恋愛小説のコラム









尻軽女と情熱の夜






今になって思い返せば、あのときのオレは若かったんだなぁと恥ずかしくなるのだけれども、当時僕はまだまだ思考回路の大半を男性ホルモンに支配されているような年齢で、フミナというその名前も漢字をどう当てるのか知らないオンナと、お互い付き合ってもいなければ今後も付き合う意思もないくせに、そこいらのカップルよりよっぽど濃厚だねとお互い苦笑するようなカラダの関係を持っていた。フミナは胸の小さいオンナだったが、ウエストがきれいにくびれていて、そのくびれはなぜか手を添えるだけで押し倒してしまいたくなる不思議な魅力のあるものだった。

その日の夜、僕はたまには外食しようということで、フミナといっしょに一皿2000円とは信じられないぐらい旨みの詰まったタンシチューを煉瓦造りのレストランでたらふく食べ、その食後の恍惚めいた時間をまったりと過ごすために漫画喫茶のカップルシートに転がっていたのだった。赤い人工皮革のシートに二人で寝転がり重なっているが、フミナのカラダは僕のカラダによく馴染むために、そのまま五分も経つとお互いのカラダのどこがどう重なっているのかわからなくなってくる。

フミナのカラダの匂いとそのカラダの重み自体が溶け込んでくるような感触、それに加えて満腹感が意識を朦朧とさせていたが、僕はその不明瞭な意識のまま、フミナのカラダのいろんな突起を指で転がして遊んでいた。フミナをギブアップさせるにはどうすればいいか、それはもう指先の運動神経が覚えてしまっているので、僕の夢うつつの愛撫にもすぐにフミナは熱い息を吐く。

店内に、ビリージョエルの歌が流れていた。ケレン味のない美しい曲だ。僕はその曲の題名が思い出せなかったが、サビの部分にきてそれをようやく思い出した。Honesty, is such a lonely word, everyone is so untrue.そうだ、Honestyだ。僕はその歌詞を聞いて、確かこの歌を初めて聴いたのは五年前ぐらいでそのときはまったくその通りだと感動したものだと思い出し、同時に、やはり今でも同じように感じるな、やっぱりその通りだ、感動的だ、と思った。また不意に、五年間か、オレはこの五年間何一つ感動してこなかったのでは、そういう問いかけが想起されてゾッとし、慌ててそれを打ち消した。

格闘技の試合でマイッタをするときの動作、あのタップという動作の具合でフミナの右手が僕の背中を叩いた。一方で左手はシャツ越しに僕の肩甲骨に爪を立てているが、その左手からはかすかな震えも伝わってくる。フミナは目を閉じたまま眉をしかめた表情で、首を横に振って、もうだめ、声出ちゃうよ、交代、交代、とかすれる声で言った。僕はなんとなく、ホントにもう限界なのかなと確かめたく思ったので、フミナのおなかに触れてそれを確かめてみた。フミナのカラダには不思議な特徴があって、本気で感じ始めると皮膚の温度が上がり、おなかの辺りにはびっくりするほどの汗をかくのだ。

Tシャツの中に手を突っ込んでフミナのヘソあたりをまさぐってみると、その皮膚は夕立を浴びた電球みたいに熱く濡れて滑らかだったので僕は満足した。僕はそのように、感じると水溜りのように汗をかいてしまう彼女のおなかとそのカラダ全体を最高にかわいいと思っていたので、いつものこととして、お前のカラダ、ほんとにかわいいよなぁ、と我ながら奇妙に評論家じみていると思うような冷静な口調で言った。

お前のカラダかわいいよなぁと言うと、普段はありがとうと素直に言うのがフミナのパターンだったが、そのときは少し気分が違ったのか、フミナは改めて告白しますというような口調で、そう言われると実はそれだけでけっこうぬれちゃうんだよあたし、と言った。僕はそれについて、口調を変えないままで、そっか、それはますますかわいいカラダだな、と言った。しかし、ふいにフミナは子供みたいな声で、でも前の彼氏はあたしのこと尻軽女って言ったんだよ、と言った。尻軽女、シリガルオンナか、懐かしい言葉だな、と僕は思った。

フミナが暑がったので、僕はドリンクバーからメロンスムージーを取ってきた。フミナはそれを一口飲むと、気の無い調子で僕に、あたしって尻軽女なのかな、と尋ねた。僕はそれに少しマジメに答えたくなったので、貞淑な女、ではないよな、その意味では確かに尻軽女かもしれない、と言った。そして、こういうのは好きじゃないんだけどなと内心で舌打ちしながら、少し歯の浮くようなことも言ったのだった。

でも、お前は真剣に生きてんだろ、真剣という意味では誰よりも真剣に生きてるよお前は、だからさ、お前は高貴なオンナなんだよ、オレの知る限りお前は最高に高貴な尻軽女だよ。

フミナは俯いたまま、でもさぁ、と不平を言うようときの声で言って、その続きを言い出すまえに泣き出した。僕はしばらくそれを見ていたが、フミナにしばらくは泣き止む気配が無いのを見て取ると、泣き止むまで一人でネットサーフィンをすることにした。フミナの泣き方には二種類あるが、そのうちの一つは自分と対話している時間としての泣き方であり、そういうときフミナは他人に干渉されるのが好きではなかった。

高貴な尻軽女、という言葉で僕は検索をかけてみたが、それに該当するウェブサイトは無かった。僕にはそれが無性に寂しく思えたし、高貴な尻軽女なんているわけないよとか、意味わかんないしとか、本気でそう言う奴っているんだよな、とそのことが強く思われてイライラした。そういう奴には何を言ってもムダだ、もうそういう奴には何も言葉をかけてやる必要は無い、高貴ということの意味自体を一生知らないままのやつもいるだからしょうがないと、僕はそう考えて自分のイライラを収めようとしたりした。

日本海某所に、砂質が硬くてクルマでびゅんびゅん走れる全長8キロの砂浜道路がある。僕はネットサーフィンのついでに、海が好きなフミナのためになんとなくその砂浜の画像を探し出して壁紙に設定した。しばらくして泣き止んだフミナは、その画像を見るなりすぐに、なにこれ、キレイ、外国?と言った。日本だよと僕が答えると、フミナは上ずった声で、うそ!?じゃあ行こうよ!と言った。

ANAのホームページから空席紹介をすると翌日の早朝便に空席があったので、僕はそれを予約することにした。僕が予約のボタンをクリックする段階になって、フミナは慌てたように、行こうって言ったけど別にすぐに行こうってことじゃないよ、と言った。僕はフミナに、じゃあいつ行くんだよ、明日でいいだろ別にと答えると、フミナはそうだけどと一回言ってから、すぐ後にそうだよねと言いなおした。言い直してからフミナはウフフフフフフと聞いているほうがギョッとさせられる古典的で不気味な笑い方をして、僕の耳元に唇を寄せてきては、奇妙に甘えた声で、そういうとこ好き、と言った。僕はどう答えていいか分からなかったので、フミナさ、ジンジャーエール取ってきて、と言った。フミナはそれに素直に従った。

僕とフミナは、その翌日飛行機に乗って、当地のレンタカーでその砂浜海岸へ行った。それは間違いない事実だったのだが、その日本海某所の砂浜道路で、結局何時から何時まで何をしていたのかをはっきり思い出せない。ビニール袋にぶち込んで醤油まみれにした甘エビとホタルイカを死ぬほど食べたということと、くるりの「ハイウェイ」をフルボリュームで再生しながらその砂浜道路を何度も行ったり来たりしたこと、免許を持っていないフミナがハンドルを握るとクルマはすぐに海水に突っ込んでそのことに二人で大笑いしたこと、そういう断片は覚えているのだが、その日一日の行動を時系列に並べろと言われるとそれが思い出せないのだ。まさか一日中その砂浜を走っていたとは思えないし、かといって他の事をしていたかというとそうとも思えない。記憶にある映像は、バカみたいに無闇に青い快晴の空と、隙があれば本当にクルマごと僕たちを飲み込もうとしてるんじゃないかと思われる大きな波、何かに突然泣いては何かに突然笑っているフミナのめちゃくちゃな顔。助手席でフミナは下着姿だったが、あれはたしか、フミナがはしゃぎすぎて波打ち際で転び、服が水浸しになってしまったからだったような気がする。

その日の夜、僕とフミナはセックスをした。それがどこのホテルだったのか旅館だったのか、そういうことも僕はもう思い出せない。ただそれが、もう二度といらないやというぐらい情熱的なセックスだった、そのことだけを僕は記憶している。二人とも前日徹夜でいきなり飛行機に乗って旅に出てそのまま一日中はしゃぎ通したのだから、カラダはくたくたに疲れていたはずだったのだが、それでも二人は眠りもせず翌日のことなど一ミリも考えもせず、残っている命は全て今使い切ってしまうんだというようなセックスをしたのだ。

すごいセックスだった。二人とも、口移しでヴァン・ド・ペーをお互いに飲ませあったりはしたが、何もドラッグは使っていない、それでもそれは一部正気の沙汰ではないというようなセックスだった。フミナのカラダは普段、敏感なくせになかなかいかないという性質のもので、いくにしても一回だけしかいかないし、それも三回セックスして一回あればいいほうだという具合だったのだが、その日のフミナは違ったのだ。フミナはあのとき、本当に全てにおいて開放されていたのだろうと思う。フミナは呼吸するたびに、いく、いく、いかせて、と繰り返し叫んだし、またその通り際限なくいったのだった。僕はフミナのカラダが絶頂の反応を示すのを7回まで確認したが、その後はもう数えていられなかった。僕はただフミナの名前を呼び続けながら、フミナを抱き続けた。


***


・・・というわけで、ひさしぶりに真正面からエロ話をしてみた。どうだろう。もはや恋愛のコラムというよりはただのエロ小説である。このエロ大王め、と皆さんは僕を罵る&軽蔑するだろうか。

(僕は確かにエロかもしれない。でもここまで読んじゃったアナタも似たようなもんなんだぜ、と僕は言ってやりたい)

さて、そんなわけでエロい話でしたと、それでおしまいというわけにもいかないので、少しここからはマジメに考えてみる。

あの夜にフミナは、一時的に淫乱になった(淫乱という言葉をリアリティを持って使うのは生まれて初めてだ。淫乱って愛しいなぁ)わけだったが、その理由というか原因はなんだっただろう。

僕はそのことについて考えると、自然に「開放感」ということを思い浮かべる。開放感が彼女の性のチャンネルを開いて、彼女を淫乱にしたのだと僕は思うのだ。

これは別に、セックスのことに限った話ではなく、元々から恋愛と開放感は密接に結びついているのではないだろうか。僕たちは元々、それぞれにオトコとしての衝動とオンナとしての衝動を持っていて、恋愛というのはその衝動を抑圧せず開放することのように僕は思う。

恋愛をうまくやるというのは、その衝動の開放をうまくやるということなのではないだろうか。

だから開放感がないと、その開放がうまくいかない。

恋愛の進捗には、開放感が必要なのだ。

(開放感というと響きとして死語っぽいが、他にあてはまる言葉が無い)


***


「開放感」のある恋愛は、それだけでステキな恋愛だ。逆に言うと、閉塞感のある恋愛は、それだけでイマイチな恋愛でもある。

これはものすごく当たり前のことのような気がするが、実は僕たちがすっかり忘れてしまっていることでもあるような気がするので、今回は僕としてこのことについて話そうと思う。

僕たちはヘタすると、常時閉塞感にどっぷりと浸かっていて、開放感ってナンダッケと思い出せなくなってたりもするからね・・・。

開放感のある恋愛はステキなものだ。ここではその前提で、あなたにひとつ問題を出してみよう。

―――あなたが入室すると、彼は机に向かってなにやら本を読んだりノートに書き込んだりと、仕事or勉強のようなことをしていました。そこであなたは彼にオハヨウと挨拶しようと思うわけですが、そこにどのような一言二言を付け加えますか?

これ、回答時間は十秒です。十秒で考え付かなければ、実際のタイミングにはキャッチアップできないので。

さてこの問題について、次のような回答では閉塞感がたっぷりだ。

「おはようございます。朝から大変ですねぇ。そういえば昨日も、遅くまで残ってたんじゃないですか?」

どうだろう、これはまったく朝から閉塞感がたっぷりなのだが、実際にこういう挨拶を日常のものとしている人は多い。ものすごく多い。

社交辞令的には、こういう「お互いいつもタイヘンですね」ということを前提にした挨拶で問題ないわけだけれども、あなたとして狙っている彼に呼びかけるという意味においてはこれはあまり優れているとは言いがたい。

ささやかなことではあるが、次のような言いようも本来はあるはずなのだ。

「おはようございます。○○さんって基本的に朝からエンジンかかってますよね。見習います。天気いいですから、わたしも今日は朝から妙にヤル気ありますよ」

こう言って、あなたの必殺スマイルを朝からぶちかます方法だって、本当はあるわけなのだ。

こういう、一見ささいなことのように見えることが、実は積み重なってあなたの印象というものを形成する。朝の挨拶一つでも、そこにいつも開放感があれば、いつのまにか彼としては「あのコ、ちょっとイイよな」と思うようになるものである。

挨拶から始まって、会話、またそのほか色んなところでだけども、やはり開放感があるのがいい。僕たちに今一番欠けているものは開放感だ、と僕としては言い切りたいぐらいだ。

ここで、

「開放感って言われても、ねぇ・・・」

もしあなたが、そういうふうに言いたくなったら要注意だ。あなたは開放感というものを肯定できないぐらいに、精神の根っこまで閉塞してしまっている。(治し方は僕は知らない)


***


How are you?と挨拶されれば、誰だってI’m fineと答えるし、ちょっと生意気な人はIncredible!なんて答えたりもするわけなのだけれども、これが日本語の挨拶になると、なぜか「どうですか最近は?」「いやータイヘンですわまったく」という具合になってしまう。それと同様に、本来はGood morning!と挨拶すればいいところを、なぜか僕たちは「朝からタイヘン」みたないことを挨拶として言ってしまうのだ。それは英訳したら、Bad morningとかI’m not so fineとか言っているわけで、そう考えてみればものすごい野暮なわけなんだけど、僕たちは実際にそういうことを日常でやってしまっている。

社交辞令的な挨拶の交換は、まあ定型的にはそういうものだとしても、個人的な関係を作っていきたいと企んでいるその人に対しては、もう少し開放感のある接し方をしていくのがいいと思う。少なくとも、僕はそういうふうにしようと思っている。

さて、開放感ということについて考えるなら、それはもちろん挨拶のシーンだけにとどまるようなものではない。それは生きていく上での全てのシーンに表れてくるものだろう。帰り道に「あー疲れた」とため息をつく人もいれば「あー今日はよくやった」と背伸びをする人もいるわけで、開放感の有無というやつはむしろそういうところでこそ決定的に表れていたりするものである。

そして、単純に彼と接していく上においてだけでも、閉塞感の印象を与えるのはやはり損になるだろう。彼とお話する機会などがあって、いい印象を与えたいと思うなら、まずは受け答えが閉塞感の方向にならないように気をつけることだ。そしてそこから、彼に開放感のある受け答えでアピールできたらそれは強い。

たとえば僕がデートの最中に、「おっ、アレ見てみ、あの超ミニスカートのコ、めっちゃ足キレイだよな」みたいなことを言ったとする。そういうとき、「あ、ホントだ!うーん、アレは認めるね。同じオンナとして、あれだけキレイな足ならあの超ミニもアリだと認めるよ」と楽しい話を切り返してきてくれる人がいる。こういう人とは、話してて楽しいと感じるし、なんかいいオンナだなと自然に感じる。

でも中には、そういう開放感とは無縁な、閉塞感の方向の切り返し方をする人もやはりいる。そういう人は、たいていの場合ちょっと遠くに憂鬱な思いを馳せるような表情になって、「はぁ・・・。やっぱり男の人って、ミニスカートが好きなんですか?」というようなことを言うのがパターンだ。

こういうときに、後者の答え方をする人の思考回路は、なんとなく僕として想像がつく。おそらくは、「オトコは性欲が強い→ミニスカートは性的アピールが強い→オトコはミニスカートが好き→ミニスカートのコを好きになる→オトコは所詮性欲でオンナを求める→あゝため息つきたい」と、まあ単純化すればこんな感じなのではないだろうか。ものすごく息苦しい思考回路だけど、実際にこういう人はけっこういたりする。

ほかのやり取りでも同様。

「就職決まって、おめでとうだね。そういや今のところ、将来の夢とかってあるの?」

僕がそう尋ねると、「・・・あー、あたしアレなんですよ、夢とかって無いんですよ・・・。やっぱり、夢とかって無いとダメなんですかね?」と言う人がけっこういる。僕としては、イヤ別に夢とかって無理やり持つもんじゃないだろと思って、精神的に半歩ほどよろめいてしまうのだけども、ひとまず口に出しては「そっか。じゃあとりあえず今考えてみたら?」などと言うことにしている。しかしたいていは、そう言ってみてもその人は「はぁ・・・」と答えるのみという場合が多い。

こういう話をしているとき、僕は別に進路相談室でライフプランのコンサルティングをしているわけではないのである。別にいいではないか、例えば刑務所にいる人に向けて将来の夢は何かと尋ねて、オレは出所したらまず吐くぐらいコカコーラをガブ飲みしたいという答えが返ってきたらそれは楽しいではないか。僕としてはそういうやりとりがしたいわけであって、別にその人の将来の夢について精密な議論がしたいわけではないのである。もちろんマジメな話に展開すればそれはそれでステキだけれども、そうなるかどうかはその時その時の風任せというものだ。

あと、また別のやりとり。

「オレとのセックスがイヤだ、オレには抱かれたいとは思わないって、そういうことなら全然わかるんだけど、彼氏がいるからっていう断り方はどうなんだい?」

あまり偉そうに言えることではないけれども、僕はたまにそういう会話を女性とすることがある。ひとまず断りを入れている女性を無理やりにでも口説こうと思えるほど僕は若くなく(よっぽどかわいければ別だけど)、まあこういうときはなんだかんだでその先には展開しないものなのだけれども、僕としてはオンナがオトコの誘いを断る以上、そこはオンナとしてステキな断り方があればいいのにと期待してしまうのだ。

「えー、だって・・・。イヤとかっていうんじゃないんですけど、だって、やっぱり彼氏に悪いじゃないですか」

そういうふうに自動化された理屈で断られると、僕としてはその人と対話している気分になれない。どこかしら、一般道徳の演算装置と対話しているような気分になってしまう。

「あたしもオンナだし、セックス自体好きだから、彼氏がいてもそんなこと踏み越えちゃうぐらいの気持ちになっちゃうこと、ココロもカラダもぐちゃぐちゃになっちゃうこともあると思うよ。けど、まだまだそこまでは遠いかな。あなたとのセックスはきっとステキだろうし、それは想像してみて魅力的ではあるんだけど、今のところはね、まだ自分で『あたしは彼だけのオンナ』って感じてるほうが気持ちいいの。ごめんね。口説いてくれてありがとう、うれしいよ」

そういうふうに断られたらいいのにな、と僕は思ってしまう。

(もちろん、「不合格、出直しておいで」とスパッと言ってくれても全然いいわけだ。それはそれで開放的である。ヘコむけどね)


***


そんなわけで、僕たちは気合を入れていかないと、いつのまにか閉塞的な思考パターンで人とやりとりしてしまっているものなのだ。気をつけよう。

閉塞的なケースばかり考えていると疲れてくるので、開放的なケースも考えていくことにします。

さて、狙っている彼がいるんですがうまくいきませんとか、いいオトコ五人ぐらいと出会ってその中から一人を選んでゲットしたいのですが実際には出会いが全然ありませんとか、もしあなたがそういう状況にいるなら、開放感ということを焦点に考えてみることを僕としては改めてオススメしたい。何事につけ、うまくいってないというときは開放感が不足しているものである。

例を出してみよう。あなたがもし、美容院のお兄さんに恋を覚えてしまったとする。

そのときあなたは、どうするか?僕の考えでは、あなたはそのお兄さんに紙とペンを借りればいいと思う。

「待ち時間に、ちょっと書きモノっていうか、ラブレターを書くの。あ、紙はチラシの裏とかそんなんでいいよ」

そう言っておいて、待合であなたは堂々とラブレターを書くのだ。そして髪を切ってもらいながら、はいコレ、恥ずかしいから今読まないでね、と言ってお兄さんにラブレターを渡してしまえばいい。

こうすれば、ラブレターの内容うんぬんを超えて、「素敵なラブレターの渡し方だな」という印象が第一に彼に刻まれる。コレは有効なやり方ではないだろうか。

実際、ラブレターなんて、内容よりも渡し方が大事なんだしね・・・。

別の例。あなたがもしその気なら、合コンなり何なりでメールアドレスを聞かれたとき、こう答えてもいいかもしれない。

「遊びに誘ってくれる人用のアドと、連絡は来るけど誘ってくれない人用のアドがあるけど、どっちを教えればいい?」

こうやって言っておけば、オトコの側としても「あ、オレはめっちゃ誘ってきてウザい人用のアドでお願い」とか言いやすいし、「じゃあオレは、誘ってるのかどうかビミョーにわかりづらくて卑怯なヤツ用のアドでお願い」とかも言いやすい。

そういうところで開放感と愉快さが共有されれば、それが一番直接に、二人の関係を良いほうに押し進めていくものです。

こういうネタを、使える使えないは別にしてとにかく思いつくのは僕として得意なので、それこそ聞かれたら何百通りでも出てくるわけだが、それをそのまんまコピーされても面白くないので、例を出すのはここまでにする。あとはみんなでそれぞれアイディアをひねり出していこう。

さてここで、あなたが自力でそれを考えていくとして、そのアイディアの捻出に必要なのは何でしょう。

それはやっぱり、「開放感」じゃないか?


***


何事につけ、僕は開放感のあるものが大好きだ。開放感など要らぬ、必要なのはモラルであるなどと言う人は、もしいたとしたら僕とは友達になれない。そういう人は、PTAのドンにでもなって青少年に勉学とスポーツのみを強要してキリキリするのが性に合うだろう。

僕は、立派な生き方などできそうにないけれども、開放感のある生き方をしていきたいと思う。しかしここで、開放感がダイスキな僕として現代日本を俯瞰するに(超オオゲサだ)、ここまで開放感が無い環境があるものだろうかとゲンナリしてくるのも事実だ。開放感のある人はみんな茅ヶ崎に行ってしまったかゴールドコーストに移住してしまったのだろうか。僕はいろんな人のいろんな話を聞くが、その中で開放感のある話を聞いて勇気付けられるのは今のところごく一部だ。大多数の人が閉塞感に沈んでしまって、一部の人はそれが当たり前だとさえ思い込んでしまっていたりする。

なんでだろうね、この寒いのにデニムのミニスカ履いて池袋の路上に座り込んでいるわかりやすいコギャルとかでも、開放感という視点で観察すると、どこか表情がはじけていないのが見て取れたりする・・・。

ここにきていまさら主張するのもナンだけど、みなさん、閉塞感に沈むのはやめましょう。開放感が無いと何もステキにならないし、特に色恋関係はうまくいかないです。あなたがあなたの恋を充実させていこうとするなら、このことは当たり前に大事になってくるでしょう。出会いが足りてないとか狙ってる彼にどう接近していいかわからないとか、そういう閉塞的状況を打破するのは、あなた自身が発揮する「開放感」しかありません。

悩んでアレコレ考えてしまうのはわかります。でもそれよりは、開放感からアイディアをひねり出すほうが、実際には一万倍有効なわけです・・・。

また、そう言われてもいまいち自分としては開放感が持てない、またそういう方向へ引き込んでくれる友人もいない、そういうことであればどうでしょう。その人はとりあえず僕と友人になるという方法があります。そういう人は、ぜひ気軽に僕にメールを送ってみたりしましょう。

(って、コレじゃまるで宗教の勧誘だな。まあでも、メールくださいね)

あ、ここでついでに、少し話を変えます。

僕はコレを書いている今現在、第六回Quali’sパーティを企画・参加者募集しているところだったりします。

で、ここで、「そのパーティをどんなものにしたいか?」と問われたなら、やはり僕は「開放感のあるパーティにしたい」と答えます。

(パーティだしね、開放感があってこそのパーティというものだ)

えーと、そしてたぶん皆さんは、今のところこんなふうに思ってたりすると思います。

「パーティねえ、わからなくはないけど、まあわたしはパスだな」。

さて、ここです。ここでひとつ、皆様方には「開放感」という方向で発想してもらいたいと僕は思うのです。

「パーティねえ、わからないわけじゃないし、まあ一回覗いてやるか」。

この前者と後者、二つの発想は、近いようでいて正反対です。

僕としては、開放感からの選択を、皆様方にお願いしたい・・・。

そんなわけでみなさん、改めて参加のご検討をよろしくお願いしますというわけですm(__)m。

(なんかモロに宣伝になってしまった。スマン。でもホントにパーティ参加、検討してやってね。)

(いやだってさ、来てくれる人少ないと、発起人・オレ的にかなり寒いし・・・。だからホントにお願いですm(__)m。)

(何かに参加しないと、何にも始まりませんぜアネキ。(アニキも))


***


えー、ここまで、開放感、ということでずっと話を続けてきた。

恋愛を気持ちいいほうへ推進する、その原動力は開放感だということ。もともと僕たちは、オトコとオンナとして自然に惹かれあう仕組みを授けられていて、大事なのはそれをいかに開放していくかということなのだということ。

このことは、僕の中で何回確認しても、間違いないと確信されるばかりだ。

僕はこの確信を、これからも忘れないでいきたいと思う。

フミナの記憶と共にね。


―――僕はフミナと、開放的な時間を共有した。旨いものを食べて恍惚になり、漫画喫茶でいちゃつきあい、僕は言いたいことを言って、フミナが泣きたいなら好きなだけ泣かせた。思いつきで飛行機に乗って、砂浜道路を走って、下着姿ではしゃぐフミナを見ながら、くるりの「ハイウェイ」を聴き続けた。

旅館かホテルかペンションか、それはよくわからないままのベッドの上で、僕とフミナは抱きあった。僕は膝が痙攣するまでフミナを突いたし、フミナはその快感を全て受け止めてみせた。フミナは時々半狂乱に髪を振り乱し、僕はそれを見てフミナが本当に壊れるんじゃないかとヒヤリとしたが、フミナはそのことも覚悟の上で、ただ全てを受け止めようとしているようだった。

ベッドの上には、二人の汗と涎と愛液がぐちゃぐちゃに混じりあっていて、その粘液が二人の体をコーティングしていた。その中に、フミナは一滴ずつ涙を注ぎ足していく。そのまま二人で抱き合っていると、カラダが溶けてくっつきそうで、ともすれば精神まで溶けてくっついてしまいそうだった。精神がくっつくのは危ない、僕はそう思ってめまいがしたが、その一瞬後には、もうそれでもいいやと思って抵抗をやめた。

そのとき、フミナが快感の余韻に震える声で、鳴きこぼすように言った言葉があった。僕はそれを、その音声ごと今も記憶している。僕は暗闇の中、この目で見たわけでもないのに、そのときのフミナがとんでもなくかわいい顔で笑ったのを確かに覚えてもいるのだ。

「あたし、世界一幸せな尻軽女だよ」






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