恋愛偏差値アップのコラム









理想の恋愛!(前編)






僕はかつて、プロの声楽の先生や指揮者の先生に、発声のトレーニングを受けていたことがある。発声のトレーニングというのは筋トレとかとは違って体の微妙な感覚のものなので、捉えにくくかつ面白いものだ。

発声法のキモは、結局のところブレス・コントロールと声帯のコントロール、そして体内に共鳴空間を作って音を響かせること、また音に焦点を作ること(音を当てる、という言い方をする)ということになるのだが、そのための姿勢作りのことも含めて、上達するのがなかなか難しいものだ。また実際の歌唱ということになれば、その先に音程やレガート、母音のさばきといったようなことも出てくるのである。なかなか、一朝一夕には極意は掴めない。(今も掴めないままだ)

その発声のトレーニングの中で、僕の敬愛するI先生の指導方法は非常に興味深いものだった。いわく、

「男性は、イチモツで歌う。男性のイチモツをイタリア語でカッツと言います。すなわち、カッツ唱法」。

・・・まったく、何のことやらワケがわからない。

I先生はこの他にも、「ブリリアントな声で歌おう」といったような指示を出すぶっ飛んだ先生であり、僕たちはその先生の繰り出すワールドにとにかく圧倒されたものである。

さて、そのようにI先生の指導、カッツ唱法を代表とするその指導はハチャメチャなものだったわけなのだが、これが思いがけない実効のある指導法だったのである。イチモツで歌うという先生の指導の言わんとするところは、すなわち骨盤の姿勢とその周辺筋の使い方についてのことだったのだが、これがハイチェストを作って腹斜筋をどうこうという指導より、はるかに手ごたえのある指導になったのだ。先生の言うように、イチモツを主張する意識で姿勢を作ると、思いがけず声が伸びるのである。僕たちはこのことを体験し、不覚にも「なるほど、イチモツで歌うのか」と納得してしまい、以後はカッツ唱法の信者となってしまったのだった。

マジメでまっとうなアドバイスより、思い切って偏った、その人らしいアドバイスこそ役に立つということがある。前置きが長くなってしまったが、僕として今回、I先生に倣って、僕として僕らしいと思う考え方で、好き勝手なことを話そうと思う。僕の物事の考え方は、僕自身として自覚するところでさえデタラメでワガママなので、そこは反発される方も多いかとは思うのだが、もうそのことについては覚悟するというか諦めることにした。いつかのコラムで、「スタイルを変える」どうこうと言ったけれど、そのことも含めて思い切って話すつもりである。

このところ、マジメぶって話してばかりで、自分自身胃もたれしてるということもあるんだけどね。さてさて、理想の恋愛についての話だ・・・。


***


僕の思うところ、男が女を口説く、女が男に口説かれるというのが正しい姿である。それは自然界全体を見渡せば明らかなことであって、ここが逆転しているケースは本質的に残念なものだ。女はたくさんの男に言い寄られて、気に入らない男はあしらいつつ、残ったイイ男についてどれにしようかと思い悩む。男はそこで、自分こそがと気勢を上げたり知恵を絞ったりするのだ。これかそがあるべき姿であって、僕たちはまずこれを目指さなくてはならない。

このことについて、まず僕は端的に、普段から僕が自分自身に向けてやっているように、男に向けては「お前は男だろ」と言いたい。そして同様に、女に向けては「お前は女だろ」と言いたい。この「男だろ」「女だろ」という、どこか昭和の匂いを感じさせる言葉に、奇妙な迫力を感じるのは僕だけだろうか。

僕は思うのだが、この古めかしい言い方から感じ取られる根源的なもの、それは要するにジェンダーとセックス(性。性行為を指してのことではない)の原型的な感覚であろうが、やはりここを忘れてはいけないのではないだろうか。そして、僕たちはこの感覚を、時に自ら意識して思い出さねばならないとも思うのである。僕たちは、時代の空気のせいなのかなんなのかわからないけれども、この感覚を忘れてしまいがちなのだ。

自分は男だという意識の曇ってしまった男はひ弱だし、自分は女だという意識の曇った女は凛々しくない。僕として思うところの、あるべき男女の姿とは、男は男、女は女をしっかり自意識として持って関わるということだ。僕はそのことをもっと具体的に、男は女に言い寄るもの、女は男に口説かれるもの、そういうように感じるわけである。

不思議なことに、僕がこのようなワガママな主張をすると、不満の声が上がるのは女性の側からではなく男性の側からだったりする。「恋愛は動物の生存競争と同列ではないだろう」というような意見が男性側から出てきたりするわけなのだが、女性側からは「賛成。最近のオトコたちって、何かその根本的なところがヒヨワなのよね」という意見が多く出てくるのだ。

僕としては、正直なところ各意見の論理的整合性などどうでもいいので、女性側の意見を根拠なく支持することにする。生来的に理屈っぽい僕ではあるが、恋愛の根幹をロジックやイデオロギーで捉えるほどにまでは精神を弱らせてはいないのである。

男は女を手に入れるために己を高めようとし、女は男に求められるために己を高めようとする。その中でこそ、男女は本当に輝くのだ。これは簡単で安易な考え方のようでいて、実は思い切るのに勇気の覚悟のいる考え方だと、僕は思っているのだけれどな。「俺は男だから、女を『求める』側なんだ」と透徹して生きていくのは大変なことだし、「わたしは女だから、男に『求められる』側なんだ」と思い切るのも勇気が要る。

とはいっても、所詮僕たちのことだから、己の考えを完璧に透徹するなんてことはできないのだけれどね。それでも僕は、「わたしは女だから」ということを腹に据えている女を実際に知っているわけで、僕はどうしてもそういう女をカッコイイと思ってしまうのだ。そして、僕は僕で、やっぱりかっこよくなりたいから、「俺は男だから」ということを、腹に据えてやっていきたいと思っている。


***


あまり話を難しくしてもしょうがないので、できる限り具体的に、かつ愉快な話にするよう努めよう。

さて、僕として思うところの「男女のあるべき姿」を目指すにして、まずは男の側がタフで貪欲でなくてはならない。貪欲というのは野卑になるということではなく、紳士的でありつつも情熱的であるということである。このことがわからない男は、人生経験が不足しているといえよう。

貪欲であれというのは、要するに女をたくさん熱心に口説けということである。具体的に言うなら、そうだな、出会った女性の二人に一人はデートに誘う、というぐらいの気概が望ましいということだ。これは軟派になれということではないのだが、このあたりは説明が難しい。ほのめかす具合に言うとすれば、男は臆病を克服せよ、奥手だと言い逃れしたり硬派のフリをしたりするなということなるのだが、それ以上はうまく説明できないな。まぁ、ここで僕の主張を「軟派になれということだな」と短絡してしまう人はきっと極少数派(あるいはゼロ)だろうから、あまりくどくどと説明するのはやめよう。

男は女に言い寄るものである。そして、それはまずデートの誘いという形になるのが自然だろう。男は女をデートに誘わなくてはならない。

女をデートに誘う。このときに男は、「自分は彼女のことを本当に好きなのかどうか」、などと考えてはいけない。初デートもしないのに、自分として真から彼女のことを好きかどうかなどと考えるのは、土俵から百メートルはみ出した勇み足である。「好きでもないのにデートに誘っては相手に失礼ではないか」と思うかもしれないが、それもどちらかというと真逆である。デートもしたことがないのに心底惚れ抜いているというのは相手からしてみればブキミなものだ。だから男は、少しでもいいコだなと思えば、彼女をデートに誘ってよい。むしろ、誘わなくてはならない。(それは言いすぎか)

また、デートに誘うからには断られることもあるわけだが、そのことにいちいち落ち込んではいけない。断られたとしても、相手には「デートに誘われちゃった」という基本的には楽しい記憶が残るのであって、男としてはその楽しみを彼女に提供したのだと図太く思っていればよい。もちろん、断るだけでも気の重くなるような、湿った誘い方をしてはいけない。それはマナー違反となる。男としてはもっと器量を見せて、相手に「面白そうだから、一度は軽くあしらってみようかな」と愉快に思わせるぐらいの誘い方をしたいところだ。このあたり、デートの誘い方が湿っぽかったり、断られただけで落ち込んだり動揺したりしていると、それだけで相手に致命的な不評を買うこともあるだろう。

ここでついでに、「デートに誘って、断られたらどうしよう」と思って、誘うこと自体に尻込みしてしまう男もいるようだが、そのような男は論外である。あえて説明することでもないが、断られたらどうしようという考え方は根本的に間違いなのだ。なぜなら、断られたらどうしようといっても、断られたらどうしようもないからだ。OKしてもらえたらどうしようと考えるなら筋道は通るが、断られたらどうしようと考えるのは筋道が通らない。断られたら、ため息をついて一晩不貞寝するだけのことだ。それは、男の宿命である。そこは、さっさと悟りきってしまったほうがよい。

男は気に入った女をデートに誘う。デートに誘う理由は、「あなたに興味があるから」、「いいコだなと思ったから」、それだけでよい。その先のことは、デートしてから考えるものだ。

ただし、デートに誘うからには必ず考えなくてはならないこともある。それは、「どうやって彼女を楽しませるか」ということについてだ。デートに誘うからには、自分として最大限、彼女を楽しませるつもりでなくてはならない。このことを考えずにデートに誘うのは、レッドカードものの反則である。もちろんこのルールはデートに誘う瞬間から発動しているので、デートの誘い自体を、彼女にとって楽しいものにしようと男は努力しなくてはならない。

ついでに言っておくと、僕が何人かの女性から伺うところでは、デートの誘い方はかなり重要なようである。「誘い方自体がイマイチなのに、デート本番は楽しいというのはなかなか想像できないでしょ?」というのが彼女らの主張なわけだが、これはあまりにも筋道が通っていて反駁の余地が無い。男はどうやら、デートの誘い方について知恵を持たねばならないようである。それはまあ、「誘い方がダサくても真心があればきっと伝わるよ!」というのは前向きなウソでしかないのだから、当たり前といえば当たり前のことではある。僕自身としても、誘い方で失敗してチャンスを失ったことはあるし、僕自身の経験に照らしても、ここはどうやら男がそれぞれ努力するしかないようだ。また、そこから一歩踏み込んで考えれば、デートに誘ったのに相手がまったくドキリとしないようでは、男として情けないだろうということにもなってくる。僕はそう思っているから、デートに誘い方についていろいろと思案をめぐらせるわけだ。(そしてたいてい、考えすぎでネタっぽい誘い方になるんだな)

男がそのように女をデートに誘う一方で、当然女性としてはその誘いを受ける立場になる。さてデートの誘いを受けた女の側としても、やはり「彼はわたしのことを好きなのだろうか」などと深く考えてはいけない。それも同様に勇み足である。相手が自分に対して好意を持っているのは間違いないから、「あら、好意を持ってくれてるんだ」とちょびっとだけ嬉しく思うに留めるのがいいだろう。このあたり、僕として端的に言うならば、18歳を超えればデートと恋愛感情は一旦切り離して考えるべきだ、ということになるだろう。デートの誘いがあった時点では、お互いの気持ちはまだ恋愛感情のだいぶ手前にあると思っていたほうがいい。

また、デートと恋愛感情を切り離して考えるということを敷衍すれば、「今は好きな人がいるから」という理由だけでデートの誘いを断るのはよろしくないということになる。「好き」と「デート」は別物と考えてよいのだ。好きな人がいるにしても、その誘いをかけてきた人とデートして、その人のことを好きになる可能性もわずかながらあるわけだし、それ以前に恋愛とは関係ない発見があるかもしれなので、そのあたりデートの誘いは前向きに受け取るようにしよう。もし彼が、本気であなたのことを好きになりそうな気配なら、「実は好きな人がいるんだよね」ということを、デート中にそっと話しておけばよい。

もう少し大胆に考えるなら、女として男とデートするという機会は、知らず知らずのうちに女の女としての部分を磨くことにもなるので、好きな人がいるときこそ、十分に男とデートするべきなのかもしれない。例えば、一年間男とデートもしてなければ口説かれてもいませんというのでは、女としてのオーラも深刻な休止状態になってしまうわけなので、そういう状態で本命の彼に接近しようとするのは損になるだろう。そのあたり、イヤな男じゃなければデートぐらい付き合ってみようと考えるほうが何かと前向きだ。

もちろん、デートの誘い自体は前向きに受け取るとして、根本的に気に入らない男ならすっぱり断ってしまってよい。断る際も、忙しいとかその日は都合が悪いとかではなく、「その気になれないな」と伝えてしまうのがよいだろう。彼はめげずに再トライしてくるかもしれないが、それでもあなたがその気になれなければ、やはり「その気になれない」と正しく断ろう。これは意外に度胸のいる断り方だが、この度胸があなた自身を凛々しい女にするのである。

ただし、めげずにトライしてくる男を、うっとおしいと思うことはできるかぎりしないでおこう。あなたは女なのだ。男に言い寄られるのは、あなたが女である以上は宿命というもので、そのわずらわしさについては甘受するしかない。このあたり、「女だから、男に言い寄られるのはしょうがないよ」と受け入れ切っている女はカッコイイ。この辺りの、女の女としての自意識、それに基づいた振る舞いは、凛々しさとなって表面に出てくるものだ。(それが男を惹きつける)

また時には、彼の側が若く未熟で、「初デートなのに、いきなり江ノ島に泳ぎに行こうって誘い方はないでしょ?」というような場合があるかもしれない。その場合は、いくらかあなたの側が男を諭すような具合に、「ごめんね、そこまでの時間は今取れないの」とでも伝えてあげよう。あるいはもっと直截に、「いきなりそれは、ちょっとプレッシャーだよ。お誘いは嬉しいけど、再提出だね」と言ってあげてもいいけれど。

余談だが、男女いずれからにせよデートに誘うとき、いきなりそれはないだろうというような誘い方をする人がけっこう多い。これは年齢その他の要因によって例外もあるのだけれど、そのあたりを無視して言ってしまうなら、例えば朝の十時から映画を観るというようなデートコースの提案は、初デートの誘いとしてはどちらかというとNGである。これは考えてみれば当たり前の話だ。朝の十時から一日中、まだ慣れていない人と二人きりというのは、精神的にしんどいではないか。

もし朝からデートに誘うなら、映画を観てランチを食べて、その日はそこでひとまずオシマイというような設定にすべきだ。実際にそこまで済ませてみて、お互い盛り上がって帰りづらくなったなら、そこから延長するのはいいとして。このあたりの感覚がよくわからない女性は、例えば僕があなたを、映画→ランチ→雑貨屋で買い物→パティスリーでムースケーキ→ダーツ→夕食→バー→カラオケというコースで誘った場合のことを考えてみればよい。どう考えたって、受けるのに気が重いだろう。

初デートの誘いは、気安さ・気楽さを中心に据えるべきだ。男としては女をデートに誘うとき、このあたりのバランス感覚に十分注意しなくてはならない。先にも言ったけれども、女性は男のデートの誘い自体を、かなり評価の対象として捉えるものであるから。ここで相手にバランス感覚を疑われると、「一緒いて、しんどい人かも」と思われてしまうことになりかねない。(僕にも後悔すべき記憶があるのです。たくさん)

さてそのようにして、男は熱心に女をデートに誘い、女は苦笑混じりにその誘いを受けたり断ったりする。男はその中で器量や知恵を高めてゆき、女は女としての自意識と凛々しさを身に纏うようになる。

ここまでの話でどうだろう、人の考え方は人それぞれのものだが、やはり反発が出るのは男性側からかもしれない。「お前が言うのは、単に手当たり次第ということじゃないのか」「そうまで男性主導ってこともないだろ、古いよ」「好きじゃない人とデートしてどうするんだよ」というような反論を、僕として実際に受けることもあるわけだけれど。一方で、僕の知る限りの多くの女性は、まったく逆のことを言うのでもある。「やっぱり女の子としては、相手から誘ってもらいたいわけよ」「断るにしても、誘われること自体はやっぱり気分悪いことじゃないよ。マナーさえ守ってもらえれば」「とりあえず男の側から一歩踏み込んできてくれないと、何も始まりようがないじゃない?」「ただ楽しい時間を共有しましょうって、どうしてそう誘ってくれないのかな。デートってそういうもんじゃない?」「たまには誰かデートに誘ってくれないと、あたし女としてどうなの、って不安になるよ」、などなど。

まあ、僕と考え方の違う人はその人のやり方でやってもらうとして、ここでの僕の主張は、男は女を熱心にデートに誘うべし、女は女としてデートに誘われるということをしっかり受け止めるべし、ということだ。僕の理想としては、世のステキな女たちは、「今週は誰とデートしようかな」と余裕を持って選べるような状態であればいいと思う。僕はその理想の実現のために、バカのフリをして女をデートに誘うのである。

(ホントにバカなのかもしれないけど)


***


実際に、デートに至ったとして。その先のことを考えてみる。

デートである。男女とも18歳以上の場合は、デートのとき手をつながなくてはならない。手をつなぐタイミングがつかめない、そしてそれがもどかしくて切ない、そのような文学が成立するのは18歳未満までだ。

手をつなぐのにタイミングはいらない。デートというのは、待ち合わせ場所で会ったその瞬間から、手をつないで歩き出すものである。そこに必要なのは、ただリードする側の男性の意思だけだろう。女性の側としても、その男性のリードを引き出すための態勢というものがあるけれども。

待ち合わせ場所で会ったその瞬間から手をつなぐ、その手続きは例えばこのようなものだ・・・


・・・(以下、後編へ続く。乞ご期待)








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