インド旅行記@ヴァラナシ
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ベナレスとかバナーラスとかいう言い方はやめよう。それはイギリス占領軍がつけた名前だ。ヴァラナシ。よく間違ってヴァ「ナラ」シという人がいるが、それも違う。ナとラが逆だ。正確には、ワルナー川とアッシー川に挟まれたところだから、ワルナー・アッシー、それがヴァラナッシーという町の名の由来だ。ワルナー川もアッシー川も、ガンガーに流れ込む小さな支流である。インド全域、川の交差するところは聖地となっていることが多い。そうそう、ガンジス川という名前もウソ。ガンガーと呼ぼう。3000年前から、インドで亡くなった人は、全員がこのヴァラナシという町をめざすという。少なくとも、現在は、インド人の99.9パーセントが、この町で今生を閉じたいと願っている。聖地の中の聖地、ヴァラナシ。
聖地だけにか、到着するまでに、かなり苦労をさせられる。ヴァラナシは、カジュラホーから北東に500kmである。まずは乗合ジープで100kmほど走ってサトナーへ行き、そこから電車で400kmの行程になる。
朝6時から、カジュラホー発のジープに乗らなくてはならない。さてまだ暗い中、その乗り場にいってみると、そこは無限の荒野を貫く道路の途中、交差点。広葉樹とレンガの瓦礫だけ、とくに目印はない。習慣的にココが乗り場になっているというだけだ。ここにいるのは、私と連れの女性、そしてインド人老夫婦2名だけ。4人が、暗闇のインド亜大陸にたたずんでいる。オリオン座が傾きすぎで、不気味だ。朝はかなり寒い。長袖のジャージを着ているのに、身体をこすらずにはいられないぐらいだ。
ジープがやってくる。その辺の兄ちゃんらが、自分の車で勝手に営業しているだけの乗合ジープ。運転手ら2名と乗客4名、計6名がジープに乗り込む。当然、客が荷台だ。まあ、昼になればこのジープに15人は詰め込まれるのだから、まだ快適と思わなくてはならない。ジープは、かろうじてアスファルト、の道を爆走する。道のいいところは時速80km、悪いところは時速20km。荷台に乗っている我々は、車の揺れで飛び跳ねる。飛び跳ねる中で、老夫婦は話し掛けてくる。「ツーリストかい」「アッチャー。マェーン ジャパニーツーリスト フーン」(はい。私は日本人旅行客です)。私はこのとき、ヒンディー語で「私は猛烈に寒いです」と叫びたかった。ジープの幌の隙間から、私の背中のいいところに冷風が吹きつけるのだ。到着まであと1時間半。10分後・・・・・朝日が昇り始めた、私は神に祈った。「一分でも早く、私をトイレに」
サトナーに到着。トイレトイレトイレ。
ここで、インドのトイレについて書こう。食べながら読んでいる人はやめたほうがいい。そう、紙を使わないトイレの話である。
トイレの個室には、水を入れるカップがある。それは、よくケーキを作るときに「牛乳を200cc」と計量するカップ、あれに取っ手がついたやつである。プラスチックで、容積は500ccほど。それに水を入れて、スタンバイしておく。で、便器は和式の金隠しが無いやつで、それにしゃがみこんで、用を足す。その後、右手に持ったそのカップの先端をおしりの割れ目のいいところにあて、水を流す。そして、空いている左手で、ワシャワシャと洗い、残り3分の1ほど残った水で、左手そのものも洗い、終了というわけである。
コツを伝授しよう。いらない?まあそういわずに、さああなたも、和式ポジションをとってください。そうです。ウンコすわりです。そこからやや身体を前傾し、おしりを持ち上げます。右手を後ろに持っていって、カップから水を流す場所を決定してください。そう、背中からおしりにかけて、割れ目が有効になったあたり、その辺から流すといいでしょう。それでないと、おしり全体が濡れすぎるのも困りますから。さて、左手を股間前部から通して、中指を肛門の至近上空まで持っていってください。接触しないように注意です。掌底が鼠蹊部に固定され、指が自由になっている感じです。肩ごとぐっと、姿勢を作るように心がけてください。さて、水を流します。このとき、実際には、おしりの湾曲に沿って水流は分散し、肛門には水が流れません。このおしりの撥水率というのはかなり高く、はじめはこれに驚きます。このときに慌てて肛門のクレンジングに移行すると、水は役目をなさず、左手で生のソレをニュルッとすることになり、うわあーッとなります。ここからがコツです。右手は、肛門に水を流すのではなく、スタンバイしている左手に向かって、水を流すのです。そして、左手は指を閉じて、いったんそれをプールし、肛門を水浴させつつ、指先でクレンジングするのです。こうすると左手は水でコートされ、対象はうまく流れ落ちていきます。しばらくすると、右手位置とカップの構造上、水を有為の方向に流せなくなります。この臨界角はウンコすわりの角度によって決定され、一般におしりを持ち上げるほど、多くの水を使えることになります。さて、水を流せなくなれば、そのまま、残った水を使って、股間下で左手を洗浄しましょう。まあ、手に関しては、水道で洗いなおせるので問題はありませんね。お風呂に入ったときなどに練習してみてください。そのほか質問があればメールでどうぞ。実際にやってみてしまったというバカな女の人がいたら是非感想をメールで送ってください。男性は結構です。送ってくるなよ。
さて、無事に済んだ事を神に感謝する。ダンニャワード(ありがとう)。サトナー発の列車は11時で、かなり時間がある。とりあえず私は、日向ぼっこをすることにした。失った体温を取り戻したい。いつのまにか私のカーストは降格したようで、駅前のコンクリの上に寝転んでも、まったく気にならなくなっていた。どうも、そのへんのリクシャー連中が私を見て笑っているようだ。ナマステー。好きにしてくれ。
目を閉じてうつらうつらしていると、すぐそこで子供が爆竹をして遊んでいる。またその爆竹の威力がハンパでない。サイズは三菱鉛筆を半分にしたぐらいで、手首が吹っ飛ぶぐらいの威力はあるだろう。バァンという轟音が、周囲1kmに響き渡る。さすがにそれには目がさめてしまう。が、周りはだれも気にも止めていない。赤ちゃんは寝ているし、ウシですら平然としている。サトナーで一番小心者の私・・・・・。
11時になり、電車に乗る。電車は、到着10分前にならないと、何番のプラットフォームにつくか分からないので、直前まで放送に耳をそばだてつつ、周囲の人に確認をとらなくてはならない。また、確認をとる人も、選ばないと、テキトーに「3番だな!」と言われて往生してしまう。中にはついでにカネをせびる人もいるのだ。インドだから。今日もプラットフォームにウシがいるが、もうそんなことはまったく気にならなくなっている。
ふつうツーリストが乗るような電車は、急行列車だ。エクスプレスとかメイルとかいう名前がついている。急行とはいえ、しょっちゅう途中で止まっている。理由はわからない。座席等級は、2等、2等寝台、エアコン・チェア、エアコン3段寝台、ファーストクラス、エアコン2段寝台、エアコン・ファーストクラス、に分かれている。2等はしょぼい、エアコンは偉い、という感覚でいい。それらの値段は、例えばサトナー…ヴァラナシ間(350km)なら、2等で200円、エアコンファーストで2500円ぐらいである。インド庶民の金銭感覚になおすと、4000円と50000円ぐらいに感じられているはず。
ツーリストは、大体エアコン3段寝台ぐらいを利用する事が多い。800円前後になるかな。なれないうちや、女性は、2等などは危険なのである。もちろん電車に乗ったら、チェーンで荷物を固定して、かばんのファスナーにも南京錠をかけるのだが、それでもかばんそのものをナイフで裂かれて中身をとられたり、もらったお菓子に睡眠薬が入っていたりというのは茶飯事だ。第一、2等は混雑しており、しかも硬い木の座席で、長時間はきついものがある。
電車は10分ほど遅れて到着、我々はエアコン3段寝台に乗り込む。ヴァラナシに到着するのは、夜の7時になる。およそ8時間。まあ寝台だから、とりあえず寝るに限る。ヒマならその辺のインド人としゃべっていればいい。というか向こうからからんできてくれる。それより問題は、この涼しい気候で、なぜ強引にエアコンを入れるのか、ということである。寒いんだよ。消せよ。でも彼らにとってはこれが高級感らしいので、みなタオルケットを持参して、エアコンの中で布をかぶっている。まったく・・・・・。
私はまた、車窓を見る。いつもどおりの荒野。たまに村。女性がサリー姿で、頭にカゴをのせて歩いている。あとは地平線まで続く畑。どうやって収穫するのだろう・・・・・。またインド人の車掌が「あれはスウィート(さとうきび)畑だ」と解説してくれる。とりあえずグレートインディア、とお世辞を言っておく。今は昼間だが、インドでは朝の車窓が面白い。なぜか、みんな草むらにそれぞれしゃがみこんで、電車をにらんでいるのだ。なにしてるんだろ、と思ったら、どうやら、朝の便を足しているらしい。村には便所などないのだ。みんなカップ片手に、草むらにしゃがみこんで、電車を見送りながらの野ぐそをする。そういう車窓はとても面白い。
そう思っていると、電車は名前もわからない小さな駅にいったん停車した。子供がお菓子を売りに来る。チャイ屋がヤカンをもってくる。こじきが窓から手をのばしてくる。チャイ屋の年老いた売り子が、チャ―イー、と言いながら売ってまわるのだが、その声がすごい。強引に表記するなら「ぢゃ゛―イ゛゛゛――――」という感じの強烈な「音」、声帯がもうバキバキバキとなっている音で、白髪の生えた一つの楽器が歌っているように聞こえる。そう、インドでは、風景だけでなく、この音がいいのだ。ヂャーイ゛ーという低音で割れたメタルギターのような音、神の賛歌を歌ってまわるこじきの歌声、いななくヤギの声、雑踏、ハローハローという売り子の子供の声、甲高いヒンディー語の会話。これらの音に包まれた時こそ、本当に悠久のインドというやつを感じるのだ。インドの風景の写真はたくさんあるが、なかなかインドの音は聞けない。この音が恋しくて、インドを再訪してしまう人は多いはずだ。
さて、車窓に飽きたら、寝台で寝る。冷房も強敵だが、8時間となると、空腹も敵だ。またバナナ売りがきたら買うとして、ちょっと寝てしまおう。
目がさめたら、もう暗くなっていた。夢うつつのまま、揺られていると、乗客が降りるムードになってきた。とりあえず起きて身体を伸ばし、「到着するのか」とその辺のインド人に尋ねると、あごをクイッと突き出して、「Yes, Varanasi.」と答えた。なにやら、自信ありげというか、うれしそうというか、そういう感じだった。インド人にとって、やはりここは世界に誇る聖地なのだろう。おうジャパニー、みせてやるよ俺たちの聖地を、そういう感じだった。それは、今思い出しても、妙にほほえましい、インド人のインド人らしいところだった。やっぱり、バカみたいでも、自分の国を愛している人は、いいよな。さて、うす汚れてきたリュックを背負い、狭い通路を歩いていく。電車の降り口とホームはけっこう高低差がある。私は「Yes, Varana・・・・・」で電車を降り、「si!」で着地した。聖地ヴァラナシに、到着である。
前もって言っておくと、この後私は、ここヴァラナシに、24日まで計13日間滞在する事になる。
・・・・・着地と同時に、「ハロージャパニー、リクシャー?」の挨拶。「ノーサンキュ」の固定フレーズ。でもとりあえず握手。長く混雑したホームを歩き、駅から出ると、ものすごい数のリクシャー。オートリクシャーとあわせて、100は超えているだろう。そして寄ってくる。とりあえずリクシャーを使わなくてはならないので、交渉に入る。ヴァラナシといっても、ツーリストが行くところはごくごく狭いエリアで、結局はガンガーの沐浴場(ガートという)がたくさんあるエリア、その真中を貫くダシャーシュワメードロード付近になるのである。というわけで、「ダシャーシュワメードロードへ行ってくれ」と言う。が、案の定、「それはとても広いエリアなんだ」というふうに言われる。これはまるきしウソ。こういって、自分のコミッションの入るホテルにつれていくか、ウソのツーリストオフィスに連れて行こうとするのだ。だから、ダシャーシュワメードロードの入り口にあたる、「ゴドリアー交差点に行ってくれ」と言う。それでも、「それはとても広いエリア」などと言われる。へいへい、じゃあ別のリクシャーを使うわい、という感じで立ち去ろうとすると、わかったわかった、連れて行くよ、ということになる。これはもう儀式のようなもんだ。大体、サイクルリクシャーで20ルピー(50円)、オートなら30ルピーぐらいで、ゴドリアーまでいける。本当は、ゴドリアーの一つ手前の交差点までしか、オートは入れない。また、そこから先は人ごみなので、歩いたほうが早い。
後になって分かったのだが、この日は「ガンガー・フェスティバル」という祭りの日だったのだ。リクシャーが進むにつれ、様子がおかしくなってくる。町じゅうに、クレイジーな電球の装飾がされている。緑や赤などの、とにかく派手なやつが勝ちというデコレーションが、排気ガスに犯された町を彩っているのだ。なにかよく分からないが結婚式もやっているらしく、無秩序な打楽器の音がきこえる。それぞれがシンバルや太鼓や柏木をガンガン鳴らしているだけの、とにかく騒がしくしたら勝ちというお囃子だ。ナゾの呪文を詠唱する集団もいた。と思うと、人ごみの真中で、複数の爆竹がバババババンといった。これも十分、一発一発が親指を吹っ飛ばせるような威力を持っている。まずい、祭りだ、と思っていると、リクシャーのおっさんがフェスティバール!ハッハッハッ!!と言い出した。ちょっとちょっとぉ。オレンジ色のガスライトに照らされた道行く人々は、みんなラリッているではないか。神聖なはずのウシも、ラリッたおっさんの竹ざおでバシバシ殴られて、走り回っている。いずれウシが反撃に出たら、祭りは最高潮になるだろう。うーん、えらいときに来てしまったものだ。爆竹は増えていく一方で、子供が人ごみの中になげこんで遊んでいるという様子。クレイジー。バババババン。
かの有名なダシャーシュワメードロードに到着し、とにかく逃げ込めるホテルを探す。一番手前にある、ホテルガンジスという無難なホテルに逃げ込むことにする。道路に面した部屋はとにかくうるさいので、奥まった部屋にしてもらう。荷物を置いて、ふーやれやれ、である。・・・・・今ベッドの下にネズミが走ったような気がしたが、まあいい。気のせいにしておこう。・・・・・と思ったら、今度は壁に巨大なヤモリがいることに気づいてしまった。追っ払おうと思って壁をパンパンと叩くと、大和のヤモリとは比較にならない極めてラピッドな動きで壁をダッシュした。びびった。蛍光灯のウラに隠れてしまったので、もうどうしようもない。あの肉の太さと黒いギョロ目、急速な動き、これはヴァラナシ経験者のほとんどが恐怖を覚えたに違いない。
さて、もう9時近いが、とりあえず夕食に行きたい。荷物を置いて身軽になって、危険な町へ繰り出す事にした。ガイドブックの地図を片手に、ロードを歩いていく。ところが、この町に関しては、地図がほとんど役に立たない。真中のロードは、舗装はされていないが、いちおう道になっている。ところが、そこからヨコにはいる道は、全て路地なのだ。もう日本でも見られないような、本気路地なのである。こんなところに夜半に入ったらデスるに決まっている。とりあえず、そのメインロードにある、ムーンスターホテルに行く。なぜホテルと書いてあるのに、レストランなのかは分からない。もういい。どうでもいい。そんなこと誰も考えちゃいねえんだ。とにかくメシだ。さて、そのホテル、じゃなくてレストランの前にくると、店員が手招きする。その眼光と表情は、入店せねばブッ殺す、という感じだ。誇張ではない。しかも、4人が同時にやってくれるので、迫力もひとしおだ。
店内に入ると、意外に店員はいい人たちだ。にこやかで、ぼったくろうともせず、メニューもじっくり選ばせてくれる。ここのチキンカレーは非常にうまかった。ヴァラナシにいる間、10回ぐらいは食べた。それぐらいうまいのである。きっと、店長も味に自信があるから、ぼったくろうともしないのであろう。チキンカレー40ルピー、ライスが15ルピー、コーラが12ルピー。計170円くらいか。
さて、食い終わったら夜も深くなったので、ホテルに戻ることにする。フェスティバルらしくチンドン屋がでている。物売りがからんでくるが、ノーサンキュを連呼する。母なるガンガーとは、明日対面することにしよう。
と思って歩いていると、一人の物売りがイラついたのか、こっちを向け、という感じで、人のアゴを指でつかんでひねりやがった。私も反射的にその手をバシッと払いのけ、「なにすんじゃコラァ!!!」と怒鳴る。ちょっと注目を浴びてしまった。インドでケンカになりそうなムードになったのはこれが初めてである。向こうがにらんでくるし、こっちもついにらみ返してしまったが、ケンカするのはまずい。絶対コイツには負けない自信があるし、こっちも半ギレだから、ぶんなぐってやりたかったのだが、あまりにも人が見ているのでお互い手出しは無かった。ここでコイツをやっつけても、もしマフィアの連中がからんできたらまずい。この町は麻薬の町だからマフィアが仕切っているし、ヒンドゥーとムスリム(イスラム教徒)のいさかい暴動が起こる、キナくさい町でもあるのだ。ちょうど死体もガンガーに流してしまえばだれも文句は言わない。ツーリストだけでも、年間40人、10日に1人が殺されているのだ。いかんいかん。で、結局無視して帰った。むかついていたが、奴の帰り際の捨てゼリフ、「バーカデースカー!?」に失笑して、どうでもよくなってしまった。なお、奴とは1週間後に再会して、その時はまったく仲良くなってしまう。そう、この町の基本は、「どうでもいい」なのだ。インド万歳。
さて、遠くで爆竹の鳴り響く中、ホテルのベッドに寝転んで、かゆい毛布をかける。長い一日だったなー、と一日を反芻する。今日の疲れは逆に目を冴えさせていた。電気を消して、暗闇のなか、寝付けずにいた。そして、まあ寝付けないけど、どうでもいいか、と思った。なんとなく、この「どうでもいい」が、やばいなー、と予感していたが、その予感すらどうでもよくなって、その意識も暗闇に落ちた。
[インド旅行記@ヴァラナシ/了]
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