恋愛相談のコラム









結婚にあせる、あなたへ






結婚したいのに、その相手が見つからない。そのまま30代が近づいてくると、女性としてはあせりを感じるだろう。30歳までに第一子を生みたいと思うが、さしあたり結婚相手の候補すらいない。一方で、友人達はつぎつぎと結婚式の通知を送ってくる。あせるな、というほうが無理かもしれない。

とはいえ、あせって手に入るものでもない。いや、手に入るのかもしれないが、同じようにあせっている相手が手に入ってしまうだろう。男の側で、結婚にあせるのはどういう人か。三十の半ば、仕事が忙しい盛り、毎日食事を外食ですませて、土日には洗濯と掃除ばかり。友達も家族ができてしまって、疎遠になってきた。お盆に実家に帰ると、マゴはまだか、とせっつかれる。そういう人だろうか。女性ほどではないにせよ、結婚するならそろそろしなくちゃなあ、と少しはあせるものだろう。

ところが、結婚にあせる女性ほど、そういう男性を敬遠する傾向がある。これは僕の偏見かもしれないが、即物的に結婚を求める女性は、即物的に結婚を求める男性を軽蔑することがよくある。僕は、何度もそういう人を見てきた。「30歳のころには子どもを生まないと、母体への影響が、それに授業参観に行って一人だけおばさんだったらイヤだし、会社でお局様扱いされるのも悲しくなってきた」と、彼女たちの言い分はとても即物的なのだが、「家にヨメがいてくれて、晩御飯を支度して待っていてくれたらなぁ」という即物的な男性に対しては、「あたしは飯炊き女じゃないのよ」と反発する。はたから見ている分には、お互い利害が一致しているんだけどね、と合理的な判断もできるが、本人にとってはそうはいかない。長く待ち望んでいた分、よりよいものが手に入らなくては満足できないと感じるのだろうか。

僕は、そういう悩みをもつ女性に対して、あきらめるなとか、妥協しろとか、そういうことを言うつもりは毛頭ない。それはもう親御さんからさんざん言われているだろうし、僕が言わずとも、ご本人が日夜考えているだろうから。

それよりも、僕が今まであった女性の中で、結婚したくなった人、そうでなかった人、それを正直に書いたほうがいくらか役に立つだろう。

まず、結婚の意欲が湧かなかった人は、どういう人か。
まずまっさきに、結婚にあせるあまり、相手のことを見なくなる人、これはまず結婚の意欲が湧かなかった。それどころか、関わりたくなかった。
僕は大学生のとき、28歳の、お金持ちの一人娘に求婚された。といっても、プロポーズというのとはちょっと違って、結婚してくれるなら今すぐするよ、と繰り返し何度も言われたという形だ。またそれも、出会って2ヶ月ぐらいしか経っておらず、また正式に付き合ったりしていたわけでもなかったのだ。

僕は、付き合った期間の長さとかは、結婚にそのまま結びつくものではないと思うから、そういう履歴はどうでもいい。それより、僕が閉口したのは、彼女が僕のことを全く見ないまま、結婚を希望していたということだ。

彼女は、根っからのスポーツウーマンで、夏はヨット、秋はダイビング、冬はスキー、春はテニス、そういう、肉体を使って高みを目指す生活をしていた。それだけにカラダの線がきれいで、顔立ちも、日焼けのしみを除けば、十分若々しくてかわいかった。で、僕はというと、そういうさわやかにカラダを動かすことには縁遠い生活をしてきた。スポーツが嫌いというつもりじゃないのだけど、そういう場所には僕が好きでない人種がいる場合が多いから、スポーツは敬遠してきたのだ。

そんな僕と彼女が結婚したとして、すぐに破綻するに決まっている。形としては破綻しなくても、日常的にそりの合わないことが頻発するし、第一、彼女は僕のことを尊敬できなくなるに決まっている。

あせるあまり、彼女はそんなことも見えなくなっていたのだ。彼女のあせりの理由は、親からの強烈なプッシュが原因らしかった。加えて、今付き合っている彼氏が、学歴が低く、親から反対されていたというのもあったらしい。

条件だけ見れば、彼女との結婚は、すばらしい結婚だったろう。はっきりいっておくと、彼女の家には10億円の資産があって、かつ彼女の親御さんは肝炎が悪化して、余命いくばくもない状態だった。要するに、結婚してしばらく経てば、僕は資産家の一人になれる見込みだったわけだ。

でも、その結婚話を、僕はまったく迷いなく断った。結婚したら、 10億円もらうかわりに、日々嫁さんから軽蔑される生活になってしまうだろう。それは、まったくもってしょうもないことだ。本当に10億円がほしかったら稼げばいいだけのことで、そんなものにつられて結婚するのは、それは最も低劣な売春行為でしかない。

というわけなので、資産や家柄やその他の条件は、関係なくはないが、決定的なものじゃないし、それより相手のことがちゃんと見えているかどうかのほうが大事だ。あせるのはしょうがないにしても、盲目なって得することはなにもない。

一方で、僕が生まれて初めて結婚したいと思った女性は、郵便局につとめるごく普通の女性だった。彼女はあまり仕事が得意でなく、よくミスをして落ち込んでいた。そして、僕には愚痴をこぼしながら、いつも最後は自分の無力さが悔しくて涙を流していた。また彼女は幼少期に父親から暴力を受けており、ぬぐいきれないコンプレックスがあったらしく、彼女の心にはもろすぎるところがあった。

彼女と一緒にいるときに、ひとつの事件があった。僕と彼女がけんかをして、僕はスーパーの袋にやつあたりをして、中に入っているキャベツごと、それを蹴飛ばしたのだ。それを見た彼女はすごくおびえて、「また、そうやって暴力ふるうの?」と泣き出した。そのおびえ方は尋常ではなかった。彼女の中で、僕と彼女の父親が、ごちゃごちゃになったのだ。これを心理学用語では再体験というが、そういうオカルティックな現象に、僕と彼女は巻き込まれた。その夜、僕は彼女と仲直りし、一緒に眠った。翌朝、目が覚めたとき、横で寝息を立てている彼女を見て、僕は初めて、結婚したいという気持ち、この人と一生より沿って生きたいという気持ちを体験したのだ。

その彼女は、後に別の人と結婚した。あまり大きな声ではいえないが、僕と一緒にいるときすでに、彼女には正式なフィアンセがいたから。

僕が今までに結婚したいと思った人は、たくさんの女性と出会ってきた割には、2人しかいない。その2人が2人とも、僕との間で、事件と呼ぶべき、根の深い物語が起こっている。

そう考えると、結婚したいという気持ちは、好きという感情や、相手の魅力や条件よりも、2人の間に生まれた物語の軽重によって生まれたり潰えたりするものなのだと思う。

好きな相手とは、一緒にいたいと思うし、付き合いたいと思う。でも、そういう好きという感情は、残念ながら時とともに変動するものだ。それに比べると、事件となった「物語」は、僕の中から消えたりするものではない。そういう「物語」は、好きという感情より、はるかに強く僕を支配する。それが、結婚という気持ちへ僕を突き動かすのだ。それを思うと、僕は結婚式が神様の前で執り行われる理由が感覚として理解できるのだ。

だから僕は、あせるな、相手をよく見る余裕を持て、ということに加えて、相手との「物語」を構築してゆけ、と言いたい。それによってなされる結婚が、一番しかるべき結婚だと思うから。

物語はどうやって構築されていくか、それはもう人為の範囲ではない。それは時に、運命といいたくなるようなものだ。

彼女がクルマに跳ねられる。彼は大慌てで救急病院にいき、廊下で手術の成功を祈り続ける。明け方、彼女の意識が回復する。医者から、五分五分でしたけどね、回復するかどうかは、と聞かされる。そして冷や汗とともに胸をなでおろした直後、携帯電話で、病床にあった父の死を知らされる。そして数秒の混乱の後、彼は、彼女と結婚するんだ、とごく自然に納得する。

そういう話は、それほどめずらしいものではない。蒐集してみれば、以外にたくさん聞ける話だ。

そういう物語は、作ろうとして作れるものではない。それは僕たちが知らないルールで支配されていて、僕たちはただ結果について納得することしかできない。ただ、僕の知る限り、そういうもの、僕たちが知りえないもの、コントロールできないものがあるんだなあと理解して、謙虚であるものに対しては、その物語の機能は十全に働くようだ。逆に、かけひきを重ねに重ねて、全てを人為によって支配しようとするものには、物語が生まれない。

であれば、僕たちはどうすればいいか。あせらないように、かつ、よりよい結婚相手を熱心に探すことだろう。そのこと自体は、今までどおりだ。そしてその中で、僕たちにはコントロールできないものがあるんだ、という理解、その謙虚さをもつことだろう。そうすれば、いずれ何かの物語が生まれてくる。その物語はどんなものかはわからない。電撃結婚に至る物語かもしれないし、結婚しないで生きようと決断させる物語かもしれない。いずれであっても、それは僕たちを支配し、結婚について結論を出してくれるだろう。

なんともつかみどころのない話で申し訳ないが、結婚というのはそういうものだと、僕は思っている。僕はあなたが、利害の一致によって契約を結ぶのではなく、物語を生きて結婚にたどり着くことを祈りたい。そして、一段落したら、僕にその物語を聞かせてください。







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