第八講 関係 /Quali,恋愛レクチャー集
問1.関係と中心
次の4つの図式について、それぞれカッコ内の「真ん中の記号」は何ですか。答えなさい。
[x … A ― B … y]
[x … A ― B] … y
x … [A ― B … y]
x … [A ― B] … y
○解答
[x … A ― B … y] → ―
[x … A ― B] … y → A
x … [A ― B … y] → B
x … [A ― B] … y → ―
■解説
いきなり記号を並べて恐縮です。アレルギーを起こさないで、これは簡単な図式です。
あなたはこの、間違いようのない例題から、すでに重大な知識を得ました。喜んで進んでください。
問2.関係と中心2
AさんとBさんが対面しています。これを「A − B」で表します。ここでAさんはxさんの話をしましたが、xさんはその場にいません。
このときAさんの自己中心性を示しなさい。
×誤答例
・自分ばっかり話している。
○正答例
・[x … A ― B]の中心はAである。
■解説
本レクチャーでは、その場にいる互いのことを「直接関係」といいます。その場にいない誰かのことを「周辺関係」といいます。周辺関係の記号は「…」です。
「おれの友達がさあ」という話を聞かされることがありませんか。そういう話は、面白そうに見えて、どこか疲労感を与えるときがあります。それは関係の構造として、自己中心性が発生してしまうからなのです。
▼復習ポイント
カッコ[]内の、真ん中にあるものが大切にされます。
問3.関係と中心3
友人同士であるAさんとBさんが、久しぶりに会い、「最近どうしてた?」とお互いのことを話し合います。このとき両者が自己中心的でないこと、また互いの関係を大切にしていることを示しなさい。
×誤答例
・久しぶりにでも会って、仲良く話している。本当の友達。
○正答例
・[x … A ― B … y]。周辺関係を持ち込んで話しているが、関係構造の中心は記号「―」である。大切にされているのは関係性「―」である。
■解説
真ん中にあるものが大切にされています。このとき大切にされているのは、AさんBさんの自己ではなく、その両者をつなぐ直接関係「―」です。これは二人が会って話した甲斐があったことを示しています。
このように、互いが互いの周辺関係を持ち込んでいるとき、この関係の図式を「社会的関係」と本レクチャーでは呼びます。そこにいるAとBの個人だけでなく、それぞれの周辺であるxやyが持ち込まれ、社会性を形成しているからです。
問4.社会的関係
社会的関係を促進する代表的な方法を挙げなさい。
×誤答例
・ニュースになった話題を話す。
○正答例
・名刺交換や自己紹介をする。
■解説
名刺交換……まず子供たちがそれをしないことに注目しましょう。名刺を交換するのは、自分に接続している周辺関係の強調です。自己紹介というのもそれです。
古い歌に、「名前聞くほど、野暮じゃない、まして身の上話など」というのがあります。それは周辺関係を持ち込まず、社会的関係にしないことの粋(イキ)さを歌っているわけです。
問5.関係と中心4
自己中心的な人には会う価値が無いように感じられます。なぜですか。図示して答えなさい。
×誤答例
・ジコチューな人は気分が悪いから。
○正答例
・[x … A ― B]の中心はAであり、これを[x … A ― C]としても、中心はAである。つまりAの相手が誰であっても同じで、ゆえにAに会う価値はないように感じられる。
■解説
真ん中にあるものが大切にされます。このようなとき、Aが一方的に話すのが自己中心的なのではなく、Aが「その場にないもの」のことを話すことが自己中心性となります。
友人がオカルトやマルチ商法、カルト宗教などにハマったら、付き合いきれないと思いませんか。それは彼が「その場にないもの」を持ち込んできて自己中心的になるからなのです。
一方、Aが目の前のBのことについて話すならば、それは直接関係の充実になります。例えば「その髪型ヘンじゃねーか?」と言われるのは、ムッとさせられるかもしれませんが、関係は直接関係です。一方、「その髪型、僕の姉と一緒だよ、素敵だね」と言われたらどうか。褒められていますが、もっと致命的な失望が起こることを感じてください。彼は人の髪型を褒めて自己中心的になったのです。
問6.関係と中心5
AさんはBさんに会い、彼氏xのことについて相談します。図式は[x … A ― B]となりAの自己中心性が生まれますが、これを解消するにはどうすればよいですか。二通り示しなさい。
×誤答例
・彼氏のことは自分で解決する。あるいは、そういうときはBさんに会わない。
○正答例
・[x … A ― B … y]、つまり、Bさんも「おれの友達がさあ」と周辺関係を話させる。
もう一つには、彼氏xさんについてを「解決」させ、その場を[A ― B]の関係にする。
■解説
「うちの彼氏がさあ」「ウチのとこもそうだよー」というようなやりとりは、どこにもでもあり、また自然です。社会的関係として破綻していません。
けれども、相談しにきているのですから、できれば良い方向に進捗させたい。であれば、モヤモヤして持ち込まざるをえなかった周辺関係としてのxを、「解決」させて、除去する。「すっきりした!」となるのが最善です。
よい相談相手がそのまま新しい恋人になってしまうことが多いのは、その解決能力のせいではなく、周辺関係のモヤモヤを解決させて、そこに[A ― B]の関係を作り出せてしまうからです。
この[A ― B]の関係は、周辺関係の持ち込みがありません。その場にいるお互い同士のみ、直接関係のみで形成されています。この状態を本レクチャーでは「純粋関係」と呼びます。
問7.関係と中心6
病院では、患者が医者を「先生」と呼びますが、これは飲食店などの経営とは異なります。[技術]という語を図式に組み込み、患者と医者の関係を説明しなさい。
×誤答例
・患者は医者に治療してもらうもので、医者のほうが偉いから。
○正答例
・[患者 ― 医者 … 技術]の関係図であって、中心は医者である。医者が医療技術を持ち込む。この関係性を肯定するために、患者は医者を「先生」と呼ぶ。
■解説
飲食店では、客を「お客さま」と呼びます。この関係図は[¥ … 客 ― 商品]です。客は「お金を持ち込む」ので、客が中心となり、その関係性を肯定的に捉えるため、「お客さま」という呼称になります。
クラブ活動などでは、一年上の先輩であっても、後輩は服従の態度が自然になりますね。これも図式化すれば[後輩 ― 先輩 … 一年]となります。後輩は先輩より、クラブの時間が一年間少ないわけですし、この一年差はどうやってもくつがえりません。
病院では、どれだけ小さな診療所でも、その診療費を医師当人にではなく、かならず会計窓口で支払うことに注目しましょう。それは、患者が医師当人にお金を払ってしまっては、関係図が[¥ … 患者 ― 医師 … 技術]になってしまい、医師の主体性・リーダーシップが崩れてしまうからです。飲食店はお客さまに対し「お世話になっています」ですが、病院では患者の側が「お世話になっています」となります。
われわれはこのように、関係性についての様々な工夫を、知らないうちに綿密にやっているのです。仮に、[あなた ― 彼 … y]という関係があったとします。彼が自己中心的ですが、ここでもしあなたがその関係性を肯定的に受け取れていたら。つまり、彼をどこか「先生」と呼びうるほど尊敬していて、例えば彼の語る熱い夢が、やはり尊敬しうるものだったとしたら、関係は破綻しなくなります。
中には、「自分は彼にそう扱われたいの」と積極的に望む女性もおり、その女性に対しては彼が自己中心性を発揮しないことが彼女への怠慢になることもあります。
このように、一方の自己中心性が肯定的・積極的に受け入れられる場合、それを「上下関係」と呼びます。この上下関係が豊かに営まれない暮らしは、関係性の豊かな暮らしではありません。また様々な面で膨大な不利をこうむります。
ちなみに、本レクチャーでは、「丸暗記しろ」と僕が一方的に申し上げています。それは関係図を[あなた ― 知識 … 僕]として、「知識」に主体性を置くためです。まるで知識の奴隷となれ、と言い続けているのは、そこに肯定的な上下関係を持ってもらうためです。
あなたの今いる「その場所」に、僕は実際にはいないことを確認してください。けれども「知識」はあなたの目の前にありますね。
丸暗記すれば知識は残りつづけ、僕のことは忘れてゆきます。そのとき関係は[あなた ― 知識]となり、あなたは知識と純粋関係を持つことになり、上下関係は消失します。ここに上下関係がもたらしうる豊かさの一例を確認してください。
問8.純粋関係
「社会人になると出会いが無くなる」と感じる人は少なくありません。「人と知り合うことは多くなるけれど」と。なぜこのようなことがありえますか。図式化して説明しなさい。
×誤答例
・時間が取れなくなるし、気持ちも殺伐とするから。遊んでいるヒマがなくなるから。
○正答例
・[仕事 … A ― B … 仕事]の関係性から離れ難く、純粋関係[A ― B]が生じないから。
■解説
ミスター・チルドレンの"innocent world"という歌に、♪近頃じゃ夕食の/話題でさえ仕事に/汚染(よご)されていて……というのがあります。これは純粋関係であった[A ― B]に、最近はどうしても周辺関係が持ち込まれるようになった、と歌っています。
社会人になるということは、社会的関係を生きていくということではあるでしょうが、それは純粋関係を根絶やしにすることでしょうか。本レクチャーはその立場を採っていません。
さて、純粋関係[A ― B]に、周辺関係が入り込み、社会的関係に変化することを、周辺関係の「持ち込み」と本レクチャーでは呼びます。
「持ち込み」という言葉に鋭敏になりましょう。たとえばディズニーランドでは飲食物の持ち込みを禁止しています。それは来場者に、ディズニー・ワールドと純粋関係を持ってほしい、周辺関係を持ち込んで社会的関係にしてほしくはない、と望んでいるからです。ディズニーランドのベンチに座り、牛丼を食べながら、「吉野家は旨いなあ」と話すのは、社会的には問題ありません。ですが……それをやめるためにディズニーランドは存在しています。だからやめてくれと「禁止」を言うのです。
あなたは良かれと思い、彼とのクリスマスデートにも、「こないださあ」とグッドニュースを話し、「お正月どうする?」と前向きな話をするかもしれません。けれどもその「持ち込み」が何を破壊しているか気づいてください。注目すればあなたはすぐにでもその自分の破壊活動に気がつくはずです。
社会的関係から、周辺関係を排除し、純粋関係になることを、自己の「白紙化」と、本レクチャーでは呼びたいと思います。
白紙化は大変むつかしいことです。けれども多くの人が、「わたしね」と、白紙のあなたとして話しだすのを、ずっと待っています。本当のことを突き詰めてください。あなたはそこに何かを「持ち込む」必要はまったくないのです。
問9.純粋関係の生育
互いに白紙化したAさんBさんが出会います。彼らの関係はどのような養分によって生育しますか。答えなさい。
×誤答例
・人を大切に思う気持ち。
○正答例
・A−B間に交わされる直接感覚のやりとり、または、A−B間に起こる情緒(間接感覚)のやりとり。
■解説
第七講、「感じる」を思い出してください。
厳密に言いますと、「思う」というのは先に価値観の持ち込みがなければできません。人を大切に思うというのは、何かいいことのような気がします。けれども、あなたが月面旅行をするとき、あなたは月や宇宙を「大切にしよう」と思いますか。
そのあたり、白紙化というのは本当にむつかしい。むつかしいのですが、不可能ではまったくありません。
直接感覚のやりとりというのは、視覚や聴覚や触覚ですが、これは何もセックスに限らず、彼があなたのヒジをつんつんする、あなたも「なあに」といってつんつんする、というようなことでも成立します。それはもっとも簡単な営みで、もっとも確実な養分です。
「持ち込み」でもっとも多いのは情緒です。イヤな人に会ったであるとか、逆にうれしいことがあったであるとか。そこで発生した情緒を持ち込むと、純粋関係[A ― B]ではなくなります。
かといって、それらの一切を生涯持ち込まない、というのは現実的ではありませんね。ここでは知識を教授しています。あなたがいくつかの情緒から離れられず、それを持ち込んでしまうときにも、どうかそれが排除されますように、という願いを秘めて、やむを得ず持ち込まれるのなら、それでよいと思います。あなたの周辺関係が充実し、そこに夢さえ満ちているとしても、「そんなこと忘れろよ」と、実際忘れさせてくれる人がいたら、それこそまさに真の夢があるでしょう。
問10.純粋関係の生育2
「上司の圧力がひどくて」と彼が苦悩して言います。あなたはアドバイスによってそれを解決できそうにはありません。
あなたが純粋関係を求めるとして、あなたはどうするべきですか。答えなさい。
×誤答例
・人としてアドバイスは出来ると思う。励まして、元気をあげる。
○正答例
・彼の手に触れる。キスをする。つつく、つねる、セックスする、等々。つまり直接感覚を与える。
■解説
第七講「感じる」を思い出してください。直接感覚と間接感覚は拮抗します。彼は情緒の持ち込みをしていますから、その情緒(間接感覚)を阻害し、吹き飛ばすには、直接感覚でのアプローチが有効です。彼の仕事は大変そうですが、彼はいまその仕事を手元でしていません。いま苦悩しても有益ではありません。
表情筋が「ものまね筋」であることを思い出しましょう。彼の苦悩の表情は、油断しているとあなたの表情に伝染します。するとあなたも情緒の具体化によって、なにか「しんどい」という気持ちになってきます。そこであなたは、彼の情緒を胴体で受け取るのに務め、彼に触れる、ハンカチで汗を拭いてあげる、声を鋭く聞かせ、肌の香りをかがせてあげる、などするべきなのです。
「持ち込み」でもっとも多いのは情緒です。それに向き合うことも実際にはあるていど必要でしょう。けれども、それは社会的関係であれば、誰でも一応はできることです。
それより、純粋関係で彼に向き合える人のほうが希少です。あなたはきっと、社会的関係として彼に有益であるべきではありません。バランスはあると思いますが、あなたは純粋関係の対象であってよいと思います。もしあなたが、あなたの手のひらで彼に触れ、汗を拭いてあげるだけで――少々の大胆さだけで――、彼を苦悩の情緒から解き放ち、直接感覚の世界へ呼び戻してあげられるなら、あなたは素晴らしい営みを持つ者です。
問11.純粋関係の生育3
本気で仕事をしているAさんは、人に尊敬され、憧れもされます。一方、仕事中に恋愛にうつつを抜かしているBさんは軽蔑されます。なぜですか、答えなさい。
×誤答例
・仕事をちゃんとしない人は、しょせんくだらない人だから。
○正答例
・[A ― 仕事]という純粋関係が尊敬される。「自分もあのように純粋関係を持ちたい」という憧れを持たれる。一方Bさんは、[恋人 … B ― 仕事]であり、自己中心的なので軽蔑される。
■解説
純粋関係が起こるのは、人同士だけではありません。
問題は「関係性」です。つまり記号「―」と「…」です。直接関係は、「その場に実際にあるもの」で、周辺関係はその場にないものです。
Aさんが尊敬されるのはそれが「仕事」だからではなく、「その場にあるもの」だけに純粋関係を持つからです。Aさんは恋人といるときは、恋人と純粋関係になるでしょう。
このことを指して人はしばしば、「一瞬ごとを大切に生きよう」と言います。
例題のBさんのほうを見てみましょう。恋人はその場にいません。その場にないものは「現」ではないので、Bさんは「現(うつつ)を抜かしている」となります。彼は周辺関係を無作法に持ち込むので、恋人といるときもきっと純粋関係ではありません。そのとき彼は、「デート中に仕事にうつつを抜かしている」と軽蔑されるでしょう。
▼復習ポイント
「持ち込み」を敏感に捉えましょう。
問12.純粋関係の生育4
動物は何によって関係を築きますか。答えなさい。
×誤答例
・動物特有のジェスチャー。
○正答例
・痛み。
■解説
丸暗記をどうぞ。動物はおよそ純粋関係しか持てません。動物に名刺交換は不可能です。彼らには「持ち込み」をする能力が無いのです。
常に白紙である彼らは、野生では特に、互いを「感じる」ことでしか関係を作れません。互いに勇敢にぶつかりあい、「痛み」によって互いを受け止めます。第七講「感じる」を思い出してください。「感じる」ということは基本的に「痛み」を指すのでした。
痛みは感じるものですが、恐れるものではありません。それは攻撃ではないのです。動物と関係を作る達人である、ムツゴロウこと畑正憲さんは、「動物の爪が肌を刺しても、それを痛いとは感じなくなった」と言っています。長年の生き様が、彼の身体機構を常人離れ(野生化)させてしまったのです。「痛みを受けてわずかでも身を引くと関係が壊れる、闘争になる」と畑さんは指摘し、自分にはやれてもこれは誰にでもはちょっとできない、と言います。
われわれは痛みごときでいちいち身を引くべきではないのです。痛みを肯定したとき、わたしたちはそこに何を持ち込む必要があるでしょうか? 痛みを肯定したあなた自身を想像してみてください。その勇敢なあなたは、あなた自身誇らしく認めうる自分であるはずです。
問13.純粋関係の生育5
彼が「絵を描きたい」と言いました。絵の具と筆はすでにあるそうです。あなたが彼に持っていくべきものは何ですか。答えなさい。
×誤答例
・よい絵画の見本。
○正答例
・白紙。
■解説
あなたが植木鉢と土と花の種を買い、花を育てようとしていました。それを僕が目に留めて、あなたの植木鉢をサッと、すでに花の咲いている植木鉢と取り替えたら、あなたは喜びますか。「もう花が咲いているものを持ち込んでくれてありがとう」と感じますか。そうではないはずです。
あなたの得ようとしていたのは、結果としての花ではなく、その「生育」だったからです。水をやっていたら、あるときついに「芽」が出ていた。誰だってこれには喜びを覚えます。その喜びに必要なのは、「まだ芽も出ていない土と種」です。つまり白紙こそが必要なのです。
それに比べて、われわれが普段、人と接するときに前もって持っている、奇妙な自信ぶりは何なのでしょうか。何か上等なものを持ち込めることを、まるで自慢にしているようです。この自慢が結局のところ、当人に都合がいいばかりで、何の痛みも課さないということを確認しましょう。
問14.関係の断絶
AさんとBさんは同じ電車に乗っていますが、赤の他人です。二人の関係性はどのようですか、答えなさい。
×誤答例
・無関係。
○正答例
・「赤の他人」という直接関係。
■解説
ここには大きな誤解があります。無関係というのはきっと、地球の裏側の、今から数千年前に生きたであろう人の、痕跡も残っていない人のことを指します。それでさえ無関係とは言い切れないですが、言うならせいぜいそのあたりを採るべきです。
赤の他人は「赤の他人」という関係であり、初対面なら「初対面」という関係があります。「その場にあるもの」が直接関係だと言いました。その場にあるもの同士で「無関係」はありえないのです。
それでも一般的には、「無関係」と捉えてしまう、このことを本レクチャーでは「無関係の錯覚」と呼びます。
問15.無関係の錯覚
AさんとBさんは、赤の他人として同じ場にありますが、互いを無関係だと錯覚しています。これはどういう状態ですか、図示して答えなさい。
×誤答例
・共に公共の場にあることを忘れてはいけない。
○正答例
・[x … A] ― [B … y]。
■解説
問1と同じ訊き方をします。「それぞれカッコ内の『真ん中の記号』は何ですか」。答えは、「…」となります。真ん中にあるものが大切にされます。つまりその場にはない周辺関係が大切にされています。単に直接関係A − Bが無視されるのではなく、周辺関係x … Aがその場にあると錯覚されることで、直接関係A − Bが無視されるのです。
この現象を、本レクチャーでは「場所から剥離する」といいます。わかりやすくは、電車内でそれぞれがスマートフォンに没頭している光景に注目してください。ネットコンテンツやeメールをxおよびyとすると、まさに[x … A] ― [B … y]が出現して、無関係の錯覚が発生します。「赤の他人同士でそこにいる場」から剥離していきます。
進化した端末はわれわれの消費する時間を有益にしますが、そのぶん、われわれに場所剥離の性質を促進したのです。ここまでのところ、バーチャル・リアリティに没入する人はついにいませんでした。むしろ人人は、「こっちが現実じゃん」という確信において、端末に引き込まれていきました。
☆コラム(暗記しなくて結構です)
一例としては、一人でプレイするフィクション・ストーリーのゲームに引き込まれる程度より、現実の人間同士でプレイするオンラインゲームへの没入の程度のほうが、はるかに深いです。そのぶん、人人は「その場にあるもの」同士としての、たとえば麻雀などをあまりやらなくなりました。
ここには改めて、直接関係・周辺関係に対比する、オンライン関係というのを設定する必要が、現実的になってきています。それを記号「〜」で表すとすると、[x 〜 A] ― [B 〜 y]となります。このとき「〜」を「―」より優位に置くなら、「〜」がtrueであり「―」がfalseですから、赤の他人は「無関係」が成立します。そして[x 〜 A]は新しい純粋関係に繰り上がります。
これはSFではなく、すでに近い未来の予想図です。今でさえ、もう電車に乗って出勤する意味が果たしてあるのか、と感じている人は少なくありません。そして純粋関係をもった経験が、唯一オンラインでならあるわ、という人も少なくない。オンラインはオンラインで、人の美醜や年齢、肌の色や人種などについての「持ち込み」を排除できますから……
この近い未来の有様について、どう向き合っていくかは、それぞれの問題であり、また全体の問題でもあります。本レクチャーは知識の教授が目的なので、これ以上は議論に入りませんが、もし不安に備える必要を感じられる方は、本レクチャーからはこう言い得ます。「『感じる』という機能は身体にしかなく、情緒を感じるのにもその具体化が必要です」。オンラインは身体を具えません。
ひとまずこれで、この先はもう、クラウドネットワークは「もののあはれ」を具えるか、という議論になります。
問16.まとめ
以下の空欄を埋め、選択肢は正しいものを選びなさい。
わたしたちは「( )」をしがちだ。それによって、[A ― B]という( )関係は、[x … A ― B … y]という( )関係になってしまう。だから出会いというのは知人が増えること(1.そのままだ 2.とは限らない)。子供は友達をつくるのに名刺交換や( )をしない。いつからかわたしたちは、人と手ぶらで出会えなくなる。
関係[A ― B]は、「(1.大切なもの 2.その場にあるもの)」としか関係を持っていない。その場にあるもの同士の関係を( )関係という。それに対比して、その場にはないものを( )関係という。仕事中に女のことを考えてボーッとしている男、つまり(1.現を抜かしている 2.仕事に不真面目な)人は、その点で軽蔑されるのだ。その場にないものを持ち込んでしまうのは、それだけでただちに( )を持ってしまう。関係[A ― B]を汚染してしまいやすいものは、その場で出来たものではない( )で、そのときは関係[x … A ― B]となってしまうけれど、それでも人に会うのは、その関係が(1.[A ― B] 2.[x … A ― B … y])となることを望んでのことだ。
「( )」の一切をやめることを、自己の( )という。なぜそれをしなくてはならないかというと、植木鉢と土と花の種を買ってくる理由が、(1.花が欲しい 2.生育が欲しい)ということだからだ。関係[A ― B]としてそれを得るには、お互いがお互いを(1.思う 2.感じる)しかない。それには、( )を当然として受け止めにゆく、静かな(1.賢さ 2.勇敢さ)が必要だ。関係[A ― B]を育てるのに、お互いのひじをつんつんしあう、そんなことが(1.役には立たない 2.実に有効だ)。けれども、ただこれだけのことに、実はどれだけの(1.賢さ 2.勇敢さ)が必要か。
わたしたちは、目の前に赤の他人がいると、彼との関係性を( )だと(1.感じる 2.錯覚する)。その関係図式は[x … A] ― [B … y]であって、(1.目の前の人を大切にしないことで 2.目の前にいない人を大切にすることで)、これは起こる。本来はそうではなく、目の前の赤の他人との関係性は、「( )」という関係性である。赤の他人を(1.大切に思うべきだ 2.大切に思う必要はない)。赤の他人が目の前にいる、それがその実際の「場所」であるが、それを( )だと捉えることを、「場所からの( )」という。
○解答
わたしたちは「(持ち込み)」をしがちだ。それによって、[A ― B]という(純粋)関係は、[x … A ― B … y]という(社会的)関係になってしまう。だから出会いというのは知人が増えること(とは限らない)。子供は友達をつくるのに名刺交換や(自己紹介)をしない。いつからかわたしたちは、人と手ぶらで出会えなくなる。
関係[A ― B]は、「(その場にあるもの)」としか関係を持っていない。その場にあるもの同士の関係を(直接)関係という。それに対比して、その場にはないものを(周辺)関係という。仕事中に女のことを考えてボーッとしている男、つまり(現を抜かしている)人は、その点で軽蔑されるのだ。その場にないものを持ち込んでしまうのは、それだけでただちに(自己中心性)を持ってしまう。関係[A ― B]を汚染してしまいやすいものは、その場で出来たものではない(情緒)で、そのときは関係[x … A ― B]となってしまうけれど、それでも人に会うのは、その関係が([A ― B])となることを望んでのことだ。
「(持ち込み)」の一切をやめることを、自己の(白紙化)という。なぜそれをしなくてはならないかというと、植木鉢と土と花の種を買ってくる理由が、(生育が欲しい)ということだからだ。関係[A ― B]としてそれを得るには、お互いがお互いを(感じる)しかない。それには、(痛み)を当然として受け止めにゆく、静かな(勇敢さ)が必要だ。関係[A ― B]を育てるのに、お互いのひじをつんつんしあう、そんなことが(実に有効だ)。けれども、ただこれだけのことに、実はどれだけの(勇敢さ)が必要か。
わたしたちは、目の前に赤の他人がいると、彼との関係性を(無関係)だと(錯覚する)。その関係図式は[x … A] ― [B … y]であって、(目の前にいない人を大切にすることで)、これは起こる。本来はそうではなく、目の前の赤の他人との関係性は、「(赤の他人)」という関係性である。赤の他人を(大切に思う必要はない)。赤の他人が目の前にいる、それがその実際の「場所」であるが、それを(無関係)だと捉えることを、「場所からの(剥離)」という。
■解説
もし、大切だと思うものを大切にしましょう、という話なら、僕はそれを「大切関係」と呼んだでしょう。そうではないのです。気持ちの問題ではなく、図式として純粋関係と社会的関係という関係の持ち方をわれわれがするという、事実の、これは知識の話なのです。
われわれはふだん、何を「持ち込み」するでしょうか。それは多岐にわたります。携帯電話やスマートフォンは、端末を実物として、どこにでも「持ち込み」ますし、それはまた周辺関係の電脳的持ち込みでもあります。あなたは自分の結婚式のとき、そのドレスの胸元に携帯電話を入れて、神父のところに歩いていきますか。そうはしないでしょう。たとえ電源を切っていたとしても、そのときその端末には「用事が無い」「持ち込んではダメだ」と感じる。それはあなたが純粋関係を誓うためにバージンロードを歩くと自分で知っているからです。それを白紙化と言いました。だからあなたは、およそ白いドレスを着ます。
「将来考えるとほんと憂鬱だし、でも今の会社は合わないしさあ。あ、携帯鳴ってる。ちょっとごめんね。ところでさ、今日わたしのお気に入りのブランドでバーゲンあるんだけど、買いに行かない? バーゲン情報とか仕入れ始めると、何かちょっとオワリだよね。ってむかし先輩に言われた。わたしA型だから、けっこう気にするタイプなの。あと聞いてよ、こないだ元カレと会ったんだけどさ。酔っているからってわたしを『中古』呼ばわりしたんだよ。ほんとありえないんだけど」
こんなものは、もう持ち込みの洪水です。それは両者が社会的関係として合意する中で、悪いものでは決してない。
けれども、それとは違う、純粋関係もあるのだ、ということです。そしてあなたが、まだ「持ち込む」ものを持っていなかったとき、あなた自身がその関係・生育を当たり前にやっていたということなのです。
問17.応用
以下のうち、純粋関係には○を、社会的関係には×をつけなさい。
・「あなたに会いたかったのに、すごく残念、ごめんね」
・「仕事が忙しくて、ダメになったの、本当にごめんね」
・「お前は、なんなんだろうな、不思議なやつだ」
・「お前のこと友達に自慢したいよ」
・「お前のおかげで元カノのことを吹っ切れたよ」
・「お前って頭撫でられると眼を閉じるよな」
・「いいクツ履いてるね。似合う」
・「いいクツ履いてるね。どこで買ったやつ?」
・「あなたのおかげでやる気が出てきたわ」
・「あなたのその力は何なのかしら」
・「わたし料理得意ですよ」
・「お前、すげえ包丁さばきだな」
・「うるさい!」
・「モテますよね」
<解答>
○「あなたに会いたかったのに、すごく残念、ごめんね」
×「仕事が忙しくて、ダメになったの、本当にごめんね」(「仕事」は周辺関係)
○「お前は、なんなんだろうな、不思議なやつだ」
×「お前のこと友達に自慢したいよ」(「友達」は周辺関係)
×「お前のおかげで元カノのことを吹っ切れたよ」(「元カノ」は周辺関係)
○「お前って頭撫でられると眼を閉じるよな」
○「いいクツ履いてるね。似合う」
×「いいクツ履いてるね。どこで買ったやつ?」(「店」は周辺関係)
×「あなたのおかげでやる気が出てきたわ」(やる気の対象が周辺関係)
○「あなたのその力は何なのかしら」
×「わたし料理得意ですよ」(その場に「料理」はない)
○「お前、すげえ包丁さばきだな」(その場にある感嘆情緒)
○「あなたうるさいわ!」(うるさい対象が直接関係)
×「モテますよね」(モテる対象が周辺関係)
■解説
社会的関係が悪いというわけではない。純粋関係と違う、というだけです。
「お前のおかげで元カノのことを吹っ切れた」と言われたら、嬉しいような気がちょっとして、「ん?」と思うでしょう。「わたしは、元カノさんのことを、忘れさせるためにいるわけじゃ……」と言いたくなる。あなたは賞賛されているのに、彼の自己中心性を感じて反発しているのです。
「持ち込み」がなければ、言い方は変わります。
「お前のおかげで、幸せだ」
「なあに、どうしたの」
「いつからか吹っ切れたんだろうね、最高だ」
「何が吹っ切れたの」
「吹っ切れたんだから、もういいだろ」
「気になるじゃない」
「お前のおかげだ、というだけだ。それ以上はめんどうくさい」
「なによ、いじわるじゃない」
「コーヒー飲みにいこうぜ」
「うん。あなたコーヒー好きよね」
純粋関係なので、二人のやりとりに何の社会性もないことを確認してください。
あなたが、また彼が、純粋関係だの、社会的関係だの、考えなかったとしましょう。細かいことは気にしなくていいさ、と。
けれども、気にしても、気にしなくても、そこにある関係性を、感じ取ってしまう。あなたの意志の問題ではなく、これは人間の機能の事実なのです。
あとがき.
長いレクチャーを、お疲れ様でした。「関係」について、正しい理解は得られましたか。あなたの手元のメモ帳は、AだのBだの、記号が書きなぐられているかもしれません。それがあなたの、知識への挑戦の証拠です。
図式はシンプルでも、簡単な話、とは言えない。こういうときは、スピードを重視してください。とにかくスピードをもって繰り返すのが、あなたの脳への負担をもっとも軽くします。あなたはグルメ気取りが難癖をつけながら食事をする光景が嫌いのはずです。それよりは、とにかく食べる勢いが違う、食事そのものがおいしい、という少年のほうがかわいく見える。あなたの脳にもそのようなかわいさを許してあげてください。あなたは「理解しきれないよー」と嘆いてしまうかもしれません。けれどもそんなことはない、あなたの手はすでに、紙とボールペンさえあれば、純粋関係だの社会的関係だの、図式化して書けるようになっているはずです。それも、バババッと。それは昨日までのあなたには無かったことです。
最近は、処女でない女性を悪く言うのに、「中古」呼ばわりするスラングがあります。あなたはこれに飽き飽きするばかりで、知識によって反論できます。「純粋関係には周辺関係の持ち込みが無いから」で終わりです。それ以上、何か言うべきことがありますか?
そろそろあなた自身、僕の語りかけの声を、正当に聞き流す態勢が身についてきていると思います。知識は受け取っているけれど……と。それはすでに、[あなた ― 知識]の純粋関係が起こってきているということです。はじめのうちあなたはきっと、「こんなもの読んでも意味あるのかな」という疑念があった。今は、その当たり前に思えていた疑念が、自分の「持ち込み」にすぎなかったということが、理解されていると思います。
では、お疲れ様でした。あと二講を残すのみです。
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