パーティのコラム









第一回パーティ、後編!
(written by 九折)























今日のパーティの参加者は、最終的に、以下の三名になった。

ルナさん(写真中)
僕の友人F(写真左ネクタイ)
僕自身(写真右超カッコイイ)

男性の参加者が僕の友人というのは、単純に男性の参加が来なかったからだ。あと、ともかさんという女性も参加する予定だったのだが、当日の仕事の状況が押して、残念ながらキャンセルとなってしまった。なんとか次回は引きずり出さなくては。

Fは、仕事を終わらせたら駆けつけますよ、ということだったが、30分が経過した今もまだ現れない。僕は、Fの集合状況を確認するために、ルナさんを店内に待たせて外に出た。いくらいいかげんな僕であっても、2人だけで飲んでいる状況をパーティと呼ぶのは忸怩たるものがある。とにかく早く来てもらいたいところだ。

電話をかけようとしたそのとき、ビニール傘をさしてさくら通りを歩いてくるFを発見した。おい、F!と呼びつける。Fは友達と言うより後輩で、後輩というより舎弟だ。

すいません、お待たせしまして、と駆け寄ってくるFは、日頃に無くテンションが高かった。コンパとか割と苦手なんですよ、といつも彼は言っているのだが、この目の前にいる元気ハツラツなFはなんなんだろう。まあ、余計なものが生えている生き物なんて、えてしてそんなもんだ。

僕は簡単に状況を説明して、Fをとにかく店内に連れ込み、所定の位置に座らせた。一つのテーブルに、三人。これでいよいよパーティの始まりだ。なんとか形になったことに、僕は胸をなでおろした。まあこの状況も、JAROの人が見れば、断じてパーティではないと言うだろう。確かに、僕とルナさんは馴染みまくっており、Fとはかれこれ五年来の付き合いになる。だから、イマイチ緊張感というやつがなく、パーティらしさがない。もちろん、人数そのものが不足もしている。でも、そんなことはいいのだ。とにかくFとルナさんは出会って、お互いに恋人もいないのだから、理論上は立派な出会い系パーティだ。そこでFとルナさんが恋に燃え上がるか、まったりと飲むだけになるか、それは彼らのロミオとジュリエットとしての資質の問題であって、横でハナクソをほじっている僕には責任の無いことだ。そういうことにしておこう。

僕たちは、スコッチの話題をきっかけとして、とりとめもない話をした。

ルナさんは21歳、Fは25歳、僕は27歳。それぞれ、仕事を決める立場、仕事を続ける立場、辞めて新しく探している立場だった。この中で、仕事ってなんなんだろう、という話は盛り上がるのだった。

Fは、ルナさんに、「今のお仕事のやりがいってなんですか」と単刀直入に聞かれて、あわてて普段使わないメモリを解凍して答えていた。就職活動で色々とうそぶいたヤリガイとやらも、働き出せばうやむやになってしまうものだ。そのかわり、確かに日常に根付いた仕事という感覚、そういうものが宿る。Fは、ややしどろもどろに、「〜とまあ、目の前にある自分の仕事をきちんとこなす、そのこと自体にもやりがいはあるんだよ」と語っていた。僕個人としては、その回答は赤点モノなので、あとでまた再提出させることにしよう。

ルナさんは、前回会ったときから分かっていることだが、とてもアタマのいい子だ。まず会話をしていて話が噛み合わないことはないし、羽目をはずしても失礼なことは決してしない。育ちが良い、イイトコの子なのだ。そういえば、彼女は今日の集合に30分遅れてきたことを、遅刻して申し訳ないと、思っているらしい。もし彼女が時間通りに来ていたら、実は僕が遅刻していたのだけど、それはとりあえず内緒にしておこう。

ルナさんは、就職活動をするなかで、忙しすぎる仕事ってどうなんでしょうね、そこまでヤル気がもつものなんでしょうか、給料のことも無視できませんよね、と考え出しているところだった。それは確かに大事なことで、それを学生の時点で考えられている彼女は、なかなかしっかりしていると言える。僕やFは、イキオイだけで就職したようなもんだったから、そのルナさんのしたたかさには気圧されるものがあった。かつての僕なんて、商社マンだ、かっこいいぜ、という理由だけで商社に入ったのだから、今思えば本当に幼稚だった。

とはいえ、企業の一員として働いた経験の無いルナさんは(余談だが、僕は「社会人」という言葉が嫌いである)、業界の展望や、その社内においてのキャリアプランということにまで話が及ぶと、検討するにはあまりにぼんやりしすぎている、という状態だった。それはしょうがないだろう。大学というところは、そういうリアルから切り離されているから。

僕とFは、さすがに経験者として、そのあたりのことについて語れるのだった。マネージャーがみんなおじさんだったら、その会社は男性優位・年功序列なんだということ、キャリアがつかなければ、会社は給金を上げない、もしくは安くて新しい人に取り替えようとするんだということ、業界が拡大しなければ会社も拡大できず、職に比較してポストは不足するのだということ。それは別にネガティブな話ではなく、ただ客観的な事実だ。

例えば、ジュエリーショップの販売員で、熟年期の年齢の人がどれだけいるだろう。僕たちが街で見る限り、それはかなり少ない。であれば、かつて販売員だった人も、店舗運営なり、バイヤーなり、マネジメントが必要とされる仕事についていくか、もしくは辞めていくかしているのだ。そのキャリアルートは、公平に用意されているか。そのあたりの仕組みをしっかり調べておかないと、アコギな会社に入ってしまいかねない。また、将来の展望が無い仕事なんて、一年もすればやる気がなくなってくるものだ。

加えて、僕はルナさんに対して、またFに対しても、「本当に何がやりたいか、それだけだね」と、偉そうに語った。無職の人間がそんなことを言うのもどうかと思うが、僕は本当に自分のやりたいことをやって生きていこうと思ったから、会社を辞めたのだ。その決断は、僕に大きな不安と、大きな情熱を与えた。それは、あまり人に勧められることではないし、また、やめておけといえることでもない。今仕事をしていて、それが自分のやりたいことにそぐわないという人は、それでも続けるべきか、やめるべきか。そこには優劣の差は無く、その人の個性の問題でしかない。僕の場合は、自分のやりたいことから逃げられぬ、そういう個性の人間だということだ。だから、今無職の僕に言えることは、「何がやりたいか、それだけだね」、それしかない。

ルナさんには、これから仕事を決めて、世間に出て行くという新鮮さがあったし、Fには日々の仕事に立ち向かっているという骨太さがあったし、僕にも本当にやりたいことのためにリスクを覚悟したという迫力があったつもりだ。立場も年齢も違う三人が、こうしてとりとめもない話をする。そこにはささやかに得るものがあり、また大きな楽しみがある。少なくとも、むなしいものだとは誰もいえまい。

おのおの、それなりに酔っ払ってきたようだ。Fとルナさんの間に恋の炎はまったく生まれていないようだったが、話は弾み、とりあえずは馴染んでくれたようだ。これはもちろん、そもそもルナさんが僕のサイトの趣旨をよく理解してくれて、まずコラムを読んで共感してくれた上で、参加してくれているかだ。ある程度感性の共通項があるわけだから、馴染むのも当然だと言える。規模は小さくても、この点についてのみは、うまくいったのだ。

とりとめもない話はつづく。酩酊の中でその内容を全ては覚えていられないが、Fが僕の暴露話をしやがったのは覚えている。そのせいで、ルナさんの僕に対する評価はかなりポイントダウンしてしまったはずだ。確かに、僕はFに対して、過去から現在まで、暴虐の限りをつくしている。静岡から神戸まで、「夜11には集合。バイクで高速飛ばして来い」と呼びつけたのは、たしかにひどかったかもしれない。しかも、彼が到着したとき、僕はすっかり盛り下がっていて、友人宅でゴルゴ13を読んでいたとあっては。しかし一方でFも、カンのいいルナさんに、「・・・Fさんは、あまり冒険するタイプじゃないですよね」、と痛いところをつかれていた。ざまあみろ、さすがルナさんナイス、だ。

僕たちは店を後にして、カラオケに行った。世間では、終電とかいうやつに向けてみんなが走る時間だったが、僕たちは引き続き歌舞伎町を徘徊する。終電以後の世界を知らない人がいたとしたら、その人は本当に気の毒だ。まずエピキュリの本でも読んでみろ、と差出口をたたきたい。

僕たちはネオンだけ豪奢で実はチーペストなカラオケ屋に入った。最新曲を歌いこなすルナさんに対して、僕とFは、「米米クラブ、知らんの?」「TMNは?」「聖闘士星矢は?」と、致命的なおじさんぶりを露呈した。僕とFは動揺して、僕は「大切なもの」、Fは「choo choo train」を無理やり歌ったが、Bメロに入ったとたんメロディを見失い、ゴニョゴニョとみっともない音を出すのだった。また、ルナさんがやけに上手いというのが、僕たちの立場をより苦しくする。たまには、HMVに行くことにしよう・・・。それも今日得たことの一つだ。

日が昇り始める頃、僕たちはカラオケを出た。とりとめもなく、たくさん話し、よく遊んだ。雨の上がった歌舞伎町には、朝になっても呼び込みを続けるポン引きがいて、道のあちらこちらにはゲロの溜まりができていて、またその溜まりに野良猫が集まっていた。オカマバーのオカマが、仕事上がりだろうか、タイトスカートを破らん勢いでカツカツと歩いていく。街ぐるみ、とりとめもない空間だ。今日の僕たちは、この空間に後押しされていたのかもしれない。

僕は、このとりとめもない街が好きだ。そして、この街の住人が、自分の街を愛していることも知っている。ピンクビラを配るおじさんに、おいしい焼肉屋を紹介してもらったことがあったし、友人が腹痛になったときに、おじいさんに薬局まで案内してもらったこともあった。そのとき、友人の腹痛に僕は慌てていて、サンドイッチマンになっている浮浪者のようなおじいさんに薬局はどこかと尋ねたのだ。この時間にあいているのはあそこしかないな、と、おじいさんは小走りに走って案内してくれたのだ。栄養不足なのか、病的にガニ股になったその足で走るおじいさんは、確かに走り方が不恰好だったけども、それは僕の中に刻まれて消えぬ厚情の光景となったのだ。

ここは本当にとりとめもない街だが、人に愛されてやまぬ、街としてのアイデンティティーがある。アイデンティティーがなく、混乱した街、風俗店とファミレスと学習塾が並ぶような街は、愛されない。であれば、とりとめのない僕も、何かしらアイデンティティーというものを持ちたいと思う。

また、パーティをやろう。次回もまた、とりとめもない無駄話と遊びにしかならないのだろうけど、そこにアイデンティティーらしきものがあれば、まあいいんじゃないかと思えるのだ。

ふと見ると、Fは意外に抜け目なく、ルナさんとメールアドレスを交換していた。さて、いい時間になった。僕たちは、次回もよろしく、とお互いに挨拶を交わし、散会した。






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