第六講 自信 /Quali,恋愛レクチャー集
問1.自信の実際
数名の女性がAさんに、「あなたならB子さんなんか余裕で口説けるよね」と言いました。Aさんは彼女らに、「いや、B子さんはおれを愛さないだろう」と、柔和に静かに答えました。
Aさんは自信を持っていますか、いませんか。理由をつけて答えなさい。
×誤答例
・意外に自信を持っていない。もてはやされているのと、自信を持てるかは別だ。
○正答例
・自信を持っている。周囲の声でなく自分の内側からの声で、自己を判断・決定している。
■解説
自信という語の、「信」の字に注目します。「信」は、信号、シグナルを意味していて、本来の意味は「手紙」です。「送信」「返信」と言いますね。
自分が人に何かを話せるように、自分はその内側から、自分に向けて声を発することができます。自分の内側から、自分の声、シグナル、手紙を受け取ります。自分の声を「受信」する。この自分の声が「自信」であり、これを持っていることを、「自信がある」または「自信を持っている」と言います。
「信」の字が、ニンベンに「言う」となっており、解体するとつまり「自分という人が言う」となることにも注目しましょう。
Aさんは自信を持っており、周囲のもてはやしてくれる声より、自分の内側の声を判断の根拠にしました。周囲の声に反して、「B子さんはおれを愛さないだろう」と、Aさん自身の声が聞こえているのです。
問2.自信の実際2
Cさんは、「おれ最近モテるからさあ」と言っていたのが、翌週になると「女なんてさあ」と暗くなりました。その翌週にはまた、「女が一番楽しい」と勢いづいています。Cさんが「コロコロ変わる」理由を、自信の観点から説明しなさい。
×誤答例
・自信を持ったり、なくしたりで、Cさんはコロコロ変わる。
○正答例
・自信が無いせいで、他人の声をアテにするので、コロコロ変わる。
■解説
自分の内側からの声が「自信」です。それを聞き取れている状態を「自信がある」といいます。
「自信がある」とき、その自分の声を判断の根拠にできますが、「自信がない」ときは、他人の声を判断の根拠にするしかありません。他人は複数いるので、誰をアテにするかによってコロコロ変わることになります。
高評価を与えられると自己評価を高くし、低評価を与えられると自己評価を低くする、という繰り返しです。他人が「信号は青だよ」というと進む気になり、「赤でしょ」というと止まる気になります。自分の声が聞こえないのでしょうがありません。
問3.自信の実際3
あなたは喉が渇いたので冷蔵庫を開けて牛乳を飲みます。この行為における「自信」について説明しなさい。
×誤答例
・牛乳を飲むのはごく普通のことなので、自信を持ってよい。
○正答例
・「喉が渇いた」という内側の声。「冷蔵庫に牛乳が入っている」という内側の声。
■解説
人が本当に自信を持っているのは、むしろこういう行為についてです。「喉が渇いた」ということに自信が無い人は、病人を除いてはいませんし、よもや「わたしって喉が渇いてるかなあ?」と他人に相談したりしない。励ましてほしいとも思わないはずです。すべて自分の内側の声だけで判断・決定できています。
問4.自信の実際4
D子さんはいわゆる典型的な「自信のないタイプ」です。声が小さく、うつむきがちで、いつも人に気を使い、臆病で人に主体的に関わっていくことができません。自信が欲しい、と常々思っています。
彼女が「人にどう思われているかを気にする」という性質を強く持つのはなぜですか。答えなさい。
×誤答例
・傷つきやすいタイプだから。
○正答例
・自己評価が危機的であるから。
■解説
経済的に余裕があれば、物価の上昇に鷹揚でいられますが、経済的に危機であれば、物価の上昇にはシリアスにならざるを得ません。そのことのように、彼女の自己評価は常に危機にあるので、評価の低下にシリアスにならざるを得なくなります。
彼女には自信(自分の内側の声)が無いので、自己についての判断や決定を外側の声に依存するしかありません。つまり他人が自分を悪く言うと、それに基づいて自己を判断するしかないので、他人に悪く思われるということは、それだけで非常な危機になるのです。
問5.自信の実際5
自慢話をたくさんする人は、「本当の自信がない」という印象を受けます。なぜですか。答えなさい。
×誤答例
・本当の自信がないから、さも自信があるんだぞというふうを振る舞う。
○正答例
・内側の声がないので、実声に出して確認しようとしているから。
■解説
内側の声が無い場合、外側からの声をアテにするしかなくなりますが、その外側の声を自分で出力するという方法があるのです。
自慢すべきようなことが、自分の内側で確かに聞こえていれば、それを出力する動機は特にはなくなります。そうして内側の声に留まって自分を支えてくれるものを、自信のうち「誇り」と呼びます。
自慢話というのは一種の自己主張です。ですが、この主張は、主張としての目的を持っておらず、自信の代用にするための声の出力に過ぎません。このように、自信の代用にするために主張をすることを、「自己完結的主張」と本レクチャーでは呼びます。たまに酔っ払いがテレビや電柱に向けて「主張的な独り言」を言っていたりしますが、あれが典型です。彼はツイートした文言を自分で確認して自信の代用にしているのです。
問6.自己完結的主張の効能
「マジありえないよね」「わかるー」と、トゲのある声の会話があります。これに見られる、自己完結的主張の効能を説明しなさい。
×誤答例
・思い切り愚痴を言うと、ストレス解消になる。
○正答例
・同意の声を他人に与えてもらうことで、自信を代用する効果が大きくなる。
■解説
ストレス解消になるというのを、否定はしませんが……(誰でもある程度そうでしょう)
酔っ払いが「主張的な独り言」をしているのは、さびしい光景です。それは、いくら自己完結的主張だったとしても、それにお付き合いする人ぐらいはいてほしいものだ、という思いから来ています。お付き合いしてくれる人が「同意」の声を発してくれれば、全てを自分の声で賄わずに済むことになります。それはひとつの支えあいでもあるでしょう。
自己完結的主張というのは、自信の代用を得る行為ですが、それがただちに悪というわけではありません。うすうす代用と知りながらやる中で、その主張も出尽くした、頭が冷えてきたというところで、「さて、もうやめよう」と、正道に帰ることはよくあります。むしろ正道へ帰る手続きとして、人はやむなくそれを選択しているところがあるかもしれません。また、そうして言葉が飛び交う中で、言葉自体が新展開のアイディアを与えてくれることも、人間関係によっては起こることがあります。
一方、それはやはり代用品ですから、それに浸りきりでは、弊害のほうが大きくなってきます。
問7.自己完結的主張の弊害
「主張」という行為について、以下の空欄を埋めなさい。
・「主張」をするためには、( )ことを言い、人と( )ねばならない。
×誤答例
・「主張」をするためには、(言いたい)ことを言い、人と(話さ)ねばならない。
○正答例
・「主張」をするためには、(正しい)ことを言い、人と(ぶつから)ねばならない。
■解説
自己完結的主張と言っても、主張であるからには、間違ったことは言えません。いくらなんでも、「あいつのほうが明らかに有能だけど、おれのほうを出世させろよ」とは主張できません。主張には正しいと思える筋道がどうしても必要です。
そして、正しいと思える筋道を提出すると、それに対する反論の筋道が提出した場合、これとぶつからねばならなくなります。どちらが正しいか、と悶着します。
それは本来、人間の営みのひとつです。が、残念なことに、彼は自己完結的主張をしたかったのみで、その本来の営みをしたかったわけではない。それでも、主張をするからには、「主張する」ということの性質を背負わされます。
これによって彼は、「正しいこと」への筋道に、理屈をこねまわし、人と話せば「ぶつかる」というような中を生きることになります。「主張」という行為は、人に「正論と論敵」を背負わせるのです。それは本来、彼の日々の義務ではなかったのに。
問8.自己完結的主張の弊害2
「世の中けっきょくお金でしょ」と言い続けていたE子さんは、やがて性格が暗くなり、回復しがたいほど気持ちが荒れるようになりました。これを[自己完結的主張の弊害]だとして、その仕組みを説明しなさい。
×誤答例
・言霊。悪いことを言ううち、それが自分に降りかかってきた。
○正答例
・「これが正しい」と思える声がこびりついた。
■解説
自分の内側の声が聞こえないので、自分で出力した声を自分で聞き、それを代用に使う。それが自己完結的主張です。けれども、その自分で出力する声を繰り返すうち、その声が自分に「こびりつく」ということが起こってきます。
「正論と論敵」を背負わされたE子さんは、「世の中けっきょくお金でしょ」を、やりくりに便利な言葉として自分に出力していたのですが、それが自分の耳にこびりついてしまったのです。E子さんは自分の出力した声で、ずっと落胆させられ続けるという状態になります。これが彼女を回復しがたい暗さにまで追い詰めてしまいます。彼女は苦しいので、その声に反論しようとはするのですが、その声は論敵をねじ伏せるのに便利だと自分で練り上げた声なのです。
▼復習ポイント
「自分の内側からの声」と、「こびりついてしまった自己完結的主張の声」の違いを、わかるようにしましょう。自分の内側からの声は、たとえば「喉が渇いた」という声などにヒントがあります。この声は主張ではありませんし、「正論と論敵」など背負っていません。
問9.自信の消去
自信のない人と話すことを、人は一般に好みません。なぜですか。答えなさい。
×誤答例
・こっちまで暗い気持ちになるから。
○正答例
・否定的だから。
■解説
自信のない人は否定的になります。これはむしろ、否定的になることで、当人が自信を消去する、という仕組みによります。丸暗記して進んでください。
問10.自信の消去2
子供があなたと話したがっています。あなたは彼に、「早く結論を出すように話しなさい。慎重に考えて話しなさい。たくさん話さず、良いことを短く言うのがよいのです。あなたは大切なことを完成させてから言うべきです」と指示しました。
あなたの指示は子供にどう作用しますか。答えなさい。
×誤答例
・子供なりに頭をフル回転させて、実りのある話をするようになる。
○正答例
・子供は話さなくなる。
■解説
慎重に考えて、完成させてから、端的に、結論をズバリと示す。そう言うと、何かいいことのように聞こえます。が、実際には、このやりかたは人間を、話さないほう、声を出さないほうへ導きます。
このことを見て、その逆、人を話すほう・声を出すほうへ誘導するやり方が、すでに一般常識のひとつとしてあります。次の問題に進んでください。
問11.自信の消去3
ブレイン・ストーミング法という会議の技法があります。以下の遵守される四原則について、空欄に正しい語を埋めなさい。
1.判断・結論を出さない。( )。
2.粗野な考えを歓迎する。( )。
3.量を重視する。( )。
4.アイディアを結合し発展させる。( )。
○解答
1.判断・結論を出さない。(結論厳禁)。
2.粗野な考えを歓迎する。(自由奔放)。
3.量を重視する。(質より量)。
4.アイディアを結合し発展させる。(結合改善)。
■解説
ひとつの一般常識です。知っておいて損はないので、知っておきましょう。
四原則が先の問題の正反対を採っていることを確認してください。
自信というのは、自分の内側からの声のことです。その声はどのようなことで沈黙してしまうか。
人は「正しいこと」で自信を手に入れると捉えがちです。けれども実際は、人は「正しいこと」に向かうことで、自信を失います。
問12.自信と信頼
人が自信を持つには経験が不可欠のように思えます。では子供は自信を持ってはいけないでしょうか。答えなさい。
×誤答例
・子供は子供なりの、無邪気な自信を持っていい。
○正答例
・子供は自信を持っていい。けれども経験がないので、彼自身は信頼には足らない。
■解説
子供が信頼に足るわけがありません。けれども、子供に「自信を持つな」などと、馬鹿げたことは誰も言いません。つまり自信と信頼は別々のものです。この混同は解決されるべきです。
自信とは、「信」の字から、シグナルであり手紙であり、声だ、と指摘しました。そして人が信頼に足るというのは、その声が「頼もしい」「頼れる」ということです。
人は経験を積むことで、「自信」、その声を、頼もしいもの、頼れるものに、鍛え上げていくのです。
問13.自信と信頼2
若いお笑芸人が舞台に立っていますが、彼は「自信なさげ」に見えます。それは観客を笑わせるのにマイナスに作用しました。
彼は経験が浅いですが、自信を持つべきですか、持たないべきですか。答えなさい。
×誤答例
・まだ経験がないので、自信が無くて当たり前。
○正答例
・経験が浅い彼は、自分の内側の声をまだ信頼することはできないが、それでも自分の内側の声に基づいて振る舞うよりない。自己への信頼はありえなくても、自信は持つべきである。
■解説
自信がない場合、人は判断と決定を、他人の声に依存するよりありません。つまり人の顔色をうかがってしか、自分の判断と決定をできなくなります。またそれによって、彼はコロコロ変わらざるを得ない、とも指摘してきました。
そうして、他人まかせで、他人の顔色を伺ってコロコロ変わるようでは、もはや「誰」が舞台に立っているのかわかりません。それは観客に不愉快に映ります。
誰が若い彼の、経験の浅さや未熟を、責め立てたりするでしょうか。若くて未熟だというのは、見るなり明らかにわかっています。ただ観客は、「顔色を伺うな、お前の声に基づいて振る舞え」と求めているのです。それがどれだけ未熟であっても、それは間違いない「彼」の振る舞いなのですから。
問14.自信と生
ある良家に生まれた男性は、五十年間、母親の言いなりになって生きてきました。彼は今、立派な社会的立場と、自由な時間と、何不足ない生活を送っています。彼が幸福でないのはなぜですか。[自信]という言葉を用いて、理由をつけて答えなさい。
×誤答例
・マザコンのまま、自信を持たずに生きてきたなんて、むしろ不幸。
○正答例
・人が生きるということは、自信(自分の内側からの声)に自ら呼応して、生きるということだから。
■解説
舞台上のお笑い芸人でも、自分の内側の声に基づかないなら、そこに「誰」がいるのかもはやわからなくなるように、人の生そのものも、そこに「誰」がいるのかわからなくなります。
人間の生には、単に無難に生活を有利に継続していくという生と、自分の内側からの声に呼応して自己決定していくという生とがあり、この二つが重なっています。
問15.まとめ
以下の空欄を埋め、選択肢は正しいものを選びなさい。
自分の( )が、自らに(1.発信 2.受信)されている状態を、「自信がある」という。それは信という字が、信号・シグナル・( )という意味を持っているからだ。
人はこの自分の自信を聞き取って、自己の( )・( )をする。ところがそれが聞こえなくなる状態がある。これを「自信が無い」という。このとき人は、自己の( )・( )を、(1.他人の声 2.感情)に依存させるしかなくなるので、こういう人は絶えずその様相が(1.暗くなる 2.コロコロ変わる)人になってしまう。いわゆる典型的な「自信のない人」というのは、自己評価が常に( )な人だが、彼などは常に自分が(1.何もできないこと 2.他人にどう思われているか)に、シリアスにならざるを得ない。
自信たっぷりで自慢話をする人が、自信にあふれているわけではない。むしろその逆だ。彼は自分の自信が聞き取れないので、自分の( )を出力し、それを自分で聞くことで、(1.自信の誇示 2.自信の代用)にしているのだ。これを( )という。陰口・悪口を言う人の、気の強そうな声があっても、それは彼の自信を意味しない。そうした主張行為による、いわゆるストレス発散は、( )があるが、そのぶん( )もある。
「主張」をするためには、( )を言い、人と( )ねばならない。「( )と( )」を背負うことになるのだ。それで彼は、理屈をこねまわす人になる。それだけでも大変しんどいことだが、彼はさらに、そうして主張した声が、自分に( )ということまで体験させられる。その声は彼を暗くさせる……彼はそれに反論しようとするのだが、何しろそれは、彼が「主張」の中で練り上げた、( )をねじ伏せるのに便利な声なのだ。
人は(1.正しいこと 2.面白いこと)で自信を手に入れると捉えがちだ。けれども実際には、(1.正しいこと 2.間違ったこと)に向かうことで、自信を失う。自信が沈黙し、聞こえなくなるのだ。
( )であることが、人の声を沈黙させる。自信のない人と、人があまり話したがらないのは、この性質が第一の理由である。この、人の声が沈黙することを避けるために、( )法という会議の技法があり、これは次の四原則を遵守する。<( )厳禁、( )、( )、結合改善>。
自信を手に入れるには( )が不可欠に思える。若くて未熟な者はそれが不足している以上、自信なんか持てっこない、というように見える。けれども、経験によって得られるべきは、自信ではなく自己への( )だ。自信というのは自分の( )なのだから、子供だって持ってよいし、また持つべきだ。それを経験で鍛えて、(1.頼もしい 2.正しい)ものにするのだ。
自分の( )が聞こえないなんて、そんなことがあってよいものか。彼は他人の顔色を伺うしかなくなるけれども、それではもうそこに(1.彼がいるのが悲しい 2.誰がいるのかわからない)。どれだけ自分が未熟で、経験が浅くても、自分は自分の自信に( )して生きるしかないのだ。自分の( )が完全に聞こえなくなるなんてことはありえない。たとえば「( )」ということがある。そして冷蔵庫の牛乳を飲む。こういう瞬間ほど、人は間違いのない自信に基づいて生きているものだ。
○解答
自分の(内側からの声)が、自らに(受信)されている状態を、「自信がある」という。それは信という字が、信号・シグナル・(手紙)という意味を持っているからだ。
人はこの自分の自信を聞き取って、自己の(判断)・(決定)をする。ところがそれが聞こえなくなる状態がある。これを「自信が無い」という。このとき人は、自己の(判断)・(決定)を、(他人の声)に依存させるしかなくなるので、こういう人は絶えずその様相が(コロコロ変わる)人になってしまう。いわゆる典型的な「自信のない人」というのは、自己評価が常に(危機的)な人だが、彼などは常に自分が(他人にどう思われているか)に、シリアスにならざるを得ない。
自信たっぷりで自慢話をする人が、自信にあふれているわけではない。むしろその逆だ。彼は自分の自信が聞き取れないので、自分の(実声)を出力し、それを自分で聞くことで、(自信の代用)にしているのだ。これを(自己完結的主張)という。陰口・悪口を言う人の、気の強そうな声があっても、それは彼の自信を意味しない。そうした主張行為による、いわゆるストレス発散は、(効能)があるが、そのぶん(弊害)もある。
「主張」をするためには、(正しいこと)を言い、人と(ぶつから)ねばならない。「(正論)と(論敵)」を背負うことになるのだ。それで彼は、理屈をこねまわす人になる。それだけでも大変しんどいことだが、彼はさらに、そうして主張した声が、自分に(こびりつく)ということまで体験させられる。その声は彼を暗くさせる……彼はそれに反論しようとするのだが、何しろそれは、彼が「主張」の中で練り上げた、(論敵)をねじ伏せるのに便利な声なのだ。
人は(正しいこと)で自信を手に入れると捉えがちだ。けれども実際には、(正しいこと)に向かうことで、自信を失う。自信が沈黙し、聞こえなくなるのだ。
(否定的)であることが、人の声を沈黙させる。自信のない人と、人があまり話したがらないのは、この性質が第一の理由である。この、人の声が沈黙することを避けるために、(ブレインストーミング)法という会議の技法があり、これは次の四原則を遵守する。<(結論)厳禁、(自由奔放)、(質より量)、結合改善>。
自信を手に入れるには(経験)が不可欠に思える。若くて未熟な者はそれが不足している以上、自信なんか持てっこない、というように見える。けれども、経験によって得られるべきは、自信ではなく自己への(信頼)だ。自信というのは自分の(内側からの声)なのだから、子供だって持ってよいし、また持つべきだ。それを経験で鍛えて、(頼もしい)ものにするのだ。
自分の(内側からの声)が聞こえないなんて、そんなことがあってよいものか。彼は他人の顔色を伺うしかなくなるけれども、それではもうそこに(誰がいるのかわからない)。どれだけ自分が未熟で、経験が浅くても、自分は自分の自信に(呼応)して生きるしかないのだ。自分の(内側からの声)が完全に聞こえなくなるなんてことはありえない。たとえば「(喉が渇いた)」ということがある。そして冷蔵庫の牛乳を飲む。こういう瞬間ほど、人は間違いのない自信に基づいて生きているものだ。
あとがき.
「自信」について、正しい理解は得られましたか。自信というのは、自己評価に「ノボセる」ことではありません。自分の内側からの声のことです。自信というと、どうしてもその「ノボセ」の印象がありますが……あなたは「ノボセ」が欲しいですか。欲しくないはずです。でも自信は欲しい。じゃあ自信はノボセではないのです。
自分を信じる、と言いたくなりますが、それもきっと、自分を「信知る」が元でしょう。信を知る、というのが、シンジル、という言葉になったと思われます。
自宅の液晶テレビから、アンテナ線を抜いてみてください。映像が消え、"No signal"と表示されます。「信号」がない、「受信」できていませんよ、ということです。画面が真っ暗になったら、どんな番組がやっているのかわかりません。だから、他人が笑ったら自分も笑い、他人が泣いたら自分も泣くのです。番組の内容はよくわからないけど、周りに合わせて。でもこれでは、自分は何をやっているのか意味不明です。
周りに合わせるのもよいでしょう。けれども、周りが「おいしい」というものが、自分の舌に「おいしい」と感じられていなかったら、自分の内側からの声です、人には言わなくても「おいしくない」と、自分の声に依拠してください。その声に基づいたあなたがいないと、そこにいるのはもう「誰」なのかわからなくなります。経験で自分を鍛えることも重要です。けれどもそれで信頼しうる自己を鍛えるにしても、その経験に誰でもない「あなた」が立たなければ、それは何の経験にもならないのですから。
ではお疲れ様でした。
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