インド旅行記@ヴァラナシその2
11/12
朝起きると、爆竹の音は止んでいた。顔を洗って歯を磨いて、とりあえず外に出る。今日の予定は、ホテルをもっとやすくていいところに代えよう、ということと、ガンガーをみよう、それだけである。
外に出ると、太陽に照らされたヴァラナシの町。地面は砂利道。メインロードは中央分離帯で分けられ、左側通行が主流になっている。ものすごいほこり。全員徒歩なので、クラクションはきこえない。視界に常に2、3匹のウシがいる。連なる建物は、薄汚いコンクリの2階建てが多く、どうも傾いているようだし、ヒビが入ったりもしている。その一階は、シルクショップが多い。ヴァラナシシルクは有名で、結婚式前の娘さんは、ここヴァラナシでサリーをつくるのがいいらしい。その他薬局や食堂やチャイ屋やお菓子屋やカバン屋クツ屋などになっている。道にも露店がでて、生活雑貨を売っている。インドでは、こういうバザールが消費システムの真中にあるのだ。「ハロージャパニー、シルクノータカイ、サリーミルダケ、ノープロブレムヨ」と、いつものやつが寄ってくる。ノーセンキュ。
私と、連れの女性は、ガンガーに向かって歩いていく。難民テントのような野菜市場を抜けると、たくさんの物乞いが地面にへたりこんで並んでいる。それぞれが空き缶などを我々に突き出して、「バクシー」とねだる。バクシーとは、喜捨のこと、お恵みの事だ。本当はバクシーシと言うらしいが、バクシーとしか聞こえない。
そこから先は、下り階段になっていて、視界が一気にひらけた。その先100メートルに、日差しに霞んだ川がある。ガンガーだ!!
・・・・・うーん、フツーの川やな。どーみても。吉野川のサイズで、見てくれは大和川か。関西の人しかわからんけど、まあそんなかんじ。そんなにデカいわけでもないのは、乾季のせいもあるのかもしれんが、向こうまで泳いでいけそうな、そんな川ですな。母なるガンガー。
階段を下っていくと、川沿いに沐浴場が並んでいる。一番有名なのが、この目の前にあるダシャーシュワメートガートのはずだ。なにやら入り組んだ船着場のようになっていて、藁で編まれたパラソルの下に、サドゥー(苦行者。ホーリーマンとも呼ばれる)が座り込んでいる。おでこにはヨコ3本線が白くペイントされており、眉間には赤い点、髪の毛とヒゲは白髪で伸び放題、いかにもインドの聖者、という感じだ。でも、我々を見るなり手招きをしたから、ぼったくり聖者であろうと思われる。
川岸は、階段状になっていて、ざぶざぶと川の中に入れるようになっている。何人かの人が腰まで水に入って、マントラを唱えながら水を手にすくっては再び川に注ぎ、祈っている。中には、手ですくうのではなく、銅の壺をつかって同じことをしている人もいる。回転しながらやっているおばさんもいる。男性は腰布(ルンギーという)一つ、女性はサリーのままで入水する。素っ裸は厳禁。日に焼けた子供たちが泳いでいる。よくみるとおっさんも泳いでいる。おばさんが洗濯をしている。泡だらけになった衣類を、親のカタキのように、川岸のブロックに打ち付けている。そのたびに「ノアッ!」「ウガッ!」「フヌオァ!」という叫び声をあげる。何故叫ぶのか、という質問には、誰にも答えられない。また、各シャウトは、心もち語尾の発音が上がる。まあそんなことはどうでもいい。
我々はガイドブックをみて、ホテル「プージャ」にしようと決めていた。プージャとはヒンディー語で、ガンガーに祈りをささげる礼拝一般の事。そして、ホテルプージャにいくなら、こっちのはず、ということで歩き出す。しかし、ヴァラナシでは地図が役に立たない。川岸を歩いているときは問題ないが、そこから一歩でも町に入れば、ディープな路地である。さてそうして歩いていると、女の子が「どこにいくの」と聞いてくるから、ホテルプージャにいきたいというと、案内してくれた。しかし、はじめは信用する事が困難だった。まず、暗闇のトンネル25メートルをぬけて、左に曲がり、ドス赤く塗られたガネーシャ象を左に入ると、生ゴミとネズミの支配する暗く湿ったストリートがあり、その奥にある暗くて中が見えない「穴」が入り口だと言うのだ。マジかよ、と思いながら、その人間がとりあえず歩いて通れる「穴」にはいった。闇の中で刺し殺されるのかと思ったら、本当にホテルのフロントにつながっていた。なんという町だ。このホテルまで迷わずにこられたら、ウッチャンナンチャンが100万円くれるだろう。
ホテルプージャの、5階にあるビューサイトルーム、ベランダからガンガーが見える部屋をとった。一泊250ルピー(650円)はかなり高価だが、自分の部屋からガンガーが見えるその部屋は、日当たりも良く、ステキだったのだ。というわけでその部屋にする。後にネズミが出る、トイレが超臭い、ヤモリがいるということが判明する。さて、ちょうど昼時になったので、屋上のレストランへ昼食をとりにいく。屋上には日光がふりそそぎ、ガンガーも白く光っている。ヴァラナシの全景が見渡せるように、この屋上は頭一つ高くなっている。この景色をみながら、チャイやラッシーを飲むのは非常に贅沢だ。とりあえずチョオメンとベジタブルスープを注文。このベジタブルスープは絶品だった。切り刻まれた野菜と塩ととろみだけ、というシェフの意気込みが感じられない一品で、これがまた素材の味を偶然に引き立てていて、うまかった。インドの料理、とくに野菜料理はあなどれないものがある。さすがに2000年間ブタもウシもくわないだけのことはあるのだ。そういうわけで、ホテルプージャに行く人は、ぜひベジタブルスープを注文することをおすすめする。でも、誰も行かないかな。
それらを食べて、またヒマなので、ガートに行くことにする。ヴァラナシ名物、マニカルニカガートに行かなくてはならない。マニカルニカガートとは、死体を焼くバーニングガートというところで、「死体を焼いてガンジスに流す」というよくある話のアソコである。これは行かねばなるまい。さっきホテルに来た道を逆行して、川岸に出る。すると、ここはラリターガートというところである。ちなみに、ガートは50メートルごとに名前が付けられて区分されている。川に向かって左、ラリターガートの次の次が、マニカルニカガートである。もう白い煙が見えている。
バーニングガートは、焼くゾーンが15メートル四方ブロックに囲まれたところで、みんなはその周りにたむろって見物する。近づくと、熱気がすごい。朝や晩には、ウシが暖をとりに集まってくるし、イヌも焼け残りをねらいにやってくる。さて、私もブロックのほとりに行って、その燃えさかる炎をみた。木で組まれた1メートル立方の櫓のうえに、布で巻かれた死体がのせられて、点火されるとゴウゴウと燃える。焼けてくると、はみ出ている足や手を、職人(多分下位カースト)が竹ざおでヨッコラセと火の中につっこんだり、腰骨をバシッバシッと叩いて砕き、燃えやすいようにしたりする。そのテクニックはまったく洗練されていない。なぜだ。何百年も代々受け継がれてきたんだろうが。ちゃんとやれよ。
常時5体ぐらいの死体が同時に焼かれている。たいてい、身体の末端は早く焼けるが、胸とか腰とかは時間がかかる。大体3時間ぐらいでコンプリートするということらしい。「焼き」のはじめの方は、まず手足の皮膚がやけて筋肉繊維が剥き出しになるのがコワい。中ごろは、例えば、竹ざおで殴ったら頭蓋骨がわれてジュルッとアレが出てきた、とかいうのがコワく、後半は、男性の胸郭と女性の骨盤は燃えきらないらしく、ナゾの黒いぐにゃぐにゃとして残って、それを竹ざおでぶら下げてガンガーにポイするのがコワい。まあでも、よく旅行記ではこのバーニングガートのことが描かれるが、私はこれを見てもさしたる感慨はなかった。だれも泣いていなし。なんとも思わないのは、私が寺の息子だったからだろうか。普段からウチに人のお骨があったしな。でも、死ぬってのはどういうことか、一番分かりやすく教えてくれるところではある。
そうやってみていると、えらい剣幕で、「おい、ここに入るんじゃねえ!!」てなことをインド人に言われた。「ここはツーリストプレイスか!?ここは家族だけが入るところだ、観光客はそこまでだ」と、壇の上を指差した。うーむ、ついさっきまで、私はそばにいたインド人に「これはオレのオヤジさ。こんなに早く死んじまったのは、ガンジャ(マリファナ)のやりすぎだ。でもいい親父だったよ」と話を聞いていたのに、なぜお前に怒鳴られればならないのか。と思ったが、まあもう十分見たし、よくみればこんなすぐそばまで来て見ている観光客も、私だけのようだ。へいへい、という感じで引き下がる。案の定そいつはカネを出せといってくる。「You have to pay the fee」てなことを言うが、なんでお前に払うねん、ということで無視。ホテルのほうに戻る。日も暮れだした。
すぐにホテルに戻るのもつまらないので、途中で、ちょっとバザールの路地などを探検してみた。巨大な金属ボウルに牛乳を入れたラッシー屋、サモサやプーリーをうるスナック屋、足踏みミシンを器用に操る仕立て屋、祭具屋には、シヴァ神の像や絵、ガンガーの水を密封した銅の壺ガンガージャリーなどが売っている。路地なのに人が多いし、ウシがいると通路がせまい。たまに、店のおっさんが「ジャマや!!」という感じでウシのケツをバンと叩くと、ウシはのろのろと移動する。素晴らしきヴァラナシの路地風景。「ハロージャパニー、ハシシ、マリファナ、ベリーグッドネ」が寄ってくる。普段ならうざいと思われるこの手の連中も、なぜか、楽しむべきヴァラナシの一部に思えてくるから不思議だ。そう思いつつノーセンキュというと、向こうもなにやら嬉しそうである。恐るべし聖地パワー。
さて、まだ良く知らない町を、夜半にうろつくのはよくない。とりあえずホテルに戻る。ホテルのレストランで夕食にする。
ホテルの屋上には、たくさんのガイジンが来ていた。まあ、私もガイジンなのだが。ふとみると、ガンガーに、無数のロウソクが列をなしてながれている。これはプージャの一つで、日本でいう流し灯篭と同じで、それのちっちゃいやつ。暗いガンガーの上を、小さな光が流れていき、いずれは燃え尽きて消えていく。母なるガンガー、ガンガー・マタ・ジー、お前の作った町はサイコーやね、と思いながら、チャイをすすって、今日はおしまい。
11/13
早朝、5時に起きる。日の出をみるのだ。ヴァラナシに来た旅行者のほとんどは、ボートに乗って、ガンガーからの上る太陽を拝む。まあヴァラナシの基本事項の一つなので、とりあえずやらねばなるまい。
外に出ると、まだ真っ暗である。暗闇のラリターガートにでると、ソッコーで「ハロージャパニー、ボート?」が寄ってくる。そのボートマンはかなりの年寄りで、髪もヒゲも真っ白だ。聖者っぽくてイイな、ということでコイツのボートにする。ボートのチャーターは、だいたい1時間ぐらいで、一人なら40ルピーぐらい、二人以上なら一人あたり20ルピーぐらいになる。でも、たいがいは1時間では済まずむこうも延長工作をしてくるので、ちょっとイロをつけてやらねばならない。
さて、ボートに乗って、まずはゆらゆらと、ガンガーの流れに逆らう方へこいでいく。川から町をみると、いかにもガイドブックに載っていたヴァラナシだ。川の風は冷たい。というかもうめっちゃ寒いんですけど。しっかり着込んできたのに、足元などがかなり冷える。インドでも冬の朝は寒いのだ。身体を小さくたたんだまま、船はゆっくりとダシャーシュワメートガートに向かう。ガートでは、このクソ寒いのに、沐浴している人たちがいる。いつもどおり、水をすくっては注ぎ、ごにょごにょとマントラを唱えている。また泳いでいるおっさんがいる。おっさんにナマステーと言ってやると、ナマステーと言いながらこっちに泳いできた。来るなっ。とりあえず写真をとってやると満足したらしく、また岸に戻っていった。
ガートをすぎると、こちらに背を向けて、洗濯している人たちがいる。また、ブロックに衣類を叩きつけ、それぞれが気合のシャウトをいれている。このシャウトのテンションは、想像をはるかに越えると思ってもらいたい。全身に憎しみと破壊をこめて、叫ぶ。まだ夜の明けないカーシーに、ウオッとかオアッとかイ゛ロァッとかいう声が響く。カーシーとは、ヴァラナシの別名で、聖なる町という意味だ。ボートマンが、各ガートの名前を教えてくれ、そこにある寺院を説明してくれる。中には、雨季になったら水没してしまう寺院や、水害で傾いた寺院もある。また、かつてのマハラジャ(王や豪族、貴族などの金持ち連中のこと)たちが、競ってここガンガーのほとりにプライベートビーチ(?)を持とうとしたため、そのお屋敷があちらこちらに残っている。
ふと、進行方向左手、建物の一切無い向こう岸をみると、赤いかけらが空に出ている。今はまだ弱々しいしいそれが、太陽だった。「Sunrise!」と、ボートマンはなにやら自信ありげに言う。なぜお前が威張るのだ。まあわかっている、ジャパニーに聖地の日の出を拝ませて「どうだい、俺たちのホーリープレイスは」と言いたいのだな。日本人だってこのインド人の年寄りを都庁の最上階につれていけば、「どうだい」と言いたくなるだろう。
太陽はみるみる輝きを増していく。ボートをUターンさせて、今度は太陽を右手に見ながら、流れに身をゆだねる。向こう岸には、何の建物も無く、誰も住んでいない。砂地と、その向こうに林が広がっているだけだ。インドでは左手が不浄とされているため、川の水源のヒマラヤに向かって左手は不浄の地とされているらしい。あの砂地も、雨季には水没してしまう。
いよいよ太陽が丸く黄色くなり、川面がキラキラと光る。もうこれは美しいとしか言いようが無い。こんなマンガみたいな風景があっていいのか、というぐらい、美しい。光る川面、誰もいない砂地、ステップ気候の樹木が並ぶ林、雲ひとつ無い空、けれどほこりで霞む空気、昇ってくる赤い太陽、飛び立つ鳥の群れ、聞こえるのは櫂が水を跳ねる音だけ。水はなにやらヌラッとしているような、そんなナゾのツヤがある。ガンガーは、汚いか、というとそうではないし、汚染されているかというとそうでもない。ちゃんと魚もたくさんいる。けど爽やかな水では決してないし、飲んだりはできない。と思っていたら、ボートマンが、水をすくって一口飲んだ・・・・・。このガンガーの水は、コレラ菌が3時間しか生きていられないらしい。蒸留水なら24時間生きつづけるコレラ菌が、である。それをインド人はホーリーパワーと思って自慢しているが、それは大阪の道頓堀には大腸菌すら住めないのと同じだぞ。「おいしいか」と聞くと「Yes, holy water!」よろこんでいる。まあなんにせよ、普通の水ではないことは確かだ。
しばらくすると、ボートマンが何かに気づいたらしく、指をさした。その先には、なにか人頭ぐらいの大きさのものが浮いているようにみえる。なんだあれ、と尋ねると、「ボディストーンだ」と答える。「ボディ?」「イエス、ホーリーマンボディ」。どうやら、死体らしい。人頭ぐらいのそれは、本当に人頭らしい。ボートを漕いで、近づいてもらう。すると、紫色のシルクで覆われた頭を水面に出し、立ちんぼの状態で浮いているのだ。インドでは、聖者と12歳以下の子供は火葬しない。穢れていないので、焼く必要が無いのだ。というわけで、聖者は石にくくりつけられて、川に放り込まれる。その頭の方の結いがほどけたかなにかで、身体をタテにしたまま浮いているのである。そして、ふつう水死体などは、水でブヨブヨになると聞くが、なぜかガンガーの水に放り込まれた死体は、石化するのだ。ミイラのようになり、腐敗しない。これがまた、ホーリーパワーだとインド人は言う。せっかくだから写真をとっておこうと思って、カメラのファインダーからそのボディストーンをのぞくと、ボートによる水の揺れで、ゆらゆらと、ちょっとボディストーンがこっちを向くような動きをした。ちょっとビビッた。が、キッチリ写真はとっておいた。
ガートの前にくると、ガートはラッシュになっている。みんなが似たような動作を、好き勝手にやっている。その辺の決まりはとてもいいかげんで、他の宗教と大きく違うところだ。沐浴している人たちに、手を振ってやると、何人かが手を振り返してくる。みんな、神に儀式を捧げるなどという敬虔な気持ちは微塵も無い。ただ、風呂の代わりなんじゃないのか、と思っていると、案の定石鹸で頭も身体も全身をガシガシやっているおっさんがいた。何でもアリだ。
日本で神聖というと、たとえば神社で神主が祝詞をあげているところ、お寺で重たく響く除夜の鐘、あるいは教会で神父や牧師が(注・カトリックが神父でプロテスタントが牧師である)洗礼を与えているところなどだ。神聖であり、高潔な感じがする。だから、神社の白壁に、ウシの糞を叩きつけたら、その神聖さは一撃で崩壊してしまう。だが、ガンガーはそうではないのだ。洗濯しようが洗髪しようが、泳ぎまわろうが異教徒が飛び込もうが、個人個人が勝手な作法で祈ろうが、そこで商売をしようが麻薬をキメようが、あげくにはゴミと死体を流そうが、その神聖さを損なう事は無いのだ。神様のものであるから、全てを包み込んでくれる。人間がそれを汚す事はできない。神聖なものは神聖なのだ。だから、このガンガーに関しては、身分やカーストによって立ち入り禁止ということはまったくないし、バラモンとスードラ(奴隷身分)が仲良く並んで沐浴している。フランシスコ・ザビエルの死体を流しても、だれも文句はいわないだろう。
これは素晴らしい事ではないだろうか。たとえば、アメリカの浮浪者たちなど、麻薬とセックスと犯罪でよごれた魂は、教会に立ち入る事を許されるだろうか。穢れたものは、容赦なく地獄へ叩き込む、そういう残酷さがある。一方、ここインドには、生まれつきカーストというものがあって、生まれた瞬間から「お前はゴミひろいが仕事」と決められて、他の仕事をしたりすることはできない。あるいは屋根の下に住んではいけない人、身体を洗ってはいけない人などもいる。そして、一番下のカースト「不可触民族(アンタッチャブル)」は、生まれても役所が受理しないため、人口にすらカウントされていない。そして、親がその子の手や足を切断し、不具の物乞いとして生きていく事を強制されるのだ。だが、その魂すらも、このガンガーは拒絶しない。この川に身を浸している時のみ、真に「神の前の平等」は実現している。だから、人は苦しみながらも暗くならずに、悪魔に憑かれずに生きていけるのだ。差別があり、悪人がごろごろいるが、悪魔はいないのだ。
そんなことを考えながら、ボートは流れていく。途中、水面すれすれを滑空する120km/hのツバメの群れが、ズバッと音を立てて我々を追い抜いていった。うおっ。彼らはいつもああやって、人をからかっているのだろう。寒さも、日が出てからはちょっとマシになった。マニカルニカガートまで行って反転、ラリターガートにて上陸する。およそ3時間もかかってしまった。まあいい、なかなかいいものを見せてもらった。
ホテルに戻って、朝食をとり、チャイなどをすすって、昼過ぎまでのんびりする。もうこれといって予定は無いのだ。一応、ドゥルガー寺院や黄金寺院など、観光スポットも無いわけではないのだが、どうもガイドブックを見ていると、しょうもないところのようだ。結局、ヴァラナシにはガンガーしかないのだ。
というわけで、最小限の荷物と、タオルだけもって、再びガンガーに行く。なにをするか。もう、「沐浴」しかない。このヌラヌラと光るガンガーを、体当たりで理解しようというわけだ。まあ、もともとそのつもりだったし。この件に関しては、父親に「川にはいったりするなよ」と言われていたが、はいはいといいながら、結局は無視だ。
さて、あまり人がたくさんいるところで沐浴するのも、何をされるか分かったもんじゃないし、ちょっと恥ずかしい。ラリターとダシャーシュワメードの間の小さなガートで沐浴することにする。パンツいっちょになって、荷物は連れの彼女に見ていてもらう。サンダルを脱いで、水の中にちょんと足を入れてみる。フツーだ。水温は十分高い。というわけで、ざぶざぶっと入っていく。すぐに深くなるので、2メートルも行けば腰まで漬かる。水は普通だが、足の下がヘンだ。ヌルヌルっとした、ヘドロの感じ。足の指の隙間を、ヌリュヌリューっと泥がとおる。えーい、というわけで、肩がつかるまでざばざばっといく。あーあ、やっちゃったー、という感じ。
頭はつけずに、バシャバシャと泳いでみる。なぜか浮力が強いので、泳ぐのはラクである。なぜ浮力が強いのかと考えると、精神衛生上良くないのでやめたが、その浮力は明らかに淡水のそれとはちがった。通りすがりのインド人が、「おい、ジャパニーが沐浴しているよ」という感じで集まってくる。ちょっと注目されるのは恥ずかしい。で、ちょっと水から上がって、そいつらといっしょに記念撮影。沐浴するのはかなり「いいこと」らしく、横にいた怖そうなじーさんも、小声で「ナマステー」といって通り過ぎていった。ナマステーというのは、あなたを敬うという意味で、ハローのように、乱発できるものではない。だから、まったく見ず知らずの人からナマステーと言われる事は、じつはあまり無いのである。こちらからナマステーというと返してくる事がほとんどなのだ。それが、沐浴によってちょっとイイ扱いをしてもらえたようだ。後で聞いたところによると、インド人から見れば、「何で外国人は聖地まできて沐浴しないんだ。インドには来たくてもこれない人がたくさんいるんだぞ」という気持ちでいるらしい。だから、沐浴している外国人を見ると「おっ」と思うらしい。
一通りスナーンも終えて、身体を拭く。ん、なにやら不思議なサラサラ感がおハダを包んでいる。これはなんなんだろう。弱酸性ガンガー?いやいや、とりあえずホテルに戻ってシャワーを浴びよう。
シャワーを浴び、着替えて、あとは町を散歩。なにやらチンドン屋がいたり、テキトーにつくられた寺院があったり、「ハシシ、マリファナ」が寄ってきたり、いつものヴァラナシを満喫する。ムーンスターホテル(レストラン)で夕食をとって、ガンガーでプージャをした。プージャとは、子供が売りつけてくる花とロウソクを乗せた小船に火をともして川に流すやつである。私の流した小船は、水流に乗ることも無く、その辺につながれているボートを下からじりじりとあぶるだけで、その一生を終えた。まあいい。うーん、一度でもカラダをゆるしてしまうと、ガンガーの前ではちょっと心を開いてしまう感じがするな。いわば、ガンガーに抱かれた、あばずれ仏教徒というわけか。南無阿弥陀仏。
さて、ホテルに帰って、チャイを飲んでから寝よう。
[インド旅行記@ヴァラナシその2/了]
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