No.122 本当にやさしい女
「好き嫌いをするな」
と、多くの人は、子供の頃両親に教育されたと思う。いきなり何の話だ、と思われるかもしれないが、実はこのことはとても大事なことだ。好き嫌いをしないこと。食べ物に限らず。僕はこのことの大事さに、最近になってようやく気づいた。
好き嫌いをしないことが、ヒロインになる秘訣だ。たとえば、ドラえもんに出てくるしずかちゃんのことをイメージしてみればわかりやすい。しずかちゃんは、のび太さんもスネ夫さんもたけしさんも、好き嫌いで差別する視点がない。出来杉くんについては、いくらか積極的な態度を取るものの、これはしずかちゃんが出来杉くんを尊敬しているだけで、好き嫌いということの選別ではない態度だ。
そしてイメージしてもらいたいのだが、たとえばしずかちゃんは、「わたしブロッコリー嫌いなの」とは言わないだろう。もちろん「あいつウゼー」というようなことも言わない。もしそんなことを言ったら、しずかちゃんはたちまちヒロインの座から転落してしまうだろう。これはたとえば、天空の城ラピュタのヒロイン、シータでも同じだ。「こんな海賊船汚くて嫌い」とは言わないし、「ムスカはクズだわ」とも言わない。シータはおそらく物語中、パズーに心寄せているところはあるだろうが、それだからといって、海賊スタッフの夕食作りの最中にパズーのことを想ってぼんやりする、というようなことはしない。
ヒロインは、好き嫌いをしないものなのだ。そして好き嫌いをしないということが、本当の意味でのやさしさになる。
あまり芸能に詳しくない僕として、たとえば女性タレントでは優香さんなどは、いかにも好き嫌いをしないタイプに見えるし、また男性タレントでは、木村拓哉さんはやはり好き嫌いをしないタイプに見える。そして、二人ともやはり根本的に人に対してやさしそうだ。僕は芸能に詳しくないので、あまり例が出てこないが、長期間、でしゃばらずに愛されている芸能人は、まず間違いなく好き嫌いをしないタイプだと思うから、その視点で一度テレビを眺めてみることをおすすめする。
「好き嫌いをするな」と、多くの親は子を教育する。逆に、好き嫌いをしなさい、という教育をする両親はおそらくいない。なぜそのような教育をしないかというと、そんなものは教育しなくても、自然に発生してきてしまうものだからだ。僕も子供の頃、苦手な里芋を無理やり食べさせられて往生したし、何もそんな特定の苦手を口腹に押し込まなくてもいいじゃないかと思っていたが、今になるとその理由がわかる。それは栄養素の摂取バランスどうこうの問題ではなく、好き嫌いという業に堕ちるな、ということの教育だったのだ。
好き嫌いをするのは、コドモだ。たとえば、ある会社に入ったとして、プレゼン資料を作るのは好き、プレゼンするのは嫌い、1000枚の伝票を処理するのは嫌いだけど、海外出張はしてみたい、そんな好き嫌いを堂々と持っている男がいたら、誰もその男を大人だとは思わないだろう。どれだけ憂鬱な仕事が目の前に来ても、マジかよ、と頭を振って、その直後には集中してこなしていく、そこに好き嫌いを持ち込まないのが大人だ。そしてそういう人間こそ、出世して上司になったとき、賢い部下にもアホな部下にも、好き嫌いのいやらしさを持たずに接していくことができるわけだ。
好き嫌いをしないのが大人で、またそれは器量だと言ってもいい。あなたの目の前に、笑いのセンスのないブサイクな男が現れたとする。そこでウゼーと思って辟易したら、それは器量不足で、実質あなたの負けだ。なぜ負けかというと、疲れるのはあなただし、女を下げるのもあなただからだ。あなたが目くじらを立てる分だけ、あなたは人生を損する。
好き嫌いをしないタイプというのは実際にいる。僕が小学校四年生だったときの同級生の中川という女の子がそうだったが、好き嫌いを持たない人は、本当に驚くぐらい好き嫌いの反応を持たないものだ。目の前にキモメンがいても、ありゃりゃ、と肩をすくめて笑う程度の反応しか持たない。これは器量というか度量だが、どうしたってこちらのほうが女としてやさしいし、また本人としても疲れずに過ごせるだろう。
もちろん、僕たちみたいなインチキな人間が、好き嫌いを完全になくすことはできないと思われる。ただ、程度の問題というか、閾値の問題であって、好き嫌いを持つにしても、それにエネルギーを持たせるな、という話だ。これが嫌いとかあれが嫌いとか、そういう感情にエネルギーを持つと、とてもしんどい。またその分、好きになる感情もエネルギッシュになる場合もあるが、たいていの場合そのエネルギーもバランスを崩して自分を転倒させる役割しか持たない。
好き嫌いはあるにしても、ありゃりゃ、で済ませられる心の女が、本当の意味でやさしい、いい女なのだと僕は思う。
本当は、好き嫌いなんて、花粉症みたいなものなのだろう。嫌いな奴の粒子に触れると、ずいぶん具合が悪くなってしまう、というようなものだ。そんなものを患っても何もトクすることはない。好き嫌いなんて、その気になればある程度手を離せるからやれるだけやってみたらいいと思う。好き嫌いなんてただのプチ神経症だ。僕は今も、食べ物で里芋だけがちょっと苦手だが、目を背けるほどイヤというわけではなく、まあいただきましょうと気軽に箸をつけられるようになった。
好き嫌いは、いやらしいししんどいし、あなたをヒロインの座から蹴落とすし、それよりなにより、あなたがあなた自身を嫌いになったときが問題で、それはもう毎朝毎晩憂鬱に悩まされることになる。だからやめてしまおう。
中川という少女の話をする。かわいい女の子で、容貌としてはクラスで三番手ぐらいのところだったが、それを飛び越えて、クソガキ男子どもによく好かれた。それもチヤホヤされるというのではなく、真剣に好かれた。僕も安易に、それでも当時は真剣に、彼女のことを好きになった。
「爪噛むの、やめなよ」
彼女はショートヘアの似合う、気の強い少女で、時にそのように言って僕をたしなめた。僕と彼女がそのような会話を、それなりに繰り返すようになったのは、単純に席替えの運がよく、僕が彼女の隣席をしばらくの期間あずかったからだ。僕がその環境で、彼女のことを好きになるまで、何しろガキのことだ、一週間も掛からなかったように思う。
僕のそのようなアイタタタな恋があって、それでもすぐに、次の席替えの時は来てしまった。そして願いも空しく、席替えの結果、僕は彼女とずいぶん離れて座ることになった。席が離れてから、僕は授業中も休み時間も、ちらちらと彼女の方を盗み見た。新しい彼女の隣席は、小沢という、汚い唇がやけに印象的な、今で言うキモい男が預かることになった。
僕が中川に真剣に恋をしたのは、結局そのようにして席が離れてからのことだったろう。僕が盗み見る向こうで、中川はよくしゃべるのだ。隣席の小沢と。
中川が小沢としゃべるときの、表情や態度、あるいは温度まで、僕と話しているときのそれとさほど違いはないように見えた。いや、事実なかったのだろうと思う。僕はその光景に分かりやすく嫉妬した。同級生たちの間でも、それとなく見下す対象である小沢が、また容貌だけでなく品性としても素行としても上等とは言えない小沢が、中川と楽しそうにしゃべって唾を飛ばしているのが気に入らなかった。
しかしそれと同時に、僕はその中川の、無垢というべき人となりに心を打たれもした。小沢の顔がブサイクだとか、しゃべり方が汚いとか、あまり気にしないんだな、すげえな、と思った。そしてそれはとてつもなくやさしいことだと思えた。僕はその日から、彼女を尊敬し、自分を小さく感じた。その小さい自分を、中川に見合うぐらいに何とかしようと思索するようなこともガキなりに始めた。今思えばあのときが、僕として自分を見つめてみるというようなことをしてみた始まりだったかもしれない。
もちろんその恋は、結局何も起こらないまま、終わるともなく消えていった。僕は中川に、本当のやさしさを見せつけられただけ、自分として恥を知っただけだったが、誰にも知られないまま、貴重な時間だった。
好き嫌いをしない女が、本当にやさしい女なのだと思う。嫌いな人にもやさしくしましょう、というようなおためごかしではなく、八方美人というような陳腐なものでもなく。
そういう本当のやさしさを見たとき、人は人を本当に心から慕うように思う。やはりどこまでいっても、好き嫌いをするなという両親の教育は正しかったのだ。
最近の常識としては、好きな人のことを、愛している人、と表現するらしい。しかしそれは、考えてみれば浅はかなことだ。好きな人にやさしく接するのは当たり前のことでしかない。好きでもない人に、好き嫌いを超えて、ただやさしくしてしまう、そういう位置にあるものこそが、愛と表現されてきたものではなかったろうか。
好きな人だけ愛せばいい、なんて虫のいい話があるか。
好き嫌いでアレコレ言うのは実に簡単だ。クラスメートでも会社の同僚でも、駅前の群集でも態度の悪い居酒屋のアルバイトでも。聴くに堪えない歌を聞かせるミュージシャンもいるし、何を言ってるかまったくわからない変人の大学教授だっている。そんな中で好き嫌いの話は実にカンタンだ。イチローはかっこよくて好き、課長は神経質で嫌い、そういう話はいつだってカンタンでいつだってとてもつまらない。
あなたは好き嫌いを離れて、本当にやさしい女になれ。
あなたの中の好き嫌いが、エネルギーを失い穏やかになり、やっかいな相手にもありゃりゃ困ったと笑えるようになったころ、あなたのことを心底愛する誰かが必ず現れる。まあ、心底愛してくれる人なんて、あまりバンバン現れてもややこしいので、とりあえずモテるようになる。あなたが笑う顔が見たい、と万札を用意した男どもが寄ってくるだろう。
そんなときには、僕にも新しいあなたの、やさしい顔を見せてください。
そのときまでに、頑張って万札を集めておきます。
[了]