恋愛偏差値アップのコラム









つまんない女







大学の学園祭の時のこと。僕は友人Kの要請を受けて、しぶしぶながら二人組の女の子をナンパした。学園祭といえば祭であって、祭であるからには全員がリオのカーニバルのような精神でいなくてはならない。僕はそのようなデタラメな理屈でひとまずその女の子たちを唖然とさせ、その隙にまんまと彼女らを学生が運営する喫茶店へ連れ込んだのだった。

こうして実際にナンパすると、すぐに尻込みするのは言いだしっぺの友人K。Kのいつものパターンである。彼はいつも自らハレンチな要求を僕にぶつけてくるくせに、それが実現するとなぜか知らないが後悔しだして、そのまま今度は僕のいかがわしさを非難し始めるのだ。丁寧語でしゃべるのがクセのKは、「いいんですかねぇ、こんなことして」と小声でこぼしながら、それでも鼻の下を伸ばしている。

女の子らは、まだ高校の三年生であった。その大学が志望校で、見学を兼ねて学園祭に来たのだということ。言われてみれば、身なりは大人びているものの、よくよく見れば化粧がどこかこなれていなかった。

さて高校生といえども、現代の女の子たちはナンパなど慣れっこのようである。どこから来たの、という質問から始まって、いくつかの定型的なやりとりを済ますと、彼女らはじきに屈託の無い表情を示すようになった。僕は無駄に勢いよく、楽しんでいってね、Kのサイフには今一万六千円入ってるからねと言い、Kがそれを受けてそれはどういう意味ですかと切り返すと、彼女らは声を上げて笑ってくれた。彼女らがそうして声を上げて笑ってくれたのは、あなたたちのバカな遊びにつきあってあげるよと、彼女らが意思表示を意図してのやさしさのことだったかもしれない。

この大学はめちゃくちゃ坂の上にあるから、卒業生はみんなふくらはぎが太くなるんだよ。上り坂を歩くスピードで大体何回生かわかるし、ブナの倒木みたいに痩せ枯れた教授の爺さんでも、坂道を登ることだけに関しては、そりゃもうモンゴル人のように逞しいね。僕はそのような無駄話などをしつつ、折を見て彼女らのメールアドレスを聞き出そうと幾度かのトライをした。メールアドレスを教えることについては、彼女らはひとまず渋ってみせる。

「えー、別にイヤじゃないんだけど。どうしよっかな」

オンナというのはまったく恐ろしいもので、そのように渋ってみせるときは、幼さの残る顔からオンナの表情をちらりと見せる。彼女らは生意気に色気のある笑みをこぼしてみせ、僕たちの反応を観察するかのようだ。

僕としてややせっかちにそのようにメールアドレスを聞き出さねばならなかったのは、Kが無言でそのように僕に要求しているということももちろんあったのだけれども、それよりも彼女らがそれから一時間後に始まる学生バンドのライブを聴きに行きたいということで、それによって制限時間が設けられていたからだ。彼女らもその制限時間については承知の上で、その状況の中で僕たちをからかう具合に、僕たちの反応をいたずらっぽく観察しているのである。

僕としてその状況を打破するのに提案したのは、このような方法であった。彼女らの携帯はドコモで、そのドメインに先立つメールアドレスは、それぞれ9文字と12文字であるという。すなわち、

○○○○○○○○○@docomo.ne.jp
○○○○○○○○○○○○@docomo.ne.jp

ということ。僕は学園祭のチラシの裏に、彼女らのメールアドレスを空欄は空欄のままにしてボールペンで書き示してみせ、

「これから一時間の制限で、君たちが一回笑うたびに、一文字ずつ書き入れていくことにしよう。最後の一文字まで聞き出せなければ、俺たちの負けということだな」

と申し出た。

僕の申し出に彼女らは今度こそ可笑しそうに声を上げて笑い、いいよ、絶対に笑わないもんと、差し当たり申し出を受けてくれたのだった。僕は、その申し出自体に笑ったからまず一文字目を教えろと主張し、彼女らも不平を言いながら一文字ぐらいと教えてくれた。彼女らは僕のへんちくりんな申し出に乗り気であった。コトの奇妙な展開とプレッシャーに、顔を青くしていたのはKである。(まったく、ノリがいいのか悪いのかわからん奴なのだ)

さて、このようなナンパのやりとりを、かつて僕はしたわけである。今になって思えば若気の至りというやつだが、まったくバカなことをしていたものだ。今の僕はすっかりオトナのジェントルマンなので、こんなことは決してやらないけど。

やり方のバカさ加減はさておき、僕としての女性に接近するときの考え方の基本は、当時も今もあまり変わらないように思う。その考え方というのは、一言で言えば「面白さが第一」ということで、恋愛感情や下心、やさしさや誠実さは後回しということだ。もちろん、それらも大事なものであるから決して軽視するわけではないのだが、順序として後回しということである。

普通の恋愛にせよナンパにせよ、あるいはデートにせよ電話でのおしゃべりにせよ、相手の気持ちと時間を割いてもらおうというのであるから、こちらに相手を楽しませようという意思がなければ失礼というものであろうと僕は考える。その意味で、まずは「面白さが第一」なのだ。特に僕などの場合、顔面その他の魅力が乏しいだけに、相手に「つまんない」と思われたらオシマイなのである。

「つまんない」と思われたらオシマイ。このことは実のところ、当てはまるのは僕だけのことではないだろう。取り立てて美人・ナイスバデーということでもなければ、相手に「つまんない」と思わせたらオシマイだという女性も多いはずである。これは僕の言い方が酷薄なように聞こえてしまうが、実際のこととして例えば、「ようやくこぎつけた、彼との初デート」というような状況があったとして、そのデートで彼に「つまんない」と思われてしまったらかなりマズいはずで、そのような状態のことを僕として「つまんないと思われたらオシマイ」と表現しているのである。

お互いに何の肩肘も張らず、ありのままの姿で距離を近づけられたらそれが一番すばらしい。とはいえ、いつもいつもそのような満ち足りた状況になれるものでもないはずだ。「つまんない」と思われたらオシマイで、僕の場合はそれだけに、相手を楽しませうる自分であろうと努力する。僕はそれを怠ったとき、ありのままの自分などということではなく、ただ単なる自分の怠慢だというように感じるのだ。また、そのように努力しようとする気力を失っていてみっともない、というようにも。

内心がどのようであれ、自分として相手に関わっていこうとするのであれば、相手を楽しませるということを中心に据えようではないか。僕は真剣にそのように思う。また僕の経験上、そのことを自分として怠らなければ、その先にあるべき物語が待っているものである。


・声を上げて笑っているか


このように言ってしまうとまるで僕が冷血漢のように思われてしまうのだが、「つまんない女」というのは実際にいる。正確に言うと「つまんない女」ではなく「つまんないと思われてしまう女」ということになるのだけれど、そこはややこしくしてもしょうがないのでズバリ「つまんない女」と表現することにしよう。

「つまんない女」が実在するということについては、あなたが女の立場として「つまんない男」について考えてみればわかってもらえるはずだ。一緒にいて、どこか居心地が悪い、話が弾まない、帰りたくなってしまうというような男がいるはずで、それは言葉を濁さずに言うなら「つまんない男」であろう。

男の立場でも女の立場でも、やはり相手に「つまんない」と思われてしまったらかなりマズい。ここで、「つまんないと思われたらオシマイ」という考え方は、いささか極端ではあるにしても、それなりに有効な考え方の指針になりうると思う。

さて、あなたがつまんない女になってしまわないために、僕として思うところのチェック項目じみたものを用意することにした。その第一項目として、「声を上げて笑っているか」ということを取り上げてみたわけだが、いかがだろうか。

笑うことは大事なことで、例えばデート中に終始仏頂面をしていては実る恋も実らない。笑うのは大事なこと、これは誰でも知っていることだが、さてそこからもう一歩踏み込んで、声を上げて笑っているかを、自分として省みたらどうだろうか。笑うときに、声を立ててまでは笑わない、それが習慣になっている人はけっこういるものだ。

笑うということだけでなく、笑い声を上げるというのが存外大事なことである。それは例えば、客席がガラガラの漫才の舞台を想像してみればただちに理解される。豊かな笑い声が一切無い中で、はたして愉快な空気など作り出せるものだろうか?

一般的には、やはり女性は男性とのやりとりの中で受け手側に立つことが多く、またそのことを望んでいる女性も多い。さてそのような状況、彼が主として会話をリードしていく、あなたがそれにあいづちを打っているというような状況だったとして、あなたが声を上げて笑っているかどうかは思いがけず重要なことになってくる。二人の間にある空気が楽しいものになるかどうかは、半ば以上あなたにかかっているのだ。

声を上げて、笑うようにしよう。初めは意識してのそれであっても、笑い声にプッシュされて彼の気勢も上がり、じきに自然に笑い声が出る状態になるはずである。

ついでに言うと、笑うときだけじゃなくて挨拶をするときとか礼を言うときとかも、ちゃんと声を出すのが大事だな。「おはよう」とか「ありがとう」とか、声に出さずに黙礼というかお辞儀で済ます人がけっこう多い。ちゃんと声を出した方が断然さわやかさアップなので、声を出すようにしよう。

(なんだか体育会系でスマン)


・しょーもないことをしているか


言うまでも無いことだとは思うけれども、僕がここでつまんない女はダメだというようなことを話しているのは、別にお笑い芸人になれという意味で言っているのではないのである。僕がここで言うところの「面白さ」というのは人間としての「面白さ」のことであって、芸としての「面白さ」のことではない。人間としての面白さというのは、ユニークだとか興味深いとか、勇気付けられるとか感じさせられるとか、そういうことの全般ということになるわけで、別に世の女性全員が持ちネタを用意しろというようなことではない。僕自身の場合は、いささかネタっぽい部分が多すぎるのだが、これは僕の大阪出身ということも含めたキャラクターである。だから僕のことを見本にすることはないし、むしろ見本にされてしまっては困るのだ。(僕の場合はネタに行き過ぎだとの批判をよく受けてますので)

さて、項目の二つ目。しょーもないことをしているかどうかということなのだが、これは僕として逆説的で面白いと思うところだ。しょーもないことをしない女は、つまんない女なのである。

僕たちの生活は、基本的にしょーもない。ワールドカップに出るわけでもなければ、ニッポン放送株を買い占めるわけでもないのであって、まあ平凡といってよい生活をしているものである。さてそのような僕たちのしょーもない生活から、しょーもなさを取り去ってしまったらどうなるだろうか。きっとそこには何も残らない。そうなると、「つまんない」ということになるのだ。

僕たちは、しょーもないことに心を入れて、それを楽しいものにしていかねばならない。このことについて僕として思い出される話があるのだが、それを少し話すことにしよう。

それは僕と彼女が、地下鉄の構内を歩いていたときのこと。壁にブリトニー・スピアーズの広告ポスターが貼られていて、僕はそのブリトニーの下着姿に等しい写真に見入った。僕はそこで、これはすごい、堂々としたカラダだなぁというようなことを言ったのだが、彼女はそれについて意外な反論をした。

「でも、外人さんってさ、おヘソの位置が高すぎない?ほら、ヘソの位置が高いから、腰の部分が長く見えすぎるって、あたしは思うんだけどな」

僕はその彼女の反論を受けて、ふうむと唸ることになった。なるほど言われてみると、どこかデフォルメされた彫刻じみていて、リアルな意味でのセクシーさを感じない。

「だからあたしは最近、現代で一番セクシーなのは日本人女性なんじゃないかって思うの」

彼女はそのように締めくくり、僕はまたしてもなるほどと納得するばかり。僕と彼女は、地下鉄の広告ポスターの前でそのような一分間を過ごしたわけだった。

しょーもないということについては、僕たちにおけるブリトニーのボディラインの論争など最強にしょーもないわけだが、僕たちは実のところこのようなことを楽しんで生活しているものだ。この部分を充実させないと僕たちは何をやっても楽しくないわけで、僕として「しょーもないことをしない女はつまんない」と言うのはこのことについてなのだ。

しょーもないことに心を入れて、楽しいものにしていこう。僕たちが実際のこととして、その人と一緒にいて楽しいと思うとき、たいていはそのしょーもないところが楽しいのだ。

さてここで、なんとなく問題です。僕は今、某ファミレスでコレを書いているのだけれど、このファミレスのメニューにある「クランベリーフラッペ」と「抹茶あずきフラッペ」、カロリーが高いのはどちらでしょう。値段は双方ともに448円。

正解者にはオゴりますが、不正解者はおなかの肉をつまませてもらいます。

と、僕が考えると全てはネタっぽくなってしまうのだが、とにかくしょーもないことを楽しくしていくことは大事だ。女の子の場合、しょーもないことを華やかにやれる特権があるから、それを使っていくことを僕としては勧めたい。「あなたがかわいいと思うストラップを一つプレゼントとして買ってきて」と甘えてみせたり、「新色の口紅塗ってくるから楽しみにしてて」と化粧室に行ってしまったりね。

(ここはそれぞれの個性とアイディアがあって楽しいところだな)


・集中力があるか


先に出した問題、正解は「抹茶あずきフラッペ」でした。クランベリーフラッペが187kcal、抹茶あずきフラッペが333kcal。同じようなものでも、ずいぶんカロリーが違うものだな。

さて、三つ目の項目として、「集中力」というものを取り上げてみた。集中力のある女は面白くて、集中力のない女はつまんないということである。はっきり言うなら、ぼんやりしてる女はつまんない、ということになるかもしれない。

恋愛におけるワンシーンで、集中力というものについて考えてみる。具体的なシーンは何でもいいわけだが、例えば彼とのデートでゲームセンターに寄ったとしてみよう。さてそこで、あなたと彼は、リラックマをゲットするべく、UFOキャッチャーにトライするわけだ。ワンプレイ100円、一見すると強力そうなアームは、実のところ貧弱な握力しか持ち合わせておらず、アームハンドはリラックマの表面をこれみよがしに撫でるのみでゲームは終了する。何も掴まぬままのアームが、水平にのろのろと移動し、我々を嗤笑するように、その左右をシュートボックスの上でぱかりと開くのだ。(我ながら無意味な描写だ)

ところで、僕は過去の経験から、少しばかりゲームセンターの事情に詳しいのだが、あのUFOキャッチャーの類のエレメカは、アームの強さを五段階ぐらいに設定できるのである。そしてアームレヴェルを1にしてしまえば、それこそ藁半紙一枚すらつかめない非力さになるのだ。一見して力強そうに見えるアームの動きにだまされるなかれ、あれは真下に下りていくときの力だけ妙に強いくせに、実際にアイテムを掴むハンドの力はどえらく弱いものなのだ。まったく、少々アイテムをとられてもそうは赤字になるわけじゃないのだから、一部のゲームセンターについてはアコギな商売をするなと言いたい。子供もプレイするもんなんだからよ、巻き上げんなよ・・・。

話が逸れてしまった。UFOキャッチャーの話ではなく、恋愛における集中力の話である。さて、彼とのデートでゲームセンターに寄るなどということは誰でもがやることであるが、そのような些細なシーンにおいても、そこに集中力があるかどうかでずいぶんと様相が変わってくる。集中力があればUFOキャッチャーも十分面白いイベントになるし、興味なさそうにぼんやりしていれば、お金と時間を浪費するだけの退屈なシーンにもなってしまう。

これは単純な話だ。例えば極端な話、あなたのお相手の彼が、「このまま引き下がれるか、俺は今日このリラックマを連れて帰ると決めたんだ」という具合にムキになってUFOキャッチャーに取り掛かったら、あなたはそれを退屈な時間だというように思うだろうか。

よっぽどストレスの溜まっている人でなければ、そんなことは思わないはずだ。

この例から敷衍(ふえん)して考えてもらえばわかると思うのだが、僕たちの恋愛のシーンにおける面白さとか楽しさとかは、そのイベント自体の面白さに依(よ)らない場合が多い。そのシーンが面白いかどうかは、単にお互いの集中力が発揮されているかどうかによって決定されている場合がほとんどだ。特に僕たちの場合は、IT長者でもなければ良家の子女というわけでもないので、あまりデートにゴージャスなアレンジができるわけでもない。であれば僕たちのデートは常に平凡で、大事なのはそこに集中力があるかどうかということになってくるのだ。

この話だけでは先ほどの第二項目との違いがわからないかもしれないので、話をもう一つ付け足しておこう。僕が以前、デートとして「トロイ」という映画を観にいったときのこと。はっきりいって映画はつまんなくて、僕と彼女はいくらか疲労すら覚える具合にして映画館を出たのである。

それが彼女と知り合ってまだ日の浅い時のデートであったから、普通に考えればデートとしては失敗である。しかし僕と彼女は、駄作を観た後のよどんだ空気に飲み込まれずにいられたのだ。それはなぜかというと、僕と彼女でその映画を散々罵倒して盛り上がったからだ。

「衣装が似てて、敵と味方の見分けがつかないよ」
「セットが発泡スチロール丸出しで、超予算不足って感じ」
「てゆうか、誰が主人公だったんだよ結局よ」

僕と彼女はそのように言い合って十分に笑ったのだ。これは当たり前のことのように見えて、実は誰でもができることではない。少し穿って考えてみれば見えてくることだが、このように笑い合えたことの背景には、彼女がその映画を駄作だと思いつつも、駄作を駄作としてしっかり「観て」いたということなのだ。この場合、もし彼女が、つまんない映画だなと思ってただぼんやりしてしまっていれば、きっとその後はやりにくい空気になってしまっただろう。(だから僕はこのときの彼女にこっそり感謝していたりするのだけれどね)

デートのアレンジにせよ、あるいはファミレスなり電話でなりのおしゃべりのシーンにせよ、そこで大事なのはデートイベントの質の高さや気の利いた話題の選出などではない。それはそれでできるにこしたことはないが、それよりもひとつひとつのシーンで集中力を持っているか、ぼんやりしていないかどうかが大事だ。

このことから一歩踏み込んで、僕としてアドバイスじみたことを言うならこういうことにもなるだろう。つまんない時間が始まってしまいそうなときこそ、逆にあなたの器の見せ所なのだ。彼に「つまらないことでも、このコといると楽しくなっちゃうな」と思わせる、絶好のアピールチャンスになる。(つまんないシーンをそのままつまんないものにしたら、それはあなたの責任だと思われよ)

ところで、僕はUFOキャッチャーが好きでは無い。ゲームセンター経営の裏側を想像してしまうし、取ったとしてもすぐにいらなくなるものばかりだとわかっているのに、ついついムキになってしまうからだ。

とはいえ、二人してUFOキャッチャーにムキになり、映画の上映時刻に間に合わなくなってしまうようなデートはステキだな。また次回観にいこう、などと次のデートをさりげなくアピールできるしね。



・・・というわけで、以上三項目を挙げてみた。細かく言い出すとキリがないのでこのへんにしておく。

「つまんないと思われたらオシマイ」ということで、あなたがつまんない女にならないようにというつもりで話してきた。けど、これは実のところ、男女を入れ替えても同じことだろうな。よって、男性諸君も僕と同様に努力すべきである。(それはそれで、ライバルが増えるので具合が悪いけど)

さてそんなわけで、これから例えば想いの彼とデートなんですよという女の子は、とにかく声を上げて笑って、しょーもないことにムキになったりして、あとはデート中にボーっとしないように気をつけていればよろしい。それによって楽しい空気を彼に提供することが、あなたとしてのデートのマナーになりうるだろう。色仕掛けで迫るも、清純な告白をぶちかますも、そのマナーが整った上でのことです。そのへん、「つまんないと思われたらオシマイ」はけっこう真実だ。

「つまんない女」と言うと、ギクッとする女性も多いだろう。「わたし、何のとりえもないし、さしたる趣味もないし、つまんない女なんですけど」という声が聞こえてきそうである。

あなたには、とりえも趣味も必要ないのだ。大体において、とりえや特技の話など、長くは続かないし、長く続けたら嫌味になるだけである。趣味の話にしてもそうで、よっぽど嗜好が合わない限りはそうそうそれだけについて盛り上がれるものではない。あなたにとって大事なのはもっと別のことで、つい涙目になるまで笑ってしまってマスカラが落ちてしまうとか、ついネイルアートに二時間もかけてしまうとか、すれ違った女の子の足の細さについて彼に向けて賞賛を伝えずにいられないとか、どうしてもお気に入りのものになるまで彼とツーショットの写メを撮り直してしまうとか、そういったことなのだ。そういった、あなたの活力とでもいうべき部分、そこが消沈してしまったとき、あなたは「つまんない女」になってしまうだろう。

「つまんないと思われたらオシマイ」で、相手を楽しませようとする意思と努力が恋愛のマナーになる。そこがあなたとして整い始めたとき、あなたの恋愛はしかるべき物語へと進んでいくだろう。

僕も、つまんない男にならないよう、がんばってまいります。









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