恋愛偏差値アップのコラム









欲情されないオンナたち







午前四時四十五分。

僕は一日に、一万字書けるようになりたい。

それができないうちは、僕は永遠に満足することはないだろう。



***



そんなわけで、九折です。ヘンな出だしになってしまった。ええと、ウチのサイトのマニアの方はよくご存知だと思うのですが、僕は物書きとして生きていきたいなぁと考えていて、実のところ今はそれ以外のことを考えずに生きています。

僕は物書きになりたい。みなさま、応援よろしくです。

で、物書きといっても、僕は芸術家になりたいわけではない。その素質もないと思う。

僕は、楽しめる文章、勇気づけられる文章、励まされる文章、気づかされる文章、そういう有意義な文章を生産する、それも圧倒的に生産する、優秀な生産者になりたいと思っている。

もったいぶって高尚なものでなくていい、ただ読み手にとって面白さと迫力のある、そういう文章をたっぷり生産する者になりたい。

そんなわけで今日、実際に僕がこのサイトを運営しながら小説を書いたりするとして、いったいどの程度の量を生産すれば自分として満足できるのかなぁと、そのことを概算してみた。それも、一番具体的な「文字数」というパラメーターで。

僕は一日に、何文字書けるようになれば満足するのか?

概算の結果は、思ったほどの量ではなかった。一日、一万字。原稿用紙で、大体三十枚。

原稿用紙三百枚の小説を、十日で書き上げる量。

一日一万字書けるようになったら、どうやら僕は満足できるようだ。僕はそのことを確認して、なんとなく気がラクになった。

一日一万字は、たいした量ではない。一日十時間書くとしたら、一時間あたり千字。たいした量じゃないというか、はっきりいって余裕の量だ。今のペースでも、のんびり書いて原稿用紙一枚あたりはだいたい十五分程度だから、すでに僕自身の生産能力は自分の希望をオーバーさえしているのでもある。

それでも今僕は、実際の今の自分の生産量に満足しているわけではない。で、ここでこれはどういうことなのか、能力は足りているのに結果にはなぜ満足できていないのかと考えると、答えはカンタンに導き出されてくる。

僕は何を書くにつけ、アレコレ考えたり、考えているフリをしたり、不要な休憩を挟んだり、取り掛かるのにおっくうがったり、そういうことをあちこちでしているのだ。だから、最終的な生産量は、自分として満足のいく量になっていない。

僕は無駄をしている。無駄をすることを自分に許している。

要するに、サボっているのだ。

そんなわけで、自分はサボっているのだなぁと、今日はしみじみ実感して反省したわけです。がんばらなくちゃと思うと同時に、しのごのいわずに一日一万字をちゃんと書けと、そしてもっと書けるんなら自分が擦り切れるまでちゃんと書けと、改めてそう思いました。

やりたいことがあるなら、全力でやらないとね。全力でやらないなら、毎日酒を飲んで寝てたほうがまだマシである。全力でやる以外に、「やる」ということはありえない。「やっているふう」でしかない。

僕は生産者になりたいのだから、全力で生産しないとね。

こういうと、アレかもしれない。量を追求すると、質が下がるんじゃないの、と言う人も出てくるかもしれない。

確かに、手抜きによるスピードアップというのもありえるから、そういうことに堕することもあるだろう。

でも、本質はそうものではないだろうと僕は思う。量の追求は、質の低下を必ずしも招かない。むしろ、質の向上を伴いすらするんじゃないか、というように思う。いや、思うというか、絶対にそうに違いないと確信する。

量を追求すれば、質も向上する。それは、あらゆるワークにおいてそうだろう。むしろ質と量は、それぞれ個別には向上させられないと僕は考える。

拙速という言葉は確かにあるが、一気呵成という言葉も裏側にあるのだ。

その分水嶺になるのは、結局集中力の有無でしかない。集中力が発揮されれば、量の追求は質を向上させる。

僕は集中力を、途切れさせないでおきたいと思う。集中力が途切れれば、すべてのことは退屈だ。大差で離されたサッカーゲームの後半戦のように、あるいはお互いに対する慈しみの衝動がない中で行うセックスのように、集中力の欠けた作業はただ僕たちをうんざりさせる。

僕はどんな人生を歩んだっていいと思っているが、うんざりする人生だけは歩みたくないと思う。死んだほうがマシ、とさえ思う。

みんなは、どうだろうね。

さてと、恋愛に関係のない話をしてしまった。読んでくださるみなさんを退屈させるわけにいかないので、そろそろ本題へいくことにしよう。

今回は、欲情されないオンナたち、という話。なんとなく、挑発的なタイトルだ。こういうタイトルでクリックを呼び込もうと、僕はその自分の作為的なやり方がキライだが、まあでもクリックしてもらわないと話が始まらないのでしょうがない。

欲情されないオンナは不幸だ。オトコに欲情されなければ、オンナはオンナとしての意味を失う。単にジェンダーとして女性というだけで、オンナの楽しみを手に入れられない。むしろ就職のときに損をするだけだし月に一度体調を崩すだけだから、それはまあ不幸といっていいだろう。

欲情されないオンナは不幸なわけだが、そういうオンナはけっこういる。見た目はかわいいし、人柄も愛せるのに、なぜか欲情されることのないオンナは少なくないのだ。そしてそのことを、何より本人が悩んでいたり残念に思っていたりする。

今回は、そういう人に向けて、いくらかヒントになればいいなと思って話すことにする。そういう人の中にも、本当に性根はかわいくていいオンナはいるから、僕はそういう人に不幸になってほしくない。

あなたがこれから、ガンガン欲情されるオンナになればいいな、と僕は思う。

(そういうの疲れる、とかオバサンくさいことは言わないように)




■オトコは娼婦に欲情する。娼婦的なものに欲情する。


娼婦という言葉が使われなくなった。なぜなのかはわからないが、いつのまにか娼婦という言葉は風俗嬢という言葉に置き換えられるようになった。これは、性的サービスが多岐にカテゴライズされたからだろうか。いわゆる本番ナシのヘルスとか、ムチでオトコをピシパシ叩くやつとか、そういうのが増えたので一口に娼婦という言葉が使えなくなったのかもしれない。

まあでも僕は、娼婦という言葉が好きだ。どことなく、プラウディでカッコいい気がする。僕は娼婦と寝たことはないのだけれど、娼婦に漠然と憧れみたいなものを持ってはいる。尊敬、みたいな感情もあったりする。

娼婦には魅力がある。娼婦たちは、必ずしも明るく楽しく娼婦になったのではないのだろうけど、そのどことなく陰を持った存在自体、魅力的であると僕は思う。もちろん、僕は自分のオンナ友達に娼婦になってもらいたくはない。娼婦になることは幸福ではないし、倫理的でもないからだ。でもそれだからこそ、娼婦には人の心の明るからざる部分を惹いてやまない、根源的な魅力があると思うのだ。

僕は今回の話の核に、このことを持ってくることにした。

オトコは娼婦に欲情する。

娼婦的なものに欲情する。

幸福にも倫理にも属さない、陰を含んだ性、それにオトコは欲情する。

僕はこのことに、風俗嬢という言葉を当てはめると、話は成立しなくなるというように感じる。オトコは風俗嬢に欲情する、そう言葉にしてみると、果てしなく空虚で安っぽい感じがしてしまう。これは多分、風俗嬢という言葉に営利的な響きがありすぎるからだろう。風俗嬢というと、オトコの衝動をかわいがってやって、その分きっちりもらうものはもらいますと、そうクールにしたたかに考えている女性というイメージがある。そうなると、話は違ってきてしまう。

だから、娼婦という言葉を僕は使う。そしてその魅力を肯定する。

今これを読んでくれている乙女のみなさんには、ちょいとばかり抵抗がある話かもしれない。娼婦とその魅力を肯定する、ということは学校では習わなかったはずだし、そんなことは女性誌にも書いてないはずだからだ。

でもそこを、ひとまず勇気を持って、仮に認めてもらいたいと僕は思っている。

「娼婦にはやっぱり、娼婦の魅力があるんだよ」

あなたがそう肯定すれば、あなたの中に住んでいる、あなたの娼婦的な部分が目を覚ます。そしてそれは、オトコの前でちらちら顔を出す。

オトコはその、あなたの中の娼婦に欲情するのだ。




■娼婦は娼婦の空気を纏(まと)っている。その空気がオトコのスイッチをオンにする。



僕には娼婦の友達がいる。今の言葉で言えば風俗嬢、それもいわゆるデリヘル嬢というやつだが、その仕事を数年間にわたってやっている女の子がいる。もう長いこと会ってないので、今もその女の子が娼婦をやっているのかどうかは知らない。彼女の年齢は、二十代の前半。着物を衝動買いしまくって、そのときの借金を返済しているという話だった。その話を聞いて、僕は初め安っぽく同情したのだったが、よくよく話を聞いてみるとそれは僕の誤解だった。着物を衝動買いしたのは娼婦になってから後の話だった。借金を返すために彼女は娼婦になったのではなかったのだ。

ええと、どうせみんなが疑問を持つだろうと思うので、前もってひとつ言っておきます。僕がその娼婦と寝たかどうかについてですが、僕は彼女と寝てはいません。キスもしてないし、手もつないでません。僕はプロの女性と喜び勇んで寝れるほどベッドの上での自分に自信を持ってはいないし、プロの女性をお金も出さずに抱くのはなんとなくズルいようにさえ思えたので、そういうことはまったくしようと思いませんでした。

その女の子とどこで知り合ったか? そんなことも訊かれてしまいそうな気がするけど、それは内緒です。まあなんだ、あまりそういうことにばかり興味を持たないように。あまりそういうことばかり興味を持つと、いつの間にか品性の無い人になってしまいます。

(余談だけど、そういうところで品性を知らず知らず無くしていっているオンナは結構多い。気をつけよう。僕は今までに、何人のオンナと寝たんですかとか今までに一番よかったのはどういうオンナでしたかとか、そういうとんでもないことを若い女の子に結構訊かれてたりします)

さて、僕がその彼女と話しているときに感じた印象だが、彼女はまったく娼婦的だった。交わしていた会話、その内容はごく普通のもので、そのお仕事の現場どうこうの話はあまり聞かなかったのだけれども、それでも彼女からは得体の知れないエロティックな空気が出てきていた。

僕は彼女と、ワールドカップがどうこうとか、コンビニの新作のアイスクリームがどうこうとか、そんなことを話しながら、彼女の纏っている空気を吸い込んでいた。そしてその空気は、いつのまにかホルモン剤のように僕に作用していたのである。

僕はその会話の中で、手に汗を掻いていたのだ。暑さのせいではない。そもそも手のひらというのは温熱性の発汗をしないものだ。

―――これは、娼婦の空気か。

僕はそう思ったし、事実その空気は、僕の下半身に勝手に作用し始めてもいた。煙草を持つ手が意味のわからないまま淫猥な興奮に震えたりもした。僕はそのとき、彼女の裸身を想像していたわけでもないし、彼女とのセックスをイメージしていたわけでもなかったけれども、それでも僕の体はどうしようもなくそのような反応を示したわけだった。

―――娼婦は娼婦の空気を纏っていて、その空気がオトコのスイッチをオンにする。

僕はそのとき、そのことを知ったのだった。夏の昼間、清潔で明るいファミリーレストランの店内で、彼女は薄手のTシャツ一枚だったが、僕は彼女の首から鎖骨にかけてのあたりの皮膚を、妙になまめかしいものとして見ていた。目を奪われていた、ということなのかもしれない。

欲情とは、そのように発生する。



***



そんなわけで、まず欲情ということについての実際の話をしてみた。なんとなく、自分の欲情について正直に話すのは恥ずかしい感じがする。まあでも、みんなは僕の恥ずかしい話ばかり聞きたがるのでしょうがない。

さて、娼婦は娼婦の空気を纏っていて、それによって僕は欲情させられたわけだが、そのような芸当はプロの娼婦にしか成し得ないものだろう。もともとそういう素質を持っているオンナもいないではないが、それはやっぱり少数派だし、普通のオンナは普通のオンナとして、普段は健康的な女の子の空気を纏っていることがほとんどだ。もちろん、娼婦の空気を纏うためだけに娼婦になってしまうわけにもいかないので、僕たちができることといえば、その娼婦の空気のようなものをいくらかでも香水のように身につけるしかないということになる。

では、娼婦の空気とは、いったいどのように醸成されるものだろうか。そのことについて考えるのには意味があるだろう。僕はそれについて考えるのに、先の彼女からいくらか話を聞いてみたのでもあった。毎日違うオトコとセックスするというのはどういう気分のものなのか。初対面のオトコと五分話してすぐセックスする、そのセックスは気持ちいいものなのか。そのセックスでいくことはあるのか。自分の体がお金で買われるというのはどういう気持ちになるものなのか。お金を出して自分の体を買う男を、軽蔑するような気持ちは起こらないのか。

それらについて話を聞いたところ、彼女はあくまで人それぞれだと思うけどと前置きして、その正直なところを話してくれた。

僕がその話のエッセンスとして、一番感銘を受けたのは次のような話だ。タイトルをつけるなら「刑務所」ということになるだろうか。彼女の纏っていた空気をいくらかは感じてもらえるように、本題からずれた部分についても一部詳細に書くことにする。

オトコって大変なんだなぁ、とかって思うよ。オンナとセックスしたいって、そのことをどうしようもなく背負ってる生きものなんだなぁって。気分にもよるけど、それがかわいいなって思える人もいるし、かわいいなって思ったら、せっかくだからたくさん気持ちよくしてあげようって気になる。わたしも元々セックスが好きだし―――好きじゃなかったらやってられないけどね―――、どうせするならお互いに気持ちいいセックスにしたい、だからわたしも相手を喜ばせようと思うし、相手がわたしを喜ばせようとするなら、それを普通に受け止めてあげたいって思うよ。それで愛撫されて、いっちゃうことももちろんある。それで、それはやっぱりいっちゃってるわけだから、やっぱり気持ちいいのは気持ちいいんだよ。でさ、そういうときは、さっきの話と同じになるんだけど、わたしはオトコに愛撫されていっちゃう、そういうことを背負ってる生きものなんだなぁってしみじみ感じるよ。いっちゃった後なんて、余計なこと考える気にならないから、ただこの人はどうしようもなくオンナとセックスしたかった、わたしはこの人に愛撫されてどうしようもなくいっちゃったってことだけ、そんで今は二人ともそれに正直だったんだってことだけ、そのことだけジワーって感じるね。

お金でオンナを買うオトコについて軽蔑するかどうか、それってさ、女の子によって違ってて、むしろオトコを軽蔑するためにフーゾクやってるコもいるのね。わたしはそうじゃないんだけど、中にはオトコにフラれた当てつけとか、父親に強姦されたことに対するなんかぐちゃぐちゃした部分とか、そういうことに向き合う感じでオトコとお金で寝てるコもいるよ。そういうコって、なんかソーゼツなんだよね。なんかね、オンナにとってオトコを理解するってことはこんなに大きいことなんだって、ちょっと怖くなってくる。オトコについて理解できなかった、理解し損ねた女の子は、そうやってフーゾクに勤めてやけくそに生きて摂食障害になってリスカしたりするか、あるいはレズになるかなんだよね。

わたしの場合は、別にそんなに思いつめてるわけじゃないからさ、まあはっきりいって楽しくやらせてもらってる感じかな。その中で、オトコを軽蔑することはあるけど、それは別に、お金でオンナを買ってることについての軽蔑じゃないと思う。中にはさ、タダでオプションのプレイをしてもらおうとしたりとか、終わった後になんか説教しはじめたりとか、そういうことをする人もいるのね。そういうのってなんかみみっちいから、そのみみっちさについては軽蔑するよ。でもそんなのって、別にフーゾクじゃなくてもオンナなら誰だってするタイプの軽蔑じゃない? だから、お金でオンナを買ってることについて、特に軽蔑はしてないと思う。あ、でもあれだよ、軽蔑してないっていっても、特別愛しいとかって思わないし、やっぱりかわいいって思える人はどっちかっていうと少数派で、それもかわいいって思っても別に尊敬するわけでもなくて、ただお互い今は正直だねエヘヘって思うだけだよ。そもそも、あんまりそのときのオトコについて評価なんかしてないのかもしれない。お互いにさ、アナタは今夜さびしくてお金でわたしのこと買っちゃったね、わたしはあなたに愛撫されていっちゃったねって、そんでお互い様でお互いにどうしようもないもんねって、そう思うだけだよ。わたしの場合はね。

そうだなぁ、この言い方が正しいのかどうかわからないけど、わたしの存在って、「刑務所」みたいなもんだと思うよ。世の中って、やっちゃいけないことがあって、それは当たり前のことで、でもそれをやっちゃう人、やらずにいられなかった人って実際にいるわけじゃない? 世の中、うまくいく人がいれば、その分どこかで、うまくやれない人が生まれちゃうわけだし、どうしようもなくさ……。でさ、それを全部殺しちゃうわけにもいかないし、そういうのをなんとか受け入れる場所がいるわけでしょ? その意味で、わたしは刑務所なんじゃないかな。うん、わたしはなんかそういう気がしてきたよ。今、そうなんだってあらためて自分で思った。わたしは「刑務所」なんだよ。オトコもオンナもさ、生まれながらに罪なところを背負っていて、その罪の部分を、わたしが収容するんだよ。わたしはオトコの罪なところを、軽蔑はしないで、ただ収容するの。もちろん、自分のオンナとしての、罪なところと一緒にね。

……彼女はそんな話をしてくれた。僕にとってもかなり印象深い話だったし、今これを読んでくれている思春期の女の子にとっては、ちょっと内容的にショッキングなものだったかもしれない。こんなこと書いていいのかな、中学生の女の子とかも読んでくれてるのに、と少し不安にもなってくる。でもまあ、思春期に正しい性教育が必要だというならば、こういうのが本当の性教育かもしれない。世の中には、本当に娼婦として生きているオンナがいて、その当たり前のことを僕たちは普段忘れているわけだが、それは僕たちが僕たちの性の一部について目をつぶっているということでもある。そういう認識の拒否はたいていロクでもないことにつながってくるので、こういう話をどこかで聞いておくのは大事なことだ。若い女の子は、この彼女が話したことの抜粋を読んで「セックスって何なんだろう」と不安に思ったかもしれないが、それが本当にセックスについて考えるということのスタートでもある。そして大事なのは、そういう生々しい僕たちの性の側面を知った上で、自分として信じられるセックス観を手に入れられるかどうかだ。

話がズレた。元に戻そう。

彼女は娼婦であって、まさしく娼婦の空気を纏っているオンナだった。僕はその彼女の纏っていた娼婦の空気について、突き詰めるところこのように考えた。

―――僕たちは、それぞれオトコとオンナとして、陰と陽、それぞれの側面を持っている。普段、人に見せられる側面と、人に見せられない側面、その両方を持っている。

―――そして僕たちは、その片面、人に見せられない側面ついて、お互い目をつぶっている。僕たちはその側面を認識することに臆しているのだ。

―――しかし彼女は、そのことに臆していない。彼女はオンナの両面と、オトコの両面を、はっきり見据えて目を逸らさない。彼女はオトコに愛撫されていってしまう自分を否定しないし、オンナとセックスしたい生きものである僕も否定しないのだ。

―――彼女の纏っている娼婦の空気は、まさしくそこによって醸成されている。今目の前にいる彼女は、僕の陽の側面だけではなく、もう一方の側面をも見ようと、それを受け止めようと、そのことを日常の態度として覚悟しているのだ。彼女はそのことを、自分として「刑務所」と称した。なるほど刑務所は、人の罪を収容する、そのことを日常とする存在である……

僕たちは普段、それぞれオトコとオンナとして生きているが、そのお互いを認識するに、また自分自身を認識するに、常に片面的である。もう一方の側面について、認識することを忌避する。

僕は誰とでもセックスしたいという側面を認めたくないし、あなたも誰にでもいかされるという側面を認めたくないのだ。

(こうやって書くだけでも、ものすごい反発を受けそうな気がして僕は怖い。それぐらい、僕たちはこのことを認めたくないのだと思う)



■娼婦の空気を隠し味にすることができる。というか、その程度にしておこう。



さて、前段ではいくらかダークな感じの話になってしまった。僕は別にダークな人間ではないので、ダークな話をダークなまま終わらせるのが好きではない。

なので、中和しよう。えー、ここまで読んで気分が悪くなってきた人も、がんばってこの先も読んでもらったほうがいくらか悪寒もマシになるかと思います。

僕たちにとって、セックスはとても大事なものだ。僕たちは、いいセックスがしたいと思うし、できたらそれは愛とその増大と充実を伴うものであってほしいと思うし、できることならそれは恋人として絆のある関係においてなされるものであってほしいと願う。僕は、そのことを否定するつもりは毛頭無いし、そういうことではオトコは欲情しませんよとそんなことを言うつもりもない。僕が話しているのは、オトコとオンナの両面性、その陰陽の両面性についてだ。だから僕が言いたいのは、あなたがオトコに欲情されたいなら、いくらかはその両面性を持ちましょうよ、ということになる。そしてたいてい、僕たちは明るいほうの側面については十分持っているので、もう一方の側面、普段は認識したくないほうの側面について、いくらか隠し持つようなことはしましょうよということになる。

重ね重ね申し上げるが、本当はセックスなんてオトコにとってもオンナにとってもダークなものなんだよウッシッシと、僕はそんなことを言っているわけではない。世の中に早合点な人は多いので、くどくなるのを覚悟で繰り返し申し上げておきます。ダークサイドだけでそれぞれがオトコとオンナをやったら、世の中は色魔と娼婦しかいなくなってしまう。あなたも娼婦的なものを持てばいいと僕は思うけれども、娼婦になっちゃえとは言わない。僕が言いたいのは、明るく楽しく豊かなセックスのために、娼婦的なものをスパイスにしようという程度のことだ。(くどいな、本当に)

さてでは、本題に戻って考えよう。娼婦的なものをスパイスにするということ、それによってオトコを欲情させる、そういうオンナになろうということ。

オンナというのは、オトコに欲情されるほうが幸せです。

(僕は男女差別をしているわけでなはい)



***



僕たちはセックスが好きだ。みんな、僕ほどではないにせよ、それぞれにそれなりにセックスが好きなはずだ。まだセックスをしたことが無い人もいるだろうけど、まだ未体験のそれを想像するときにでも、基本的には甘く切ないイメージにおいてそれを想像するはずだ。リアルにその機会が迫っている女の子は、無視できない大きな不安もあるかもしれないけれども、まあそれ自体を悪夢のようなイメージで想像している女の子はいないと思う。そういう女の子がいたとしたら、それは彼氏を取り替えたほうがいいねと僕は言うだろう。

僕たちが、それぞれに僕たちの好きなセックスをイメージするとき、普通は明るく楽しくうっとり切ないセックスをイメージする。その基本は、お互い好きあっている相手、お互いに見つめ合うだけでもアタマがどうにかなってしまいそうな相手と、お互い感情を開放して裸になって抱き合ってお互いを慈しみあいまたむさぼりあう、そういうイメージになっているだろう。それはそれでとてもステキなことなので、そのことを放棄する必要はまったくない。(それを放棄したオンナとは寝れない。こわい)

ただ、なんと言うべきか、そのことのイメージだけだと、オトコを欲情させるということについては万能ではなくなってくる。先に話した娼婦的な空気なるもの、それが一切排除されて、清浄な空気、清浄すぎる空気に満たされてしまうのだ。それは極端なたとえ話をするとこういう具合になる。決勝戦でマッチポイントの緊張感の中でコートに立っている女子バレーの選手、その太ももを見て欲情するオトコはいない。バッハのマタイ受難曲第五十八番を歌っているソプラノ歌手、そのドレスの大きく開いた胸元を見て欲情するオトコはいない。美しいと感じることはあるにしても、欲情するオトコはいない。もしいたとしたら、そのオトコは欲情する以外の心の機能を持っていないオトコなので、そんなオトコに欲情されてもしょうがない。

たとえ話はいくらか極端な感じがするかもしれないが、本当にそういう清浄な空気を纏っているオンナ、そういう空気しか纏っていないオンナは実際にいたりする。そういうのはもう色気があるとか無いとかの話ではなくなってくるので、どれだけ露出が激しいドレスを着ても、欲情の対象にはなりえなくなるのだ。

覚えておくといいと思うのだけれども、オトコは単純にオンナのカラダに欲情するのでは決してない。娼婦的な空気がなければ、素っ裸のオンナであってもオトコは欲情しない。スーパーモデルがスケスケの服を着て歩き回るパリコレを見てもオトコは欲情しないし、昼日中から裸で街中を歩き回る金粉ショーのお姉さんを押し倒したいとは誰も思わない。

オトコがオンナを抱き寄せてそのまま押し倒したくなるのは、そのオンナから娼婦的な空気を嗅ぎ取ったときなのだ。娼婦的な空気があれば、そのオンナがボロボロのジーパンにトレーナー姿であってもオトコは欲情する。

肝心なのは、そのオンナが纏っている空気なのだ。

あなたの場合は、どうだろうか。あなたの纏っている空気、それは基本的には健康的で清潔なものだとして、その中に、娼婦的な空気はいくらかでも混じっているだろうか。空気清浄機にかけたような、クリーンな空気に満たされきってはいないだろうか。

色気が無い、と悩んでいるオンナは世の中に多い。そしてそういう人はよく、色気ってなんなんだろうねと、そのことについて考えて友達と話し合ったりもするが、結局これといった結論や発見は手に入らなかったりする。一般的には、オトコはオンナの色気について、「好きそう」というような表現をすることも多いので、オンナの側としてセックスが好きなほうが色気というものも出てくるのかもしれない、と考えたりもするのだが、でもわたしはわたしなりにセックスが好きなのに、それでも色気につながらないのはなぜなんだろうと、そのことに思い至ると思考がまとまらない。

僕が思うに、そういうオンナはたいてい、セックスが好きなのはいいとして、そのときに想像しているセックスがきわめて片面的なのだ。それによって、纏っている空気が清浄になりすぎてしまい、結果的にオトコを欲情させるような方向に働かない。結果、自分はなぜセックスが好きなのに色気がないんだろうと悩むことになる。

たしかに、オトコに欲情されるためには、そのオンナ自身セックスが好きである必要がある。そのことは間違いない。一般論として正しい。

しかし、それだけでは不十分なのだ。それだけでは、明るく楽しいセックスが好きということだけでしかないかもしれず、娼婦的な空気を纏えないこともありうるのである。

だから、オトコを欲情させるには、もうひとつスパイスを効かせる必要があるのだ。そのスパイス、娼婦的な空気なるものについては、前段の話を思い出してほしい。プロの娼婦として、娼婦の空気を圧倒的に振りまいていた彼女の話を。

―――オトコもオンナもさ、生まれながらに罪なところを背負っていて、その罪の部分を、わたしが収容するんだよ。わたしはオトコの罪なところを、軽蔑はしないで、ただ収容するの。もちろん、自分のオンナとしての、罪なところと一緒にね。

オトコとオンナは、それぞれに罪なところを背負っている。それは生まれながらにしてそうで、生涯そのことからは自由になれない。娼婦は、その罪を怯みも軽蔑もせずに受け止める存在だ。

さてではあなたは、その罪を、オトコとオンナの生来的な罪を、いくらかでも受け止めることができるだろうか。

そのことができれば、あなたはそのことの空気を纏うだろう。

あなたにはそれができるだろうか?

そんなことは到底できそうにないと、ひとまずそう思えても、そう決め付ける具合に即断することはない。

あなたにはできなくても、あなたの中の娼婦には、そのことができるかもしれないからだ。

あなたの中にも娼婦は住んでいる。

それが寝てたり、幽閉されてたり、個人個人で差があるだけだ。



***



どうも、きわどいことについて話しているなぁというような気がする。欲情されないオンナたちというタイトルで、もっと軽快な話をするつもりだったのに、いつのまにか言葉の取り扱いにセンシティブにならざるを得ない話になってしまった。僕は今不安である。今僕が話していることについて理解しようとしてくれる人は、全体の半分もいないのではないかという気がしてくる。まあでも、万人に理解されることというのはいわゆる正論というやつで、正論というのは世界一くだらないものになるのだから、僕はひとまずこのきわどい話をきわどいながらに続けようと思う。でも、ちょっと疲れたので、もう少し話を軽い調子にすることにする。(すいません、筆者息切れです)

あなたが、娼婦的な空気をスパイス的に持つということ。そのことで、オトコはあなたに欲情するようになる。

あなたが、そういうオンナになることを目指してみるとしたら、あなたは次の問いかけにはどう答えるだろうか。

あなたの中に、娼婦が住んでいるのだと思って、その娼婦に尋ねる気持ちで考えてみてもらえたら面白いかと思う。

「あなたのカラダは、誰が愛撫しても反応しますか?」

この問いかけについては、誰でもYesと答えなくてはならない。それは当たり前だ。誰にでも殴られたら痛いように、誰にでも愛撫されたらカラダは反応する。愛撫といってもその正体は突き詰めるところ摩擦でしかないわけだから、それに反応しないということはありえない。摩擦されているという感覚が得られること、そのこと自体が反応といえば反応なのだ。だからここでは、誰でもYesと答えるしかない。

で、ここでYesと答えたオンナのほとんどが、「でもね」と言いたくなるのはもうわかっている。わかっているから、あまり目くじらを立てないように願いたい。反応するといっても、愛しているオトコにそうされるのと愛していないオトコにそうされるのとでは、オンナの側は幸せ感も違うし感じ方もその気持ちよさも違う。やっぱり、愛しているオトコにそうされるのが一番気持ちいいし、一番幸せだ。

ただ、ここで踏みとどまって、僕はあなたの中の娼婦と話がしたいと思うのだ。あなたが、愛してもいないオトコに愛撫されたとして、そのときにその気持ちよさはゼロだと言えるだろうか。またさらに言うと、自分が愛してもいないオトコに愛撫されていると、そのことに気持ちがふしだらに熱くなる、そのような反応は一切おこらないだろうか。

セックスというのは、健康でその機能を失っていない男女なら、誰とでもできるものである。そして、愛がなければそれがまったく気持ちよくないものかというと、それは決してそうでもない。その程度は、それぞれのカラダの性質にもよるが、中には本当に敏感なカラダを持っていて、誰に愛撫されても思い切りいってしまうオンナもいるし、正直そういうふしだらで道に外れたセックスのほうが彼氏とのセックスより感じてしまうというオンナもいる。あと逆に、ある種不幸な話で、愛する彼氏なり旦那なりと、カラダの相性が悪い、あるいはオトコの側があまりにヘタクソで、そのオトコとのセックスが一番感じない、というような場合もある。

僕はこのことについて、あなたの中の娼婦と話がしたいと思う。あなたの中の娼婦は、なんと答えるだろうか? それが娼婦である以上、Noと答えることはありえないということになるわけだけど。

僕たちは誰とでもセックスができるし、またそのことで気持ちよくもなる。僕は愛していないオンナの中で果てることもできるし、あなたは愛していないオトコのペニスをフェラチオすることもできる。

これはもちろん、実際にやるかどうかということの話ではない。できるできないということの話だ。僕たちはたとえば、生まれたての子猫を踏み潰して殺すこともできるわけだが、決してそのことを実際にすることはない。それと同じように、できるからといってそのことを実際にするかどうかは別の話だ。

ただ僕は、あなたの中の娼婦に、あなたは誰とでもセックスができるし、それによって気持ちよくもなる、ヘタすれば彼氏とのセックスより思い切りいってしまうかもしれないと、そのことを話しかけたい。あなたの彼氏も誰とでもセックスできるし、その相手のオンナはあなたよりフェラチオが上手で彼はうっとりするかもしれないし、彼はより情熱的にそのオンナを抱くかもしれないと、そのことを話しかけたい。

そしてそれによって、あなたの中の娼婦を少し目覚めさせてしまいたい、解放してしまいたいと、そんなことをたくらんでいるのだ。

繰り返すが、そのことができるからといって、それを実際にやるかどうかはまったく別の話。それを実際にやることを、僕は決して勧めない。

ただ、そのことをこっそり認めるということについて、僕はあなたに勧めておきたい。そのことをこっそり認めると、あなたは娼婦的な空気を隠し持つことになるからだ。

「わたしのカラダは、誰に愛撫されても感じてしまう。そして多分、ためらいなくいってしまう」
「わたしは付き合ってもいないオトコのペニスを、フェラチオすることもできる。そして多分、そのときはそのふしだらさに、わたしは興奮さえしてしまうと思う」
「彼氏以外のオトコとセックスしても、わたしは感じる。わたしはそのとき、彼氏とのそれよりも、より激しく感じてしまうかもしれない」
「彼氏以外のオトコ、付き合ってもいないオトコとセックスすることを想像すると、ドキドキする。半分は不安と恐怖と嫌悪だが、もう半分は期待と興味と興奮だ」

そういうことを、あなたはこっそり認めてしまえばいいと思う。それによってあなたの中の娼婦は目を覚まし、オトコといるときにちらちらと顔をのぞかせるようになる。そして、それがオトコを欲情させる。

オトコは、知らず知らずのうちにあなたに目を奪われて、手に汗を掻くようになるのだ。

そのオトコが、あなたの恋人だったり、あるいは想いの人だったりすれば、あなたはきっと幸せになるだろうね。

(何度でも繰り返すが、セックスなんて誰としても同じとか、誰とでもやっちゃえとか、愛のあるセックスなんて虚構だ幻想だとか、そんなしょうもないことを僕は言っていない。ここまで言ってもまだそう思えてしょうがない人は、もう今回の話を理解することを放棄してもらうしかない)




■欲情についての誤解を解く。めんどくさいけど、解く。



娼婦的なものということについて、僕として言いたいことは一通り言い尽くした。読んでくれている女の子には、いくらか受け入れがたいところもあると思うし、むしろ全体的に受け入れがたいというかオマエ何言ってるんだハレンチなろくでなしめとそうお怒りの方もいるかもしれないと思う。まあでも、僕として言いたいことはこれで言い尽くしたし、訂正するところも今のところ無い。一部の人でも、何かヒントを拾ってくれたらいいなと思う。

(そういうオンナが、いつか僕を欲情させにきてくれたらいいな。セックスできなくても、欲情すること自体ひとつの快楽だと僕は思ってたりする)

さて次に、ここまでの話とは少し路線を変えて、もっと簡単なところの話をいくつかしておきたいと思う。ここまで欲情欲情と言ってきたが、そもそもオトコがオンナに欲情するということについて、根本的な誤解をしている人が多いのではないかという気がしてきたからだ。

例えば、こんな話。

階段を上る女子高生、そのスカートが短くて、中身がちらりと見えそうになったとする。オトコは、おっ、と目を引かれる。僕の場合もそうで、うおおおっ、と目を引かれる。周りにバレたらイタいと思いつつも、思わず数歩はその女子高生を追跡してしまう。(そこまでバラすこともないか)

オトコのこういう姿を見ると、あるいは想像すると、オンナはげんなりすると思う。オトコって、いやらしいっていうか、いやらしいことしか考えてないんじゃないかと、そう呆れ返りたくなるだろう。まあそれは、呆れ返って当然のことでもあると思う。

でもそれが、オンナに対するオトコの欲情かというと、それはまったく違っていると言わなくてはならない。それは欲情でもなんでもなくて、単なる生理反射みたいなものだ。そんなことでいちいち興奮したり下半身を元気にしたりするのは、せいぜい思春期の終わり18歳ぐらいまでである。

欲情とはそういうものではないのだ。このことを誤解している人がもしいたら、それは即刻修正することをオススメする。

オトコはオンナのミニスカートに目が行くし、その中身が見えそうになるとさらに引き付けられる。それはオトコに特有の現象なので、確かにオトコの性的な現象である。

でもそれは単なる生理反射みたいなものでしかないのだ。それはオンナで言うなら、例えばオンナがかわいい赤ちゃんに目を引かれるのと同種の現象である。オンナはその本能からか、赤ちゃんを視界に認識するとそれに目を引かれる。別に母性本能を発動させているというようなレベルの話ではないが、とにかく目がいってしまうものだ。それはオトコには無い現象、オンナに特有の現象なので、その意味では性的な現象でもある。オトコがミニスカートとパンチラの可能性に目を引かれるのも、まあオンナのそれに比べて尾篭なものであるには違いないけれど、現象としては同種のものなのだ。

あと、例えば僕の場合は、割合と細すぎない足が好きだったりするので、ミニスカートの彼女がそういうタイプの足だと、思わずその間に手を突っ込んでみたいなぁ・やわらかくて気持ちよさそうだなぁと思ってしまったりする。でもそれも、欲情かと言われたらそうでもない。それは単に、触ってみたいということでしかない。それも例えていうならば、オンナがかわいい赤ちゃんを見て、思わずその赤ちゃんのほっぺたに触れてみたくなる、そのことと性質としては同じものだ。

欲情とはそんなものではまったくないわけだが、そんなことを本当に誤解したままのオンナが実際にいる。そしてそういうオンナは、「やっぱり胸とか大きくてそれをアピールとかしないとオトコの人的にはそそられないんですかね」とか、そういうとんでもない見解を口にしたりするものだ。

そういうオンナは、ちょっぴり恥ずかしい。

だからここでは、そういう誤解を、いくらかでも解いていこうかと思う。

ついでに、僕がいつでもどこでも欲情・興奮・発情していると、そう思い込んでいる誤解も解いてもらえるとうれしい。

(オレはもうそんな年齢じゃないぞ、言っとくけど)



***



オトコの視線が、エッチいものに引き付けられるのはなぜか。

先のミニスカートとパンチラの話、そこから敷衍して一般化する具合に、まずこのことを話そうと思う。このことについて説明しようとすると、本当はゲシュタルト理論とかを正式に説明するのがスジになるのだけれども、もうそれはうっとうしいので差し置き、僕なりにかいつまんだ説明をすることにする。本当に賢くなりたい人は、図書館に行ってゲシュタルト理論についての難解極まりない本をヒーヒー言いながら読みましょう。

かいつまんで説明するなら、こういう具合になる。

Q:オトコがなぜ、エッチいものに目が行くか?

A:それはほとんど、「記号」に対する生理反応である。

僕たちは動物として、生来的に記号に対する認識を原型として埋め込まれている。そして、オトコがエッチいものに目を引かれるのも、ほとんどそれと同じ反応でしかないのだ。

記号に対する認識とか反応とかについては、こう考えてもらえればいいかもしれない。例えば、生まれたての赤ん坊でも、母親の乳首を見るとそれに無条件に吸い付く。これはなぜか。なぜ赤ん坊は、それが乳首であって授乳器官であるということを知らないままに、それに吸い付こうとするのか。

それは、乳首の形の記号を、原型として遺伝子的に埋め込まれていて、それを見たら吸い付くということを初めからプログラムされているからだ。記号に対する生理反応とはそういうものだ。これは命の仕組みであって、このことがなければ赤ちゃんは生きていけない。

この種のことは、観察すればいくらでも見つかる。例えば、人間の赤ちゃんでも犬猫の赤ちゃんでもそうだが、目が開くようになればすぐ、その視線は基本的に相手の「目」に向けられる。このことを僕たちは当たり前のこととして感じているが、よくよく考えると不思議なことなのだ。赤ちゃんは、その「目」が相手の「目」という器官であって視覚を司るインターフェイスだということをもちろん知らない。そして、まず相手を認識するのには目を見るものなのですよと、そんなことを誰かに教わったわけではない。それでも、目の開いた赤ちゃんは、迷うことなく相手の目を見るのだ。これも先の話と同様、「目」の形の認識を生来的に入力されているからである。

これらのことは、本能的と言ってもいいわけだが、「記号に対する生理反射」と表現するほうが、ある程度真実を正しく描写するだろう。僕たちは生来的に記号に対する認識を入力されていて、それに対する反応もプログラムされている。どこまでが生来的なものでどこからが後天的なものかを判別するのは難しいが、とにかく生来的な部分がまず巨大なものとしてあるのだと知っておくといいと思う。

さてそのような前提の中で考えれば、先のミニスカートとパンチラがどうこうと、そんなことはもう議論を俟たずに「欲情とかそういうのじゃない」ということがわかると思う。どこまでが生来的なものかは甚だ怪しいが、とにかくミニスカートとパンチラの可能性については、オトコは感情の発生以前に目が行くように作られているのだ。

このことについては、例えばこういう説明もできる。あまり考えたくもないことだけれども、香水の臭いがプンプンして目に染みてきそうなおばさん、部屋の中では黒の下着姿にタバコをふかしてコレステロールの充実した下腹をさすっていそうなおばさんでも、電車の中で足を広げて座っていれば、オトコはその足の間に目が行きそうになるのだ。そんなものはもちろん見たくも無いし、見てしまって黒地に蝶の刺繍がしてあるパンティが見えたりすると後々まで後悔するのだけれども、そういう感情を無視してオトコの視線はその足の間に引き付けられそうになるのである。それはひとまず意思の力で止められなくもないが、気を抜くとすぐに目が行きそうになる。これは、けっこうキツい。僕の場合なんかは、そういうときはやむを得ず座席を立ってしまうぐらいだ。このことは、まわりのオトコ友達に聞いてみてもいい。きっと、僕と同じことをみんなが答えるだろう。

そんなわけで、オトコがエッチいものに目を引かれるのは、そういう反射的な現象でしかないのだ。そんなものを欲情と取り違えていると、いつまで経ってもオトコの仕組みが理解できなくなる。とにかく、オトコがエッチいものに目が行くのは、本当に単なる生理反射のものでしかないのだと、そう思っておくことを僕は勧める。

(ちなみに、超かわいいオンナの超セクシーなパンチラを見たとしても、そんなものは三十秒で忘れます。それはアレだ、オンナがウィンドウショッピングで、この指輪超カワイイ超ほしいと大騒ぎし、それを三十秒後には忘れているというのと同じだ)



***



あまりセックスをさせすぎると、オトコはそのオンナに「飽きる」のか。

このことについても、欲情という視点から考えておくことにしよう。

付き合いが長くなり、お互いの関係が日常化してくると、セックスが盛り上がらなくなってくるということがある。それは時にはセックスレスという問題になって、離別の理由になったりすることもある。この現象はなかなか取り扱いが難しい。お互いに腹を割って話すのが難しい上に、お互いに堂々と向かい合うことなく解決するのも困難な問題だ。そのため、放置されたその問題は時にその強度を取り返しのつかないレベルにまで成長させて、婚姻関係をすら破壊することがある。

これについて、安易な解決策を導き出すのは難しい。僕自身にもその経験があって、その困難さを我が身で体験したことがあるのだ。日常化した特定の相手とのセックスに「飽きる」という現象、この現象は、確かに「飽きる」という現象によく似ているが、その性質は単なる「飽き」よりももっとタチが悪い。例えば、作り過ぎたカレーを三日間食べるとさすがに食べ飽きてくるというものだが、それでも食べて食べられないわけではないし、それをまったくおいしいと思わないわけではない。でも、セックスにおける「飽き」はもっと悪質である。それは飽きるということを超えて「苦痛」なレベルにまで及んでくるのだ。いったんそうなると、それを解決するのはとても難しいし、それに対する特効薬的な処方箋もない。セックスのシチュエーションを変えるとか、下着をかわいいものにするとか、そういう方法が女性誌等には取り上げられているが、それもはっきりいって一時しのぎのものでしかない。

かといって、もうこのことは避けられませんと言ってしまうのも愛想がないので、僕は僕の知っている限りの範囲で考えたいと思う。そこで僕がまず第一に思うのは、オンナの側に、オトコの側のセックスの事情を知ってもらいたいということだ。オンナはセックスにおいて受身であって、極端な話で言えば半分寝ていてもセックスはできるわけだが、オトコはそういうわけにはいかない。このことを、オンナは意識的に知っていたほうがいいと思う。

日常化した特定の相手とのセックスは、当然ながらその新鮮味という部分については劣化を余儀なくされる。そして新鮮味を失うと、単純な興奮が失われていく。これは、オトコの側だけでなくオンナの側でもそうだ。オンナの側でも、初めてのキスとか初めての抱擁とか初めて乳房に触れられるときとか初めてベッド押し倒されるときとか、そのときの興奮は日常化した後のそれとの比ではないだろう。オンナだって、その新鮮な相手、初めての相手や慣れていない相手とのセックスには興奮する。日常化した相手には、そのことがなくなってくる。これは当たり前のことだし、別にいいことでも悪いことでもない。

ただ、ここにおける「興奮」という一点において、オトコとオンナは事情が違うのだということを、オンナはある程度知っているほうがいいと思うのだ。オンナはセックスでのその役割上、興奮がまったくなくてもセックスはできる。むしろ、余計な興奮が無い、うっとりとおだやかな、甘くゆっくりとしたセックスの方が好き、ということもあるかもしれない。でも、その点はオトコの側では事情が変わってくるのだ。あなたもオトコと何度か寝たことのあるオンナであるならば、オトコの側が十分な機能を発揮するためには、単純な「興奮」がなくてはならないということを知っているはずだろう。オトコは、興奮無しにセックスすることができないのだ。

あなたが、興奮なんかなくていいやという具合に、リラックスしきった態でベッドに寝ている。そしてオトコは、その体を愛撫しながら、さあ頑張ろうと思う。実はこのとき、オトコの側にはオンナには想像しにくい類のプレッシャーがかかっている。オトコは普通、ベッドの上でダサいことにはなりたくないと、コドモっぽく思っているものである。そしてその中で、そのように日常化してゆったりとしてしまったベッドの上で、ひょっとすると自分がちゃんと興奮できないかもしれないとか、それによって十分な機能を発揮できないかもしれないとか、そういうことを不安に思っているものなのである。

このことの不安が、セックスレスへの第一歩となることはよくある。オトコは例えば、仕事で疲れている日に、ベッドの上のあなたを見て、うーん今日は疲れてるし興奮できる自信が無いやと、そういうことでその日はあなたに手を出さなかったりする。ところが、仕事で疲れている日というのは要するに毎日のことなので、その翌日も翌々日も、結局は手を出さずにオヤスミということになるのだ。そしてまた、そうやって時間を空けすぎていくと、カラダがセックスを忘れるということにもなってくる。

そしてそんな中で、いくらなんでもたまにはしないとなと、彼なりに奮起してトライしたその日に、なんだかんだでうまくいかなかったりすると、もう彼の中ではアナタの知らない危機が始まってくる。彼は興奮を失っているところに、自信までも失ってしまうことになるわけだが、セックスにおけるオトコの興奮なんて、半分以上はオンナを感じさせることなのだから、そのことの自信がなくなればそのことの興奮も自分の中で期待できなくなってしまう。そうなると、いよいよ事態はあなたの知らないところで深刻になっていくのだ。

こうやって考えてみればわかると思うのだけれども、オトコがオンナに「飽きる」という現象は、根本的にオトコの側の「興奮の喪失」という単純なことに集約されてくる。逆に言うと、「飽きる」というのは正確ではなく、飽きるほど抱いたオンナであっても、そのとき何かしらの理由で興奮さえできていれば、オトコはそのオンナを抱けるのである。

なので、彼からの夜のアプローチが減ってきたころ、あなたは彼があなたに「飽きた」などと、そう思って気持ちを腐らせていてはいけない。それは単に、お互いの間に興奮がなくなったからであって、そのことは彼もあなたも同じく共有している感覚のはずだ。わたしは興奮がなくてもセックスしたいよと、そう思ったとしてもそれはあくまでオンナの側の事情でしかない。オトコの側は、ゆっくりのんびり甘やかにと、そう大きく構えることのできないカラダ的な切実な事情があるのである。

だからあなたは、彼のアプローチが減ってきたころには、その部分で彼に対する理解とケアを心掛けるべきだと思う。この部分は、あなたがどれだけオトコの間抜けな事情に同情的かということによって変わってくるとは思うが、もしあなたがオトコのそういう部分を気の毒になぁと思える優しいオンナであったならば、ひとまずは彼について、「そうだね、オトコの人は興奮しないとできないんだもんね、興奮っていってもずっと保っているのは難しいことだしね」と、そう共感してあげれれば最善だと思う。

(オトコの側の勝手な事情だと、できればそう罵らないでもらいたい。これは実際、オトコの側としてけっこう深刻なことなのだ。いくら相手のことを好きで、心底から大事に思っていたとしても、そのことと興奮することとは別次元のことだから)

そして、彼の側のオトコの事情をいくらか汲み取った上で、そこからはあなたなりのケアを彼に向けていけばいいと思う。その時の主題は要するに彼をいかに興奮させるかということだから、あなたの気の持ちようによってはヤル気の出る主題であるかもしれない。もうアナタはワタシに興奮してくれなくなったのねどうせオトコなんてそんなものよと、そう悲観するのは簡単だしそう思われて悲しくなる人もいるのは当然だと思うが、それはとりあえず解決の方向に向かわないことを覚悟はしておこう。

彼を、どうやって興奮させるか? そのことについては、先の話に戻って考えてもらうことになるかと思う。彼を興奮させるということは、欲情させるということと実際においては差が無い。

彼を興奮させるには、あなたが娼婦的になればいいということだ。そのことの詳細については、やはり先に話した通りである。

(沈静していく彼の興奮を、あなたが娼婦的になって賦活するということは、リアルに考えると実はヘヴィな話へと進んでいくことになる。それはあなたに、いろいろと覚悟と勇気を要求してくるだろう。そのことについて話したいこともいくらかあるにはあるが、そういうのはどうしても個人個人のケースバイケースになってくるので、ここで一元的に話すのは差し控えることにした)



***



オトコはどうして、彼女がいるのに合コンに行きたがるのか。

このことについても、話しておくことにしよう。これは、このことについての話をよく僕として問いかけられることが多いからでもある。どうしてオトコは、彼女がいても合コンに行きたがるんですか、やっぱり他のオンナにも欲情したり、他のオンナともやりたいとかって思ったりするものなのですかと、そう怒りの矛先を僕に向ける具合に尋ねてくるオンナは結構多いのだ。まあそういうとき、そのオンナは必死なあまりか、恋人がいても合コンには行くというのはオンナでも案外多いということをすっかり失念していたりもするのだけれどね。

えーと、ここではこの話を、ひとつトラップを仕掛けながら話し進めることにしようかと思う。単純な話に単純なワナをかけるだけだが、そろそろ引っかかる人が出てくるかもしれない。

さてさて、それはいいとして、話の続き。

なぜオトコは、彼女がいても合コンに行きたがるか。そのことについて考えるにして、オトコは他のオンナにも欲情するし他のオンナともやりたいのだと、そのことには根源的なところまで突き詰めればYesと答えなくてはならないのは前段で話した通りだ。しかし、ことを実際的なレベルで考えるのであれば、イヤそんな大げさなことじゃないというか気合の入ったことじゃないよと答えるべきだろう。合コンにいく、それをオトコが楽しみにしていたとして、そのオトコは実のところそこまで「ヤル気」なわけではない。合コンでオンナを即ゲットしてそのままお持ち帰りすると、そのことは誰でも一度は夢見るものだが、実際のこととしてそれをやるオトコ(やれるオトコ)は少数派だし、そもそもそれにトライするオトコからしてかなり少数派だ。オトコはそこまで考えていないし、やろうともしない。ぶっちゃけ、その勇気というか度胸を持っているオトコが少ない。だから、オトコが合コンに行きたがるその理由は、そのもっと手前のところにあるのである。

これについては、例えて言うなら釣りや狩猟をイメージしてもらえばいいかもしれない。趣味としての釣りや狩猟をする人は世の中にたくさんいるが、その人たちは決して空腹のあまり食料を得ようとしてそれをしているのではない。海釣りなんかでは釣り上げた魚をおいしくいただくことはあるが、それを食料の入手ということで躍起になってやっている人はいない。だから、その釣果がゼロでも、あるいは食べられる大きさではない小物ばかりであっても、釣りが好きな人はそれはそれで満足してその時間を過ごす。釣りが好きな人は、食欲のゆえに食料の入手としてそれを楽しみにしているのではないのだ。海に釣り針を垂らす、それにひょっとしたら大物がかかるかもしれないと、その未実現のワクワクを楽しむのが釣りの楽しみの核であると言えよう。

合コンにいきたいというのも、そのことと同じようなものだと思えばいいと思う。オトコは合コンにいって、ひょっとしたら大物がかかるかもしれないと、そんな未実現のワクワク、実のところ実現するアテどころか実現させる意思も無いに等しいそのワクワクを、一時的にでも楽しみたいだけなのだ。その楽しみをまた、友人と共有して、競い合ったり笑い合ったりしたいというような部分もある。だから、オトコにとって合コンにいきたいという気持ちは、単に友人らと一緒に釣りや狩猟に行きたいと、そういう気持ちと似たようなものだ。そしてどうせ、彼女がいるのに他のオンナを即ゲットしてお持ち帰りできるようなタフなオトコはそうそういるものではない。その意味で、合コンに行きたがるオトコは、単にワクワクするイベントに行きたがっているだけなのである。

(合コンで、彼女がいるくせにいないとウソをつく下種なオトコもいるが、もうそういう人については考えてもしょうがない。そのときは、そんな下種と付き合っているあなた自身を問題とすべきだ)

また、中にはもちろん、オンナを即ゲットしてお持ち帰りしたいと、そのことを明確な意思として持っているオトコもいるわけだが、そのことについてはあなたは心配しなくていい。なぜか? それは、もしあなたの彼がそう思っていたとしたら、彼が合コンに行くという情報をあなたはそもそも入手していないはずだからだ。本気でその気のオトコなら、そんなことをいちいち彼女に報告したりはしない。だからむしろ、彼が合コンに行きたいと言い出したら、あなたは半ば安心さえしてもいいのである。

そんなわけで、あなたの彼が合コンに行きたがったとしても、ほんとオトコってバカだよねと、そう思っていればそれでいいと思う。そしてついでに、わたしの知らないところで楽しんでくる分、後でわたしのことも楽しませてほしいなと、そうかわいくいっておけばそれでいいだろう。それだけでも、普通のオトコはオレって彼女に信用されてるし自由にさせてもらってるしオレのオンナはそれだけゆとりのあるいいオンナなんだよと、友達に自慢したりするのだからカワイイものである。

ええと、このように話し進めすぎると、ちょっとオトコの側のわがままが過ぎるだろうか。「オトコの事情だけで好き勝手言わないでよ」と、あなたはそう思ったかもしれない。普通、そう思うオンナのほうが多数派なはずでもある。

でもここでそう思った人は、まんまと僕の仕掛けたワナにはまった。そんな人がいるのかどうかわからないけれど、そういう人がいたと仮定して僕はほくそ笑むことにしたい。

僕はこの合コンどうこうという話について、オトコの側の事情だけで好き勝手なことを言った。オトコは釣りや狩猟のように、ワクワクを楽しみに行きたいのだと、まあ一般的に言えば単なる開き直りでしかないようなことを言った。

でもここで、そこにムカッときた人は、ちょっと立ち戻って考えることをしてみてほしいと思う。僕は今回、何について話してきたか。そのことを忘れられてしまっていたら、僕としては長々と話した甲斐が無いというものである。

僕がここまで話してきたこと。彼を欲情させるためには、あなたは娼婦的な空気を纏わねばならないと言った。そして娼婦とは何かということについて、オトコの罪なところを受け止める存在だ、というようなことを話した。

あなたはその点について、どうだっただろう。あなたの中の娼婦は、その睡眠なり幽閉なりから解放されて、あなたの中で活動を始めているだろうか?

あなたの中の娼婦が、いくらかでも活動を始めていたならば、僕の話に単純にムカッとはしなかったはずだ。ムカッとしたアナタは、オトコの罪なところを受け止める余地をまったく持っていない。それは善悪で言えばむしろ善に属することなのかもしれないけれども、彼を欲情させるということについてはマイナスである。そのことを、ずっと僕は話してきたのだった。

「オトコの事情だけで好き勝手言わないでよ」

そう言うあなたに、彼は欲情しない。

って、そう言い切るとイヤな感じだな。イヤな感じというか、そう決め付けられたもんじゃないから、そういう言い方をしてはいけない。

ええと、言い直し。

あなたがオンナとして、娼婦的な空気を身に纏おうと、それによって彼なりいいオトコなりをたくさん欲情させたい、させつづけたいと、そう思っているのであれば、あなたは合コンごときで目くじらを立ててはいけません。それはまったく娼婦的ではない。彼が合コンに行く、それを実際に認めるかどうかは別のこととして、彼が行きたいと思ってしまうそのこと自体を、ひとまず否定も軽蔑もせず受け止めるのが娼婦的であるということだ。

あなたには今一度、あなたの中の娼婦に耳を傾けてみてみることをオススメする。

「行くのはいいけど、やりたくなったらすぐ帰ってきてね」
「エッチい話したら、あとでわたしにも聞かせてね」
「ムラムラして帰ってきてくれたら、わたしもちょっと楽しみかもだね」

あなたの中の娼婦は、例えばそういう言い方をするかもしれません。

あとついでに、このことも言っておこう。

合コンに行きたいと思わない、他のオンナに欲情したいと思わない、そういうオトコはあなたにだけに欲情を向ける。

えーと、そんなことはありません。

そういうオトコは、貞操でも純愛でもなんでもなくて、単に欲情するという機能の根本が薄弱になっているだけという可能性があります。

というか、たいていはそうです。

あなただけに果てしなく欲情して、他のオンナは泥人形に見える、そんなオトコはいません。オトコというのは、生命体としてそういうふうには作ってもらってないのです。

そういうことを夢見て目指していると、何かにつけ、途中でうまくいかなくなります。

だからええと、どうせ目指すなら、こういうのはどうだろう。

あなたの彼は、無数のオンナに欲情する。

でもそれを、彼はあなたにだけぶつけてくる。

あなたは彼にとって、その対象に足る、娼婦でありつづける。

(そうなれたら、二人は幸せだ)





■オンナはオトコの逞しさに欲情する。それは肉体についての場合もあるが、精神についての場合のほうが多い。



というわけで、今回の話はこのへんで。娼婦がどうこうって、途中はいくらか危なっかしい話にもなったけど、どこかにヒントになる部分があったなら幸いです。

ええと、ここまで書き上げた時点で、時刻はだいたい十二時十五分。およそ七時間半でこれを書き上げた計算になる。

ここまでで文字数は、約25,400字。改行が大きいのでアレだけど、原稿用紙換算で83枚。一時間あたり約3,400字書いたことになるし、原稿用紙一枚を約五分半で書いた計算になる。

まあ今回は、いくらかスピード重視で推敲を惜しんだという面もあったかもしれない。それでも、ひとまず僕は自分で満足できるだけの文字数を満足する時間内に書き上げることができた。それに僕は、子供っぽい喜びを覚えている。

手ごたえとしては、訓練すればもっと書けるだろ、という確信もあったりするけど……

えー、それにしても、こうなるとますます明らかだと反省する気分にもなってくる。普段の僕が、自分の生産しているものに満足がいっていないのは、やはり僕が普段サボっていたというだけのことでしかなかったのだ。七時間半、今回は朝食を挟みつつもほとんどぶっ続けで書いたけれども、別にそのことに僕は疲労していない。それは僕の体質で、僕はせっかく自分にその体質があるのに、そのことをちゃんと活かしきっていなかったのだ。

まあまったく、反省するばかりだ。これから、ちゃんとやっていくことにしよう。

僕の勝手な思い込みかもしれないけれど、僕はオンナはオトコの「逞しさ」に欲情するものだと思っている。思っているというか、オトコがどうやってオンナに欲情するかについて考えたとき、反作用的にそのことが自然に浮かんできたのだ。

オンナはオトコの逞しさに欲情する。それは肉体についての場合もあるが、精神についての場合のほうが多い。で、僕はもちろんオンナに欲情されるオトコになりたいわけで、そのためには肉体も精神も逞しいのが一番だけど、肉体についてはデカいだけでさして鍛えてもいないので、せめて精神をタフにしたいと思うようになった。

そう思って、今回は一気に書けるだけ書いてみたわけだ。まあでも、実際にやってみると、別に頑張らなくても僕のそういうところは僕の予想していたよりも十分タフだった。あまり、長文を書いたなぁというような実感も無い。満足のスケールが小さいとツッコミを受けるとは思うが、所詮僕が自分に求めているのはそういうスケールの小さいことでしかない。僕はひとまず今回満足したし、今後はこれをスケールアップしていこうと企む。

さて、こんなことがタフだったとして、果たして本当にオンナは僕に欲情してくれるのだろうか? それについては、あまり自信が無い。自信が無いけど、僕はこれで自分を売っていくしかないようだからしょうがない。

こんな僕を気に入ってくれているマニアな人、あなたは多分世間のセンスからズレていていいオトコをいいオトコと感じられなくなっているので、もうこの人しかいないということで僕のことを気に入るようにしましょう。もうあなたには、その道しかありません。

(これじゃ洗脳だ)

ええと、言い方を替えよう。

僕はあなたが、娼婦的なところのあるオンナ、それによってオトコに欲情されるオンナになればいいなぁと思っている。

そしてその一方で、僕はオトコとして、「娼婦的」なオンナに対照して言うならば、「戦士的」なオトコになりたいと、その逞しさによってオンナに欲情されるオトコになりたいなぁと思っていたりする。

戦士的というと、なんか少年誌的でこっ恥ずかしい感じがするが、まあ僕はけっこうマジにそう思ってたりするのだ。

オトコとオンナは互いに欲情する。

オトコの中の戦士と、オンナの中の娼婦が、お互いを求め合う。

恋愛なんて、そんなことでしかないし、そんなことでしかないのが最高なんだ、と僕は思っている。

そんなわけで、僕とあなたと会ったとき、あなたの中の娼婦と、僕の中の戦士、それが欲情しあうようなことがあればステキだなと、僕は夢想しています。


(夢想しながら、そろそろ寝ようかな)

(といいつつ、まだ全然疲れていないので寝ない。もう少し何か別のを書いておこう)

(一日に五万字とか、書けるようになりたいな……)


そんなわけで、今回はこのへんでおしまい。

この長い文章、最後まで読んでくれたあなた、ほんとにありがとうです。


……そういやあなたも、けっこうタフだよな。

(タフなやつはいくらでもいるのかもしれない。僕は誰にも負けていられない)





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