正直に話すよ
チカちゃんへ
あなたがお店でナンバーワンを取ったことは、すごいことだし、なんだかんだで、あなたの自慢だと思う。それはすごいことだと僕も思う。女は綺麗な者が勝つねと言った、あなたの言うことも間違っていないと思うけど、僕は不安だ。あなたがナンバーワンを取ったのは薄暗がりの店内であって、スポットライトをガンガンに当てられる世界じゃなかった。スポットライトを当てられる側の世界(テレヴィじゃないよ)、その光源の中でなお美しい人って、そりゃもうすごいんだ、肌からプロポーションから所作から笑顔から、徹底的に訓練され、デザインされている。あいつら本当にプロフェッショナルだよ。
女は美しい者が勝つ。それは間違っていないけれど、厳密に見れば、あなたはアマチュアの世界にいる。あいつらプロフェッショナルの実物に触れる機会があるといいね。そりゃもう、すごいよ。実戦空手の師範代になるよりはるかに難しいんじゃないかな。スキがあるなんて論外、っていう世界だよ。それを体験できたら、あなたは自分を見つめなおして考える機会になると思う。
あなたは、ツンツンしているわりに、付き合いたいと言われるとすぐに真に受けるね。ツンツンしているけど、すぐグラッと来ている、それがミエミエだから、向こうも「いける!」みたいに盛り上がるんだ。あなたは一つごとのケースについて、だってお金持ってるからさあ、とか、イケメンだからさあ、とか、色々言うけれど、それは付き合っていい理由を自分で後付けしているだけだな。結局あなたは、誰かのことを好きになったり、尊敬したり認めたりする前に、付き合いたいというフレーズに浮かされて、ふわふわ行ってしまう。そのときのあなたはあまりに単純に幸せそうだから、その瞬間にはさすがに口を挟む気にはなれないんだよ。でもあなたが体験してきたとおり、あなたはそうして勢いよく付き合って、まあ、三ヶ月ぐらいで別れるね。あなたはこれまで、付き合って別れた男のことを悪く言わなかったことがない。さんざん悪口の対象にする。そして次の「付き合ってほしい」が現れたら、またふわふわと行ってしまって、前の彼のことは「忘れた!」と言う。本当に、綺麗さっぱり忘れているよね。それはまあ、記憶に残してゆけるほどには、誰とも一緒に過ごしたことがないってことなんだけれど。そういうのがあなたに向いていると思っていたら僕もこんなふうにモヤモヤしない。でもあなたはそういう時間の過ごし方に向いていない。あなたが幸福でもないのにふわふわしている状態を見るのが、僕は好きではなかった。
あなたは僕の話を聞いてはくれている、が、受け止めてはくれないだろう。それは知っているし、それがなぜなのかというのも知っている。僕があなたに付き合ってほしいとは言わないからだ。簡単に言うとあなたは、自分に付き合ってほしいと言ってくる人とだけ関係を認めようとする。付き合ってほしいと言われるのが、好きなんだろうな。自分が認められ、求められている、ということを実感できるのかもしれない。あるいは、「わたし勝ってる」という感触。でもその結果、あなたが体験する男性って、安易に付き合ってほしいを切り出してくる男ばかりになった。彼の側も若いから、ということで済ませたいところなんだけど、そうじゃない。軽薄な(と決め付けるのはよくないけど、他に言い方がない)男は、女に接近するときに、なんでもいいから目の前の扉をこじあけようとするものなんだ。僕だってそうしたことがある。このコ、何でもいいから「好きだ」って言っておけば効くな、ということが直感でわかるときがある。そして、何であれ接近するにはその「好きだ」を前提にするしかないじゃんこのコ、みたいなこともあるんだよ。僕だってそういう手法を使ってきたことがこれまでに何度もある。後ろめたい感じがしたよ。でも自分で言わせてもらうなら、それを後ろめたく感じていたならまだマシだ。あなたのこれまでの男は、自分がそういう軽薄な手法に踏み切ったということの自覚が、多分ない。どうでもいいんだろうね、そんなこと。彼らは、「彼女」が欲しかったんだ。それは誰だってそうかもしれないが、彼らは自慢できる「彼女」が欲しくて、「彼女」を持っている自分に猛烈に気分良くなりたくて、そのためには正直誰でもよかったし、好きだの付き合ってほしいだの言えば効くとなれば、それを振り回して押し切ればいいって、そういう発想しかしなかったんだよ。
そんなこんなでも、付き合っているうちに、本当の関係になっていくのかもしれない。そう願って、僕は遠くから後見ぶってあなたを眺めてきた。でも、悪い意味で裏切らなかったな。半年……も保たないほうが多かったか。だいたい喧嘩する。喧嘩しなかったことがないね。そりゃ、お互いに何か本当に認めたり好きになったりして付き合ったのじゃないから、どこかでつまづくのは当たり前だ。それでね、彼は、「彼女がいる」ということに気分をよくしているから、そういう男に限って、その彼女像が壊れることにすごく反発するものなんだよ。どんな喧嘩をしても、彼は内心で、「おれの女なのに、おれに向かってその言い方はないだろ」と思っている。そこは決して折れようがないので、本当に許しあったり和解したりなんてできないんだ。彼は彼女像が大事なのであって、あなたが大事なのじゃなかった。あなたが彼女像から逸脱するなら、途端に猛烈に嫌いになるよ。ペットで言えば、彼は自分に懐いているペットだけが好きなんだ。急に懐かなくなったらすぐ捨てに行くよ。
あなたのほうも、あなたは自分に悪いところがあったら謝ると言ったけれど、頭を下げられる? と聞いたら、少し考えて、それは無理、と笑ったね。そういうところを正直に認めるのが、なんというか、あなたのいいところ、なのか、愉快なところだ。無理がなくて、僕はあなたのそういう部分が、不覚にも好きだ。まあでも、つい笑ってしまう僕もだらしないのだろうか。そのままじゃうまくいくわけがない。あなたは、あなたのことを「好きだ」とか「付き合ってほしい」とか言ってくれる男にだけ興味を持つ。興味を持とうとするのじゃなく、グラッと来ちゃうんだね。でもなんというか、そうして「申し込まれる」というべきか、それだけが好きというのは、あなたが頭を下げられないということとつながっているんだ。男が自分に頭を下げて申し込んでくるのが好きで、そうじゃないものには関心が無い、まして自分が男に頭を下げるなんて、と思っている。それを、責めたり悪く言ったりするつもりは僕にはない。ただ、それがあなたの自我なんだ。あなた自身が、その自我のありように、納得するのかしないのかはわからない。けれどまず、あなたはその自分の自我の状態にまったく気づいていない。そこは、気づいてほしいんだよ。あなたは、何かトラブルがあり、困ったときだけ、僕に相談を持ちかけてくる。信頼してくれているんだな、と、笑えてくるよ。あなたはどうも、僕に無限の知恵と完全な判断力があると思い込んでいるらしいが、別にそんな大それたものじゃないからね。ただ、あなたが僕の判断力や洞察力を信頼してくれているなら、僕の話には聞く値打ちがあるはずだ。「本当にあなたの言ったとおりになるね」とあなたは笑ったあと泣いたけど、それは言うほど僕に洞察力や予見力があるのじゃない、ただ見たままなんだ。こんなに自我が傲慢なら、うまくいくわけがないって。あなたの自我はまるで、横断歩道で人が頭を下げなかったらアクセルをゆるめないっていう、意地の張り方をする。それがやがて事故を起こすなんて、別に洞察力がなくてもわかるじゃないか。
あなたはなんだかんだで、アウトローに憧れているのだろうか、茶髪で肌が汚い、痩せ気味の、とんがった風の男が好きだね。そういうのと付き合うことが多かった。まあ、わからなくはないし、なぜわからなくはないのか自分でもわからないのだけれど、わからなくはないよ。
ただ、彼らの言うことは、勢いはよくてもいろいろ……たとえば前、あなたの彼が、アウトローの人とコネがあって、こんど密漁の仕事をするんだって、あなた興奮していたことがあったね。密漁、闇の仕事、犯罪……というのに、盛り上がってしまうのはよくわかる。でも今さら落ち着いて聞いてほしいんだけれど、その密漁の仕事、海辺の町ではよくある話でね。函館で、坊主頭の中学生が、まったく同じ仕事をしている話を聞いたよ。中学生がだよ。夜逃げしてきたおっちゃんも同行したりするらしいね。あれは要するに、元締めが、自分でやって自分がパクられるのはイヤだから、誰かにやらせようっていうだけの、ありふれたことなんだ。不良が舎弟に「あれ万引きしてこい」と言うのと同じだよ。そんなもの、アウトローの世界につながりがあるとは言わない。逆だ、つながりがないからやらせられるんだ。
だいたい、密漁そのものが、別に珍しいものじゃない。海辺の町で、小料理屋に入って、禁漁期に「ウニある?」って聞いてみたらいい。「密漁モノでよければ」って言ってくれるよ。夜に海を見て、あの小さな灯りが浮かんでいるのはなんだろう、って思ったことは一度もない? あれはたいてい全部密漁船だよ。どこにでもあるというか……そもそもあなたは密漁が何なのかをわかっていない。それは漁協の仕組みを知らないからだ。厳密にいえば、朝子どもが砂浜でナマコを拾って帰るのだって密漁だよ。そんなことはどこにでもある、農協の仕組みの外で売られている作物だってあるし、商社マンで密輸をしたことない人なんて一人もいないんじゃないかな。
僕が呆れたのは(今さら言ってもしょうがないけど)、その密漁だなんだで、彼が中古車販売の仕事を辞めてしまったことだ。まったくもったいない。仮にアウトローの世界を目指すのだって、クルマは金融に重要なアイテムだし、古物商のノウハウに長けているほうが、間違いなく重宝されるのに。まあでも若いというのはそういうことかもしれない。イメージに振り回されて、無知で、ヘタクソで、と。でも、あのときであなたは二十二歳だったっけ、僕は二十二歳の人間はもう子供じゃないって思っている。二十二歳って、わかるかな、東京大学を卒業する年齢なんだよ。入学する年齢じゃ、もうないんだよ。
チカ、あなたは、たしかに美人だ。薄暗がりの中だといっても、ナンバーワンを取れたのは、やっぱり伊達じゃない。ザコを寄せ付けないってところは確かにある。でも、あなたが自分を把握するのに、重要なところはそこじゃない。あなたには、そうだね、たとえば家族想いなところがある。お父さんが長いこと病床に臥していて、その話をするとあなたはいつもワンワン泣くね。それで、泣き止むと、ケロッとして引きずらないけれど、どちらかというとそういうところがあなたの持っている、特別なところだ。誰でも彼でも、お父さんが病気で、ということに、そうワンワン泣けるものじゃない。あなたは実は、「こういう幸せな家族」というヴィジョンを、強烈に疑いなく持っていて、でもお父さんが病気だし、お母さんはもうお父さんを愛していない、仲良くできないってことを知っていて、それを思い出すたび、叶わないものに向けてワンワン泣く。僕の見る限り、あなたはまだ、家族の娘として、可愛がられるべき時間の量が、足りないままでいるんだろうなって思うけれど……まあそのことは言ってもしょうがないことだ。そんなことより、未来に向けてあなたは、自分を把握しなおすべきで、あなたは美女ではなく、家族を求める健気な女だ。ちょっとおバカなところはあるけれど、その家族を求め、心に描くということについては、まったく嘘は微塵もない、あなたはそれを持っていると僕は確実に保証しよう。あと、あなたは引っ越したとき、一日で見事に自分の部屋を、自分のものらしくしたね。壁に布を張ったり、いろいろと、何をどうやったのかわからないけれど、僕は驚いた。そういうことは、実は誰にでもできることじゃない。センスがあるんだよ。
あなたの、その夜の美女で、ツンツンしていて、いけいけなふうで、アウトローに憧れていて、付き合ってほしいと言われるとエーと奇声をあげてすぐ引き込まれてしまうというのは、実は何もあなたらしくないんだよ。どうでもいいことだ、正直。なんなら、お見合いなんかもしてみたらいいと思うよ。まだ、こうなるとは予言できないけれど、あなたは今自分で思っているような結婚の仕方とは、まったく違う結婚の仕方をする。
来たるべき、そのときに向けてへの、作戦のひとつでも、これはあるけれど……なんというか、チカ、あなたは、あなた自身のことをわかってあげてよ。何を求めているのか、何を真に大事に思う人間なのか、何に泣くのか、何に笑うのか。向いてないほうにでも進める、そういう地力が、あなたにはあったということでもあるのだろうけれど、何も自分の向いていないほうへ自分を育てることはないじゃないか。あくまで作戦会議といこうか、あなたが、そうだな、市役所とかの、公務員の人とお見合いしてだ、そのとき、例のツンツンぶりやアウトロー好きの気配が出てしまったらまずいだろ。おいしくないだろ。そのときはだから、髪も黒く染めてしまって、第一にこう言うんだ。
「父が長く病床にあって、この数年つくづく思いました、健康が何よりなんですね」
って。そしたらホロリといく。相手がじゃなくて、あなたがホロリといくよ。
(結局何もしてやれなかったチカちゃんに向けて、さよなら、元気で!)
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ノンちゃんへ
何から話せばいいのか、とりあえずあなたのおっぱいは本当に見事だった。ツルンとしていてプルンとしていて、ボヨンボヨンと弾力のあるタイプで。本当に肌がきれいで、まるで肌ではないような、なんというか、見るよりも触りたい肌だ。おっぱいにこだわりが無い僕でも感動するほどのものだったから、おっぱいそのものが好きな男性には、それはもう女神のように扱われるだろう。それで、お前すげえな、と、楽しくするふうにあのときは終わらせたけれど、それが粋でいいとやっぱり信じながらも、本当に誠実ではなかったかもなと思って、今さら話にしている。ところでノンちゃんという名前はどことなくあなたにピッタリだった。
僕はあなたといる時間が嫌いではなかったし、好きかというと、そう好きでもなかった。たぶんあなたのほうも似たような感じだと思う。別に嫌いじゃないし、まあ好きというわけでもなかったかもしれませんけれど、と。だからお互いさまなんだけれど、明らかに僕のほうがごきげんだったと、あなたも記憶してくれているはず。あれはなぜだったかというと、土台として、僕は好きでも嫌いでもない人と過ごすことが、割と好き、それどころか、それだけでけっこう無性に好きなところがあるんだ。あまり自慢にならないけど、僕はお気楽なやつだからね。
あなたはその、好きでも嫌いでもない人と過ごした、その対象は僕だけでなく誰とでもそうだったろうなと思うのだけれど、そうして過ごす時間が、あまり好きじゃないんだと思う。じゃあ一人で過ごせばいいかというと、そうでもなく、あなたは一人で過ごす時間もあまり好きじゃないんだろう。一人で過ごす時間についても、僕のほうがそれを好きだ。
その差がどこにあるのだろう、といって、僕があなたより上等な人間だ、というようなことはまったくない。モテるのはあなたのほうだ。まあ、おっぱい目当てでモテるのは、多分もう飽き飽きしているところもあると思うけれど。それでも少なくともモテるわけだ。まだおっぱい目当てならよくて、性格が好きとか言われるのはもっとイヤです、なんとなく、と言っていたね。それはよくわかる……と、これは大変言いづらいけれど、あなたは決して明るい性格じゃないものな。ふさぎこんでいるのか、それすらもちょっとわかりづらい、数秒ごとに伏目がちになるような感じだった、あなたは。そこに、その性格が好きと言い寄ってくるのは、なんというか、ファンタジー好きの妄想が滲み出ているよな。少なくとも僕にはそういう性癖はなかったから、まあ絶対に嘘ではないということでだ、お前のおっぱいは本当にすげえな、と可笑しくしてあのときはまとめたわけだ。もっと真面目にいえば、あなたが、伏目がちか何かは知らないけれど、与えられた仕事はきちんとしている、隠し持つふうだけど仕事の向上心も常にある、というのが、本当に評価するべきところだろうな。僕があなたを口説くつもりなら、僕はそこを熱心に突くべきだった。でもなんというか、それがあなたに有効だとわかっていても、あなたを幸福に近づけない気がしたので、てやんでえ、と思ってやめた。
差がどこにあるのだろう、という話だった。それは、一方的に言うけれど、あなたが自分を閉じ込めていて、僕は閉じ込めていないっていう、ただそれだけの差だと思う。まるで小学生の作文みたいになるけれど、何も間違っているわけじゃない、自分を閉じ込めていたらしんどいし、何も楽しくない。何かを好きになれたりしない。自分を閉じ込めたままなら、一人でいてもしんどいし、誰かといてもしんどい。逆に、仕事しているときのほうが落ち着くふうなのは、仕事には自分を閉じ込めるような側面が正当にあるからかもしれないな。とはいっても、あなたのその閉じ込め具合は、度が過ぎているというか、そんな伏目がちにならなくても、とみんな思っているよ。
まあでも、こういうことについては、僕は慎重になるタチなんだ。あなたは自分を閉じ込めていると思うけど、たぶん何か奥深い理由があってそうしているのだろうし、その理由が何なのかは、もう深くて古くて原因ごと自分でもわからないのかもしれない。そうなって、当人も苦しんでいるところなのに、安直に「自分を出しなよ」という言い方は僕はきらいだ。そういう安直さが人柄にピタッと嵌って、そうね、と言わしめるタイプも中にはあるけれど、残念ながら僕はそういうタイプではないし、僕は僕らしく慎重になる。そこをキャラクターゆえの安直さでよいほうへ押せる人のことは、僕から見て永遠にうらやましいタイプでもある。たとえばアフリカン・ニグロのどうしようもない陽気さみたいな。
もし僕が、力ずくでも、あなたの幸福に寄与したいと思うなら、別のやり方があった。あなたに直接、自分を閉じ込めてるね、と、しつこく、侮辱するように、言い続ければよかった。あなたはそこまで温厚な人間でもないし、悲劇に入り込む人間でもなかったから、僕が侮辱しつづければ、そんなことないです、とやがて反発し、ついには、違うって言ってるだろ! ぐらいの怒号は聞けたかもしれない。そして僕は、女の子のそんな怒号ぐらいじゃ、何のショックも受けない、ふてぶてしい野郎だから、本当はその役目こそ自分にふさわしかったのかも、と思わないでもない。でもおせっかいなことだし、そう判断しながらも、僕は実はそういうやり方が本当に正しいのかどうかに自信を持っているわけでもないんだ。自信って、何の根拠もないものね。あなたがついに僕に向けて、溜まっていたものを丸出しにして怒号をぶつけたとしたら、あなた自身がショックを受け、でもそのぶん何かしらの解放はあったかもしれない。でも、それがあなたの幸福に寄与したとして、その全体が本当に正しいのかというと、そこにはあまり自信がないんだ。僕は何気なく、当たり前のように、あなたを見てあなたが幸福になることを願ったけれど、そうしてむやみやたらに幸福を願うこと自体が、何か自分が間違っているんじゃないかと、ずっと疑っているんだ。それは単に、おれが幸福な女の顔を見たいっていう、おれ自身の望みのためのものでしかないんじゃないかっていう。
どうすれば正しいのかなんてわからないけれど、少なくとも、そういう疑念が堂々とでしゃばるような有様では、そのときの僕は何の妙境にも到達していないってことだ。それでまあ、ほどほどにした。あなたのおっぱいを信仰する、アホの新しい一人というのでよかった。その信者どもの中では、あなたをなかなかに笑わせたという、そういう自負だけは持とうとしたけれどね。
印象的なことを覚えている。あなたも覚えてくれていると信じたいが、あなたは僕に「相性がいい」と言ってくれたけれど、あれは実は、わざとそうした。あなたは自分が感じているのを隠したがるタイプだったけれど、オーガズムを得て、その後思わず僕を突き飛ばした。あの突き飛ばしにきた両手の感触は、とてもよかった。よかったというと、僕がマゾみたいでいまいちだけど、あの両手の力には、あなたの内なる、本当の力がこもっていた。あのとき、唯一あなたから受け取ったあなたの本当の声は、あの突き飛ばしだった。「来ないで!」って言ってたな、あの両手は。胸にずしんと来たよ。こう、物理的にも、直感的にも。
相性の問題ではなくて、実はあのとき、わざとそうしたんだ。はじめは、せっかくするんだから、感じてほしいと思ってそうしただけなんだけれど。変なことを言うようだけど、ひょっとしたら何かのヒントになるかもしれないから、聞いてほしい。あのとき、僕はまったく意図的に、あなたのことを無視したんだ。
あなたが自分を閉じ込めているのはわかっていたし、感じてもそれを隠すふうはそのことをさらに誇張していたから、僕はそれならと、あなたを意図的に完全に無視した。単純なことなのだけど、わかってもらえるだろうか、僕があなたのことを完全に無視するなら、あなたは自分を閉じ込めておく必要がないってことなんだ。だから、閉じ込めていたはずのあなたが出てきてしまった。出てきてしまって、でもそれは閉じ込めておくはずのものだったから、あなたは僕を突き飛ばしたんだね。来ないで、と。あなたは僕を突き飛ばして、あわてていつもどおり、自分を閉じ込めなおして、一息ついて、まあ僕のセックスだけは評価しようと思ってくれたのだろう、それで「相性がいい」と言ってくれた。不本意そうだったけれどね。
まあでも、あれは相性なんかじゃなくて、わざとそうなるようにしたんだ。突き飛ばされるとまでは想像していなかったけれど。本性を隠したがるなら、それはそれでつけこむやり方があるんだよ。そのあたりは、大人の知恵をナメてはいけない、ということになるかな。女性の身体はそのあたりに鋭敏な機能を持っているから、あなたがどう思おうが、この人はわたしを無視して触れている、というのは感触としてわかってしまう。身体が勝手に理解するものだ。
いま、ノンちゃんの、意外なところで好奇心が強いというか、食い下がって知ろうとするあの感じを思い出したので、苦笑しながら先に言うけれど、いつでも誰にでも、そんなセックスのやり方をしているのじゃない。そういうやり方は確かにあるのだけれど、それはやったらそれなりに壮絶なシーンが出現してしまう。そして何もかもが、毎回そうして壮絶でなくてはならないわけじゃない。誰でもがやるように、ウフフと笑いながらやるやつでも別にいいじゃないか。
ただ、あなたは自分をいわゆるエロいと思っていて、またそういう表面的なエロさで攻めてくるやり方に、慣れていて、好きだ、と思っていたかもしれないけれど、そんなことで熟練ぶるものじゃないよ。そういうのは、楽しいし気持ちいいけれど、あくまで表面的なものだから、そうして余裕で楽しめるものだ。じっさい、本性を引きずり出されるのはキツかっただろ。あなたが僕を突き飛ばしたあの両手の感覚を、僕は大好きだが、その上であなたに向けて言う、あなたはまったくのウブなんだ。そりゃそうだろ、自分を閉じ込めている女の子がウブでないわけがない。
ふつう、という言い方は好きじゃないけれど、本来はと言おうか、本来は、ああして本性が解き放たれることがあったなら、突き飛ばすんじゃなくて抱きしめるものなんだ。同じだけ必死な力加減で。僕自身は、突き飛ばされたとき、あの両手に何がこもっていたか、直接感じられるからまあいいのだけれど、客観的に見たら僕がちょっと可哀想だろう。なんで突き飛ばされてるのコイツ、って。突き飛ばされないためには、表面的な、いうほど本気では感じないセックスをすればいい、それは簡単なことだけれど、それはもう話がめちゃくちゃだろう。別に僕のことなんかどうでもいいが、あなたはいつか次のどこかで、同じように本性が解き放たれて、今度は突き飛ばすのじゃなく抱きしめてしまうということを体験しなくちゃいけない。これもおせっかいなことだけど、おせっかいだとイヤなので、突き飛ばされた憐れな被害者の請求権として言うことにするよ。それぐらいの権利はあるねと、あなたは笑って了解してくれるはずだ。あなたはユーモアのセンスはあったから。
あなたが誰かを、そのときついに抱きしめることができて、と想像すると嫉妬がメラメラくるけれど、まあしょうがない。そういうシーンがついにきて、そこから、何も自分を閉じ込めておくことはないんだな、エヘヘ、というふうになればいいな。たぶんそこは、そう単純なものではなくて、何か自他それぞれについて、許せないことがあるから、その閉じ込めをしていたのだろう、だからもっと壮絶な心の奥からの嵐がきっとあると思う。なぜ、いつから、何のために、あなたはその閉じ込めをしたのか。そのことの十数年の蓄積が一気に嵐になって吹き抜けることになる。それがとても受け止めきれるようなものではないから、あのときあなたは僕を突き飛ばしたわけだし、それを受け止めるための支えには僕はなれなかったので、突き飛ばすのが正しかったということでもあるのだけれど、僕は悪趣味な心理学フリークじゃない、そういう戦いのシーンがどうなるかに興味はない。そんなものはどこかで勝手に済ませてこいよ、待ってるよ、と、僕なりの健全さで言いたい。支えが要ることもわかっているけれど、そういうのは、じゃあ僕が支えにと、安易に申し込んでくるようなノンキ野郎に出来ることじゃない。
僕が望んでいるのは……あのとき僕はあなたに、裸身のあなたを目撃して、素晴らしいおっぱいだな、と言った。あなたは伏目がちに、よく言われます、と答えた。僕の望みなんて、そこで、「そうでしょ、えへへ」「吸う? どうぞ」と言ってほしい、他でもないあなたの口から、という、ただそれだけのことだ。そういうセリフを恥ずかしそうに言えばウブっぽいだろ。でも、それはもうつまらないウブではなくなったんだよ。
[正直に話すよ/了]