いま恋あいに必要なもの
今女性は何より未来を求めていて、未来に繋がらない恋あいなら要らない、としている。彼女らはフリーターを軽蔑しているのではなく、その未来の無さに巻き込まれるわけにはいかないという理由で、決定的に身をよじって逃げるだけだ。何も全てが未来に繋がっている必要はないのだが、そういうムードに今すでにない。世の中の全体が不安だからだ。この先の未来って、お金か実力かが無かったら、本当に救いの無い状態になるのじゃ? と彼女らは嗅ぎつけていて、その危険な匂いを元に今日の自分をどうするかを決定しようとしている。女性がお金持ちと結婚したがるのも、過去と現在では内実が変わっていて、彼女らはぜいたくやお金と結婚しようというのではなくて、ただ未来が欲しいだけなのだ。これに抗弁するのに、お金がなくても十分な未来がある、と示してみせる方法があるけれど、そんな材料は今誰の手元にもない。女性の関心は恋あいからスマートフォンに移ったのではなく未来に移ったのだ。未来さえ手に入るならスマートフォンも恋あいも捨ててかまわないと彼女らはもう腹を括っている。
未来を考えるのはよいことだと思う。言っていて当たり前すぎて恥ずかしくなるぐらいのことだ。では、という話で、気になってくるのだけれど、一方では女子大生が未来について考え話すとして、まるでロリコン受けを狙ったかのように、まともに物事を考えられない、それについて話せない、ということがあったりするのだけれど、それではよくない。前向きに生きてゆけたらよいと思います、とか、努力は報われるはず、とかいうのは、何が悪いといって、時代遅れという一点においてそれは悪い。そんなことでは未来は無いね、と言われたら一撃でペシャンコになる。過去、日本は合コンという文化に熱を上げた時代があり、その名残はまだまだあるから、女子大生のやる飲み会はどうしても合コンじみていて、でも馬鹿馬鹿しいからといって女子会というのにするのだけれど、それでもどこかズレている、当人らが何か納得していない。
今人人は、何より未来を求めているのだから、交友関係が人に自慢できるとすれば、「わたし、それぞれの未来について、真剣に考え話す会合を持っているの、みんな本気で賢い人たちよ」というのになるはず。未来を求めているのに、その交友関係はピタッと嵌っているから正しい。わたしは正しい場所を持っているの、というのは自慢になる。
そういう気配を、どうも見かけないし、仄聞もしない、合コン文化の名残か、あとはバラエティ番組のノリみたいなものをコピーしている集まりをよく見る。それで別にいいじゃん、と僕も思うが、いやいや、第一に求めるものが未来であるなら、その第一のものに向き合っていないとおかしい。不自然だ。
今の大学生ぐらいが一番きついのかな、と思ったりするし、いやこれからもっときつくなるのかな、とも思う。思うだけで、ちゃんと考えているわけではないけれど。なんというか、未来について集まって考え話すということは、たぶん今もっとも必要なのだと思うのだけれど、その考え話すということの訓練を、あまりに受けていない。まさか、こうしたいと思いますと、ぽつんと話してオシマイだと、思っているのじゃあるまいな……と疑うが、どうも本当にそうではないかという気がする。ぽつんと話してオシマイならツイッターでつぶやけばいい。集まって話し合うというのはそういうものじゃないだろう。議論というのも、また違うが……
集まって話せば、もっとこう、磨き上げられたり、発見を手に入れたりするじゃないか。結論、なんて馬鹿な話で、未来のことについて結論なんか出るわけがない。結論が出るのは過去についてのみだ。みんな未来について真剣に考えてはいる、それがたとえ全体的な不安に強迫されたゆえのものであっても。それで勉強して資格なども取得するし、学生のうちにでも揺るぎない逞しさの経験を積もうとする。
が、未来を手に入れるというのは、そう単純なことじゃないだろう。資格とか活動とかは、有利な就職先を手に入れるのに有効というだけで、未来というのは何も就職先のことだけじゃない。馬鹿みたいな話になるが、自分は運動系と文科系のどっちの人間になるんだろうなあ、とか、恋あいってどこまでするものなんだろうなあ、とか、生涯で何冊の本を読む人になるんだろう、みたいなことだってあるはずだ。未来について考え話すというとき、たとえば男子大学生なら、「自分は、十ヶ国語を手に入れて、百回の海外渡航をして、あと、千人との女性経験を持ちたいです」と、頭を掻きながら話さないとおかしい。これはちゃんと、未来について考え話しているじゃないか。それが実現できるかどうか、どうやったら実現されるかというのは、まだまだ考える余地がある、だから自分だけでなく集まってあれこれ磨き上げるのだろう。
あまりこういう言い方はしたくないのだけれど、たとえば大学生の女の子ちゃんに、話を聞いていて、「あなたはつまり、未来が欲しいってことだよね?」と確認すると、「……はい! それです」と応える。まったくそれなんです、と熱くなって喜ぶふうだ。ここまでは、いいなあ、という感じになる。
でもそこから、あなたの夢というか、あなたの未来だな、あなたの未来はどうなっていくだろう? と尋ねると、何かおかしくなる。そうですね……と、なぜかトーンが落ちていく。へ? と初め僕は驚いていたのだけれど、最近はもう慣れてしまった。
そこからは、自分の未来についてという、申し訳ないが、子供が書いたような作文が細々と出てくる。努力を積み重ねて、前向きに生きていけたらよいと思います、あと仕事はちゃんとしたいです、みたいな感じに収まる。こういうとき、僕はどうしたらよいのだろう? 僕がアドバイスを受けたいぐらいだ。彼女は彼女なりに真剣に考えたつもりなのだろうが、内容的には正直、大の大人が考え話したものとは到底言えない。ちなみに大学生といっても中級のところではなく、要するにトップのあそこだぞ。
大学はモラトリアムだから〜みたいなことを言うつもりはまるでない。そういうことではないし、そのモラトリアムうんぬんも、申し訳ないが子供の作文だ。何も難しいことにしたいのではなくて、自分の未来について、ズバズバ言え、というだけのことだ。どうせ若年なんだし、的外れなところがあるのは初めからわかっていることなので、そんなことはどうでもいいじゃないか。でも、そのズバズバ言うというところが、まるで訓練されていないから、なんといえばいいのか、まるで一般人がバラエティ番組に出てきたようなモゾモゾっとした感じになる。でもそれは大人ではないし、モゾモゾしなくなるために、大学で勉強やら泥酔やらセックスを繰り返すんじゃなかったのか。
話の道具に使っては悪いが、AKBの公演の最後のマイクパフォーマンスではないのだ。「AKB、未来を語る!」みたいなライブなら、そういう子供の作文みたいなもので、逆にいいのかもしれない。でもそうじゃなく……AKBの女の子たちだって、身の入っているプレイヤーは、そんな子供の作文じゃない、明瞭でシビアでポジティブで開拓的なプランをちゃんと持っているだろう。少なくとも、プロデューサー側の戦略を彼女らはきっちり把握しているのだから。彼女らが新しい形式のライブを展開させていくというとき、そのミーティングはきっと子供の作文のようにはならない。
それがなぜ、一人の大人の女性が、自分の未来について考え話すということになると、モゾモゾっとするのだろう。
頭の良し悪しでいえば、悪いわけはないので、じゃあ頭が弱いのかというと、そうなんだろうな、と捉えるしかない。でも頭が弱いというのは、鍛えていないから弱いのだ。頭の良し悪しと、その強い弱いは別だ。高学歴でもカルト宗教にハマることはあると日本人全員が知っている。鳩山由紀夫氏は元総理大臣で、東京大学の工学部を卒業し、スタンフォード大学の博士号を取得しているが、彼と桜井章一氏(プロ雀士、通称「雀鬼」)とを比較したとき、どっちのほうが頭が弱そうかというと、回答は言わなくても明らかだ。
使うか訓練するかしないと、人間の機能は「弱い」というところに留まる。弱いとモゾモゾっとする。
今回気になって話しているのはここのことで、未来を第一に求めているのに、それを追求するための機能は鍛えられておらず弱いというのではまずい。自分たちの未来について考え話し、ブラッシュアップする、というような、交友の会合を持つべきだ。その会合はたぶん、初めのうち絶望的な貧弱さの様相を示すかもしれない、というか多分そうなるが、それこそ未来について考えることの土台になるのじゃないか。「我々はそれぞれに、知能の差がある、けれども一致できるのは、この頭の弱さのままでは誰一人未来に行けないということだ」と。頭を強く鍛えるということが未来へのタスクリストに入り込むのはまったくいいことだ。それについて、半笑いで気楽なムードにしようとするのが悪い風潮だが……と、これはもう言ってもキリがない。
恋あいの話もしないといけない。
恋あいにはムードが必要だという。そのとおりだけど、今それは単なる「いいムード」ではだめだ。「未来のムード」になることが必要だ。あなたが彼の部屋に行って、お茶でも飲んでいる、そこで、マジトークとか深い話とかは要らない、それは未来への話じゃない。「勉強、しんどくない」とあなたが言うと、「いや続けるものにしんどいも何もないだろ」と彼は吹っ切れている。「最近な、やることやる、やっていくっていう、そういう道があると、しみじみ思うんだわ」と言う。「他人がどうあれだよ、あのさ、こう考えてみて」と彼は熱っぽい。ぐいぐい時間は流れていって、何を話したかは嵐のように流れていったが、「ともかく、情報がいる、死ぬほど情報を集めないと。あと、分析……」。あなたが気を利かせて、冷たいタオルをしぼって持ってきた。あなたが彼のおでこにそれを当てると、あなたは手首からぐいと引き倒されて、唇を奪われる。さんざん話し合って筋肉の疲れた唇が重なって、衝動的に求め合う。「なによ、どしたの」と逆に色気も無いほどの愉快さであなたは言う。「いやなのか」「いやなわけないじゃない」というふうになって、あとはもうぐちゃぐちゃにもつれあっていく。二回、三回と果てたあとで、彼がうつぶせになったまま、「そうか、わかったぞ、あのな、もうひとつあって……」「?」となり、彼が言ったのは寝言だったのか何なのか、そのまま彼は眠りに落ちてしまう。あなたはそれを眺めながら、壁に背をもたれさせたまま寝た。起きたら二人とも身体がギシギシで、うおお、でもおれはやるからな、と彼は強がる、うおお、わたしもよ、とあなたも乗っかる、でもとりあえずごはん食べよう……と二人でよろよろ歩いていく。太陽が痛いほどまぶしい。頭上から、まるで天罰のように。
こういうのは未来がある。恋あいにはいま、未来のムードが必要だ。ヒッチハイク、未来に進むクルマにしか、あなたは助手席に乗れない。
それが未来に進むものなら、ポンコツ車でも、まあいいじゃないか。次の三叉路まで乗せていってもらえ。
どんなタイプの男性が好き? と訊かれたら、タイプじゃなくて、未来と寝るかな、とでも答えておけ。「未来のムードになるのには、どうしたって朝までかかるのよ、だからそうなっちゃう、わかるよね」と答えておけ。どうせそんな口説き方をしてくる男はあなたに未来なんか与えないんだから。
自分で言っていて感心したけど、確かに、朝までかからないようなら、それは未来のムードじゃないな。翌朝にも到達できないのじゃ未来のムードなんてあるわけがない。
そんなこんなで、これを書いているうちにも、朝になってしまったので、おやすみなさい。
[いま恋あいに必要なもの/了]