恋愛相談のコラム









最近恋愛が盛り上がらないあなたへ




恋愛にも、充実した恋愛と、空虚な恋愛がある。

充実した恋愛は、決まって、ちょっとアブない部分を含んでいる。それは、狂気といってしまってもいいのかもしれない。
逆に、純粋に正気な恋愛は、どこか空虚で、盛り上がらない。
それは結局、恋愛の本質は狂気であって正気ではない、ということだ。

思い出してほしいのだが、あなただって、雨の降る中、あえて傘を放り出して、ずぶ濡れになって歩いて帰ったことがあるだろう。人目をはばからず、おお泣きしながら駅で座り込んでたり、わけもわからず家の窓ガラスを割ったり、そういうこともあったかもしれない。
そういう尋常でない状態、その付近に、恋愛があったはずだ。

僕たちは、結局、なぜ恋愛してしまうのかを、本当には理解できていない。ごく単純な、ペニスをヴァギナに挿入したい、挿入されたいという衝動すら、僕たちには理解し得ない。それはただ湧き出てきて、僕たちはやむなくそれを受け入れて、体験するだけのことだ。そしてその理解し得ないものは、最後は死と生の境目にまで及んでいるので、心中物語なんて物騒なものが、古典芸能として受け継がれたりしているわけだ。

恋愛の本質は狂気だ。
充実した恋愛をしたければ、人間の心にある狂気、そして自分の中にある狂気について、思い出さなくてはいけない。
正気だけの恋愛をしていると、いずれ「とりあえず居心地がいいから付き合ってる」とか、「たぶん結婚することになるんじゃないの」とか、ぬぐい得ない空虚に引きずり込まれるだろう。

狂気といっても、妻子を捨てて若い女に走るとか、ストーキングとか、そういうチープなものはどうでもいい。それは単にストレス発散であったり、未解決の幼児性が露出しているだけだったりして、みっともない上に近所迷惑になるだけのものだ。

思い出すべきは、恋愛やSEXは、建前ではしばられない、危険なものだというその感覚だ。

僕たちは普段、恋愛やSEXをするときに、手続きを踏んでいる。

妥当な異性と、お付き合いする。お互いに彼氏彼女という立場を設定する。お互いの誠意を確かめ合った上で、肉体関係を結ぶ。その先、お互いが人生のパートナーになりうるかどうか、慎重に検討する。
僕たちの恋愛やSEXの手続きは、そういうものだ。

でも実は、そういう手続きは建前であって、それを無視して恋愛やSEXは存在している。

人間のクズのような男に抱かれて、いつもより濡れてしまうことがある。自分を徹底的に軽蔑している女に、惚れてしまうことがある。出会った瞬間に、抱かれたいと思えてしまう人がいる。初めての人だということだけで、お金を巻き上げられているにもかかわらず、その人との結婚を待ち望んでしまうことがある。結婚する相手としては困難な、暴力や犯罪の世界にいる人に、心底惚れてしまうこともある。

恋愛とはもともと、そういう危険なもので、破滅的なリスクをもっている。だから僕たちは手続きを作り出し、世の中は結婚という法秩序を作った。その中で僕たちは、破滅しないように恋愛を飼いならしている。

しかし徹底的に狂気を抑圧された、飼いならされた恋愛は、やはり本人にため息をつかせるようになるのだ。
恋愛の本質は狂気であり、じつはその狂気は、生きていくうえで不可欠の要素だから。

僕たちは年齢と経験を増やしていく中で、手続きのテクニックを覚え、狂気を抑圧する方法を知る。そしていつか、狂気の存在を抑圧し、忘れてしまう。

そこから一歩、先に進もう。狂気を思い出して、受け入れて、なおかつ狂気をコントロールするのだ。

狂気を思い出すためには、 独りで文学を読んだり、独りで路上に座り込んでみたり、独りで暗闇に目を開けていたりすることだ。テレビをつけない独りの時間をつくることで、あなたの中の狂気は息を吹き返す。
狂気を受け入れ、コントロールするものは、常識であり、理性であり、知性であり、経験である。僕たちは、それらを得るために、歳をとっていくのだ。

狂気を忘れてしまった者は、精神がオバサンになり、狂気をコントロールできない者は、コドモであり、果てはただの狂人である。
オバサンは、お昼のドラマとシェークスピアを分別する感性を失い、コドモはわが子に体罰を与えるうちに興奮し、わが子を殴り殺す。

狂気を思い出し、受け入れ、コントロールすること。
それが本当のオトナであり、それがあなたに、充実した恋愛の物語をもたらすだろう。

それが結局、幸と不幸とどちらをもたらすのかまではわからないのだけれども、僕はため息をついて空虚を生きるよりは、幾分かはマシだと思っている。




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