恋愛偏差値アップのコラム









才能のない女





才能のない女、センスのない女は、ダサい女。
言いたくはないけど、世の中はそういう風潮になってしまった。

才能とセンスは、語感が違うだけで、本質的には同質の資質だ。それが受動的なものであれば「センス」、能動的・創造的であれば「才能」と呼ぶ。

面倒なので、ここでは「才能」という言葉にまとめてしまおう。

あなたには、どんな才能があるだろうか。

イチローとかベッカムとか宇多田ヒカルとか、そこまでの才能でなくていい。人生を少しだけでも華やかにする、ささやかな才能だ。

例えば、ファッションの才能。会話の才能。旅行先を選択する才能。歌を歌う才能。映画や文学に共感する才能。お金を稼ぐ才能。出世する才能。セックスの才能。運動の才能。社交性の才能。品性の才能。

素敵な男性と、素敵な関係を築きたいと思う女性は、どんな才能でもいいから、自分の才能を意識して、磨きをかけるべきだ。

なぜかと言うと、世の男性は、女性の魅力として、才能を求めるようになってきたからだ。

世の中の恋愛観は、変わってきた。女は家事と子育て、男は仕事という恋愛観、あるいは夫婦観は、もう過去のものだ。

そして、男性のほうも、家事と子育てをするだけの女はダサい、と思い始めた。肉じゃがを作るのが上手な女性を求める男なんて、もうどこにもいない。いや、いるのかもしれないが、それはきっとあなたが求める男性ではないだろう。

男性が、「あいつ、才能ないもん」「センスないもん」と、女性を評価する。

良かれ悪しかれ、そのように、恋愛観は変わってしまった。

であれば、女性も、自分の才能をみつけて、磨き上げていくしかないのだ。

男性も、料理ぐらいできるようになること、眉毛の手入れぐらいすることが最低限のたしなみになってしまったように、女性も、家事と子育て以外に何かしらの才能を身に付けていなくてはならなくなったのだ。

女だけが料理をする時代じゃない、という風潮に乗っかって、料理ができないことを棚に上げつつ、ほかに何の才能も養っていない人が、たまにいる。

それは残念ながら、最もダサい女になっていく人たちだ。新旧いずれの価値観からも、軽蔑される女だ。

「女らしさ」という慣習が破壊されたということは、同時に、「女らしさ」という防壁もなくなったということを、忘れてはならない。残酷なまでに、個人の魅力が問われる時代になったのだ。

この変化が、果たして女性を救うのかどうか怪しいものだが、そんなことを抜きにして、僕たちは豊かに生きていかなくてはならない。「あたしには何の才能も無いから」と、あきらめムードな女性にかける声が僕には見当たらないが、僕の友人たちは、さしあたり、イケてる女になってやる、と強気にがんばっている。

さて、あなたには、どんな才能があるのだろうか。どうやってそれを磨いてゆくべきだろうか。もう一度考えてみてほしい。

この問いかけで、あきらめムードにならなかったあなたには、必ず何かの才能があると、僕が保証しよう。





恋愛偏差値アップのコラムに戻る
出会いと恋愛のtopへ戻る