恋愛心理学のコラム









「自信がない女」のあなたへ





「あの、連絡先、聞いていいですかね?ダメですかね?やっぱダメですかね?」
男は俯きがちに、視線をきょろきょろと泳がせながら、くぐもった声でそのように言った。

・・・さて、あなたが女性だとして、このように男に言われたらどう思うだろうか。「うん、連絡先、教えてもいいかナ」なんて思うだろうか。多分それは無いだろう。大半の人は、「なにコイツ、きもいんですけど」と思って、二、三歩後ずさりするんじゃないだろうか。

恋愛において、自信の無い人は損をする。まあ、恋愛だけじゃなくて人生全般において損をするわけだが、ここでは恋愛の話にだけ焦点を絞ろう。

自信の無い人は、恋愛で損をする。もっとはっきり言うと、あらゆる恋愛のシーンで敗者になる。あなたがもし「自信の無い人」だったら、あなた自身がそのことを誰よりもよく知っているのではないだろうか。例えば、こんなシーン。―――あなたの想い焦がれる彼が目の前にいるが、あなたはどう話し掛けていいかわからない。チャンスだから話し掛けなくちゃと思いつつも、心臓が高鳴るばかりで、具体的にどう話し掛けたらいいかわからない。「髪の毛、切ったんですか?」と言ってみようかと思うが、ヘンに思われたらどうしようと思うと、腰が引けてしまう。そんなこんなで逡巡しているうちに、別の女が「おはよ〜」と言いながら現れる。その彼女は彼を見るなり、「あ!○○くん、髪切ったんだ〜!いいじゃん、すごい爽やかじゃん!」と言って、彼の髪の毛をぐしゃぐしゃとかきまわした。彼は、何するんだよと照れながらも、まんざらじゃないといったような表情を浮かべる。あなたかそれを見ながら、「やっぱりわたしなんかじゃダメよね・・・」などと思って、人知れず落ち込む。

そんなシーンは非常にありがちだ。そんなときあなたは、家に帰ってから「もっと自信を持たなくちゃ!」と考える。友達に話すと、「もっと自信を持ちなよ!」と励まされるだろう。しかし、持てといわれて自信を持てるなら、誰も苦労はしないのである。「自信を持とう」というスローガンには何も具体的な智恵や方法が含まれていないので、結局何も状況は進展しない。「自信を持とう」と紙に書いて部屋の壁に貼ったら、多分もっと自信を無くす。

僕としてここに、自信を持つための、方法とまでは言わないまでも、ヒントのようなもの、それを書きたいと思う。それがいくらかでも、あなたを「自信のある女」へ推進すればいいなと、そのように思って書くことにします。

自信を持つにはどうすればいいか。どこをどうすれば、自信の無い人が自信のある人になるか。そのように考える方向で、次のように箇条書きにしていこうと思う。いささか、残酷な表現も含むことになるけれど・・・。

1.自信の無い人は、自信というものについて勘違いしている
2.自信の無い人は、自意識過剰だ
3.自信の無い人は、価値観が無い
4.自信の無い人は、甘えん坊なコドモだ
5.自信の無い人は、プライドが高い




1.自信の無い人は、自信というものについて勘違いしている

さて僕として、このことを初めのこととしてもってきた。この部分を勘違いしている人、あるいはそれを自分でも知らないうちに言い訳にしている人が、少なからずいるようだからだ。

「わたしはあのコみたいに可愛くないし、足もキレイじゃないから・・・」

そのような言い方をする人がいる。すなわち「自分には魅力が無いから、自信が持てない」というのだ。僕としてまずこのような人に、それは間違っていると言いたい。自信というものの性質は、そのようなものではないのだ。自信を持てるかどうかというのは、魅力が大きいか小さいか、多いか少ないかには、あまり関係が無い。それよりも肝心なのは、自分の魅力を「把握できているかどうか」だ。ここによって、自信を持てか持てないかが決定されてくる。

一番シンプルな例として、僕自身のことを例にしよう。ここに、無作為に選ばれた30人の妙齢の女性がいたとする。そして僕はその全員を、デートに誘ったとする。さて、そのうち何人が、僕のデートを受けてくれるだろうか?これは今までの僕自身の経験で、ある程度確信をもって分かる。デートを受けてくれるのが30人中6人で、僕のことを好きになってくれる人、付き合ってもいいよと言ってくれる人はその6人中で1人ぐらいになるだろう。そして一方、僕のことをあまり好きじゃない、どちらかと言うとキライだと言う人は10人ぐらいで、その他残りの14人は、「面白い人だとは思うけどね」ぐらいの印象に留まる。

さてこのような考え方で、あなたがもし30人の男性に、「今度一緒にお茶でもしませんか?」とメールを送ったとしたら、果たして何人からお誘いを受けるだろうか。自信の無い人は、まずこのあたりの感覚が自分でも分かっていない。あるいは完全にスネてしまっている人は、「どうせ0人」というように考える。それは客観的な判断じゃない。とにかく、自分のこと、自分の魅力とかその程度とか、そういうことが全然把握できていないのだ。

そのあたりのことが分かっていないままだと、決して自信を持つことはできないだろう。なぜか?それは僕のことを例にして説明すれば、さらによく分かってもらえると思う。僕が女性をデートに誘ったとする。そして3回連続でフラれたとする。でも僕は全然気にしないでいられる。それはなぜかというと、先の例に基づいて考えて、僕がデートに誘ってOKをもらえるのは5人に1人の割合だからだ。だから3回連続でフラれるのは、むしろ平均的な数字でもある。だから僕は、まったく動揺せずにいられるし、次への活力を奪われずにいられる。またそれだけに怯えることがないので、堂々とデートに誘えるわけだ。

自信を持つということは、そういうものだ。30人中29人にOKしてもらえるだけの魅力を持てばきっと自信が持てる、もしそのように考えていたら、あなたは一生自信のある女にはなれないだろう。まずは自分のことを把握すること、自分の魅力を把握すること。そのように考えれば、あなたは自分自身について知らなくてはいけないことが山ほどある。例えば、あなたは写真に写るとき、右の顔と左の顔、どちらがキレイに写るだろうか。あなたの声は、電話で話すときと直接話すとき、どちらのほうが響きよく聞こえるだろうか。あなたはネックレスとピアス、どちらが映えて似合うほうだろうか。あなたは男性から見て、ドライブに連れて行くとすれば、高原に連れて行きたいタイプだろうか海に連れて行きたいタイプだろうか。あなたの書く文字は、ラブレターにするとして、どのような便箋が似合うだろうか。あなたは短いTシャツを着てヘソを出したほうがセクシーだろうか、短いスカートをはいて足を出したほうがセクシーだろうか。

自信の無い人は、自分のことが何もわかっていない。まずは自分と、自分の魅力を把握しなくてはならない。


2.自信の無い人は、自意識過剰だ

「メール送ったら、ウザいと思われるかな・・・」
「あの時言ったこと、ヘンな意味に取られたかな・・・」
「わたしなんかが、告白したら迷惑かな・・・」
「恥ずかしくて、誘うなんてできないよ・・・」

自信の無い人は、そのようなことで悩む。そして、自分のそのウジウジと思い悩む姿について、自分でも「自信の無い女」だと感じて、深々とため息をつく。(注・中には例外的に、「でも女のコって、こうして悩むもんじゃなぁい?それが男から見てカワイイのよきっと!」とご満悦になる人もいるようだ。くわばら、くわばら・・・)

さて僕として、このような悩み方については、速やかに一刀両断したい。言葉にして言うなら、このようになるだろうか。「相手は全然あなたのことなんか気に留めてないんだから、大丈夫だよ」。(我ながらひどい言い方だ。)

自信の無い人は、自意識過剰でいることが多い。それだけに、相手が自分のことをどう思っているかを異様に気にする。例えばメールの一通を送ったとして、その返信がいつまでもこない。そうなると、何か悪いように取られたんじゃないか、実はわたしのことをキライなんじゃないか、そのように思われてじっとしていられなくなる。そして、そのメールを転送するような形にして友人に送り、相談する。「こんなメール送って、ずっと返信無いんだけど、どう思う?まずかったかな?」という具合に。そうなると、相談を持ちかけられた友人が気の毒だ。「知るか」とは言えないし、「単に忘れてるんでしょ」とも言いにくい・・・。

自信の無い人は自意識過剰でいることが多く、またそのことに自分で気付いていなかったりすることも多い。だから、自分で自分は自信の無い人だと思っている人は、自意識過剰によくよく注意する必要がある。冷静に考えて、あなたが相手のことを思っているほど、相手はあなたのことを思ってはいないのだ。そのことを常に思い出そう。ここで僕としては敢えて冷たく、このように言っておきたい。どうせ相手はあなたのことなんか気に留めてない。だからメール送っても、デートに誘っても、告白しても、彼はすぐに忘れてしまうだろう。だから、自信を持って堂々と、メール送るなり、デートに誘うなり、告白するなりすればいい。彼も含めて、誰もあなたのことなんか、注目してないんだから。(それにしても冷たい言い方だな。)


3.自信の無い人は、価値観が無い

「思い切って、告白しちゃいなよ!」
「相手に直接、はっきり言ってやるべきだよ!」
「待ってても何も起こらないよ?話し掛けてみなよ!」

僕として不思議に感じられることに、このように熱心に言う人に限って、いざ自分のこととなると自信の無さを露呈し、物事に尻込みすることが多い。「相手に直接、はっきり言ってやるべきだよ!」と言っている本人が、自分ではそのことをできずにウジウジしていたりするのだ。これはなんだろう、「自信の無い自分」に対するコンプレックスを、他人に投影していることによるものなのだろうか。同じ様に、「もっと自信を持ちなよ!」と友人を励ます人が、自分についてはまったく自信を持っておらず、ひどく臆病だったりすることもある。そういえば、自分に自信を持たずにいること、それが謙虚であることの美徳なんだと思って、そのように振舞っている人も少しはいるようだ。そういう人は、「わたしは自信なんて持てないけど、○○ちゃんは自信を持っていいと思うよ!」と言いながら、実のところ「わたしはなんて謙虚なの」と感じ入っていたりするらしい。なんともややこしい話だ。(またそういう女(男)をお好きな男(女)もいるらしいから、ますます話はややこしくなる。)

僕としては不思議なのだ。あなたにも改めて考えてほしいけど、次のように言う人が一人もいないのは、なぜなんだろうか?

「無理に告白せず、今ある関係を大切にしなさい。そして、相手が察するのを待ちなさい」
「今は耐えて、相手が自ずと反省するのを待ちなさい」
「突然に話し掛けたりせず、縁が来るのを待ちなさい」

これは先の3つの、正反対の意見となるわけだけど、このことを意見として言う人が一人もいないのはなぜなんだろう。そしてその意見とは裏腹に、実際にはみんな「今ある関係を大切に」したり、「今は耐えて」いたり、出会いの「縁を待って」いたりすることのほうが多いのでもある。一体これは、どうなっているんだろうか。ひょっとして、「察する」「耐える」「待つ」といった考え方が、戦前ニッポンの考え方みたいで、拒絶反応があるのだろうか。それにしては随分と多くの人が、「察する」「耐える」「待つ」を、実践しているような気がするけど・・・。

言うこととやることがバラバラになっている。これは要するに、価値観が無いのだ。「話し掛けてみなよ!」という人は、本人としては話し掛けない。このような価値観の無い状態は、「自信の無い人」において特に顕著だ。価値観の無い人は、何か判断したり決断したりするシーンに直面すると、動揺して臆病になる。それは、判断や決断の基準になる価値観が無いのだから、当たり前のことだとも言える。そうして動揺して臆病になっている人を、「自信の無い人」として僕たちは見るのでもある。

自信は価値観に支えられている。このことについて、僕の経験からすこし話そう。僕が大学生だったときに付き合っていた、ある女性の話だ。ある夜、僕はその彼女とスーパーに買い物に行った。たしか寒い日で、水炊きの材料を買いに行ったのだったと思う。そして、買い物を終えて、僕はそのスーパーの買い物袋を手に下げて店を出たわけだったが、彼女は店を出たところで、僕の持っていた買い物袋をひったくってしまった。僕は、彼女の真意がわからないまま、「重いから俺が持つよ?」と言ったのだったが、彼女はそれを拒否した。彼女は少し照れくさそうにはにかみながら、このように言った。

「オトコが買い物袋持ってるのって、なんかみすぼらしくて、みっともないよ。あたしは自分のオトコに、買い物袋持ってほしくないの。こういうのは、オンナが持つものなんだよ」

彼女のその言葉は、古臭くて、新鮮だった。僕はその翌日、大慌てで花を買いに行って、彼女にプレゼントした。なぜか?彼女はそれまで、どこかに連れて行けとか、プレゼントが欲しいとか、そういうことを一切言わず、そういうそぶりすら見せなかった。しかし僕は、気付かされたのだ。彼女はもしそういうことを望んでいたとしても、彼女のその価値観から、決してそのように口に出して言ったりしないし、態度に出したりもしないだろうということを。僕は、自分で彼女の気持ちを察していく責任があったのだ。僕はそのことに遅ればせながら気付かされたのだった。だから僕は慌てて、彼女も女だから花ぐらい贈られて悪い気はしないだろうと、慌ててそのようにプレゼントしたわけだった・・・。

さて、僕としてそのような体験があったわけだった。どうだろうか、話の中の彼女は、「自信のある女」だと思われないだろうか。そしてそれが、価値観によって支えられているとも。

そんなわけで。自信の無い人は、価値観が無い。だから何事につけても動揺する。そういう人は、自分の価値観を自分で練成していかないと、いつまでたっても自信を手に入れることはできないだろう。


4.自信の無い人は、甘えん坊なコドモだ

「彼に告白する勇気がありません・・・メールを送りたいんですが、文才もないし・・・どうすればいいでしょうか?」

さて、このような悩みがあったとしたら、どうすればいいだろうか?僕として一つ、明瞭な回答がある。彼を諦めてしまえばいいのだ。そうすれば勇気も要らないし、文才も要らない(なんか僕がどんどんひどいやつになっていくなぁ)。非常に明快ですっきりしている。・・・とはいえ、きっと簡単に諦めることもできないということもあるだろう。そういう場合は、文才が無くても、とにかく丁寧に告白文を作って、それを携帯に打ち込んで、後は友達に送信ボタンを押してもらえばいい。そうすれば一番勇気のいる部分をやり過ごせる。そしてもし、文才が無いのがイヤだという場合は、そうだな、文学作品を10冊ぐらい読んでから、改めて作文すればいいかもしれない。あるいは究極的に、作文自体も友人にやってもらうという方法もある・・・(もはや、誰が誰に告白するのかワケがわからないけど)。

そんなふうに、解決方法はいくらでもある。しかし、きっとそれらの方法は一つも採用されることがないだろう。なぜかというと、このような悩みは実のところ、悩みというよりは「駄々をこねている」だけだからだ。駄々をこねられては、解決方法などあるわけがない。欲しいものが無条件で与えられない限りは、「駄々こね」は解決しない。

自信が無い人は、色々と悩み、色々と考えているようでいて、実は駄々をこねているだけということが多い。なぜそのようなことが起こるのだろうか?それについて、順序を追って説明しよう。

自信の無い人は、自分に魅力が無いと思っているし、自意識過剰になりがちでもある。また価値観が無いから、自分の価値についても自分で決定できない。それが自信の無い人の心理状態だ。さてそのようなところに、彼から「ごめん、○○ちゃんとは付き合う気になれない」とでも言われたらどうなるだろうか。その受け取られ方は、自信のある人とは違ったものになってくる。自信のある人は、「そっか、しょうがないな」と言いながら、一週間ぐらい泣いて過ごし、そこから徐々に前を向いて立ち上がってくる。ところが自信の無い人の場合は、そうはいかないのだ。自己評価が元々低い上に、自意識過剰で、しかも自分で自分を定める価値観が無いところに、想いの彼からフラれるわけだから、それはもう自己評価が底の底まで下がる。自分はもう生きている価値が無い、というところまで行ったりする。

自信のある人は「フラれたらいっぱい泣こう」と覚悟を定めることができる。しかし、自信の無い人にとってはそれができないのだ。フラれたらもっと深刻なことになるだけに、「フラれたらいっぱい泣こう」では済まない。だから自信の無い人は、覚悟を定められないことになる。では、覚悟が定まらないとなるとどうなるか?彼に告白するには、結果を受け止める覚悟が要る。告白せずに彼を諦めるのも、覚悟が要る。ところが覚悟が無いのだから、告白もできなければ、諦めることもできないことになる。そして結果として、「フラれるのはイヤ、諦めるのもイヤ、誰かなんとかして」という具合に、駄々をこねるようになってしまうのだ。

*蛇足。このように説明してきたら、勘のいい人には次のことも了解されているだろう。自信の無い人は、フラれるという結果に対して覚悟を持つことができない。しかし、もしそのような人が、それでも告白して、しかもフラれたらどうなるか?そのような中から、フラれたという事実を受け容れまいと拒否し続ける人、ストーカーのような人が出てくるのだ。ストーカーは、もっとも自信の無い人の姿である。(くわばら、くわばら・・・。)

そんなわけで、自信の無い人は、覚悟を持てず、駄々をこねるしかなくなってくる。自信を持つためには、自分が駄々をこねているコドモに過ぎないと、まずはっきり自覚する必要がある。


5.自信の無い人は、プライドが高い

(なんだか、ひどいことばかり書いているような気がする。題目までひどくなってきた。)

僕は大学生の頃、よく友人Kと授業を抜け出し、原付に乗って、他の大学に遊びに行った。他の大学で何をするかというと、まずその大学の学食に行って、僕はカツ丼、Kはカレーライスを食べるのだ。そして、各大学のカツ丼とカレーライスの味のレベルを比較・評価するというわけだ(アホだ)。

そして食後は、顔面研究会の活動を行っていた。顔面研究会とは何か?それはただ、大学の中庭とかでどこかに座って、通りすがる女の人を見ながら、あの人はキレイだとかあの人はカワイイとか、そういうことを言い合うのだ。まったくもって、アホなことをしてたと思う(顔面研究会を略して顔研と呼んでいたのだから、ますますアホだ)。そしてまた、Kはタチの悪いことに、一番キレイと思われる人を見つけると、いつも僕に「あのコのメルアド聞いてきてや」とお願いしだすのだ。Kはいつも自分でそう言いだすくせに、「恥ずかしいから絶対ムリ」といって自分では絶対トライしないし、一方ではお願いしだすと本気になるからタチが悪い。

そして、僕としてはまあしょうがない、無茶苦茶だとは思いつつ、「どうも、顔面研究会です〜」と言って、彼女に声をかけるわけだ。もともとのやっていることがアホだから、もうどう取り繕ってもアホにしかならない。だからそのまま、「あそこで二時間ばかり顔面を研究してましたが、あなたが一番キレイだと、あそこにいるウチの会長Kが認定致しました。で、何でか知りませんが、メルアドを教えて欲しい、とKは申しております。何とかしてやってください」とでも言うわけだ。大半の人は、なんとまあアホなやつらだと呆れ返った目で僕たちを見た。中には走って逃げた人もいたし、ノリのいい人の中には笑いながら本当にメルアドを教えてくれた人もいた。

また、そうやって本当にメルアド聞きだして僕が返ってくると、なぜかKは「・・・いいんかなぁ、こんなことして」と一人で反省しだすのだから意味が分からない。しかもKは、やっぱりやめとくと言って、メールを送りもしないのだ。そうなったらしょうがない、一通はせめてメールを送らないと逆に失礼だから、僕がメールを送るハメになる。そんなこんなで、僕はそのコのサークルの発表会にいくハメになったりもしたし、お昼をオゴるハメになったりもしたわけだった。(Kは今、市役所で働いてます。僕が彼の全てを暴露したら、彼はきっと懲戒免職です。)

というわけで、本題に入ろう。自信の無い人は、プライドが高いということについて。

プライドが高いというのは、どういう状態のことを指すだろうか。プライドが高いという言い方は、どちらかというと悪い意味のものとして、僕たちには響いてくる。であれば、このように言えるだろうか。プライドが高いということは、「自己評価が下がることに過敏であること」だと。

先の話の中で、僕は「顔面研究会です〜」などと言いながら、キレイなおねえさんに話し掛けたわけだった。これはたしかにアホのすることだが、プライドの高い人にはできないことでもある。プライドの高い人は、なぜこのようなことができないか?それは、まあ顔面研究がどうこうという話は抜きにして、そのようにして話し掛けたとして、おねえさんに走って逃げられたらプライドが傷つくからだ。プライドが傷つくというのはどういうことか。それは、自己評価が下がって、それに動揺するということだろう。プライドが高い人は、その自己評価の低下と動揺に過敏だから、そのようなことができないわけだ。Kの場合はズルいから、それを「恥ずかしい」と言い換えたわけでもあった。

自信の無い人も、同じようなことをする。自信の無い人は、もともと自己評価が低く不安定なだけに、自己評価が下がることに過敏になる。だからプライドが高くなり、色んなことについて「恥ずかしくてできない」という言い換えをする。

あなたの想い焦がれる彼が、友人達と輪になって喋っていたとしよう。あなたは当然、その輪の中に入りたいと思うだろう。ところが、自信の無い人はそれができない。そのようなとき、自信の無い人は、「恥ずかしくてできない」という言い方をする。しかし本当は、プライドが高くてできないのだ。

「何か、盛り上がってますねぇ。なんの話ですか?」

そのような一言で、その輪の中には入るには十分だ。しかしその一言だけでも、間の悪い言い方や、変な緊張感を持たせた言い方はできるから、失敗する可能性も確かにある。失敗したら、どうなるだろうか?会話の空気は一気に冷え、あなたの居心地は急速に悪化していくだろう。そしてあなたは、「やっちゃった・・・」と思って自己評価を下げるわけだ。

とはいえ、こんな失敗は、はっきりいってどうでもいい、しょうもない失敗ではないだろうか。

「今、我ながら、間が悪かったですね。私としてもかなり寒かったです」

そのように笑って言えば、それで回復する。それは当たり前の事だ。自信のある人はそのことが分かっているから、何の躊躇もなく輪に入っていける。ところが、自信の無い人はそうはいかない。何しろ、そのしょうもない失敗についても受け容れられないぐらい、プライドが高いのだ。「やっちゃった・・・」という瞬間を予想すると、それが恐ろしくて動けない。そしてそのことを、自分としてもプライドの高さをごまかすために、「恥ずかしいからできない」と言い換える。

自信の無い人は、自己評価が低い割には、その自己評価の低下を人並み以上に恐れるものだ。そのことを、「プライドが高い」と表現できるだろう(本当は、プライドが危機的、といったほうが正しいかもしれないけど)。自信を持ちたいと思う人は、そのプライドの高さを自覚して、「なんてみっともないんだ」「なんて人間が小さいんだ」と反省する必要がある。そして、「こんなわたしなんだから、恥をかくことが多いのはしょうがない、どんどん恥をかいて成長していこう」という方向に、自分を導いてやらなくてはならない。


・・・以上、五項目の箇条書きにしてみた。自信の無い人が自信を持つにはどのようにすればいいか。もちろん、自信を持つなんて微妙なことに特効薬みたいな方法は無いし、自信が無いといっても色んな程度があるから一概には言えないわけだけど、それでもここに書いたことが、あなたにとって少しでもヒントになればいいと思う。自信を持つために、自分のことを把握すること、自意識過剰を克服すること、価値観を身に付けること、駄々をこねる自分に気付くこと、恥をかいて成長しようと思うこと、その5つの方向を示したわけだったが、これはそれぞれに正しいことだと、僕は思っている。何しろ僕自身が、そのような経緯を辿ってきたわけだから・・・。

文中、色々とひどいことも書きました。不愉快に感じられた方もいるかもしれません。でもそれは、しょうがないことだと僕自身思います。自信の無い人は一生損をするわけですが、それは自信を手に入れた人は一生得をするということでもあります。一生損をするか得をするかを決める、自信というのは、生きるうえで決定的に重要なものです。それだけに、簡単には手に入らないものです。簡単に手に入らないものについて考えたり描写したりすると、それが何であっても残酷な表現が混じらざるを得ない。僕はそのように思います。







恋愛心理学のコラムに戻る
出会いと恋愛のtopへ戻る