インド旅行記@ジャイプル・アーグラー
11/5
早朝、シャダブディ・エクスプレスという特別急行に乗り、南西、ジャイプルに向かう。車窓の景色は、ただただ荒野。地平線がどこまでも続く。やがて夜明け。こんなマンガみたいな日の出があるのか、としばし太陽にみとれる。シャダブディは高級列車なので、エアコンが入っている。べつに暑くはないから、無用なのだが。ミネラルウォーターや軽食が配られる。
昼頃、ジャイプルにつく。ちょっと南に下っただけで、暑い。列車を降りると、2秒後には「ハロージャパニー、リクシャー?」と声がかかる。とりあえずその辺の呼び込みなどと握手をする。インド人は本当になれなれしいし、陽気だ。挨拶はナマステー、合掌して首をかしげる。インド人は、Yesの動作の時、首を縦に振らない。首を傾げ、アゴをくいっと出すのが、Yes動作なのだ。ここではとりあえずノーサンキュを連呼しておく。観光地では、問題なく英語が通じる。ただ、なまっているので、聞き取りにくい。インド人はSの発音ができないらしく、バスをバツと発音したりする。また、ウソ英語を臆することなく使ってくるので、ついこちらもウソ英語を学習してしまう。ヒンディー語というのは日本語と文法が似ているので、ウソの文法で英語を使われても、なぜかわかってしまう。例えば、Where is a hotel?という文が、「ホテルは、どこですか」と同じように、Hotel is where?と使われたりする。でも、イントネーションでわかるし、こちらの方がわかりやすかったりしてしまう。Would you とか Could youとかで文を始めると、逆に伝わりにくい。
ツーリストオフィスに行って資料をもらう。道連れできている彼女の提案で、もう今のうちに次の予定を組んでおくことにする。次の目的地はアーグラー。ここから東に200キロだ。長距離バスを手配し、ついでに、デリーでの観光の経験から、ジャイプル観光のツアーに参加する事にする。インドは何しろ、とてつもなく時間のかかる世界だ。電車はおくれて、リクシャーと交渉し、渋滞をかきわけて進み、物売りにからまれつつ、観光スポットのチケットを買うために30分ぐらい並ぶ。効率よくまわるなら、ツアーしかない。インドをぶらり歩くのは、決して優雅な旅にならないのだ。物乞いと物売りにからまれまくり、インド臭に浸る旅になる。
さて、それらを済ませて、ホテルを探しに行く。サクッと駅前のやつにする。ツーリストバンガロー「スワガタム」というところにする。ツーリストバンガローというのは政府系の宿。でも別に安心はできない。さして安くもない。ただ、設備は標準的だ。
荷物は部屋において、外に出る。ちょっと下町に入ったところにあるので、周りは生活区の雰囲気だ。インドの町は、あらゆる風景が絵になる。移り変わっていないから、目に映る全てのものが調和している。レンガ積みの家、ウシ、黒い肌にランニングシャツ、サリー、なりつづける頼りないクラクションの音、何年もずっとこのままなのだろう。京都の町並みよりもはるかに、リアルな時の蓄積を感じる。
空き地の前の瓦礫に、腰をかけて、たそがれてみる。日も暮れだした。下校途中の身なりのよい女学生数人が、からかいの声をかけて、きゃあきゃあとはしゃぎ、去ってゆく。インドでは結婚が神聖視されているため、女の人はみだりに男性に話し掛けたりしてはならないのだ。でもついノリでやってしまうのは、日本の女学生(多分、一昔前の女学生)と同じだ。つづいて、ターバンをまいた高校生くらいのインド人が話し掛けてきた。ターバンをまいているインド人は全人口の10パーセントくらいで、スィク教徒である。基本的に真面目な人が多い印象を、私は受けている。またそいつの写真をとったりして遊んでいると、空き地でクリケットをしていた子供たちがわらわら寄ってきた。One photo!!と連呼し、みな写真のファインダーに入ろうとおしくらまんじゅうをする。色々話すが、どうやら英語はあまり通じない。向こうは通じようが通じまいが、ヒンディー語でガンガン話し掛けてくる。握手の嵐。とりあえずこっちも知る限りのヒンディー語、ナマステ、メーラーナーム、タカシ、ハエー(私の名前はタカシです)、などを使ってみる。そのたびにどよめき、みんな握手をしてくる。そうやってあそんでいると、子供たちのテンションは最高潮に達し、子供たちはクリケットのボールを持ち、私をひきずりだして、バッターボックスに立たせた。ふと見ると、近所の人が集まってきていて、30人ぐらいいる。注目。走る緊張感。この瞬間だけは、日本代表のバッターだ。ボールは放たれた。当時23だった私は、大人げもなく全力で降りぬいた。オオクニヌシノミコトのご加護あってか、ボールは遠くまで飛んでいった。このときの子供らのテンションは、日本シリーズ決勝を上回っていた。いつの間にか日は暮れていた。ホテルに戻って、寝よう。
11/6
朝からツアー。市内観光の一日である。が、ちょっとカレーの食いすぎで、腹の調子がよくない。
まずバスは、旧市街にむかう。この旧市街は城壁に囲まれており、ピンクシティと呼ばれる。それは、この市外が、すべてピンク色のレンガでできているからだ。そして、風の宮殿、など偉そうな名前の建築物、ナントカ王の天文台などに行ったりする。
しかし、このへんで私はダウン。ハラが悪いし、ちょっと風邪っ気も入ってきたようだ。連れの彼女に告げ、私はホテルに撤退。ホテルでバファリンを飲んで、寝る。
夜になれば回復。一人で晩飯を食いに、Chit chatというレストランへ。ガイドブックオススメの店で、おいしいのだ。ただ、少々ごろつき連中が来るのがうざい。で、そのごろつき連中をまくために、やつらがトイレにたったスキにさらっと席を立つ。そしてサササっと帰る。はずだったのだが、方向音痴のため、迷う。ここはどこだー、としばらく途方にくれる。その辺の人に聞くが、どうも要領を得ない。インド人は、絶対に「知らない」といわない。知らなくても、テキトーに方向を指して、向こうだ!!と押し切ってくる。知らない、と言うのが冷たいと思うのか、それとも心底負けず嫌いなのか、とにかくそのホットぶりは筋金入りなのである。だから、この人よく知らないな、と思ったら、感謝だけして、間に受けてはいけない。何人めかのおっちゃんが、正しい道を教えてくれたので、無事ホテルに到着。ふう。
11/7
朝からバスに乗り、アーグラーに向かう。4時間半かかる。連れの彼女は同じくツーリストの西洋人としゃべっているが、私は車窓を見ていた。どうも、あのだだっぴろい荒野が、好きなのである。じつは、私の父親は住職で、一応私はアトトリ息子ということになっている。それで、お釈迦さんの生まれたところをみてみたい、という口実で、親から金をむしりとった。だから、仏陀の生涯というやつを勉強してきているし、手塚治虫の「ブッダ」も読みこんできている。お釈迦様が、岩山で苦行する話、木の下で涼をとる話、その世界が目の前に広がっているのだ。そう、コレを現実にみると、お釈迦様がここに生きたということが、伝説でない、事実なんだなということがじわっと感じられてくる。
アーグラーに到着。まずはホテルへ。リクシャーで、ホテルさくらに到着。経営しているのはインド人だ。日本人はいい客なので、誰も彼も店に日本語の名前をつける。リクシャーのおっさんも、コニチワ、サヨナラ、アリガトぐらい言うし、物売りはミルダケ、ノータカイをメインに使う。その辺のガキも、ガチョーン、とか、おっはー、とか、ナンデヤネン、とかを使ってくる。
さて!!アーグラーといえば、世界遺産「タージ・マハル」だ!!
入場料は20ドルという法外な値段だが、中に入ってみれば、これは、本当にすごかった。タージ・マハル。ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンが、その妃ムムターズ・マハルの死に添えた世界一の墓。1631年に建造着手、完成までに22年を要した。全て大理石、57メートル四方、高さ67メートル。つくった時は、国が傾いたらしい。
なにしろ、でかい。高さ67メートルということは、各フロア4メートルのビルなら16階建てだ。そして、その完璧なシンメトリー。とにかく、57メートルの端から端まで、全て中心線対称。隅っこの彫りまで、手抜きなし。あまりに幾何学的に正確なので、じっとみていると、なにか気持ち悪くなってくるぐらいだ。一応、中にも入れる。中はあまりたいしたことない。あまりにもすごいので、その日は、夕暮れがくるまで、タージを眺めつづけた。日が落ちてくると、オレンジ色に光り、日が没すると、紫色に染まる。夜になると閉園なので残念。月光に光るタージはきっと素晴らしいだろう。そうそう、この日は私の24の誕生日だった。お墓の前というのはあまり縁起がよくないが、いい思い出になった。
11/8
今日は、ファテープル・スィークリーという遺跡を見に行く。アーグラーから南西40キロの郊外にある、城跡。16世紀に、首都を移転させるために建築されたが、近くに十分な水源がなかったため、遷都して14年後にはこの都は捨てられることになったのだ。失われた都、というわけ。ロマンティック。
ところが、本当に面白かったのは、そこに行く道中。なんと、熊使い、がいた。しかも、道端にごろごろいて、「おーい、ウチの熊がいちばんいいぞー」という感じで客を引いているのだ。大きさも、160センチはある熊、本気の熊である。タクシーを降りて、その熊と遊んでみる。熊使いは、いろいろな芸をさせる。私は熊と取っ組み合って、写真を撮る。口の部分に紐をつないではいるが、熊がその気になったらゴリッと私を殺してくれるだろう。その辺に埋めたら絶対発見されっこないしな。こらこら、熊、俺の腕をかじるんじゃない。アテテテ。
まあでも、ごきげんでかわいい熊だった。
ファテープル・スィークリーは、中国風の建物で、寂れた感じが切なかった。
さてアーグラーに戻り、私はひとり、RICHEというレストランに行った。ここのマトンが非常にうまいのだ。きっと、この悠久の時間を利用して、延々と煮込んでいるにちがいない。ちなみに燃料は、石炭、もしくは乾燥牛糞です。マトンカレーとライス、ラッシーなど、贅沢なメシを食う。でも、300円くらいだな。
ところが、恐ろしい事に、このレストランに、財布とトラベラーズチェックとカメラの入ったかばんを置き忘れてしまう。ホテルに戻ってくつろいでいるとき、おおう!と思ったが、まあ慌ててもしょうがない。とりあえずレストランに向かう。もともと、日本でも置き忘れとかよくやってしまう奴なので、きっとどこかでやっちゃうだろう、とは思っていた。予測していたのに、やっぱりやっちゃったねぇ。とほほほ。レストランに到着。「すんません、かばん置き忘れたんですけど」「ホレ、これか」・・・・・とまあ、拍子抜け、さっくり返してくれた。中身は一切抜かれていない。財布には札束が詰まっていたのに。こういうところ、自分は本当にラッキーだと思う。中には、かばんをチェーンでロックしていても、ナイフで裂かれて盗まれる人がいるのに。インドでこんなことは本当に稀だ。奇跡だ。シヴァ神万歳。
11/9
さて、今日はアーグラーを出立だ。とりあえず列車でジャンスィーまで出て、そこからはバス。目的地はアーグラーから南東に400キロ、カジュラホーである。この、バスでの200キロの行程はひどかった。バスが揺れる。というか跳ねる。時には飛ぶ。いかに私の座高が高いとはいえ、天井で頭をうつとは思わなかった。跳ねる跳ねる跳ねる。この車内で居眠りするためには、柔道家に絞めおとしてもらうしかない。座席が固いから、跳ねて着地する時にお尻がイタい。おばさんは車酔いで、窓からゲロを吐く。5時間半、戦争時の行軍がいかに大変だったかに思いをはせた。黙祷。
[インド旅行記@ジャイプル・アーグラー/了]
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