No.104 吉野川の少女 〜恋愛に一番必要な原理〜
28th-Mar, 2007 九折
昔、四国の田舎町に、物見遊山に行ったときのこと。
僕はそこで、一人の少女に出会った。
吉野川の水で育った、頬に若さの薄紅が差す少女。
道を尋ねて、缶コーヒーを飲みながら歩いただけの関係、ほとんどすれ違っただけの関係だった。
僕はその少女に、もう一度会いたい、と申し出た。
少女は困惑した。
困惑は、当然だと思ったが、少女の困惑は、僕が想像していたそれとは違っていた。
かなかなの声が耳に残る、田畑と森の風景である。
「何時に会うん? うち、明日は夕方、親戚の家に行かなあかんき、あんまり時間取れん。それでもええのん?」
少女はいっそ、申し訳ない、という表情さえしていた。
ああ、と僕は少女に胸を突かれてしまった。
なんて、やさしいコなんだ、と目の奥で熱いめまいがした。
単線の駅、あの木造の待合室で、明日会おう。
時間は十時がいいなと言うと、十時は電車ないき、九時四十分でええ? と少女ははにかんだ。
吉野川の少女だけが、永遠に正しいのだ
吉野川の少女が、僕の無茶な申し出に応じてくれた、その理由は何だったろうか。
その理由は、考えれば考えるほど、無い。
理由なんか無いのだ。
少女はただ、僕の望みを受け入れてくれた、純粋にそれだけだ。
少女はそれだけ、やさしい少女だったのだ、としか説明できない。
やさしさの原理で、少女は生きていた、ただそれだけのことであって、それ以上さかのぼって説明することはほとんど不可能だ。
少女が僕の申し出に応じてくれた、その原理は、好奇心や興味ではない。
メリット・デメリットも考えていない。
まして恋心ではありえない。
善意、でさえないだろう。
ただ、やさしさなのだ。
人と人とは、やさしさの原理でつながるものであり、少女はその原理で生きていた、ということだ。
あなたの場合はどうだろうか。
あなたは何の原理で生きているだろうか?
最近多いのは、メリット・デメリットの原理で生きている人だろう。
プロフィット・ロスの原理と言ってもいい。
元気なフリをして、精神の根っこが疲れ果ててしまっている人は、たいていそういう合理的な発想に活路を求める。
合理的に、うまく立ち回り、ストレスを避け、エンジョイだけを得ようとする。
まあ、合理性というのは、精神性を必要としないから、精神が弱った人は、そこに逃げ込むしかないのかもしれない。
しかし、本質的に貧弱だ。
貧弱さの中に、いつだって救いは無い。
人が人とつながろうとするとき、メリット・デメリットを考えていても意味が無い。
あなたにとって、メリットのある人なんて世の中に一人もいない。
あなた自身も、誰かにとってメリットのある人ではない。
そういう発想は、不毛なのだ。
その人が自分にとって楽しいか楽しくないか、ウザいかウザくないか、そうやって発想してしまうのは精神の衰弱である。
そうやって、人と関わるときに、人の価値を値踏みしてしまう原理が染み付いてしまった人は、絶望している。
絶望する理由の一つは、自分が冷酷であること、やさしさを失っていることを心のどこかで知っていて、その自分を軽蔑するからだ。
そしてもう一つには、人の価値を値踏みするにして、自分自身も他人にとって価値が無い存在だということを了承せざるをえないからだ。
そのあたりは、一括して、貧弱で不毛な発想だ、としか言いようが無い。
ドブに捨てていい、クソみたいな発想だ。
あなたは、吉野川の少女より、自然に人に愛される自信があるだろうか。
人と人とが結合する原理は、やさしさだ。
だから、やさしさの原理で生きている者に、そうでない者は一生勝てない。
吉野川の少女だけが、永遠に正しいのだ。
せめてワードローブをきれいに組み立ててやろうと思った。
しみじみ考えて自覚せざるを得ないのだが、僕はオトコであって、どうしようもない生きものだ。
かわいいコに会うと、抱き寄せたくなるし、抱き寄せたら乳房に触れたくなるし、首筋のやさしい甘さを舐めてしまうと、もうベッドに連行したくてしょうがなくなる。
これは僕がオトコである以上、どうしようもないことだ。
僕はオトコとして、そのどうしようもなさを受け入れてくれるやさしいオンナを求めるしかないのだ。
そしてまったくありがたいことに、やさしいオンナというのは実際に存在する。
やさしいオンナのほうが世の中には多いし、どうも日本の場合、やさしいオンナが実は大半を占めているのではないかという気がする。
それは、僕の女運が最強にいいだけなのかもしれないが、そうであったとしても、まあ僕は僕の触れ合うオンナのことだけを考えていればいいだろう。
オンナたちはやさしいのだ。
表面上は逆を装っていたりもするが、本質的にはやさしいオンナばっかりだ。
そうでなければ僕はとっくの昔に絶望してダイナマイトで自殺していただろう。
少なくとも僕の周りはやさしいオンナばっかりで、例えば僕はこんな体験をしている。
やさしいオンナの話をしよう。
「無性に会いたくなった、寂しくて苦しい、なんとかしてくれー」
あるオンナに電話をかけて、いきなりそんな泣き言をぶつける。
無性に寂しい夜というのは誰にでもあるものだろう。
僕の泣き言を受けて、困った人だねえ、と彼女は笑い、今すぐおいで、と言ってくれた。
彼女は部屋を大急ぎで片付けて、僕を迎え入れて、晩御飯を作ってくれたりするのだ。
いつの間にか、小さな灰皿が買ってあったりして、僕はこっそり感激したりもする。
ご飯を食べさせてもらって、気持ちがふにゃふにゃと溶けてきてしまうと、もうとことん自分勝手に甘えてしまう。
甘えさせてくれ、と臆面もなく漏らしてしまうわけだが、彼女はそれを、あはは、わかってるよ、と受け止めてくれる。
彼女は何も言わず、ひざまずいて愛撫を始めてくれたりするのだが、そこまでされるとさすがに僕でさえ、申し訳ない気分になってくる。
なあ、こういうの、ホントにイヤじゃないの?
今さらそんなことを訊ねても、恥の上塗りなのだが、訊ねてしまう。
「あはは、なに遠慮してんの。らしくないじゃん」
彼女はそう言って笑う。笑うと、唾に濡れた口元が、いやらしくてやさしい。
そうだね、イヤじゃないんだよね、自分でも不思議だけど。
彼女はそう言って、愛撫を再開する。好きにしててと伝えるふうに、僕の背中をとんとんと叩く。
そうまでされると、僕はもう何も言わず彼女の与えてくれるやさしさと快楽をむさぼるしかない。
圧倒的なやさしさが、快楽とともに与えられると、深く大きな感激を体験する。
こいつはいったいどうなってるんだ、なんてやさしいやつなんだ、と胸が熱くなる。
口の中に果てて、彼女がそれを受け止めてくれたころには、さっきまで抱えていた寂しさは、はるか遠くに消え去ってしまっている。
救われてしまった、という実感が、煌々と心に残る。
彼女は僕の汗を拭いてくれたあと、机に向かってレポートをやり始める。
通信教育のレポートで、今日中に郵送しなくてはならないものらしい。
彼女はひとつ、別の話を切り出した。
「あのさ、ひとつお願いしていい?」
彼女のお願いは、通信販売で買ったワードローブ、その組み立てをやってくれないか、という話だった。
お安い御用だ、と僕は引き受けた。
「ホントに? ありがとう、助かる。やさしいね」
彼女はそう言って、顔をくしゃっと崩してピースサインを見せた。
やさしいのは誰だよ、と僕は真剣に首を傾げるが、もう何も言えない。
せめてワードローブをきれいに組み立ててやろうと思った。
そういう作業は、苦手ではなかった。
やさしいオンナは、何のメリットも考えない
やさしいオンナの話をしたのに、自慢話になってしまった。
モテないオトコにひがまれてしまう。
モテないオトコにひがまれると、なぜだろうな、女運がグッと上がる。
多分、モテない人の女運を吸収しているのだと思うが、まったくありがたい話なので、僕はモテないオトコのひがみにいつも感謝している。
僕も元々、素質としてモテるオトコではないのに、それでもこれだけいいオンナといい時間を体験できているのは、ひがんでくれるオトコたちのおかげなのだと思う。
ありがとうね。
(カミソリとか爆弾とかを送り付けないでね)
一方で、この手の話は、一部女性陣からの攻撃を受けるとも思う。
これは単なるオトコのエゴイズムだ、サイテーな鬼畜オトコだ、蹂躙されているオンナが気の毒だ、というような論調でだ。
うーん、そう言われると、そのとおりかもしれない。
少なくとも、僕は自分を上等なオトコだと自己弁護する気にはなれない。
僕にはそもそも、自己弁護する理由自体が無かったりもするのだけど、うーん、多分このあたりは伝わらない人にはどう話しても伝わらないだろう。
まあだから、このあたりでご立腹の方がいたら、その方は、蹂躙されないように気をつけながら生きていってください。
(としか言いようが無い)
さてそれはいいとして、話の続き。
先に言ったように、僕はオトコであって、どうしようもない生きものだ。
やさしいオンナにすがるしか、生きていく方法が無いし、実際にそうやって生きている気がする。
そして僕が今話しているのは、僕のエゴイズムについての話ではない。
世の中には、実際にやさしいオンナがいて、そういうオンナは僕のエゴイズムを拒否せずに受け入れてしまう、という話だ。
やさしいオンナは、何のメリットも考えず、ただそのやさしさだけで僕を愛撫してくれるのだ。
オンナは偉大なのだ。
オンナの持っている、やさしさの器量は、オトコのそれとは大きさがまったく違うのだろう。
うーん、この話、そろそろ一部の女性陣に金属バットで殴られそうな気もするな。
それでも、それが僕の事実としての体験なのだから、どうしようもない。
僕はオトコとして、どうしようもない生きものとして、エゴイズムのままにオンナを求める。
やさしいオンナは、やさしさだけでそれを受け入れてくれるのだ。
僕はそれに感激する。
感激を経て、やさしいオンナは、僕にとっての天使になる。
オンナが天使になり、オトコが天使に触れたとき、僕たちは初めて寒々しい日常から離脱することが出来る。
恋愛とは、そういうものだと僕は思っている。
あなたはどうだろうか?
いい人を装うオトコは、女性不信のままに、女性を求めている
世界でもっとも残念なオトコは、人畜無害を装うオトコだ。
いい人を装い、安全性とホスピタリティでオンナの歓心を買おうとするオトコだ。
そういうオトコは、もう何の見込みも無い。
ファッションをキメキメにして、ダンスとサーフィンとスノーボードをやって、さらには動物好きをアピールしたりして、とにかくオンナの歓心を買おうとするが、根本的にウソをついているので、目の奥の光がみすぼらしい。
まともなオンナは、そういういかがわしいオトコを一撃で見抜くものだから、もうなんというか、とにかく見込みが無いのだ。
オトコというのは、何度も言うように、どうしようもない生きものだ。
中学生の頃からオナニーに耽り、成人以後も変態チックなアダルトビデオを観たりする、しかもエスカレーターで女子高生の短いスカートに目を引かれたりする、そういうどうしようもない生きものなのだ。
そこまで果てしなく、どうしようもない生きもののくせに、人畜無害のいい人を装うなんて、正気の沙汰とは思えない。
しかも、いい人になりたいのであれば、さっさと出家するなり神父になるなりすればいいのに、そこまでの意志があるわけでもないのだ。
いい人のフリをして、オンナに近づき、隙を突いてウッシッシになりたいと企むなんて、いったいどういう思考回路をしているのか。
一言で言って、そのやり方は「詐欺」でしかないし、しかもその詐欺はオンナたちにはバレバレなのである。
そういうオトコは、なぜ実際に多数存在し、オンナの周辺をうろついては、オンナたちを失望させているのか。
なぜ、オンナを口説きもせず、抱き寄せもせず、抱きたいと訴えかけもしないのか。
それは、オトコたちが自信を失ったからだ、とよく言われる。
よく言われるが、僕の見るところ、それはもう自信の有無というようなヌルい話ではない。
それはもう、一言で言って、女性不信なのだ。
オンナのやさしさを信じられないのである。
自分がオトコとして、抱きたいと訴えかけると、オンナに軽蔑されて罵られて、ズタズタにされると思っているのだ。
いい人を装うオトコは、女性不信のままに、女性を求めているわけである。
女性の不興を買うことが無いように、いい人を装って接近し、その後で何かいいことが上手い具合に起こることを祈っているのである。
そういうオトコは、とにかく見込みが無い。
女性不信を自覚して、そういう自分をみっともないと心底から恥じるまでは、そういうオトコは決して愛と快楽を得られないだろう。
オトコの性根を信じられないうちは
あなたは本来のやさしさを発揮できない
オトコが女性不信を加速する一方で、それに比例する具合に、オンナの男性不信も加速しているようである。
オトコはオンナのやさしさを信じられず、オンナはオトコの性根を信じられない。
どういうことかというと、例えばまず、人畜無害を装った「かわいい君」みたいなのがいたとする。
そういうオトコが、クラブイベントで銀座のホステスさんと出会って、なんとなく仲良くなったりするわけだ。
かわいい君は、育ちがよく、また世間にすれてもいないので、ホステスさんの心を微妙に捉えてしまう。
お店に来る、奥さんにないがしろにされているおっさんたちの低俗さには、毎日嫌気が差しているけど、この彼はそういうオトコではないかもしれないわ、と希望を感じてしまうのだ。
そんなこんなで、かわいい君とホステスさんは、お食事をする機会などを重ねる。
その中で、ホステスさんは飲み癖がついているので、ついつい酔っ払ってしまい、帰りはタクシーに乗って、結局二人で彼女の部屋に流れ着いたりしてしまうわけだ。
ホステスさんは、酒の勢いもあり、普段は話せないこと、弱音めいたことを彼に打ち明けてみたい、話を聞いて欲しい、と内心で泣いていたりする。
しかし、かわいい君にはそんな機微を読む力は無いので、シチュエーションを早とちりして、彼女を押し倒してしまうだろう。
そのときホステスさんは、ちょっと待ってよ、やめてよ、と持ち前の気性の強さで彼を叱り付けてしまう。
かわいい君は、ホステスさんの拒否を押し通すまでの気迫はもちろん持っていないから、あっさり引き下がり縮こまるが、内心ではものすごくガックリする。
かわいい君は、ガックリきながら、ここまで来ておきながら、怒られてしまった、軽蔑されてしまった、オンナの人ってよくわからないなあ、と自信を喪失してしまう。
今日はもう、帰ってよ、とホステスさんはかわいい君を追い出してしまうかもしれない。
その後、自信を喪失した彼は、彼女に連絡を取らなくなってしまったりもする。
その後、二人が経験から何を学び取るか。
かわいい君は、「オンナってわからない、怖い」ということ。
ホステスさんは、「オトコって結局やりたいだけなのね」ということ。
これは端的な例だが、似たような構造で、オトコの女性不信とオンナの男性不信がお互いを加速する、というようなことが起こっている。
オトコはオンナのやさしさを信じられず、オンナはオトコの性根を信じられないのだ。
うーん、暗くなるなあ。
人と人とは、やさしさでしか結合できない。
オンナのやさしさは、オトコの十倍の器量があるから、オンナがやさしくないとオトコとオンナは結合できないのだが、オンナがやさしくあるためには、まず男性不信が解消されていなくてはならない。
吉野川の少女が、もし男性不信だったら、彼女は僕に関わらず、さっさと走って逃げていただろう。
レポートを仕上げる時間を割いて、僕を迎え入れてくれた彼女も、もし男性不信だったら、「風俗にでも行けば?」と僕を冷たく傷つけて自分さえも傷つけていただろう。
オンナが男性不信であるうちは、どうにも恋愛はやりようがないのだ。
あなたがもし、どうにも恋愛ができない、恋愛をやってもまったく健やかに関係が育たないということであれば、まずこのことを疑わなくてはならないだろう。
オトコの性根を信じられないうちは、あなたは本来のやさしさを発揮できない。
それは悲しいことだし、あなたが責められた話ではないが、あなたは結局自力でそれに立ち向かうしかないのだ。
余談だが、ここでの話は、ホステスさんという呼称を用いてしまったが、これは話をわかりやすくするためだ。
実際、ホステスさんの中には深刻な男性不信を抱えている人が多いので、いくらか心苦しかったが、サンプルとして持ち出してしまった。
たまたまこれを読んで、気分を悪くしたホステスさんがいたら、それは申し訳ない。別にこれは、ホステスという職業を軽蔑しての表現ではないことを申し上げておきたい。
ただやさしさを開放するだけで
あなたの表情は変わるし声色も変わる
そろそろ話を整理しよう。
人と人とは、やさしさでしか結合できない、という話。
やさしさの原理でしか、恋愛はやれない、という話だ。
やさしさの原理が信じられない人は、男性不信なり女性不信なりに陥っている。
そういう人は、別の原理を当てはめようとして、メリット・デメリットの原理を持ち込んでみたりするのだが、それも結局不毛、行き着くところは絶望である。
悲しいことだが、この不毛さが、現代の趨勢でもある。
やさしさの原理を喪失し、不信の中で別の原理を探している、その不毛な状態が僕たちの生きる現代だということだ。
この不毛な状態について、世間はいろいろ言うが、世間の言うことはどうせ全部ウソだ。
結局、やさしさの原理しかないのだ。
吉野川の少女が、永遠に正しいのである。
あなたは今、吉野川の少女にはなれないかもしれないが、あなたに素質が無いわけではない。
素質は、あなたにちゃんと生まれつき備わっている。
後は、あなたがそれを信じるかどうかだ。
世間があなたに何を刷り込もうと、あなたの本質は変わらない、あなたもきれいな水で育った、果てしなくやさしい一人の少女だ。
やさしさの原理に基づいて、恋愛ということを素直に見てみる。
まず生きものとして、オトコはオンナを求めるものだ。
オンナはそれを受け入れる側である。
オトコはオンナを求めるとき、性根を晒して求めなくてはならない。
オトコの性根はわがままだから、それをごまかしてはいけない。
わがままな性根をごまかさないということは、放置するということではない。
ただでさえわがままな性根だから、放置していては腐敗してしまう。
オトコは常に、自分の性根に腐敗臭がないかどうかを自分に厳しく確かめていなくてはならないし、オンナは腐敗臭がするオトコの性根には頑としてNOを突きつけなくてはならない。
オトコは活きのいいわがままな性根を晒して、オンナを求めるのだ。
オンナはやさしさでそれを無謀に受け入れてしまう。
その無謀なやさしさは、天使のそれであり、オトコはそのオンナの向こうに神々しさを見る。
天使になれたオンナと、天使に触れられたオトコは、手をつないで空を飛ぶ。
恋愛とは、それだけのことだ。
大事なことは、二人でやさしさの原理を営む、ただそれだけのことなのだ。
やさしさの原理が正しく営まれれば、恋愛はときに一瞬で爆発的に進行する。
「もう一度会いたい」
「はい」
その応答だけで、二度と失われぬまでに強靭に結合するということが実際にある。
僕はあなたにも、そういう恋愛の中を生きていってほしいし、そのためにやさしいオンナであって欲しいと思う。
あなたには、その素質があるのだ。
あなたが今の自分を捨てて、世間の刷り込みに耳を閉ざせば、回復されるあなたの本来性は、一人のやさしい少女である。
あなたの中に住んでいる、本来の一人のやさしい少女だけが、永遠に正しいのだ。
あなたもきっと、ごく近いうちにでも、オトコに誘われることがあるだろう。
もう一度会いたいと、そう言われたときには、メリット・デメリットを考えず、ただ最高のやさしさで受け入れてしまってほしい。
それだけで、あなたの恋愛の風景は劇的に変わる。
何のテクニックを凝らさなくても、ただやさしさを開放するだけで、あなたの表情は変わるし声色も変わるのだ。
やさしいオンナのやさしさは、一瞬触れ合っただけでも相手に鮮烈に伝わってしまうものなのだ。
やさしいオンナになってしまったあなたに、いつか僕が出会ったら、僕はどうしようもなくあなたを抱き寄せてしまうだろう。
そのときは、やさしく受け入れてくれてもいいし、やさしく拒絶してくれてもいい。
何にせよ、僕はあなたに感激するよ。
(可能であれば前者を希望ね)
ではでは、またね。
[了]