No.117 かわいいあなたのレイプ願望
まともな鶏肉を食わせる店を探しながら、坂道を下っていたときのこと。
レイプ願望あるんでしょ?
と僕は訊ねた。
空気が冷たすぎて、夜のアスファルトは水に濡れたように黒かった。まだ十代の彼女は、ませた絹肌でハッとしたような顔でこちらを見て、すぐに諦めたようにコクンと頷いた。素直でかわいい女だった。心がとびきり敏感で、それでも人を想って決して独りよがりにならない女、育ちのいいやさしい女だった。
別に本当にレイプされたいわけじゃないんだよな、レイプ願望って。安心感の中で、踏みにじられたいというか、むしろ安心して踏みにじってもらうために、やさしい男でなくちゃダメだとか―――
彼女の呼び名はギンといった。銀細工の才能があり、その才能をノルウェー人の銀細工職人に熱烈に見初められ、半ば強制的に弟子入りさせられたからだ。本当の名前を僕たちは知らない。知らないし、ギンはギンという名が良く似合っていた。ギンの作った銀細工は、作った初日からガンガン売れた。銀細工職人になるの、と訊ねると、わからない、といつもギンは応えた。
セックスさせてもらって、よろしいでしょうかって、こすい同意を求められるのがイヤなんだろ? こちらの具合を伺ってくるような、チープなやさしさというか、野暮ったいほど良心的というか、そのことにギンは興ざめするんだろ。
僕がそのように身勝手に話すと、そう、そのとおり、良心的なのは困る、とギンは笑った。
良心的だと、あたし堕ちられないじゃない? 堕ちなきゃセックスって、だめ、トモダチになっちゃうし、トモダチとセックスするのはいや。
ギンはさ、オナニーするとき、レイプされるシーンをイメージして、オナニーしてるんじゃない? 多分そうだと思うけど、それって別に普通というか、異常なことじゃないし、悪く言うなら、結構誰でもそうというか、そういう女ってすごく多いから、あんまり気にすることないよ。
このときギンは、素直に驚いた様子で、それ本当? と僕に問いただしてきた。本当だよ、そういう人多いよ、と僕が応えると、そうなんだ、うわあ、よかった、とギンは深いため息をついた。ギンは意外なところがウブなままだ。あたし自分だけ、頭おかしいのかと思ってたよ、と彼女は本当に胸をなでおろした様子だった。
あたしさ、本当にレイプする男って、ただのクズだと思うよ。さっさと捕まえて、重石をつけて海に沈めればいい、って本当に思う。だって、そういう男って、レイプしたあと逃げるじゃない? 逃げるのは汚いよ。逃げずにそのまま、逮捕されて懲役食らうのも結構、女に刺されて血まみれになるも結構、それでも自分はこの女とヤリたいって、そういう後先考えない覚悟でレイプするなら、話としてわからなくもないんだけどね。人間だって、生きものとしてみればそういうものだと思うし。でも、そんな男いないし、逃げるのはとにかく汚いよ。
後になってギンは、ごめんね、この話、他の誰にもできなかったから、と照れくさそうに舌を出した。それぐらいギンは、いつもの彼女にないほど饒舌に話した。彼女の声はハスキーで、空気を深く揺さぶるような不思議な声だ。冬によく似合う声かもしれない。
路地裏では見知らぬ二人が慣れない乱暴さでキスしていた。
ギンはさ、男が自分を求めてきて、その男の意志がなんというか、切断的というのかな、無慈悲というのかな、とにかくその気迫めいたもので、ダメだ断れない、断っても無駄だ、この人はわたしの躊躇を完璧に無視するから、わたしはどうしてもこの人にやられてしまうって、うっすら絶望する瞬間が好きなんだろ。この人の言いなりになるというか、この人の意志に飲まれて、今ひとときこの人の女になるしかないって、受け入れる瞬間というか―――
あなたは本当に、あたしのことわかってくれるね、とギンは呆れるように笑った。そう、あたしヘンタイなんだよ。むしろそこは、ヘンタイでありたいというか。無慈悲、無慈悲かあ、そういう捉え方したことなかったけど、無慈悲っていいね。
男がさ、取り乱すこともなく、ただ無慈悲にあたしを求めてきたとき、だめだ、やられるって、あたしは一瞬怖くなるの。でも不思議に、身体と心の一部が、その人を受け入れる準備を始めちゃうのね。そうして準備が始まってしまうと、もうだめなんだよ。ちょっとひざが震えそうなのに、すっかりもう自分が犯されることを、ドキドキしながら心待ちにしてる、みたいになる。
甘美だろ、その瞬間は。
うん。
でも、もちろんね、とギンは付け足すように言った。そのせいで、いろいろ痛い目にもあってきたよ。最近になって、ようやくだよ。やさしい男がいいって、自分なりに悟ったのは。
あたし結局、女として、男に好き勝手にされたいんだよ。それこそ無慈悲に求められるというか、慰み者にさえされたいのかもしれない。だからその分、この人なら大丈夫、性根がやさしいからって、本当に信じられる男に飛び込みたいの。その人の腕の中で、安心しながら、怯えたいの。
なるほど、分かるけど、贅沢な望みだなあ、と僕は笑った。ギンのレイプ願望は、かわいいな、といやらしい気分のまま、僕は思った。
レイプ願望を持っているあなたへ、あなたはかわいい
レイプ願望を持っている女性は少なくない。もちろん、それは実際にレイプされることを望んでいるということではない。たとえて言うなら、戦争映画で男が熱くなるのと、実際に戦場に行って戦死したいというのとは別だ、というのと同じだ。多くの女性が、レイプされるシーンを想像してオナニーしている。そのことは、ごくありふれていて、普通のことだし、かわいい。
男と女が恋愛するとして、そこにある男女の妙、男女の性差とはなんだろうか。ユング派の心理学者、河合隼雄の表現を借りれば、おそらく男性は切断性、女性は包み込むということを担うことになる。
切断性とは、たとえば、敵兵を銃火のもとになぎ倒し、凱歌を上げるというようなことだ。敵兵の痛みと流血に同情せず、礼と品性を保ちつつも、我を貫き他を踏みにじる。自分を生かし、他者を死なせる。この、自分と他者を切断して捉える精神、その性質に男性性がある。男が物事の勝ち負けにこだわり、またギャンブルにのめり込みがちなのもこの性質からだ。
その男性性においては、セックスはレイプ的になる。他の男を押しのけて、女を獲得し、ゆれる女心や女の貞操に同情などせず、ただ礼と品性だけは保ったまま、自分の望みとして女を抱く。この女とやりたい、という自分の意志のまま、そこに他者の意志を混入させない。こわいよう、と女が震えていても、最後までその女をやってしまう。自分を生かし、女を自分のものにしてしまう。
こんな話をすると、フェミニストの人は発狂して憤死するのかもしれない。そういう方には、ざまあみろ、と言いたい。フェミニズムは、マッチョイズムと同等にくだらないからだ。
このような男性像が、むしろ女性側から提出されていることは、僕たち男性陣にとってまったく立つ瀬の無いことだ。犯されたい女がいるのに、犯したい男がいないのである。男性性のある男がいないのだ。男性性のない男とは、要するに精神的に去勢された男のことである。
今多くの女性が、こっそり抱えているレイプ願望は、男性性に抱かれたい、という女としての自然な欲求の表れであり、社会的に男性性が去勢されていっていることの反動だ。このことで悩んでいる少女も実際に少なくないが、少女は別に悩まなくていい。これは本当に、普通のことなのだ。
レイプ願望を持っているあなたへ、あなたはかわいい。
森林公園を過ぎると、床に翡翠を敷いたステーキ屋があり、抜群の鶏肉を焼いてくれて、それにときめいたギンはもっとかわいい顔を見せてくれて―――
まあそんなことはどうでもいいや。
あなたも、やさしい男を見つけて、幸せな屈服に堕ちなさいね。
[了]
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