No.111 恋愛芸、腕次第
恋愛にノウハウはない。
技術もないし、テクニックもない。
あるのは「ウデ」だけだ。
ウデのあるオンナは、オトコをときめかせるし、ウデのないオンナは、オトコを興ざめさせる。
同じシチュエーションで、同じ服を着て、同じセリフを吐いたとしても、それが二人をあたためるかどうか、二人をあっち側に連れていってくれるかどうかは、どこまでいってもウデ次第ということになる。
恋愛の全ては、ウデのあるなしで決まる。
それ以外には何も無い。
これはどういうことかというと、恋愛はお勉強ではないということだ。
恋愛は、芸事なのである。
サイトの副題に、エンターテイメントという言葉を冠しているのはそのためだ。
恋愛を芸事と捉え、大事なのはウデと考えることで、あなたは恋愛を正しく観ることができる。
芸事のウデというのは、お勉強することができない。
解説することもできないし、研究することもできない。
ノウハウもテクニックも無いのだ。
ウデというのは、ただ磨くものである。
世の中に出ている恋愛論の全てがうすら寒いのはそのためだ。
「彼女が髪を指で 分けただけ それがしびれる仕草」
サザン・オールスターズの名曲、「栞のテーマ」の冒頭。
この名句は、ウデのあるオンナの極みについて、一句で見事に表現しきっている。
髪を指で分けるのは、ノウハウでもテクニックでもない。
その仕草にオトコがしびれる、そのことに理論はない。
恋愛は芸事、ウデ次第の芸事なのだ。
あなたは恋愛について勉強してはいけない。
恋愛についてウデを磨かなくてはいけない。
若いオンナのコたち、ウデを磨くなら今のうち
芸事と、そのウデについては、単純にテレビのお笑い芸人を観ているだけでわかる。
お笑いの要素は、ネタの面白さや、ボケとつっこみの息の合い方、間の良さなどで構成されているが、実際のところそういう分析には何の意味も無い。
間のよさと言っても、それが何秒なのかストップウォッチで計測されているわけではない。
結局、客を笑わせるかどうかは、その芸人のウデだけなのだ。
古典落語なんか典型的だが、同じネタを同じようにやっても、ウケる人とスベる人がいる。
ウデの違いだ、としか言いようがない。
あなたも恋愛においては同様だ。
色恋沙汰の芸事では、オンナのウデだけがものを言うのだ。
リズリサを着て、夏祭りの帰り道、わたしのこと好きにしてと迫ってみても、「いやけっこう」とあしらわれることもある。
ユニクロのスウェットで健康サンダルを履いて、酔っ払って寝てしまっても、大事に想われるオンナは大事に想われるのである。
ウデの差だ。
いつかの夏の夕暮れに、ガード下でカキ氷をおごらせてくれた、うっちーというオンナがいた。
また夏が来るが、彼女は元気にしているだろうか。
グレーとゴールドのボーターストライプ、そのシャツ似合うね、と彼女に言ったら、下着とおそろいなの、なんて彼女はチラッと見せてくれたけど、あれは彼女、全部わかってやっていたと思う。
まったく、そういういけないことをするいけないコは、オレは、大好きだ。
オーディションに受かったら、彼女はまた連絡をくれると思う。
わけのわからない話をしてしまった。
恋愛は芸事で、そこにあるのはオンナのウデだけだ、という話だ。
しかるに、合板のテーブルで女同士会議している、「オトコってさあ」とか「あーわかるわかる」とか「彼ってアレらしいよ」とか、そういう談義はまったく無意味になる。
そんなことで、ウデは磨かれない。
そういうオンナには会いたくもないな。
若いオンナのコたち、ウデを磨くなら今のうちだよ。
オンナ心はけしからんピンク色に
オンナのウデを磨きたいあなたは、まず精神の中からクソマジメを抹殺することだ。
芸事というのは万事、マジメそうなふうを装っていても、内心がエヘラエヘラしていなくては成立しないのである。
その意味では、外見を崩してゆるい人を装って、内心はクソマジメというのが一番いただけない。
大学のダンスサークルなんかによくいるが、外見だけストリート系のファンキーに仕上げてあるのに、友達の彼氏を好きになっちゃったけどどうしようこれって裏切りなのかな、みたいなことをクソマジメに考えるオンナはダメだ。
六本木なんかによくいるが、典型的に夜のオンナなのに、彼氏のことはけっこう束縛しちゃうし浮気とかされたらすごく傷つくと思う、なんてクソマジメに考えるオンナもダメだ。
クソマジメというやつは、オンナのウデを殺してしまう。
こないだのデートでちょっとそれっぽいムードになったけど彼はわたしのことをどう思っているのかしら、なんてマジメに考えていたらダメだし、なんてわたしはダサいのかしら、この自分を脱出するためにはどうやって努力を積み重ねていけばいいかしら、なんてマジメに考えていてもダメだ。
内心を、もっとエヘラエヘラさせよ。
身だしなみを整えて、マナーを守って敬語を使いこなし、オンナ心はけしからんピンク色に染めるのだ。
空がやたらに青かったあの日、彼女は行商から瓶入りのコーラを買った。
あのときはまだ、僕もあきらかに若かった。
「半分、飲む?」
「あ、うん」
「あたしの飲みさしだから、高いよ」
あのコの名前が思い出せない。
本名だったかどうかもよくわからない。
ちゃんと名前を聞いてメモしておけばよかった、なんて思わない。
無理にでもお願いして、一晩抱かせてもらえばよかった、と思う。
ウデを磨くのに必要なのは、まず何より素直さだ
クソマジメなオンナはダメだ。
なんとなくダメだ、と本人もわかっていることが多いが、それでもあえてダメだと言わせていただく。
クソマジメというのは、アレだ、アタマが固いだけだ。
そういうオンナは、心のフタを外せないし、昨日の自分と違う感性を持てない。
そういう硬化は芸事において最悪だ。
背筋を伸ばし、アタマはゆるく。
それが芸事に向かう心構えだ。
わからない人は一生わからないけどね。
さて、恋愛は芸事で、そのウデを磨きましょうという話だが、オンナのウデはどうやって磨かれるだろうか。
わかりやすい方法としては、実践を重ねまくる、というのがある。
合コンにいきまくり、クラブでナンパされまくり、オトコからオトコを紹介してもらい、気になるオトコと一通り寝てみる、というようなやり方だ。
これで実際に、デキるオンナになる人もいる。
が、これはアレだな、リスクが高い上に、本人の才能に左右されるな。
宮本武蔵みたいな修行方法だ。
才能がないと、スタイルのないグダグダのくたびれたオンナになる、そしてそういうオンナは夜の街にうじゃうじゃいるから、まあこの方法はあまりオススメできない。
オススメできる方法はなんだろうか。
そんなものはないかもしれない。
ないかもしれないが、実際にあるのは、師に教わるということだろう。
師というと大げさだが、単なる友達とは違う、敬服する相手、というような存在だ。
例えば、ここに十八歳のダサ子ちゃんがいたとする。
ダサ子ちゃんは、ダサいけど素直で、それによって愛されて、まずおしゃれな先輩に可愛がられる。
ダサ子ちゃんは、何を教わるわけでもないのだけど、一緒にいるうちに、いつの間にかその先輩のセンスを受け取るものなのだ。(精神が素直だからだ)
そうしておしゃれが出来るようになったダサ子は、何人かのオトコにアプローチされる。
ダサ子ちゃんはまだバカだが、まだ素直で心がやわらかいので、初めは遊び相手のつもりだったナンパオトコも、いつの間にかまともに彼女のことを可愛がり始めてしまう。
しかしダサ子はダサ子なので、付き合い始めると何かと気が利かないし、無自覚に無神経だ。
「オレ、お前のそういうところ、マジ切れそうになるんだけど」
ある夜、彼はいらだたしげに、そうダサ子を罵る。
ダサ子はショックを受ける。
でもダサ子はまだ若い。
泣きながら謝って、その単純な素直さに、彼も苦笑して和解してしまう。
ダサ子はその夜、自分のささいな至らなさこそが、本当に人を傷つけるということを、心の中枢で学習した。
ダサ子はその夜から、人に気持ちを向けるオンナになってゆく。
「もっと力抜いて、腰だけで、そう、リズム取って」
彼とダサ子の関係は、いつの間にか深まっていて、彼は親しさをもってダサ子を教育する。
ダサ子は彼を信頼している。
ダサ子は変化していく。
ある日ダサ子はアルバイト先で、気が利くようになったね、と褒められる。うきうきした帰り道、彼に呼び出されて、また彼に抱かれると、お前すっかり上手になったよな、と今度は彼に褒められる。
ダサ子は自信を手に入れる。
ダサ子は彼に、性的な奉仕をする、そのことに心のぬくもりを覚え始める。
バイトに行く前、メイクを整える、そのときに引き締まる心が気持ちよくなってくる。
バイト先では、新人の教育係に任命され、バイト先のチーフに思いがけず告白されたりする。
チーフの告白は真剣で、ダサ子はそれに心を打たれ、彼に何かを与えたいと心を熱くした。
ダサ子が与えられるのは、オンナとしての自分自身だった。
何回目かの秋が来て、ダサ子は彼と別れる。
チーフとも連絡を取らなくなった。
後輩が仲間内のトラブルについて相談の電話を掛けてくる。
飲み会で知り合ったオトコから、メールは来るけれど、堂々と誘ってこないから、それが来るまでは放置することにした。
後輩はダサ子を尊敬しているらしかった。
ダサ子は苦笑している。
いつものメンバーが、いつもの部屋でグダグダの酒を飲んでいる。
「わたしも昔は典型的なダサ子だったよ」
と、彼女は片膝を立てて笑って言った。
向かいの彼からは、下着がギリギリ見えているかもしれない、でもアイツは多分口説いてこないわね、つまんないわと内心で口笛を吹いている。
……とまあ、こんな具合だ。
こんな具合に、オンナがウデを磨いていく、それが世の中の実際のところだろう。
知らず知らず、単純な友達とは違う誰かに、教わったり叱られたりして、修行を重ねているものなのだ。
この修行を経ていないオンナは、どれだけ努力しても、そのままではウデのあるオンナにはなれない。
素直さを残したまま、誰かを信頼して、深い付き合いの中で教育されていく、その過程を経ないとウデのあるオンナにはなれない。
このことは、残酷なようだが、実際そうなのだ。
だから面白いことに、いい年をしてダサいままのオンナは、心根に素直さが無い。
これは本当に、面白いまでに的中するから、周りにいるダサいオバサンをじっくり観察してみるといい。
ウデを磨くのに必要なのは、まず何より素直さだ。
素直さをなくして、アタマを固くして、昨日の自分の感性にしがみついてたら、まあオンナのウデなんていつまでも手に入らないだろうと思うよ。
オトコを罵りながら、いたわりもするなんて、彼女のウデは一流だ
「あなたは何も悪くないんだよ」
と彼女は言った。
「ただわたしが、やりきれなくなって、どうしていいかわからなくて、あなたを罵ってるだけなの。罵りたくて罵っているだけなの」
海の向こうに生々しい夕焼けが光り、風景の全てが赤紫に染まっている。
「しかもね、わたしがこうして最低に罵っても、あなたは結局許してくれるって、そのことまでわかってやってるんだよ。卑怯でしょ? わたしって本当に卑怯なんだよ。ごめんね」
彼女の涙は、もはやただの混乱の通り雨というふうにさらさらと流れていたが、おいもうティッシュ無えよ、二袋使い切ったぞと言うと、彼女はあははと笑った。
「わたし、この気持ちを、ただあなたにわかってほしいだけなんだよ。だから謝らないで。悪かった、なんて思わないで。あなたはただ、わたしを救おうとしてくれた、それだけだったんでしょ? わたしはあなたに救われたよ。だからあなたは何も悪くないんだよ」
「その割には、お前かなりひどいこと言ってたぞ。死ねとか」
「あはは、そうだっけ? ごめんね。でも死ねって思った。死んだらヤだけど」
「じゃあ半殺しで許してくれ」
「あは、そうだね。半分殺して、半分愛してあげる」
「愛してないってさっきは言ってたぞ」
「それはウソに決まってんじゃん。愛してるよ。愛しちゃってるのが、自分でヤなんだよ」
神戸の街には本当に霧笛がこだまする。
普段はやかましいだけのその音が、このときはいっそわざとらしく、黄昏時を切なげな景色に演出してみせた。
オンナのウデとはなんだろうか?
いろんな側面があると思う。
視線を重ねて、ニコッと歯を見せ、かわいい声で名前を呼んで、仲良くしようねと体温で迫る。
忍ばせた香水と色気の言葉、あとは大胆なチラリズムで、彼の正気を少しずつ剥ぎ取る。
そういうのがオンナのウデだが、その中でも一番大事なのは、人の心がわかること、ということになってくるだろう。
ここは結局、恋愛芸の基本であり奥義になる。
人の心なんて、絶対わかるわけがない。
そのことは事実なのだが、その一方で、世の中には確かに、人の心がわかる人とわからない人がいる、そのことも事実だ。
このところの事実を、あまり精密に議論しても意味が無い。
おそらく、ここはわからなくてはならないとか、ここはわからなくて当たり前とか、そういう区分けがあるのだ。
その中で、わかるべきをわかる人、わかってほしいことをわかってくれる人を、人の心がわかる人、と僕たちは感じるのだ。
人の心がわかる人。
そういう人と、深く付き合っていくと、どこかの大事なワンシーンで、その人は「やさしい人」になる。
ああこの人は、やさしい人なんだ、そう実感するとき、僕たちの心は無邪気に泣く。
あの時あの場所で、少ない言葉で僕を罵る彼女は、切なさと混乱の極にありながら、それでも人の心がわかるオンナだった。
オトコを罵りながら、いたわりもするなんて、彼女のウデは一流だ。
思い切り泣きながら、笑ったりして、独りよがりにもならないで、僕に思いやりを向けた彼女。
やさしいオンナだった。
いいウデしてるよ。
そう言ってやればよかったかな。
よけいな、お世話か。
新しいマニキュアを塗って、学級委員の声を聞き流せ
恋愛における、全ての愚痴と全ての悩みは、次の一言で解決する。
「ウデを磨きなよ」
実際それ以外に解決はないのだ。
オトコもオンナも、お互いにウデを磨こう。
一芸は諸芸に通ず、と言う。
恋愛は芸事で、他の芸事と同じだ。
迷ったときは、自分に黄色のスポットライトを当てなおすことだ。
芸事には拍手がつきもので、あなたはただ、舞台で拍手喝采を受けられるような、粋でウデのあるオンナを目指せばいいだけのことだ。
あなたもいつか、友達から、
「最近なんか、超モテてない?」
と冷やかされることがあるだろう。
そのときあなたは、手のひらで、手首から肘までの間、二の腕の部分をポンポンと叩き、
「ここの違いよ」
と不遜に笑ってみせればいい。
そのときは気持ちいいぜ。
芸事という視点で考えれば、気持ちいいということが何より大事だ。
やってて気持ちいい、観てても気持ちいい、うらやましくなる、思わず拍手したくなる、ウデのある芸事とはそういうものだ。
そう考えると、最近はどうも、気持ちのいい人が減った気がする。
最近の若いコたち、きれいで優秀で、努力を怠らず精神も強いのだけどね。
野暮な人は増えたように思う。
クソマジメなオンナなんて、何を話しても聞き流されるだけだ。
きれいで優秀で、努力を怠らなくても、クソマジメでは所詮学級委員である。
学級委員には下着姿が似合わない。
学級委員に恋をするオスなんていないのだ。
恋愛は芸事で、芸のウデは遊び心の向こうにある。
必要なのは、遊び心と素直さだ。
生足を見せろといわれたら、タトゥーを貼って超ミニスカートを穿いてくる、それぐらいの素直なおバカでないと、オンナのウデなんて身につかない。
自分を修行させてくれる、教育してくれるオトコとオンナに、勇気を持って付き合っていくことだ。
粋な人を探して、素直にしごかれてしまえ。
あなたにオンナのウデが身につくなら、先輩にタバコを教え込まれても、オトコにひと夏のセフレにされても、まあ別にいいではないか。
新しいマニキュアを塗って、学級委員の声を聞き流せ。
退廃と背徳の中を涼しく生きて、人の心がわかるオンナになれ。
おっぱいを押し付けてオトコを籠絡して、やさしい人にはあなたを与えろ。
恋愛にノウハウはない。
技術もないしテクニックもない。
あるのは「ウデ」だけだ。
僕は今まで、いろんなオンナに会ってきて、彼女らにいろんなステキな記憶をもらってしまった。
退廃と背徳を、そこそこに味わってきたし、今もまあ、片足はその中に入ったままだ。
僕は蒸留水よりオンナの背中の汗が好きだ。
やさしいオンナに手際よく籠絡されて、そのウデの良さに感服する、やられた、と首を横に振る、そういう瞬間が好きだ。
これからまさに、そういうのが楽しい季節になる。
ウデを磨くのにはいい季節だ。
オレはもうこの年だし、ほどほどにしとくけど、あなたはまだ若いんだから、ほどほどにしなくていい。
好き勝手やれよ。
じゃ、そんなわけで。
またね。
[了]
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