No.093 モテるのに愛されないあなたへ
オンナのレベルが上がっている、と思う。
これは、色んなオンナに会うたびに、必ず感じることだ。
みんな、キレイでオシャレで元気で、ちゃんと愛嬌もある。
しかも、夢まで持っていて、それに向けてしっかり努力もしていたりするのだから、現今の腰抜けのオトコたちでは及ぶべくもない。
時代として、オンナのレベル、その人間としてのレベルが、明らかに上がってきているのだ。
一昔前、オンナが強くなった、という表現がよく聞かれた。
今でも、たまに耳にする。
しかし、この「オンナが強くなった」という表現は、悲しいかな、まだオトコたちの現実逃避を内包している。
現実は既に、オンナが強くなった、というような、なまやさしい状態ではない。
もっと切実に、オンナのレベルは上がり、一方ではオトコのレベルが下がって、オトコは一部、オンナの軽蔑の対象にさえなりつつあるのだ。
オンナが強くなった、という表現は、オンナが男勝りにバリバリ活動する、という意味を内包していて、同時に、そういうオンナって野暮だよね、という揶揄も内包している。
が、今現在、男勝りのオンナがイケていると、そんな野暮を信じているオンナはいない。いるにはいるが、少数派で、明らかにセンスのない人種だ。
オンナの全体は、そんなナンセンスには早々に気づいていて、オンナとして美しくありながら、かつ強くあろうとしている。
要するに、オンナのレベルはそこまで上がっていて、しり込みするオトコたちは、どんどん置き去りにされていっているのだ。
僕には、お気に入りのオンナがたくさんいる。
そして、彼女たちは実際に頭が良く、センスがあり、万事にレベルが高く、また実際にモテている。
ローライズがよく似合って、やさしくて積極的で歯並びが良くて、トークのセンスもある上に、穏やかに笑うとえくぼが出たりするのだから、モテるのが当たり前だ。
ところが、である。
そういう、レベルの高いオンナが、モテながらも愛されているかどうかというと、それは案外そうでもなかったりする。
モテながら、愛されていないオンナ、というのがいるのである。
今回は、そういうオンナについて話をしたい。
僕のお気に入りの、シノちゃんというオンナは、通販雑誌のファッションモデルをやっている高学歴のオンナだが、彼女なんかは特に、モテながら愛されていないオンナの典型だった。
「バイト先を変えるたび、告白されるけど、なんだかどれも、胸に来ないのね。何だかもう、断り方とかも、自分の中でパターン化してきちゃった」
シノちゃんは、決してゴーマンなオンナではない。
僕が忘れ物をして帰ったとき、電車に乗って二十分かけて届けにきてくれて、それを当たり前だと思っている、そういうオンナだ。
そういうオンナでも、モテながら愛されない、ということはあるのである。
シノちゃんみたいな場合、愛されないのはオトコの側の責任、要するにオトコの気弱さと愛の貧弱さが原因という気がするが、そんなことを言っていても何も始まらない。
あなたが今、そこそこモテつつも、愛されていないオンナだったら、シノちゃんと同様、そのあたりの事情はよくわかるはずだ。
モテながら愛されないということは、まあいいか、では済ませられないことだ。
それは、モテながら愛されないオンナが、まあいいかで済ませられないぐらい、混乱して苦しんでしまうからだ。
わたし、見た目だけで好かれてるのかしら、わたしの中身には誰も興味ないのかしら、と不安になる。
シノちゃんは、美人だねと言われると、うれしいけど、どこかすごく不安になる、と言った。
相手の目が、素直に見られなくなる、とも。
今回は、そういうオンナについて話をしたい。
モテるより愛されたいよ、というあなたの叫びとやりきれなさを、僕はそれなりにわかっているつもりでいる。
モテるのに愛されないというのは、寂しいことだし、しかもそれは取り扱いづらい寂しさだ。
シノちゃんにも話したが、僕はそういうタイプの寂しさとそのオンナを、便宜上、モテロンリー、と呼ぶことにしている。
モテロンリー、バカみたいな言葉だが、便利な言葉だ。
便利だと思ってしまうぐらい、そういうオンナが今、世の中にたくさんいるということだ。
マミの涙声と、その唐突なメッセージは
まさしくマミの個性の露出であり
心の底からの震えだった
マミというオンナのコから、夜遅く電話があった。
マミは、初めから涙声で、唐突に、
「ねえ、あのさ、友達って、いいよね。大切だよね」
と言った。
そして、はっきり泣き出して、友達って大切だよ、わたし初めて知ったよ、と繰り返して言った。
言ったというか、必死の様相で、僕に伝えようとした。
何があって、そんな電話をかけてきたのか、僕は知らない。
ただ、マミは、自分の感動を、とにかく誰かに伝えたかったんだろうな、ということだけが直感的に分かった。
マミはそのとき、話のわかる誰かとして、たまたま僕を選んでくれたのだろう。
うれしいことだ。
そういう、心の直撃は、僕のようなすれっからしの心さえ、ジーンと震わせてしまう。
マミは、優秀なピアニストだ。
ショパンを愛し、鍵盤をグリッサンドしながら、セックスと音楽ってすっごく似てるよね、と語る。
そして一方では、大塚愛が大好きで、自分で編集したMDを、僕に聴かせようと押し付けてきたりする。
押し付けながら、うざい? と、怖がりの表情を見せたりもする。
マミは、そういうオンナのコ、幼くて泣き虫で不器用なピアニストなのだが、あなたはそういうマミについてどう感じただろう。
マミは、まだ幼さが目立ちすぎで、モテる、というような器用さを手に入れてはいない。
しかし、そのマミを、愛せない、愛しくないと、あなたは感じたりしただろうか?
(まさかね)
マミというオンナのコについて、ごく短い描写をした。
短い描写だが、心ある人なら、また想像力のある人なら、このマミというオンナのコに、異性同性に関係なく、ささやかながら愛情を芽生えさせてしまったはずだ。
ここに、大事なことがある。
レベルが高くてモテるのに、愛されないオンナであるあなた、そのあなたに欠けているものを、マミは持っているのだ。
それが何なのかを、シンプルに、明瞭に、かつ慎重に、あなたは発見しなくてはならない。
ここで、マミちゃんは純粋なコなんだよ、というような理解をすると、誤解をする。
その理解は、間違いではないのだが、浅薄で、焦点がズレているのだ。
幼いオンナのコに、純粋さを見て、それを愛するとなると、それは行き着くところロリータ・コンプレックスになってしまう。
バージンの女子中学生が、脱がされて不安に涙ぐむ、そういうのをオトコは愛するものだ、だからアタシもウブなオンナを演出しなきゃ、と誤解してしまう。
そうではないのだ。
マミというオンナのコが、短い描写においても愛しく感じられるのは、ただそこにマミの個性が露出していて、それがあなたの心を揺さぶるからだ。
マミというオンナのコの心が、底から、感動に震えている、その震え方に、僕たちはマミというオンナのコの本当の個性を見るのだ。
そして、心が底から震えると、個性の振動が発生し、その振動は他者に伝染する。
共通する個性を持つ心に伝染し、同じように、その心を底から揺さぶるのだ。
共鳴、という現象である。
人が人を愛してしまうということは、要するに、心の底からの振動に、共鳴してしまうことを言うのだ。
マミの涙声と、その唐突なメッセージは、まさしくマミの個性の露出であり、心の底からの震えだった。
それは、人を共鳴させずにおかない。
ジーン、とさせずにおかない。
曇っていた心を、洗滌せずにおかない。
そういうオンナが、愛されるオンナなのだ。
あなたは、優秀で、レベルの高いオンナだ。
しかしそれは、愛される、ということには実はあまり関係がない。
オトコはオンナを、その優秀さゆえに、愛するわけでは決してないのである。
あなたの心が、底の底からジーンと、
自分では制御不可能なぐらいジーンと、
音を立てて震えたことなんて、
あなたの最近の生活にあっただろうか?
誤解されてはいけないので、あえて言っておく。
優秀なオンナが、愛されない、というわけではない。
自分が優位に立ちたがる、器量のサイズがコンタクトレンズみたいなオトコなら、優秀なオンナは愛せないのかもしれないが、そんなものは考慮に入れなくていいだろう。
優秀なのは、優秀で全然かまわないのである。
僕は、当然だが優秀なオンナが好きだし、レベルの高いオンナが好きだ。
そういうオンナが、どんどん増えていけばいいな、とも思っている。
ただ、愛されるということは、もっと別のこと、心の底から震えるということ、そしてその共鳴だよ、と言っているのだ。
これは別に、難しいことを言っているのでは決してない。
あなたが、心の底からジーンとする、それに巻き込まれて彼もジーンとなる、そのことによってあなたは愛されますよ、と言っているだけだ。
まったくカンタンで、コドモに話して聞かせるようなことだ。
しかし、と僕は思う。
カンタンな話だが、実際のところはどうなのか、と考えると、ウウムと僕は唸ってしまう。
意地悪な話になるが、僕はあなたに、こう問いかけてしまいたくなるのだ。
あなたは確かに、よくモテる、優秀な、レベルの高いオンナだ。
快活で、精力的で、努力家で、善良だ。
ああ、しかしだ、あなたの心が、底の底からジーンと、自分では制御不可能なぐらいジーンと、音を立てて震えたことなんて、あなたの最近の生活にあっただろうか?
今、オンナのレベルが上がっていく中で、モテるけど愛されないオンナが、たくさん生まれていると思う。
「モテロンリー」に心当たりがある人が、たくさんいると思う。
リアルに言うと、そこそこモテて、付き合ってくださいとかたまに言われるけど、愛されているという幸福感の手ごたえがない、そういうモテロンリーなオンナが、大量生産されていると思う。
そしてそのことは、僕たちが、心を震わせていないということ、すなわち無感動に生きているということと、表裏一体に起こっていることなのだろう。
レベルの高いオンナは、頭が良くて、がんばっているのだけれど、無感動なのだ。
やる気があって、タフで粘り強くて、スゴいねと言われることを色々やっているのだけれど、本人がその現場で無感動なのだ。
この、「無感動」というキー・ワードは、現代に生きる僕たちにとって共通の病癖だ。
またそれは、僕たちにとって、笑い飛ばせないぐらいに深刻で、ヘヴィで、しかも進行している問題だとも思う。
具体的な対抗策は、ない。
少なくとも僕は、まだこれという対抗策を見つけていない。
ただ僕自身は、何と言うか、「楽しさに堕落しないように」と、自分を戒めてはいる。
無感動を含む、全ての行き詰まりを、楽しさで解決しようとするその安直も、僕たちに共通の病癖だ。
楽しさは、大事なもので、重要なパラメーターでもあるが、それはあくまでただの楽しさであって、感動ではない。
楽しさだけで、僕たちは決して満足することがないし、またそこに救いを見出すこともない。
前向きになって、ポジティブに楽しく笑顔になって考えたって、そんな非力なアプローチから感動が生じることはない。
楽しさは、快適ではあるけれど、快楽ではなく、それは人工甘味料のように、人体をすり抜けて、血肉にならない。
要するに、「楽しさ真理主義」は、「世間」のモットーであって、僕たちをだますためのウソなのだ。
とりあえず、それにだまされないように、楽しさに堕落しないように、感動と快楽を求めていれば、僕の場合は無感動地獄に陥らずにいられる。
愛してももらえる。
まあこれは、僕の場合であって、いささか乱暴な話だから、参考程度にしておいてもらえればいい。
参考程度でなく、共感してもらえたら、その人はもう僕の友達だけどね。
ちょっと、話が横に逸れた。
元に戻そう。
無感動ということ、人と感動で共鳴できないということ、
それは絶望なのだ
モテるあなたが、愛されないのは、あなたが心の底から震えていないからだ。
無感動だから、モテロンリーに陥るのだ。
要約すると、今回の話はそういう結論になる。
あなたは、レベルの高いオンナだけど、ごめんね、マミちゃんの涙声のほうが愛しいや、という結論になる。
だから、これからあなたは心の底から震えて生きていかなくちゃいけないのだが、そのためにはどうしていけばいいのだろう。
心の底から震えろなんて、言うだけならカンタンだが、実際にはどうすればいいのかよくわからない。
僕が、あなたの心を底から震えさせることができれば、もちろんそれが一番いいのだが、それはとても難しい。
難しいというか、一般的にはムリに分類される課題だ。
しかしまあ、ここでムリといって投げ出しては、僕は今後一切、文章を書く資格を失ってしまうだろう。
だから、一応僕なりに、そこは必死に頑張ってみる。
共鳴、ということについて話したから、そこから話を進めよう。
共鳴というのは、物理学の現象だ。
例えば、ワイングラスを指で弾くと、ピーンと音が鳴る。
この音は、指でなく例えば割り箸で弾いても、同じ周波数でピーンと鳴る。
この、ワイングラスならワイングラス固有の音を、固有振動数という。
人間で言うところの、個性だ。
そして、共通する固有振動数を持つものは、その音を受け取ると、共鳴する。
ワイングラスがラの音で鳴れば、同じくラの音で鳴るシャンパングラスは、共鳴して振動する。
これは、実際やってみれば誰にでもわかる、具体的な物理現象だ。
ピアノの天板を開けて、ラの音をひとつ鳴らしてみれば、別のオクターブのラの弦もちゃんと振動している。
それが共鳴という現象で、まあ実際僕たちの周りにある現象なので、一般常識のものとして、ここはまず正しく知っておくのがいいのじゃないかな。
(例えば、救急車が通るたびに窓ガラスがプーンと鳴ってうるさい場合、窓ガラスにガムテープを貼っておけば共鳴は収まる。形状変化によって、固有振動数が変わるからだ)
ここで、ワイングラスの音を例にしたから、そのイメージをあなたに保っていてほしい。
あなたは、ワイングラスだ。
あなたは、刺激を受けると、個性としての振動を、音としてピーンと発するのだ。
そして続いて、このように考えてみてもらいたい。
そのときのワイングラスが、皮脂でベトベトに汚れていたとしたら、ピーンと澄んだ、本来の音は鳴るだろうか?
ワイングラスが、ひび割れて、濡れた雑巾の上に転がっていたとしたら、本来の音は鳴るだろうか?
比喩的で、あいまいな表現なのだが、大事なことはこのモチーフの中に示されている。
あなたが、あなた本来の心の震えを生み出すには、特定の、正しい状態が必要なのである。
あなたはまず、自分の精神を、どこにも寄りかからせず、しっかりと起立させなくてはならない。かつ、全体を清潔にして、硬質に、かつ均一に張りつめさせていなくてはならない。それは、ワイングラス、そのモチーフそのままのイメージだ。ひび割れて汚れて寝転んでと、そんな状態では澄んだ音は鳴らない。澄んだ音が鳴らないということは、あなたの心がちゃんと震えない、すなわち無感動になるということだ。
ここで、正しいイメージを持ってくれている人には明らかなことだが、ワイングラスが本来の音を奏でるには、特別な刺激が必要なのではなくて、ただ「正しい状態」が必要なのだ。このことの理解も、一部の人とっては大事なことだと思う。正しい状態を得られなければ、どのような種類の刺激を加えても、本来の音は鳴らない。要するに、いかなる刺激に対しても、無感動になるのだ。
特定個人のことを引き合いに出すのは気が引けるが、先に話したシノちゃんの場合も、このあたりの典型例だった。
そのことについて、例話として、少しまたシノちゃんの話をしよう。
シノちゃんは、海外旅行が好きなオンナだった。二ヶ月に一回は海外旅行に行っていたし、そのために英会話も習っていて、語学力は僕などよりはるかに上だった。
東京に初雪の降った夜、僕はそのシノちゃんと、バーに貴腐ワインを飲みに行った。
そこで僕は、シノちゃんから、先日のこととしてのイタリア旅行の話を聞いたのだが、その周辺で、僕はようやく、シノちゃんの本来の心の震えを体験することになったのだった。
「すごい楽しかったよ。街並みがきれいで、食べ物もおいしくて、一週間、あっという間だった」
シノちゃんの声は、歯切れがいい。それはおそらく、六本木でホステスをやっている、その業務の中で身に付けた技術だった。
僕はその話に、いいなぁ、オレもイタリア行きたいなぁ、でもオレは作家になってから世界を見に行くって決めてるからなぁ、と受け答えして、その後も一通りの話を聞いた。
鐘楼はどうだったか。美術館はどうだったか。ナポリのマルゲリータはどうだったか……
シノちゃんの開いた、ナイロンの簡易アルバムには、コーチのバッグをぶら下げた、Vサインのシノちゃんが写っていた。
逆光で、肌色が暗くなった顔に、シノちゃんの白い歯がいつもどおり並んでいる。
空は曇天で、教会に続く長い道は重い色合いの石畳だ。
なぜか僕は、その写真を見たとたんに、心臓が切なく苦しくなってしまった。
熱病の中で、ユトリロの絵を見たというような、切実な気分になったのだ。
そして、シノちゃんさ、と無意識に呼びかけてしまう。
「なあ、シノちゃんさ、もう一度、改めて聞かせて。イタリア、どうだった? シノちゃん、すごく楽しみにしてたよな。なあ、もう一度、改めて聞かせてくれよ。街並みがきれいで、食べ物がおいしいって、そんなことはガイドブックに書いてあるよ」
僕は、言ってから、直後に半ば以上は後悔したが、言ってしまったものはしょうがなかった。シノちゃんは、頭のいいオンナで、僕の言葉を正確に受け止めて、うん、そうだね、と弱い声で答えた。
シノちゃんは、常のこととして、その口角を微笑みの形に持ち上げている。
しかし、その眼は、ほどなくして沈思に落ちた。
「そうだね、うん、楽しかったよ。でも、それ以上のことは、本当は無かったな。海外に、慣れすぎたってのもあるのかもしれないけど。それでも、楽しかったから、それで十分と言えば、十分だったけど……」
僕は即座に、せっかくの楽しい思い出に水を差してすまない、ということを詫びた。が、シノちゃんはそれについてはっきりと首を横に振った。違うの、多分、あなたの言ってることが正しくて、それはわたしもわかっててさ、だからわたし、こうやっていつも話聞いてもらってるんじゃん、と、シノちゃんは少し早口で言う。
早口になるのは、シノちゃんが、自分の中で何かと格闘しているときの、いつものクセだった。
それから、ずいぶん長く、沈黙が続いた。
沈黙は、長かったが重くはなく、落ち着いて流れたが、それは多分に貴腐ワインの酔いのせいだった。
午前二時、ソーテルヌを飲み飽きて、サンタバーバラを飲んでいる。
経年によってボロボロになったコルク栓を見ながら、僕はただシノちゃんの呼吸音を聞いていた。
やがて、ついに耐えかねたというような弱々しい動きで、シノちゃんはカウンターの上、僕の手首にその手のひらを乗せてきた。
シノちゃんは、ぐぐっと力を入れ、僕の手首に爪を立てる。
僕は、ギョッとして驚いたが、シノちゃんはもう止まらなかった。
「たすけて……」
シノちゃんは、もう冗談めかす余裕も無くなったというふうに、そう吐きこぼした。わたし最近、わけわかんないんだよね、興味あること、色々やって、結局何も体験してないの、そのことはもう自分でわかってるの、わかってるんだけどさ、自分じゃどうしていいのかわからないの、と、自分を罵るように言う。
そこから、シノちゃんとの会話は朝方まで続いた。もちろん、何を話したか、そのことを細かくは覚えていない。ただ、涙を出し切ったシノちゃんは、僕の話を吸い取るように聞いてくれた。
シノちゃん、無感動ということ、人と感動で共鳴できないということ、それは絶望なんだよ、オレたちはその絶望に、絶対に正気では耐えられない、だからシノちゃん、これからはシノちゃんは、もう何もかもかなぐり捨てて、感動だけを体験する人間になるしかないし、その感動に共鳴して、一緒にぐちゃぐちゃになってくれる人を見つけて、そういう人と絆を紡いでいくしかないんだよ、と、そういう話の逐一を、シノちゃんは深く頷きながら聞いてくれた。
僕はシノちゃんに、できたらホステスの仕事を辞めるように勧めた。シノちゃんは、ホステスとして時給一万円を稼ぎながら、健常を保てるような器用なオンナではなかった。ホステスをやるだけで、精神を崩壊させるオンナはいない。しかし、ホステスをやる以上は、心が震えるその機能を、業務として凍結する必要があるのであって、その凍結と解凍を自由に出来る器用なオンナなどそうそうはいないものなのだ。
シノちゃんは、わたしホステスをやってるのは、昔のカレに、もっとオンナらしくなれって言われたのがきっかけで、それから、オンナらしくなろうって思って、わたしなりに今もがんばってて、ということを、初めて僕に話してくれた。シノちゃんって、根がマジメで、思い詰めちゃうんだな、というようなことを僕は言い、あとは無言で祈った。シノちゃん、そんなことはどうでもいいよな、大事なのはこれからのことだな、と、そのことを奥歯を噛み締めて念じた。
その後、シノちゃんがホステスを辞めたかどうか、僕は知らない。シノちゃんが、本来の個性として心を震わせるようになったか、またそれを共鳴させ合える相手を見つけたかどうか、そのことも知らない。そのあたりは、訊いてないし、時間のかかることだろう、と僕は思っている。
僕が知っているのは、その日の帰り、まだ空が紺色の早朝、人がまばらな山手線の駅前で、シノちゃんが見せた晴れやかな笑顔だけだ。
「ねえ、わたし今まで、どこの誰を生きてたんだろうね?}
シノちゃんは、泣き疲れた声で、しかし晴れやかにそう言って、手を振って改札口に消えていった。
タイトスカートを引き裂きそうな、オンナらしくない力強さと躍動感で、地面を蹴って歩いていった。
僕はそのあと、しばらくそこに突っ立っていた。
―――ふうむ、そうか、無感動とは、絶望なのか。
と、自分の口から飛び出た言葉、その意味を反芻して確かめていた。
降り止んだ初雪が、地面を濡らし、空気をキンキンに冷やしていた早朝のことである。
世間は、僕たちが個性的に、心の底から震えること、
そして共鳴しあうこと、要するに愛し合うことに、悪質に抑圧的だ
モテロンリーなオンナたちへ。
僕はあなたに、はっきりしたことを言っておきたい。
暴言になるかもしれないが、それでも言ってしまいたい。
あなたは、だまされているのだ。
あなたは、あなた自身、十分にモテているという事実、それ自体にだまされて、本質を見失っているのである。
モテる、ということはいいことだ。
あなたがここで、自分はモテロンリーかもしれないと、少しでもそう思ったならば、あなたは既に現時点で、けっこうモテるオンナなのだと思う。
モテ度でいえば、僕の数倍ということになるだろう。
しかしだ、だまされてはいけない。
モテるということは、「有利」というだけのことであって、「勝利」ということでは決して無いのだ。
恋愛は、勝負事ではないけれど、それでもあなたの目的は明瞭で、あなたはステキなオトコと深く結合して誰にも真似できない幸福を手に入れたいわけだから、そのことに到達できなければ、結局は負け、というかFailedということになる。
モテるという「有利」は、まだ単なる「有利」であって、Successの可能性でしかなく、そこで思考停止してしまったら、十分Failedに終わる可能性は残っているのである。
○○ちゃん、ステキだよね、モテるのもわかるし、わたしがオトコだったら、やっぱり○○ちゃんを好きになると思うよ、と、あなたは友達に誉めそやされるだろうけれど、そのことにもあなたはだまされてはいけない。
そんなことで、自信を回復したりしたら、それこそ大きな勘違いだ。
あなたは、がんばって生きていて、そこそこにモテるようになった。
もともとの人柄がいい、ということもある。
そのことは、すばらしいことだ。
でも、そのことを、いったん忘れよう。
いったん忘れて、自分の心が底から震えるということ、それに人が共鳴するということ、そのことだけに生々しく向き合ってみることだ。
正しく向き合えば、そのことが、決してラクチンなものではないということ、いのちの力が試されるものであるということが、ゾクゾクと、背中からせり上がってくる具合に了解されるだろう。
そのゾクゾクが、解答だ。
あなたが、モテロンリーの憂鬱から解放されるための、唯一の解答だ。
愛し合うということは、心の底からの震えが、お互いに共鳴しあうということだ。
喫として立ち、不純物の混じらない状態、そういう状態でしか、その共鳴現象は起こらない。
心の底からの震え、というものが、そういう状態でないと発生しないからだ。
そういう状態を作るのは、また保つのは、難しいことであり、そうしょっちゅうは体験できないものだと思う。
心の底から震えてこそ、人は生きていると言えるのだが、残念なことに、僕たちはそのことについてプアな生活をしている。
そのことは、僕たちが自分の生活を省みて、ひとまず認めざるをえない事実だろう。
しかし、と僕はここで、奇妙に気持ちが奮い立ってくる。
事実が事実として、あったとしてもだ。
なぜ僕たちが、いつもいつも、不純物にまみれている自分を、そんなもんだよと甘受して、風潮に隷属せねばならないのか。
なぜ僕たちは、お互いオトコとオンナとして出会って、そこそこ親しくなりながら、連絡など取り合って好感度を高めあいながら、退屈に目を伏せ、満足しているフリをしなくてはならないのか。
そんなもの、クソクラエだ、と僕は思う。
いつもいつもは、自分自身ではいられない、刺激を求めてもキリがないし、個性のままに響いてはいられない、人生そんなものだよ。
なんて、そんなことを言い出したのはどこのどいつだ。
僕は信じない。
そんな、もっともらしさを装った、世間の吐き出す諦観論を、精神の根幹に入り込ませてなるものか。
現時点で、僕たちが生きている空間は、そうだな、抑圧的である、ということは認めよう。
そして、認めたうえで、出来る限り反発しよう。
世間は、僕たちが個性的に、心の底から震えること、そして共鳴しあうこと、要するに愛し合うことに、悪質に抑圧的だ。
その力は、強大で、なかなか抗いがたく、ヘタに抗うとキモい人扱いされるというペナルティを課されたりするわけだが、それでも抗うことを忘れてはいけない。
世間に取り入って、立ち回りに熟練して、空気を読むのが上手くなっても、それがどうしたクソクラエだと、内心で突っぱねよう。
そんなものは、便利なだけで、まったくクソクラエなものなのだ。
空気を読む人は、優秀で、安全だが、空気を作り出すことが無い。
空気を、読んでいるだけだ。
空気を作り出せる人というのは、今ある停滞の空気を切り裂いて、心から震えることが出来て、人を共鳴させられる人のことだ。
あなたは、彼の前に立ち、そういう、空気を作り出せるオンナでなくてはならない。
恋愛モードになる、そんな空気が魔法のように降ってくるのを待つのではなく、あなたがあなた自身の音色によって、彼の心の底の底を共鳴させる、そういうオンナでなくてはならない。
それは、難しいことだし、勇気のいることだ。
挑戦しても、追い風は吹かない。
でも、負けるな。
抑圧に負けるな。
あなたを怯ませる、全ての抑圧を吹っ切って、あなたはただ、あなたの個性の音色を響かせる、無謀で愛しいオンナであってくれ。
……。
うーん。
なんだか、ふと我に返ってしまったけど、アレだ、話がちょっと暑苦しいな。
暑苦しいけど、まあなんだ、そこはガマンしてくれ。
不純物を取り去って、個性の音色を鳴らそうとするなら、この暑苦しさは、どうしようもない僕の音色なのだ。
この音色に、あなたが共感してくれる、と、そこまで厚かましいことは、さすがの僕も考えていない。
しかし、それでもだ、こうして話をしている、僕自身だって結局は、こうやって、自分の個性を、怯えることなく鳴り響かせていくしかないのである。
僕の中には、まず間違いなくこの暑苦しさの個性があるが、この個性は、まったく具合の悪いことに、僕をモテるということから遠ざけていると思う。
僕の個性は、うーん、認めたくないところだが、あんまりオンナにウケが良くないタイプのもののようだ。
(それは、時代のせい、ということにしておきたい)
それでもまあ、ここまでの話のとおり、僕は結局、そのモテにくい個性を、怯えずに鳴り響かせて生きていくしかない。
僕が愛されるには、そうするしか方法がないからだ。
これは僕の場合に限らず、あなたの場合もそうだ。
あなたが愛されるにも、やはり、そうするしか方法は無い。
だからまあ、あなたもそろそろ、モテるオンナから手を離して、これからは、個性むき出しでちょっぴり恥ずかしい、愛されるオンナになっていくのが、やっぱりいいんじゃないかな……
と、僕は思う。
ではでは、そんなわけで、今回の話はおしまい。
またね。