パーティのお誘い@2017 written by つかごん
こんにちは、初めまして。当パーティの「人間サンドバッグ」です。いや、嘘です。つかごんです。
以前にも「パーティの誘い」なる文章を寄稿させていただいたことがあります(おそらく覚えていない方が大半でしょう)。あれから2年ほど経ちましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回も突発的かつ個人的な思いから、このパーティにもっと人が来てくれるように、微力ながら協力したいということで、こうしてお目汚しをさせていただきました(でしゃばってすみません汗)。
さて、九折先生に「書かせてください!」と景気良く言い放ったのはいいですが、2年前とまったく一緒で、何を書いたらいいかさっぱりわかりません(成長してません)。ただ、先生も確か以前「向こう見ずに引き受けて、どうしようもなく失敗して、恥をかけ」みたいなことを言っていたと思います。僕は先生のお教えを120%遂行する忠実な(自称)門下生なので、お言葉通り勝手に大役を務めます。
本題に入るに当たって、申し訳ないのですがここから急に文体を変えさせていただきます。以前は全体を「です、ます調」で書いていましたが、今回これを書くにあたって読み返したところどうもしっくりきませんでした。おそらくやろうとしていることと語尾の調子があっていないのだと思います。それに、私事で恐縮ですが、僕ももう26歳というそこそこの年齢になりました。サンドバッグを自称している身ですが、いつまでも「ですます」へりくだってばかりではいかにも変ですし、先生の文章を読んで育ってきた大人としての責務を果たせていないという自覚があります。なので、ここからはいわゆる「だ、である調」を使って読者の皆様に語りかけさせていただきたい、そう思います。
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あらためまして。つかごんです。どうぞよろしく。
パーティの誘いをするにあたって、まずこれを読んでいるあなたに問いかける。あなたはこのパーティに参加したいと思っているだろうか。それとも参加したくないと思っているだろうか。ここでは勝手に、「読者は全員、本心では参加を望んでいる」ものとして話を進める。
あなたが参加を望んでいるなら、すぐにでも応募フォームからその意志を表明すべきだ。なぜならこのパーティは流行りの言葉で例えるならばまさしく「空前絶後」だからである(サイトの熱心な読者なら、参加せずとも大体のことは感じ取れるだろう)。6年ほど前に初めてお会いし、少し縁遠くなった時期もありながら今までしつこく関係を続けてきたが、こんなにすごい人はほかで見たことがない。あんまり褒めると誰かがつけあがるので(失礼)一旦落とすけれど、とにかく同じ人間とは思えない未知の動物である。どういった点がすごいというのは一言では説明しづらい。とにかく仮に未知の動物にたった3000円で出会える機会があるとすれば、何をおいても参加すべきなのはあまりにも明らかな真実だ。
ただ、「参加したい!」という気持ちがあっても、どうしても一歩が踏み出せないという人も少なからずいると思う。僕も最初に直接お会いする時はとても緊張したし、未だにパーティへ向かう際に原宿駅から混雑した竹下通りを下っていると、つい人見知りの血が湧き上がってコンビニで読みたくもないファッション雑誌に逃げてしまうことがある(それでも最終的には意を決して会場に向かうしかないのだが)。躊躇する原因の大半は人付き合いに付きまとうある種のストレスのせいだが、これに対抗するには「えいや!」という気持ちで飛び込むより他にない。
しかし、あえて先生に反抗させていただくとすれば、僕は、このパーティに読者が参加しづらい理由の半分は、他ならぬ先生の文体にあると思う(残り半分はたぶん僕を含む読者側の問題だ)。そう思う原因はいくつかあるが、とくに大きいのは「先生が『自分はすごいやつなんだ』ということを繰り返ししつこく書く」せい。誤解されないよう先に言っておくが、これは先生を「傲慢だ」と非難しているわけではない。
僕が思うに、先生は「信じる胴体を持つもの」として読者の前に毅然として立つことを自らに課しているのだ。つまりそれは道場で言えば師範代のポジションであって、師範代は道場で「自分が一番強いぞ」と言葉で言わないとしても態度で示さないといけない。
時代状況や様々な物事の結末として先生はあえてそのような態度を取っており、またその態度によって我々は先生の文章からくる衝撃を甘んじて受け切ることもできるのだが、ことパーティへ他人を誘うとなると、普段の態度が裏目に出てしまっているように思える。師範代という立場には確たる手応えの威厳があるので、本来ならばパーティという和気あいあいとした集まりに一緒に参加するべき間柄ではない。その感覚を無言の内に読者は培っているような気がする。「私なんかが参加してしまっていいのかしら」と萎縮している方は少なからずいると思うのだ。
とくに熱心な読者であればあるほど「私は九折さんの言っていることがほとんど体得できていないわ。頭ではわかっている気がするし、感動もするのだけれど、自分の普段の行いを思うと目も当てられないことばかり。他の参加者の方は何度も参加されて九折さんの薫陶を受けているだろうから、こんな私がパーティへ参加したら場が台無しになってしまうかもしれない」と自らと先生との溝の深さ、見ている世界の違いに絶望的な距離感を感じるだろう。
では、そういった距離感を感じている人はどうすればいいか。ここでサンドバッグ、もとい私の出番だ。正直に告白させていただくが、私はこのパーティに参加してから「成長したな」と思えた経験がただの1回もない。成長した「気がした」ことはたぶん100回くらいあった気がするが、そんな気の迷いはもう一度参加するとキレイさっぱり否定される。薫陶なんてとんでもない、毎度毎度生き恥を晒してばかりなのだ。まったくお恥ずかしい話ながら、先生のサイトを愛読し始めて今年で10年を数えるが、できるようになったことといえばそれこそ毎回ボコボコにされることと、ビールなど飲み物の注文(しかもスムーズに注文できていない)と、あとはこうやって駄文を晒すことぐらい。「信じる胴体を取り戻す」とか「流れ系の中で生きる」とか「フィクションの早さを身につける」といった高等技術は雲の上の事象である。
つまり何が言いたいかというと、「私は長年読んでますけど、全然出来るようになってませんよ。安心してください」ということだ。出来なくたって気にすることはない。だって出来ないんだからしょうがないじゃないか(開き直りはよくない)。先日上梓されたコラムで「出来ないのが普通だ」というようなことを先生も書かれていたと思うが、パーティに参加し続けてもできないのだからどうしようもない(もしかして他の参加者の方、ひろみさんやりささん、まなみあたりは出来ているんだろうか…)。むしろ鑑賞料払って見に行こうというくらいの気持ちで気軽に足を運べばいいのだ。
さらに恥の上塗りをすると(僕は恥を晒すことが気持ちいいのではなく、こうすることでパーティに参加しやすくなる人がいると信じているだけ、のはず)僕はここでとても書けないような申し訳ないことをパーティの場で何度もやってきている。覚えているだけで五指にあまるし、おそらく気付けていないだけで無限にあるだろう。もちろん開き直っていいということでは決してないのだが、少なくともそんなダメな奴でも出禁にならず楽しませてもらっている、そしてこんな風にパーティに貢献させてもらっている(貢献できているかどうかは分からないが)ということは、ひとつ頭に入れておいてもらえればいいんじゃないかと思ったりする。
最後に、ここまで読んでいただき本当にありがとう。だが、感謝している暇があったらすぐにやるべきことがあるだろう?それはtwitterやインスタグラムをはじめ各種SNSを惰性で見ることではなく、パーティの応募フォームに即刻連絡を入れることだ。「早さに文句を言う人はいない」と先生も書いておられたが、まさにその通りで、躊躇する気持ちが起こる前に予約を取り付ければ万事解決。「えー、どうしよう」と悩んでいる時間がもう無駄なのである。さあ、さあ、さあ!
ここまで言ってもまだダメか。しょうがない。奥の手を使おう。
新興宗教の狂信的な勧誘ばりにあなたの参加を促している僕だが、実は15日は友人の転職お祝い会があってパーティ参加できるかどうかわからない(そこ、ズッコケないで)。もちろんそちらも大事な会であって、僕には友人の前途を全力で祝してやる義務と意志がある。ただ、同時に僕は九折先生の忠実なるしもべであり、パーティ参加者を倍増させる任務を負っているのだ。
そこで、こういう取引を持ちかけたい。現在参加が決まっているのは僕と先生を含む男2人に対して女性7人。もしこのしょうもない誘いを受けて「そこまで言うなら参加してみてもいいかな」と思っていただけた初参加の素敵なレディが3人以上いれば、僕は確実にパーティに馳せ参ずることをこの場で誓います!!
……あれ、もしかして興味ない?いやいや、そんなこと言わずにお願いしますよ。もうどんだけいじり倒して構いませんし、身体は丈夫なんで何回殴っても平気ですから(やっぱりサンドバッグだったか)。
さらに、来ていただいた方には特別サービス。前回お誘い文を寄稿した時に、僕が過去に先生からもらった叱咤激励という名のえげつないメールを一部公開して「来てくれた人には全文見せます」という約束をしたのですが(やり口が今と変わっていないとか言ってはいけない)、大変不誠実ながら結局メールを公開しませんでした。今回はそちらもセットでおつけしますので、どうか来ていただければと思います。もう僕から提供できるものはありません。以上テレビショッピングのお時間でした。
……すみません、後半は冗談がすぎましたね。反省します。
長々と書きました。繰り返しになりますが、ここまで読んでいただきありがとうございます。このパーティが一般的な意味で「楽しい」かどうかは正直僕にもよくわかりませんが、来ていただければある意味「非日常的な」体験になることは確かです。日常生活に退屈している方はぜひ。一緒にお酒を飲みましょう。
ホントの最後にすこーしだけ自分語りをさせていただきますと、2年前は物流関係の会社で働いていた僕ですが、それからもろもろあってとあるメディア関係の会社に転職しました。メディアといっても大手テレビや新聞といったカッコイイ感じではなく、小じんまりしたサイトを運営するベンチャー企業みたいなものです。メディア関係だけあって文章だけは毎日のようにバリバリ書いているのですが、今回の誘いが読みづらかったとしたら本当に申し訳ありません。精進いたします。ちなみに今は九折先生の影響もあって小説や詩やらを執筆しています。芥川賞を取って先生を見返すのが僕の夢のひとつです。それでは、土曜の夜に原宿で会いましょう。
P.S. 九折先生を「先生」という言葉を付けてお呼びしたのははじめてですが、個人的に「九折さん」と呼ぶよりしっくりくる気がします。さん付けだとどうしても態度が横柄になってしまうので、できればパーティでもこれで行かせていただきたいですが、いかがですか、先生?
2017年4月12日
つかごん