No.127 愛とやさしさのロックンロール
やさしさというのはまぶしいものだ。やさしさがあれば全てが解決する。手練手管で彼と無理やり結婚してもしょうがない。何かを得られてやさしくなれるというのはやさしさの偽物だ。何も得られなくても変わらずになければやさしさではない。あなたは彼に、ありがとうなんて言わなくていい。
僕たちはやさしさに憧れ、やさしさを求め、結果的にやさしさを安物にする。工夫したらやさしさが実現できると思っている。やさしさはそういうものではないのだ。工夫したって得られないし、投げ出そうとしても投げ出せないのがやさしさだ。
このクソ野郎が、と顔面にパンチを入れたとして、それで関係が終わってしまうようなら、それはそこにやさしさがないということだ。やさしさがあれば全てが解決する。顔面にパンチをくれたぐらいでめちゃくちゃになる、そんな関係のどこに愛ときずながあるのだ。
やさしさはあまり行為の内容には関係が無い。冷たい人にキスされるより、やさしい人にビンタされるほうが、人の心はあたたまるものだ。
やさしさというのは厳しい。インチキでは実現できない。僕は自分にやさしさが無いことを恥じる。これは謙遜でもなんでもなく、僕は自分として十分にやさしくあれたと思う瞬間は、これまでただの一時でもありえなかった。
美空ひばりが「車屋さん」の中でこう歌う。―――お前さっぱりお役に立たないお人柄。このように歌う美空ひばりは、人を誹謗して冷たいのだろうか。そんなことはない。
ボブ・ディランが"Don't think twice, it's all right"の中でこう歌う。―――お前との関係はまったく時間の無駄だった。このように歌うボブ・ディランは、自己中心的な冷血漢なのだろうか。そんなことは、やはりないのだ。
あわれな孤児たちの境遇に、同情して激しく涙するボランティアおばちゃんは、その全てがやさしいのか。そんなことも、やはりない。
やさしさという概念に隠された、巧妙なトリックがある。高慢を承知で、僕はここにそれを解き明かそうと思う。
やさしさに憧れ、やさしさを求める僕たちは、何をやってしまうのか。
やさしさのない人を見て、嫌悪し、否定してしまうのだ。
最もやさしさのない態度をもって。
やさしさを求めるあまり、やさしさのない人を否定し、本末転倒、やさしさが自壊してしまう。愛の無い人を見て、愛がないなあと嫌悪し、一緒になって愛の無い世界へ転げ落ちてゆく。
あなたが嫌う、軽蔑する、いつものあいつを思い起こして、その前に美空ひばりを立ててみる。
美空ひばりは、唾を吐くか?
やさしさはまぶしいものだ。やさしさがあれば全てが解決する。そのことを見上げて、僕は自分を恥じる。
僕はあなたに説教できない。僕とあなたは似た者同士だ。だから僕はこのようにしか誘えない。ここで一緒に立ち止まろう。全てのものに、反発する気が失せるまで、ここで一緒に何もせず、ひたすら立ち尽くしていよう。
そうしてすべての煩わしさにずぶ濡れになったら、もう正論の傘を差す必要もなくなるんじゃないか。どこかから音楽が聞こえ、全てが指を鳴らしだして、僕とあなたはスキップしてゆける気がする。
愛とやさしさのロックンロールだ。
[了]