恋愛偏差値アップのコラム









理想の恋愛!(後編)






後編を書き進めるに当たって、僕としては言わずもがなのことを念のためのこととして言っておきたい。僕がここで「理想の恋愛」という題目で話し進めているのは、あくまで「理想」のものとしての恋愛だ。現実にはいくら努力しても、この理想からいくらかは逸脱するのであって、むしろ逸脱しないケースなんてありえないといえる。その意味で言えば、ここでの「理想」というのは、形而上のもの、あるいはプラトンの言うところの「イデア」的なものと捉えてもらえればいいわけだ。

形而上(ケイジジョウ)はともかく、イデアって何だよ、という声が聞こえてきそうである。まあそんなコトバは知らなくてもいい。僕も自分で言っておきながら、あまりにも意味の無いことを言ってしまったと反省するところである。とにかく、僕がここで話しているのはあくまで「理想」としての恋愛の話。あなたが実際のこととして取り掛かっている恋愛は現実のものであるから、その理想から逸脱していていいのである。

僕がここで伝えようとしているのは、まあ僕のことだから基本的にはカワイイ女性の読者に向けているものとして、こういう恋愛をしなさいという趣旨とは本質的に違い、むしろ単に「理想の恋愛観を持つことで、あなたはビッと凛々しいオンナになるかもしれないヨ」、ということなのである。理想の恋愛観を持つということは、当然ながら理想としての男女観を持つということでもあり、女であるあなたの理想の女性観―――すなわち自分観に含まれるものでもある―――が、あなた自身の態度を決定する背骨になるのだということだ。自分観のある人間は、その支えによって凛々しくなる。それはまあ、当たり前のことだな。

僕がこのように主張するのは、僕として実際に、そのような女性観ならびに自分観を持っているオンナを知っていて、その彼女について、凛々しくてカッコいいオンナだと、いつも会うたびに感激するからなのだ。彼女は、端的な発言でいえば、「オンナとして、デートを受けたからには、手をつなぐぐらいはするよ」「彼氏が風俗に行ったら、わたしは自分が反省するよ。わたしが彼を満足させてあげられなかったってことだもん」というようなことを言うのである。僕はそのような彼女を見るたびに、なんと誇らしげでカッコいいオンナなんだ、と思うわけである。同時に、高潔でうつくしいオンナだ、というようにも。

言葉尻を捕らえての反発を覚悟していうなら、僕としての彼女の評価は、「レベルの高いオンナだなぁ」ということにもなる。彼女の発言や振る舞いは、無理やりに表面上だけ捉えれば娼婦的で、いわゆるガードが緩めであるように見えるわけだが、その実彼女のオンナとしての思想は、背骨が正しく直立してしなやかであり、しかも強靭なのだ。僕としてそれを、率直な印象の言葉として表現するなら、「レベルの高い女」ということになる。彼女の、いくらかスキの目立つ、ガードが緩いかのように見える振る舞いは、実は彼女の自信、いくらスキを見せてもしょうもないオトコにつけ込まれることなどないわよという、静かで確かな自信に支えられてのことなのだ。また、僕として彼女に会うたびに受ける印象として、彼女の示している高潔なオンナとしての振る舞いに引き立てられる具合の、「わたしに接近するつもりなら、あなたも高潔なオトコとしての振る舞いを見せてみなさいよ」という無言の突きつけがある。それが僕を緊張させ、また高揚もさせるのだけれども・・・。

そんなわけで、いくらか粗暴な言い方になることを覚悟して言えば、僕として女性であるあなたが、「レベルの高いオンナ」になればいいと思って話し進めているのである。

そして、残念ながら、世の女性の全てが素質や環境に恵まれているわけではないので、オンナとしての自分を立ち上がらせるのに不都合の多い人もいるとは思うのだけれども、僕としてはその人たちに向けてこそ言いたいのでもある。それでもあなたはオンナであって、オンナであることを捨てられはしない。であれば、あなたはオンナとして、いくらかは身の丈に合わぬと承知しながらも、高潔なオンナとしての自分を、今から立ち上げていくしかないのではないか。その高潔なオンナたれという自分の思想が、自分自身を高みへ引き上げていくということもあるかもしれないのであるから。(いや、きっとそうなるだろう)

またしても前置きが長くなってしまった。話の続きを始めよう。


***


デートの話である。男女とも十八歳以上の場合、デートはその開始時点から手をつなぐものだと言った。そしてそれがつつがなく行われるためには、基本的に男性の側からのリードによるべきであり、またそのために必要なのは男性の意思である、そして女性の側からの男性のリードを促す態度であると言った。

それは要するに、こういうことである。まず女性の側は、デートのときには普段と色の違うマニキュア、あるいはネイルアート、あるいは手の甲にシール式のタトゥーなどを入れたりしておくのが望ましい。そして男性の側は、まず待ち合わせ場所で会った彼女の身なりを観察し、ステキな部分を褒め、その流れでマニキュアなりネイルアートなりについて言及するのだ。そして、

「あ、かわいいツメしてんじゃん」

そのような言葉とともに、男は彼女の手を軽く持ち上げる。女の方はそれに少し照れて笑いつつも、腕を引っ込めるような抵抗力は微塵も加えない。そして男は、彼女の手をやさしく握って、じゃあ今日はヨロシクねと、言葉なりアイコンタクトなりで挨拶をし、同時に「デートだから手をつないでいきましょう」という意思表示をするのだ。

これで、手をつないでデートを開始する手続きは完了である。これをスムースに展開させるためには、女性の側として、彼と会ってすぐ、お互いの立つ距離を調整する必要がある。すなわち、彼と手をつないで歩くつもり、あるいはそれを受け入れてもよいつもりであれば、彼が手をわざとらしく伸ばさなくてもあなたの手を取れるぐらい、距離を縮めて立たねばならないということだ。いつぞやの恋愛心理学のコラムにも書いたが、お互いの立ち位置、その物理的距離は、すなわち心理的距離に比例する。あなたとして彼にお近づきになりたいのであれば、そこは勇気をもって、あるいは厚かましく、彼との物理的距離を一歩縮めなくてはならない。(距離の感覚が掴めない人は、街行くカップルを観察すること。二人の立ち位置の距離だけで、友人と恋人が見分けられるはずです)

このように、女の側のさりげないフォローと男性側のくっきりした意思があれば、デートの開始から手をつなぐのは簡単なことである。なお、この僕の公示したやり方を、わざとらしいとかダサいとか批判するなかれ。どんなやり方であれ、僕のような男前ならざる身が女性と手をつなぎたいと思えば、それはどうしようもなくブサイクになるものである。僕の場合のように、男前でない男が色気を出して女性の手を取るとき、とにかくもブサイクになるのはしょうがないことなので、その点について凡庸な男は諦めるしかない。このときにサイアクなのは、ブサイクどうこうではなく男がビビってしまったときなので、男はこのときビビらないことを最優先にする。ビビりつつ色気を出すというのは女性側から見たときどうしようもなくキモチワリイので、そこは男として度胸を据えるしかないだろう。

なお補足として、デート開始時に手をつなげなかった場合は、基本的に男の側の手続きミスということで、男の側がきっかけを模索しなければならない。この点、僕の場合はわかりやすく、食事なりなんなりのとき、「ここはオゴるから、その代わりに手をつながせてくれ」とお願いすることにしている。たいていはそこに、プチ援交だ、などといった冗談を混ぜ込むわけだが、これだと彼女のリアクションがネガティブだったときにもさらりと流してしまいやすいので好都合だ。(といっても、これは僕のキャラクターが前提になってるわけだけど)

ここで、一つ注意事項を入れておきたい。手をつなぐのは、まず基本として男性側の意思とリードがあってのものだけれども、ここで言う意思とリードというのは、積極性のことではあっても強引さのことではない。これは手をつなぐときだけでなく、カラダのこととして女性に接近するとき全般に言えることだけれども、男性の側は決して強引になってはいけない。僕はここまで話してきたように、男は男として男らしくあるべきという、ややマッチョイズム的な主義を持ってはいるわけだけれども、僕としてその男らしさの中に「強引さ(肉体的な)」という項目を入れるつもりはまったくないのだ。はっきり言っておこう、手をつなぐときにせよ、抱き寄せるときにせよ、あるいはキスするときにせよ、肉体的に強引にやったとすると絶対にダメ、女性の側は普通に恐いだけだ。強引にされると女はクラッとくる、なんてのは大嘘もいいところで、それは単なる犯罪行為だ。

男は、女性とスキンシップなり肉体的接触なりを求めるとき、堂々と積極的であるべきではあるが、腕力として強引であっては決していけない。もしそのような行いをしたとして、彼女はその場かぎりは恐怖と動転のゆえに体が硬直して、一見して抵抗しないように見えるだろうが、その内心では「この人は恐い、もう二度と会わないようにしよう」と決意を固めるものである。男は女性の手を取るだけでも、相手の同意をさりげなく確認し、また相手の拒否を受け入れる余地を自分から作っておいて迫るべきである。それは具体的にいうなら、例えばこういうこと。デートの開始から手をつなぐ、それももちろん、アイコンタクトなり相手の力の入れ具合なりの暗黙裡の同意を確認した上のことになるわけだが、そこからさらに、例えば券売機できっぷを買うときなど、あえてあっさりと彼女の手をひとまずは離してみるのだ。もしそこで、彼女として手をつなぐのはよろしくないという気分であれば、そこからは微妙に、手を取られないような間合いで立つようになるだろう(女性はホントにそうするように。本気で勘違いするオトコが実際にいるので)。そして、一旦は手を離したものの、彼女が先ほどとかわらず近い距離に立ち続けてくれていれば、そのときは遠慮なく彼女の手の体温なり肌の滑らかさなりを感じさせてもらってよいのだ。そのことを確認する機会を作るのは、男のデートマナーである。

つないだ手を一旦離し、彼女の態度をそれとなく見て取る。このようなやりとりは、暗黙裡、要するに言葉を交わさない中での振る舞いの交換、無言のコミュニケーションでもある。もしここで彼女に嫌われると、それはもうどうしようもなくなるだろう。こういう言葉以外のコミュニケーションについて、女性は概して敏感なものであるから。僕の場合など、特に女性にモテるわけでない、というかはっきりいうとモテないほうなので、手をつないだらすぐ、時間にして二、三分後には、ひとまず相手の手を離す機会を作ることにしている。僕が思うに、男は積極的になると同時に、それぐらい慎重でよいのだ。それが相手のカラダ、女性としてのカラダに敬意を払うということでもあると、僕は考えているのである。

一方で、女性の側の心掛けるべきことについて。あなたがその日のデートで、彼と手をつないで歩くつもりであれば、彼の手がスムースに届く範囲に立つべきであるといった。このことからもちろん、手をつなぎたくない場合は、彼の手の射程距離外、圏外に出ればいいわけではある。が、これはどうだろう、ひとつ立ち止まって考えてみてもらいたい部分でもある。あなたが18歳以上の女性だったとして、デートとはいえ手をつなぎたくないという場合があったとしたら、なぜあなたは手もつなぎたくないような男とデートしているのだろうか。

この点、手をつなぐということだけについても、女性の側としてはいろいろと個々人の考えがあるところではあると思う。しかしここでは、あくまで僕の主張としての「理想の恋愛」の話なので、僕として理想とするところの、女性としての考え方を示すことにする。

女性は、手をつなぐのもイヤだという男性とはデートするべきではない。もちろん例外はあって、例えば「彼氏がいるから、話を聞くのはいいとしても、手をつなぐのはヤダ」という場合や、「こないだチラっと会っただけだから、まだ初対面みたいなものでよくわかんないし」という場合もあるわけだけれども、そのような事情の無い一般的な場合については、手もつなぎたくないような男とはデートすべきではない。もしあなたが、その手もつなぎたくないような男とデートしたからといって、その男のことを好きになることはまずないといっていいだろう。そのような男とでもデートしそうな自分がいたら、その人は自分が寂しさに苦しんでいるのじゃないか、それだけに血迷っているのじゃないかと自分を疑う必要がある。

「手もつなぎたくない」という気持ちがその男に対して湧く場合、女性であるあなたは、その男性に対して「生理的嫌悪」「恋愛的圏外」「軽蔑」のいずれかの心境にあると言える。そのような男とデートするのは不毛なので、しないにこしたことはないだろう。そのようなデートを重ねてしまうと、あなたは凛々しいオンナどころか、くたびれたオンナにさえなってしまうから。

また、十八歳以上といっても恋愛に不慣れな女性の場合、手をつなぐということ自体に抵抗感を覚える人もいるだろう。そういう女性については、僕としてこのように言いたい。あなたは心と体を無理やり分割して恋愛を考えようとして、体のことについてすっかりわからなくなってしまっているのだ。

恋愛は、ココロとカラダの両方でするものである。これは正しく言うならば、恋愛はあなたの「全体」でするものだ、と言うべきかもしれないけれども。

どこの誰が吹き込んだことなのかわからないが、僕たちは自分として深く考え直してみることをしないままでは、ココロとカラダを分離して扱う二分法を、思考の前提として無意識に採用してしまいがちである。意外にこのことに、気づかないまま齢を経ている人も多かったりするのではないか、と僕としては思いもする。ココロとカラダは、それぞれ別個のものとして考えることに意義のある場合は確かにあるとしても、本来は別個に考えられるものではないのだ。これについて例えば具体的に、あなたは彼に抱きしめられたとき、その感触が「イタタタ、力入れすぎだよ」「彼のカラダは力んで骨ばってて、何か突き刺さる感じだなぁ」といった具合のものだったとしたら、実際のこととしてうっとりできるだろうか。僕が思うに、こういう具体的な肉体的接触のシーンでは、むしろ女性の側こそ、カラダのこととしての感触に重きをおいてその相手を感じ取るものだとさえ思うのである。僕としてそのように考える、証左もまたある。例えば、女性は服を買うとき、ことごとくその服に、まず手で「触れてみる」ではないか。これは男性の僕として観察していて、不思議なぐらい確実な、女性の全員が行うオンナとしての行動だ。女性はブティックに入ると、まず手当たり次第に服を「さわる」のである。僕などはそれを見ると、やはり女性は男性より触覚が鋭敏で、その手触り肌触りをかなり重視する―――多分、お気に入りのオトコを選ぶときもそうだろう―――と思えてくるのだ。このあたり、触覚を重要なものとして鋭敏に捉えるのが女性の性質だと考えて、ある程度正しいだろうと僕は思うのだけれども・・・。

ココロとカラダを分離して考える、その思考のクセは、実は根拠のないマヤカシの悪癖である。「ゾンビの精密画が描かれた絵皿に豚の角煮を乗せて食べると決しておいしく感じられない」というような場合の、その視覚と味覚の分離不可能性と同様に、やはりココロとカラダも分離不可能なのである。カラダはココロに直接つながっているし、またそのインパクトは女性のほうが鋭敏だ。

そんなわけで、男と女はデートの時に手をつながなくてはならない。それは確実に、あなたの全体と彼の全体を、ゆるやかに「つなぐ」行為であり、まったく「デート」にふさわしい行為であるのだ。このあたり、乱暴に言ってしまうなら、「手をつなぐためにデートをするのだ」とさえ言ってしまっていいだろう。彼と話す、また笑い合うということがあったとして、それを手をつないだ状態でやるからこそ、「デート」なのだ・・・。

あと最後に、それでもどうしても手をつなぐ勇気が出ません、という女の子に向けて一言だけ言っておきたい。

あなたの手の平とその体温は、それだけでうつくしい、そして無上にやさしいものです。

だから自信をもって、彼に触れさせてあげてください。


***


理想の恋愛ということについて考えると、僕は正直、オトコの側に注文の多くを出したくなるところである。それでついつい、「オトコはこうあるべき」といような論調が優勢になってしまうところがある。しかし、このことはマズい具合に僕自身を混乱させてもいるのだ。なぜなら、僕はこれを女性の読み手向けの形式で書いているのであるから・・・。

女性向けの形式で、オトコに向けた説教ばかり書いている感がある。まあそのあたりの混乱を、とうに見透かしている人もいるだろうが、そこはひとつ大目に見てやってほしい。僕が望んでいるのは、読み手の女性が、「こういうオトコに、こういうふうに言い寄られるオンナにならなくちゃね」と凛々しく思い立つことなのだ。そこを汲み取って読み進めていただければありがたいです。

さて、デートの話の続きである。デートであるからには、オトコはオンナを口説かなくてはならないし、オンナはオトコをその気にしてやろうと企まなくてはならない。もちろんオトコがオンナを口説くといっても、「今夜は帰さないよ」とか「キミかわいいね」とかはアウトというか論外で(そんな口説き方するヤツはいないか、さすがに)、そこをもっとライトにユニークに、押し引きして楽しんでみようということだ。男は好意を、軽く冗談めかして―――かつ大胆に―――示してみたり、女はそれを、時に可愛く喜んで受け取ってみせたり、また時にはあしらってみせたりする。その中で、そのお互いの反応と人となりを探りっこするということになるだろうか。これは、ふとしたはずみに本気好きモードに転がり落ちてしまったり、あるいは底の浅さを露見させてしらけさせてしまったりするところなので、ときめき&どきどきのスリル満点、デートの一番楽しいところである。逆に言えば、ここができないと途端にデートはつまらないものになるということでもあるけれども。

話の前編で、オトコはオンナをデートに誘うとき、どうやって彼女を楽しませようかということについて考えるべし、ということを言った。ここで、デートの楽しみとして最大のものがその「口説き」の部分であるからには、男としてその「口説き」の知恵なりアイディアなりをこしらえていかねばならないだろう。ここを考えることなしに、「デートになれば、なんとなくそんな雰囲気になって上手い具合にいくかもしれないし」と期待してデートに臨んではいけない。それはたとえてみれば、釣り針を用意してないけどとりあえず海釣りのボートに乗ってみたヨ、というぐらいの愚行である。

どうやって口説くか。それによって、どう彼女を楽しませるか。男はそれを考えなくてはならない。ここで男は、その知恵とアイディアがないから具体的に書いてよこせ、と僕に要請するなかれ。それは卑怯かつ野暮というものである。どうやって彼女を口説くかということを考える、それも必死こいて考えるから、男は成長していくのだ。脳みそがミルク粥になるまで考えて、ひとつひとつ実践しては恥をかく、そのようにして学習していく。男はそうやって成長していくのであって、もちろん僕自身そのようにしてきた、またこれからもそのようにしていくのであるから、そのあたりを裏口入学的に突破しようという発想はさもしいといえるだろう。それでも考えるのがめんどうくさい、恥をかくのもイヤだという男は、もう女性とデートすることを諦めたほうがよいとさえ言える。(でないと、相手の女性に失礼だ)

デートの最大の楽しみは、その口説きの部分、色気のあるお互いの探りっこの部分である。この部分が手落ちになったデートは、第五と第九を演奏しないベートーヴェンの夕べのように眠たいものである。相手は、もう一度聴きにきたいとは思ってくれないだろう。これは逆に言えば、この口説きの部分の楽しみさえあれば、他の瑣末な部分はどうでもよいのだということでもある。

瑣末な部分。話が少し横にそれるが、それは例えば、デートコースの設定などがそうだ。デートコースなんてものは、公園の砂場よりは茅ヶ崎のビーチのほうが確かに有利、おじさんがナイター中継に夢中になっているろばた焼きよりは、貴腐ワインとシングルモルトカスクの充実したバーのほうが確かに有利、という程度の差でしかない。このあたり、デートコースの設定など、本質的には瑣末なことなのだ。デートコースの設定は、「意外性」があって「スムース」であればそれでよい。デートコースの失敗といえば、雑誌に載っていた一見オシャレふうの店にエスコートするも、激混みで順番待ち、というような場合だけだ。だから男は、意外性とスムースさだけを心掛けてデートコースを設定し、あとは現場での口説きに力を奮っていればよい。公園の砂場で紙飛行機を飛ばして遊ぶ、ろばた焼きで食べたことのないものを注文してみる、そんな中でも口説きが充実していればデートとしては成功なのだから。

さて、男がそのように女を口説くとして、それを受けるあなた、またそのような口説きを促していこうと企むあなたは、どのようにしてゆけばよいだろうか。そのことについて考えてみよう。

オンナは、オトコを口説きモードに誘導せねばならない。特にあなたが、この人とイイ感じになっていけたらいいなと思っている場合は、このことは重要だろう。この点について、まず女性は勘違いしてはならないことがある。あなたとして、「オトコは気のある相手になら自発的に口説きモードに入るものだろう」と思っているかもしれないが、もしそのように思っているのならそれは間違いなのだ。この間違いを、ずっとそのまま修正せずに正しいと思い込んでいる女性はけっこう多いものだと、僕は経験的に感じてもいるのだけれども・・・。

あなたの態度によっては、オトコの側として「口説きモード不可」と感じることもある。それは言うなれば、早く先に進みたいと思っていても、赤信号のときはアクセルを踏んではいけないと了解する、その道路でのルールに相似する具合のものである。これにちなんで言えば、あなたはオトコを口説きモードに誘導するために、青信号を態度として示していかねばならないということだ。オトコとの付き合いに不慣れな女性の中には、ホントにデートの間中ずっと赤信号を見せている人もいるから、この点は注意すべき人は注意すべきだろう。

あなたとして彼に、「口説きモード可」の青信号を見せてゆく。このことが、デートでは思いがけず大事なことだったりする。さてでは、この青信号の態度とは具体的にどのようなものだろうか。それは一言で言えば、「デートのエアポケットを作る」ということになってくる。デートの各シーンには、カラオケボックスで歌いまくっているシーンや、お酒が進んで日常の愚痴を愉快な大声で開放しあっているシーン、あるいは移動のために二人で苦笑しながら満員電車に乗っていたりするシーンなども含まれているわけだが、もちろんそのようなシーンで口説きモードは始まらない。だからそうでないシーン、エアポケットを作れということになるわけだが・・・。

具体的なシーンで、例に挙げていうならこうだ。

遊園地で、さんざんはしゃぎ回っている、その途中に作るエアポケット。
「よし、次はいよいよ、アレ乗ってみるか!?あの角度と速度、見てるだけでもヤバそうだけど」
「あはは、そうだね。でもその前にさ、ちょっと歩き疲れちゃった。ちょっと、座っていい?」
「あ、うん、いいよ。そうだね、ちょっとはしゃぎすぎたね」
「うん、でも楽しいよ。あのさ、ひとつお願いしていい?」
「ん?」
「何か、飲み物買ってきてくれる?あたし、ここで待ってるから」
「あ、うん、いいよもちろん。飲み物、何がいい?」
「飲み物も、○○くんが選んできて」
「そ、そう?わかった、じゃあそうするけど。うん、じゃ、ちょっと待っててね」
「はい」

食事を終えて、もう一軒飲みにいこうというときに作るエアポケット。
「このあたりだと、あまりお店がないなぁ。もうひとつ、駅を移動しよっか」
「うん、そうだね」
「じゃ、山の手で行こっか」
「うん。でもそれよりさ、一駅だけ歩かない?」
「ん?歩くの?もちろん、それはいいけど。○○ちゃん、しんどくない?」
「うん。だから、ゆっくり歩こ。そのほうが、楽しそうだし」

デートの別れ際、電車を待つホームで作るエアポケット。二人で、ベンチに座っている。
「いやー、よく遊んだよな!」
「うん!わたし久しぶりだよ、こんなに遊んだの」
「また、一緒に遊びにいこうな」
「うん」
「また、機会見つけて誘うよ。・・・あ、電車来たね」
「うん。電車、来ちゃったね。でもいいや、もう一本待つよ」
「え、乗らないの?」
「うん、ちょっと休憩する」

と、例を挙げていくとキリがないわけだが、このような形でエアポケットを作るわけである。

デートは基本的に、お互いずっと笑い合っている、ずっとはしゃぎ合っている、そのようなシーンで構成されているのがよい。しかしそれだけでは口説きモードにならないので、楽しくはしゃいでいるシーンの節目に、ふとそのテンションが緩むような時間を作るのだ。そのようにして作られたエアポケット、静かな場所での、少しだけ持て余しもするような時間で、あなたは彼の言葉が出てくるのを穏やかに待っていればいい。そのとき彼は、あなたに青信号が点っているのを見るはずだ。

このような手続き、あなたからアレンジしていくエアポケットにおいて、彼は口説きモードに入りうるのだ。このあたりを意識していない女性は意外に多いようで、そういう女性は例えば、彼と三回デートをした、三回ともデート中は盛り上がった、でもひとつも進展しませんでした、というようなことを体験しているものである。あるいは、あるオトコとデートしたけれども全然つまらなかったと毒を吐いている、そしてため息をついているというような女性もいたりするわけだが、それはその女性がエアポケットを作らないから、彼が口説きモードに入れずに、結果デート全体が眠たくなってしまったのだ、という場合もあったりする。そういう女性は、自分の赤信号に気づかないかぎり、いつまでたっても楽しいデートをすることがないであろう。

オンナはオトコを、口説きモードに誘導する。そのために、エアポケットを意図的に作っていこう。デートの最中、彼に楽しんでもらおう、明るくかわいい女として振舞おうと心掛けるあまり、終始大きな声で無闇に明るく振舞いつづける、というようなことのないように。


***


オトコはオンナを逞しくデートに誘う。オンナはオンナとして誘われることを凛々しく受け止める。二人はデートで手をつないで笑い合う。オンナはデートにエアポケットをつくり、オトコはそこでオンナを口説く。二人は口説きの中で、お互いの人となりを探りっこする。そして、デートを終えての帰り道、あなたは一人で顔を赤らめる。―――わたし、彼のことを好きになったかも、と内心で認めて・・・。

これが僕として示すところの、理想の恋愛とその進みゆきであるということになる。いろいろと話してきたが、このようにまとめてみれば、これは理想の恋愛であると同時に、当たり前の恋愛であるとも言えるように思う。この逆を行くような恋愛の進みゆきがあったら、それは何と残念なことだろう。オンナがオトコを臆病げにデートに誘い、オトコはうやむやにそれを受ける。二人は離れて歩き、微妙な気まずさを味わう。相手の人となり触れることもなく、積み重ねるのはいくらか眠たくさえある世間話。そして帰り道、あなたが一人でため息をついたのは、そこに主として残っていたのが疲労感だったからだった・・・。

誰だって、残念な恋愛はしたくない。必ずうまく行くものではないにしても、やはりするなら理想の―――現実的には、理想に「近い」―――恋愛をしたいと誰しも思うだろう。そのように思うからには、まず自分として、わたしはこういう恋愛をするんだと、心に強く意思を持たねばなるまい。その強い意志があれば、男はタフになるし、女は凛々しくなる。そして、お互い同じ意思をもった二人、タフな男と凛々しい女が出会ったとき、それはしかるべき恋愛関係、理想の恋愛へと進んでいくのだ。

お誘いがあって、デートをして、心を近づけあった。もちろんこの先は、心も体も含めた全体で、二人は近づくどころか接触さえする、すなわち、重なり、つながりあうわけだが、この先のことはここに続けて書くことはしないことにした。ここまで僕として話してきた中で、ここまでの手続きが理想の恋愛として進めば、その先はもう自然とうつくしいものにしかなりえないだろうと思ったからだ。この先は、タフな男と凛々しい女が、お互いにいつくしみあう―――そのお互いが持っていた、実は繊細な、やさしさと切なさを晒しあって―――、ということしか残っていないわけだし・・・。

この先のことも、また別に書く機会もあるかもしれない。しかし、この先のことが知りたいという人には、まずここまでのことを出来るようになればそれで十分なはずだと思う、と僕として申し述べておくことにする。

理想の恋愛をしましょう。残念な恋愛なんて願い下げ、ひ弱な男と関わってもくたびれるだけよと、笑いながら、いくらか気を強く張って。

理想の恋愛。あなたももちろん、僕のものとは違う理想の恋愛像を持っていると思うけれども、僕としてのここの主張は、僕の理想の恋愛を、あなたにしてほしいという主張です。もしあなたが、今持っている理想の恋愛像に、自信のないところ、あやふやなところがあるのであれば、ひとまずは僕の主張を、あなた自身鵜呑みにしてみるのも一つの方法ではないだろうか。


(ここで頷いたあなたは既に、かなり凛々しいオンナになってます)





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