No.136 女らしさについて
女性を抱き寄せたとき、女性の反応はさまざまに分かれる。一番女らしいと感じるタイプは、まったく反発しないタイプだ。「こ、困ります」とか「これ以上は、ごめんなさい……」とか、意志や言葉は拒絶していたとしても、身体にはまったく反発の力が入っていない。これはある種の女の本能みたいなものだ。自分が女性であるという意識の高い女性は、男性と力比べをしても無駄だと骨の髄まで知っているのだろう。そのやわらかさは、男の乱暴さを解発させず封印してしまう。
こういう女性を抱き寄せたときの手ごたえは実に可憐で、女らしい。大切にしなくてはいけない、と本能的に感じる。この手の女性で、男に縁の無い人はほとんどいない。
もう一つには、もう少しやんちゃなタイプがいる。反発するというのではないけれども、身体をくねらせて、いやんいやんするタイプだ。その反応具合は、たとえばネコを抱き上げて、ネコが嫌がって逃げ出すときの反応に近い。近いというか、まったく同じ感触だ。抱かれる気分でないネコを抱き上げると、いやんいやんともがく。その感触は、反発するとかケンカするとか脱出するとかいう手ごたえではない。いやんいやん、としか言いようがない。こういう反応をする女性もいる。これは女らしいというよりは、女の子らしいと感じるタイプだ。このタイプも、男にはけっこうモテる。
別のタイプとして、力で反発してくる女性がいる。「ちょ、ちょっと」と、嫌悪と警戒の口調もあらわに、ぐいぐい力で押し返したり、振りほどこうとしてくる。それはまったく取っ組み合いの様相だ。腕白で野太い感触。この反応をすると、男の側は一気に醒める。そこに女らしさがないからだ。
もう一つのタイプとしては、身体にクッと力を入れたまま、冷静なフリをして強がるタイプがある。冷静というよりは冷たいという感触だ。セリフがあるなら「はぁ」という感じで、我関せずという具合に他人事のように相手を眺める。冷たく観察するという印象。この反応も、相手の男を一気に醒めさせる。関係を断絶するやり方で、男性的なやり方であり、やはり女らしさがないからだ。
女性が男性に抱き寄せられたとき、そこにはいろんな反応がある。いろいろあるが、大きく分けるならその一点だ。女らしさがあるかどうか。このことが、実は女性の男運を大きく分ける。男運がないと思っている人の多くは、いざというとき女らしさのない反応をする。その瞬間、男は一気に興ざめするのだ。
「好きでもない人に抱き寄せられても、そりゃあ反発しますよ」
この手の話をすると、必ずこういう反論が出てくる。この意見はいかにもごもっともなのだが、実はこれが落とし穴だ。好きでもない人に抱き寄せられたとき、それでも身体の力を入れず、クタッとしてしまう女性はいるのである。そのことがいいとか悪いとかの話ではない。実際にそういう女性、危なっかしいぐらい女らしい女性がいるという話だ。そして僕が知る限り、こういうタイプの女が、結局男を骨抜きにしてしまうものだ。
このことは、女性の側の立場からは知ることができない。それはもちろん、女性が女性を抱き寄せる機会はあまりないからだ。それでももし、このことに興味があるなら、一度実験としてやってみることをお勧めする。お酒の席でもなんでもいいから、このコはなんか男好きするよなと思える女の子を、冗談半分で抱き寄せてみるといい。「クタッ」とする反応が、露骨に腕の中に伝わってくるだろう。一方で、このコはそっち方面には縁が無いなと思える女性も、ためしに抱き寄せてみるといいと思う。身体にクッと力が入り、根本的に反発する反応が、これもやはり、露骨に腕の中に感じ取れるはずだ。
恋愛の、超初心者を自認する女性がいる。そういう女性には何が足りていないかと言えば、その一番のネックはこの「女らしさ」だ。男に抱き寄せられたとき、クタッとしてしまう反応を持っているか否か。逆に言うと、力で反発してしまう、ワンパクな反応を女性として終わらせているかどうか。
こういう言い方をすると、女は所詮弱いもの、みたいなイメージがあって印象が悪い。しかし単純な腕力においては、女性は本来男性より非力なはずだ。女性の強さとはそういうものではないはずである。むしろ僕の知る限り、筋力で反発してしまう女性は、心がもろく頼りないところがあって、本質的に弱い印象の女性であることがほとんどだ。
一見ものすごく気の強い女性でも、女らしさを隠し持っている人はいる。そういう人はやはり抱き寄せられたとき、クタッとする反応を見せる。そしてクタッとした腕の中で、やはり迷いの無い目で相手を見上げて、「いやだよ、離して」と静かに伝えるのだ。気が強いというのは本来そういうことだ。逆に、「やめてよ!」と思い切り反発する人は、本当は気が弱くて自分に自信が無く、それだけにヒステリックな反応を見せるのだと思う。
この「女らしさ」の反応はとても面白い。例えば胸元が大きく開いたドレスを着て、高いヒールでカツンカツン歩き、お尻がキュッと上がってセクシーで、男の目をしっかり見つめて話せるような女性がいたとする。そういう人は、いかにもモテそうだし、事実モテる。しかし、そういう女性の中にも、抱き寄せられたときに筋力で反発するタイプはいて、そういうタイプはやはり男とうまくいかなくなる。どういうことかというと、モテて告白されて付き合ったりはするけれども、すぐにケンカばかりする仲になる。女らしさが無い中でお付き合いすると、二人の関係は男性的なものが主になるため、すぐに衝突が起こってしまうのだ。暴力沙汰に発展するケースも、このパターンが多い。
「女らしさ」なんて観点は、時代おくれだろうか? また昨今の情勢であるから、女性に女らしさを求めただけで、それだけでセクハラ扱いされかねない。しかし一方では、実際には男性は女性に女らしさを求めているのであり、また事実として女らしい女性が男のハートを射止めているということもある。
このことは、結局こう言えばなめらかに伝わるだろうか。男があなたを抱き寄せるとして、その手つきがビクビクしていたらどうだろう。あなたはそれを、「男らしくない」と感じ、根源的な嫌悪を感じてしまうのではなかろうか。もちろん男らしさといっても、突然力ずくでガバッと襲ってくる男は、安いドラマを見すぎのアンポンタンなのだが、そういう例は除くとして、あなたは男に抱き寄せられるとき、その振る舞いに男らしさを求めるのではないか。女性がそういう現場の現場で男らしさを求めずにいられないように、男性も女性に女らしさを求めざるを得ないのだ。
男性が女性を抱き寄せるとき、男は堂々としていなくてはならない。そして同時に、女も堂々としていなくてはならない。このとき男にとって堂々とするということは、ゆっくりやさしく迷いなく振舞うということだ。そして女性にとって堂々とすることは、それをクタッと受け入れてしまうことなのである。
この話について、よくある誤解が一つある。それは先に話したこととも重なるけれども、普段はどうあれ、「好きな人」に対してであれば、自分は女らしくなれると思っているパターンだ。好きな人に抱き寄せられるときなら、メロメロになるし、女らしくクタッとなりますと、思い込んでいる女性は多い。しかしこのことは、僕として知る限り結論はノーだ。抱き寄せられたときに出る反応は、その人の体質みたいなもので、相手によってどうこう変化することはほとんどない。都合のいいとき、都合のいい相手にだけ、クタッとすることはできない。何の証拠も提出できないが、本当にそういうものなのだ。
男女逆にしてみればわかりやすい。「好きな人に対してであれば、自分は男らしくなれますよ」と、そんなことを言う男はおかしいだろう。それと同様のことが、女らしさにおいてもあるのだ。
女らしさ、男らしさ、このあたりのことが、実はそれぞれの恋愛事情を、決定的に支配している。
女性を抱き寄せたとき、驚きのやわらかさでクタッと飛び込んできてくれたら、どうしようもなくドキッとする。女なんだな、という手ごたえが全身から伝わってくる。そのまま愛されてもフラれても、どっちでもいいと思えてくる。その時点で感動的なのだ。僕は好きとか恋とかのずっと以前に、まずその女性の女らしさに感動する。僕だけでなくほとんどの男性にとってはそうだろう。好きになるかどうかなんで、その感動があって後のことだ。女らしさに感動しないまま、女性を好きになることはほとんどない。
逆に、女性を抱き寄せたとき、ググッと力の反発を感じたら、それだけでかなりガッカリする。大事な気分が萎えていってしまうのだ。別にその相手を軽蔑するとかいう話ではない。ただわずかでも濡れていたムードが、一気に乾燥してしまうのだ。その後はもう、焼肉を食べに行くぐらいしか楽しみは残されていない。
一見して同じくウブに見える女の子でも、このあたりの反応はそれぞれ違う。ウブに見えて実に女らしい反応を隠し持っている少女もいるし、気弱そうに見えるくせに、いざとなったらガチーンと反発する女性もいる。実はこんなところが目に見えない分水嶺になっているのだ。ウブだからといって少女らしく可憐だとはまったく限らないし、逆にウブでオクテにみえる目立たぬ少女が、一夜で男を骨抜きにすることもよくある。このことは、一般的にほとんど指摘されていないように僕は思う。
女性として、抱き寄せられたとき、クタッとするのは勇気がいると思う。女性として非力の自覚があればなおさらだ。まあでも、男性のほうでも、抱き寄せることに勇気がいるのだ。このあたりはあえてイーブンと取ろうと僕は思う。願わくばお互いに、濡れた夜を過ごしたいものだ。
僕のことを好きでもないくせに、クタッと飛び込んでくる少女がいる。僕は彼女に、なぜそんなに無防備なんだと真顔で尋ねたことがあった。彼女いわく、「しょうがないから」ということ。
「女だから、手を出されるのはしょうがない。力ずくでこられたら、結局抵抗できないし、そのときはやっぱりしょうがないよ。だから女の子は、紳士な人としかデートできないんだよね」
この「しょうがない」は、おそらく男性にもある。いや、むしろあるべきだ。男だから、女に手を出すのはしょうがない。フラれて恥を掻いて笑われて、ネタ話の主人公にさせられるかもしれないけれど、やはり男だからしょうがない。少なくとも僕は、そのような「しょうがない」の中で行動している。そうでなければ抱き寄せることはもちろん、ラブレターを書いたり、ヤラせてくれと申し込んだり、そんな数々の破廉恥を、堂々とやれるわけがない。
そんな感じで、男と女、うまくやる人はうまくやるし、そうでない人はそうでなくなる。どちらがいいというわけでもないけど、濡れたムードがお好みであれば、心の隅に留めておいてきっと損はない話。
僕が無防備な少女とのデートで、紳士であるかどうかは疑問だ。無防備な女の子はかわいいから、つけこんで甘えてひどいことをして、三日後ぐらいに反省している。いままでの少女たちは何とか許してきてくれたけれども、そのこともひょっとしたら「しょうがない」の範疇なのか。だとすると、僕は手玉に取られていることになる。そのことを含めて「しょうがない」か。男らしく手玉にとられていたいと、僕としては思うしかない。
しょうがないといえば、あなたが恋愛のあれこれについて、苦手なのもしょうがない。
うまくやれている人なんてほとんどいない。
無理やりキスでもしてみましょうか。
あなたがビンタして走って逃げても、僕はあなたが、きらいじゃないです。
[了]