第一講 IT技術は情報量を減らした/現代と恋愛
脳の立場になって考える
海辺に立ってぼうっとすることをイメージしてみてください。そこには何の情報も得られないような気がしています。ですが、あなたの情報処理をする器官である「脳」の立場になって考えてみてください。本当に何の情報も得られていないでしょうか。
そんなことはないのです。実は脳は豊かな情報を得ています。海の景色、海の色、潮騒の音、風の匂い、海風の肌にあたる感触、日の当たって肌の熱くなる感触。足元は砂浜で、足はその独特の感触を受け取っています。ニャアニャアとウミネコが鳴いている声が聞こえますし、あなたの耳と脳は、それが空高くで鳴いている声だということをちゃんと聞き取っています。唇を舐めるとすでに少し塩辛いかもしれません。その塩味だって情報です。また自分の身体がそこに立っているという感触自体も大きな情報になります。
IT革命というのがあり、実際スマートホンや携帯電話で、人人が手にする情報は増えたと思われています。けれどそれは錯覚に過ぎません。あなたの「脳」という立場から考えれば、そんなIT機器から得られる情報というのはごくごくみじめなものに過ぎないのです。
何も情報が無いかに見える海辺に立つ、その生身の体験は、実はスマートホンで熱心にネットサーフィンをすることに比べ、おそらく一兆倍ぐらいの情報量を持っています。それが本当のことなのです。「脳」の立場に立てばそうなのですが、あなたの"自意識"はそのことに気づきにくいのでした。
IT化のみじめな限界
動画サイトからmp3音源をダウンロードしてきて音楽を聴く。それがIT革命の実態です。詳しい方なら、そこにビットレートという、kbpsという単位が付属していることもご存知でしょう。CDは1411kbpsで、mp3はたとえば128kbpsなどになります。この数値はサンプリングレートや圧縮といったことに関係があります。
でも、その「ダウンロードしてきて再生する」という一連の工程が、実際にどのような作業によって成り立つのかということを、はっきり知っている人は多くありません。それはたいして難しい話でもないので、あなたはその作業工程をおおよそ知っている人になることができます。最も簡単な捉え方は、「再生」をするためには、先に「収録」が要るということです。収録したレコードがなければその再生はできないわけですから。
では改めてお話しします。あなたが「海辺にぼうっと立ったとき」の体験を、もしIT化しようとしたらどうなるか? それはもう、おそろしいほどの工程になるのです。
まず、録音にはマイクがいるように、情報をデータ化するためには、まず情報を電子信号に変換する装置が要ります。マイクは空気の振動を電気信号に変える装置です。あなたの海辺の体験を収録するためには、機器はマイクだけでは足りません。全方位を録画できる3Dカメラでまず光の情報を電気信号化しないといけない。風に混じるにおいが変化するのを電気信号化する装置も要ります。唇にあるわずかな塩味を電気信号化する装置も必要ですし、何よりあなたの全身の肌が受ける風の感触や足元の砂の感覚を電気信号化する無数のセンサーが必要になります。
これらの電気信号は微弱なものですから、電気的に増幅します(アンプリファイといいます)。ただし、絶対にノイズが混ざらないように増幅しないといけない。増幅したら、今度はその情報を「レコーダー」に記録しないといけない。情報量は膨大になりますから、毎秒あたりブルーレイディスク一万枚分を記録できる、というような機器が必要でしょう。
それをレコードしたら、今度はデータをデジタル化しないといけないので、サンプリングという電子的作業をします。これで例えば、「海辺の体験」というディスクみたいなものがようやく出来上がります。何千万枚のブルーレイディスクに、あなたの数分間の体験がようやくサンプリングされた、というような状態です。
でも今度は、この巨大なディスク情報を、素早く読み取れる「プレイヤー」が要ります。プレイヤーが、サンプリングされた情報をアナログデータにして出力するのです。ただ、これもまた微弱なので、電気的増幅させねばならない。ノイズの混ざらないように。
そして、一番厄介なことですが、その出力されたデータを人に届けるためには、人と機器をつなぐインターフェイスというのが要るのです。その代表はヘッドホンなどですね。PCやスマートホンのモニターもそうです。PCだって、箱の中で電気信号がチカチカしているだけでは人に届きません。人に伝えるためにはインターフェイスが必要になりますので、あなたの体験した海辺のとおりの体験を再生するためには、空間丸ごとのインターフェイスを作るか、もしくは全身の皮膚にくまなく装着する数十万個の端末みたいなものが必要になるのです。
それでようやく、それでも擬似的にですが、あなたの体験した「海辺」を、IT化して再生することができるようになります。
どうでしょうか、これは馬鹿馬鹿しいことだと思いませんか。足の裏に無数の端末をつけて、「砂を踏んでいる感触がする!」と。……それならもう、足元に砂を敷いたらどうだ? と言われかねません。
実際こんなことは技術的にまだまだ不可能なのです。実現するのはもう何百年先のことになるか。人類にはついに不可能なことかもしれません。これが次世代のスマートホンなのだとしたら、もうサイズが一つの大工場ぐらいの大きさになります。月額利用料がいくらになるか。まして持ち運ぶことはできませんし、今のネット回線ではデータのダウンロードに何年掛かるかわかったものではありません。
IT革命が情報量を増やしたというのは錯覚に過ぎないのでした。少なくとも、あなたの「脳」が受け取る情報量ということに関しては。それでもなおITの情報量を信仰する人には、「じゃあ海辺の体験をダウンロードして見せてよ」と言えば一撃です。
IT技術で授受できる情報量はゼロと言ってもいい
先ほど、脳が受け取る情報量について、スマートホンのそれに比べたら、生身の体験は一兆倍ぐらいの情報量があると言いました。これは嘘ではありません。情報工学を専門にしている人に聞いても同じことを言うでしょう。
端末から得られる情報が、生身に比して一兆分の一しかないのだとしたら、これはもうゼロと言って差し支えありません。これをぜひあなたの新しい知見として持ち帰ってください。あなたの「脳」の立場に立っての話です。「IT技術で授受できる情報量はゼロ」。これは意見ではなくサイエンスの話です。どう説明されるのかについてはもう、あなた自身で説明できるようになられたはずです。「情報って、生身に浴びる全てが脳にとっては情報ですのよ?」と。
IT革命とは情報「数」の革命である
ではIT革命とは一体何であったのか? 今もそれぞれの手元にある端末が、確かに情報をくれるような気がしている、このことの正体は一体何なのでしょう。
それは実は、情報「量」ではなく、情報「数」なのです。情報量としてはゼロに等しいような情報を、無数に与えてくれること。それがIT革命の正体でした。
我々は時に、その情報量としてゼロのような情報を必要とします。たとえば終電の時刻は何時だったか、というようなことについて。情報としては数バイトしかないようなその情報を、我々は時に必要とします。
そういう、量的にゼロである情報を、速やかに送受信できるということについて、IT端末は極めて優秀です。その点は、旧来の方法をまったく寄せ付けません。この海辺の住所は? というようなことを検索させたら、IT技術は何よりも早くて低コストです。
そして我々は、そのような情報だからこそ、それを得るのに時間やコストを掛けたくなかったのです。つまり、デートを中断して、駅まで走って終電の時刻を確認しにいくというようなことをしたくなかった。
それでIT革命はもてはやされ、今も手放せないものになっています。
ITとはインフォメーション・テクノロジーのことです。ここ近年で人類は、「車を速く走らせる」というようなことより、情報をどう電子的に扱うか、ということに、テクノロジーの努力を向けてきたのでした。そのことの恩恵に確かに我々は浴しています。
ただ、それによって、我々の「脳」が、情報を豊かに与えられるようになったかというと、そうではなかった。情報「数」の革命は、我々の脳に砂粒のような情報を無数に与えます。ですが、コース料理に砂粒のような料理が100品出てきても、それは満腹を与えてくれません。脳は無数に「味見」をさせられていますが、ずっと何も食べずにきています。
それではやがて脳の機能が変質してしまいます……そのことについて、次の講義でしっかりお話しすることができると思います。
おまけ、もし脳が直接ネットに接続できたら?
人間の脳を直接ネットに接続する、そして自己人格ごと電脳世界に「ダイブする」というような設定が、最近のSFにはとても多いです。もちろんそれはSFなのでとやかく言うことではないのですが、もし仮に、今のインターネットにそんなことをしたらどうなるでしょうか。そこには広大な世界が広がっています……が、やはりそこには砂粒のような情報が無数に散らばっているだけになります。残念ながら。
それは先にお話ししたように、そもそも再生する元としての、「収録」されたデータが、ウェブ上には存在しないからです。写真のように平面的に撮影されたものが、電脳世界の中からみれば立体に見えるかというと見えません。元々の収録が2Dなので、サンプリングデータも2Dデータです。
脳を直接ネットにつなげたら、何があるかといえば、インターフェイスが要らなくなる、というだけです。モニタやヘッドホンが要らなくなるというだけです。マウスやキーボードも要らなくなりますね。脳が直接なので、検索機能はとてつもなく速いということになります。
でもそれは、すさまじい物知り、すさまじいクイズ王、みたいになるだけで、あるいはすさまじい計算の速さになるだけで、何があるかといえば何もありません。すごく退屈しているすごい物知り、になるだけです。何一つをも体験したことのない物知りです。世界中のありとあらゆる技術論を知っている一方で、幼稚園児の遠足の引率が出来るかというと出来ないというような無能者に仕上がってしまいます。
SFのように電脳世界に「ダイブ」してさえ、そんな程度なのです。じゃあ、モニタを覗き込んでいたからって、得られる情報量が多いわけがありません。
コンテンツとして、他のユーザーも脳を直接ネットにつなげばどうか……というような、本末転倒を考えてはなりません。それを言うなら、もう人の脳と脳を直接つなげばいい。わざわざインターネットを媒介させる必要はありません。
インターネットと言いますけれども……たとえばあなたの家のPCは何か「すごい」ものですか。そうでもないと思います。旅行の写真や動画、ちらほらと日記や課題のレポートが保存されているだけではないでしょうか。そしてインターネットというのは、それらの個々のPCをネットワークとして接続しているだけでしかないのです。それで何かすごいことになるというのは錯覚です。便利になるだけで。エッチな画像を収集するPCと、大学教授の論文を保存するPCとが、国境を越えてネットワーク接続されているだけです。ちなみに言えば、僕のウェブサイトだって元は僕の家のPCにあるのです。かといって僕のPCを覗かれるのはアレなので、公共に覗けるサーバーPCを借りてそこにコピーを預けているだけです。
IT、つまり情報の電子化ということが、本当に「すごい」ことになるためには、まず「収録」のテクノロジーが進化することが必要です。それで最近は3Dの撮影があったり、人間の耳で聞くように録音されるバイノーラル録音というものが一般化してきました。とはいえ、まだ目と耳だけですし、目といってもそれは、人間の目のようにパッと見たところに自分の焦点を合わせられる、というようなものではありません。だから3Dというのも擬似3Dでしかないですし、バイノーラル録音と言ったって、音の鳴るほうをパッと見る、というようなことはできません。それらは夢のある技術ですから、これからの進化が期待されますが、いかにもまだまだ、これからずっと先のことになるようです。
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さてこれで第一講はおしまいです。いかがでしょうか、ごく簡単な話だったと思います。簡単な話なのですが、指摘されないとなかなか気づかないようなことだと思います。
この先に続く講義についても、あなたは自分の「脳」の立場に立つことを忘れないようにしてください。あなたは普段その発想に慣れていません。慣れていませんが、あなたには必ず脳という器官があるのですし、またその器官の機能について、あなたは本当にはまったくよく知ってはいないのです。
たとえばあなたの部屋のドアを、僕が蹴飛ばしたとしましょう。バン! と音が鳴り、あなたは部屋の中でびっくりします。ドアのほうを振り返り、「誰?」と恐怖する。
ですが、なぜあなたは、そのバン! という音について、「その方向に音が鳴り」「その音には危機の可能性が含まれていて」「誰かがドアを蹴った音だ」「恐怖すべきだ」「誰何(すいか)するべきだ」ということが、瞬間的にわかったのでしょうか?
あなたが考えてのことではないはずです。あなたが考えるまでもなく、脳が瞬間的に判断しているのです。バン! という音と、その周囲全ての情報を一括して、「誰?」と誰何するところまで結びつけています。そんなとんでもない高性能を、日常的に発揮しているのですが、発揮していることには意外に人は気づかないのです。
そしてまかり間違っても、そんな高度な判断を出来るコンピューターは存在しません。バン! という音で「誰?」と誰何するコンピューターは、地震のときにも「誰?」と聞きます。テレビで誰かが机を蹴飛ばした音にも「誰?」と聞くでしょう。アホですね。結局、人間の脳のようには、大量の情報を扱えてはいないのです。
ではでは、簡単な話でしたし、きっとそれなりに面白味のある話だったと思います。ではこのまま第二講に進んでください。あなたの脳はこの程度のことではまったくヘバったりしません。ヘバるとしたらあなたの自意識のほうだけです。
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