隊とか行くなって感じ。てゆうか、そもそもテロとかするなっての」と語尾を伸ばしてダミ声で話すオバサン予備軍の人と、その魅力の差は歴然だ。知性のある人との会話は楽しいものだし、ダミ声オバサンとイタリアンの店に入るのは恥ずかしいものだ。

せっかく生きていくからには、知性と教養の人を目指すほうが、素敵だ。顔もカラダもキレイな人には勝てないかもしれないけど、その不公平を嘆いても始まらないし、不公平ゆえに自己研鑽を投げ出したとしても、あなた個人が損をするだけだ。

であれば、思い切って、知性と教養のある人、それも垢抜けて、尊敬されるぐらい知性と教養のある人を、目指してみるのもいいのではなかろうか。その覚悟が宿った人には、人に負けない何か、犯しがたい魅力が生まれてくるものだ。もちろん、知識をたくさん持っていても、それをひけらかしたり、うんちくたれになったり、講釈オバサンになったりしては元も子もない。それは品性の問題だけど、本当に知性と教養を磨いた人は、そういうセンスの無いことをしないだろう。

僕ももちろん、十人並みの外観の、さえないオトコだ。だから僕は、せめて知性と教養は持っていたいと思うし、正直、この点で負けたら僕は誰にも勝てないのだから、この点だけは人に後れをとらないよう、頑張ろうと思っている。

同じように思ってくれた人、お互いに頑張ろう。
僕たちは、知性と教養で勝負できる人を、目指そう。




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