No.145 落ち着きと恋愛の現象
「落ち着き」ということについて話をします。感覚的な話ですが、人の心には落ち着きの度合い、落ち着きのレベルというような尺度があって、それはお互いに共鳴しあっています。これは別にスピリチュアルな話ではなくて、単に本能的な現象の話です。ただわたしたちが、それに気づきにくいということ、自覚しづらいというだけのことです。例えばですが、軒先で昼寝している番犬は、近くに「怪しい人」が来たら吠え立てますね。そのときに番犬が、どういう尺度でその人を「怪しい」と判断しているかといえば、やはりその人が落ち着いているかいないかなのです。これは犬に聞かないとわからないことですが、こういうことだと思います。犬は落ち着いていない人を見ると、その「落ち着きのなさ」に共鳴するのです。共鳴して、心がザワッとなるのですね。犬も落ち着かなくなる。そしてそのザワつきによって、犬は自然に吠えてしまうのです。心が落ち着きの度合いに共鳴するとは、そういうことです。
この共鳴現象は人間にもあります。気をつけて観察してみれば、自分の中にはっきり起こっている現象です。誰かと関わるたび、そのいちいちで、ザワッとしたり、スッと落ち着いたりしている。相手も同じです。相手もあなたを見たとき、あるいは声を聞いたとき、いちいちザワッとしたり、スッと落ち着いたりしている。これは言うなれば、第0次コミュニケーションというようなもので、意図的なコミュニケーションを始める前から、このことは始まっているのです。
あなたは今までに、この人には「品位」があるなあと、会っただけで感じた人はいないでしょうか。そういう人を思い出してもらえれば明らかなのですが、そういう人は落ち着きのレベルが深いのです。落ち着きのレベルが深いから、それに会ったあなたも共鳴して、なんとなくスッと落ち着いてしまう。それを「気品がある」とわたしたちは感じるのです。わたしたちは、誰しも自分が成長していく中で、そのような人になってゆきたいと望むのですが、その品位の本質は意外に明らかにされていません。品位の正体は「落ち着き」です。この落ち着きに至るために、わたしたちは勉強したり修行したりするわけです。
人は目の前の人の落ち着き、その度合いに必ず感応・共鳴していることを忘れないでいてください。このことはあなたの一生を支配してしまいますから! あなたは眼を泳がせた男に花束を突きつけられて「好きです」と言われるより、心底落ち着いた男に銃を突きつけられ「おとなしくしていれば危害は加えない」と言われるほうが落ち着くのです。あなたが人に対するときも同じだと思って間違いありません。あなたが落ち着いていなければ、どれだけ善意的であってもあなたは相手を疲れさせます。逆にあなたが心底落ち着いていれば、どれだけわがままを言っても嫌われてしまうことはありません。
またこのことは、愛と恋ということにも如実に表れてきます。恋心が激しくても、それだけで恋がうまくいくわけではない、むしろ逆効果にもなりうるということは、誰でもが知っているはず。恋心というのは、溺れている当人としては甘美なものですが、それはむしろ落ち着きよりは浮き足立つ心なのです。その心のまま相手に向き合えば、相手は必ず落ち着かず、心をザワッとさせます。すると「しんどい」のです。相手はあなたの気持ちをうれしくは思いながらも、しんどいと感じます。愛されているとは感じないのです。逆に恋心の覚えの無い女性が、ごく落ち着いた心から、私はあなたを尊敬しています、と言うと、そのことは相手の心に届きます。皮肉なことなのですが、これが事実なのです。
おおよそ一番大事なこととして、これを知っておいてください。人は落ち着いていない人の言葉を受け取ることができません。落ち着いている人の言葉しか受け取れないのです。落ち着いていない人には表現力が無いと言ってもいい。どんな思いがあっても、落ち着いていないと表現力はゼロになるのです。落ち着いていない人の言葉は決して届きません。落ち着いていない人は、コミュニケーションにおいては無力なのです。
このことは恋愛だけでなく、人間関係全般でもそうですし、就職面接でもそう、あるいは舞台に立って表現活動をする人にとってもそうです。全ての表現力は落ち着きというところから生まれてきます。わたしがこうして文章を書いていること自体もそうなのです。ここにあるわたしの文体が、いきり立って浮ついているものだとしたら、あなたはわたしの言葉を心を傾けては聞いてくれないでしょう。人は落ち着いていない人の言葉を聞けないのです。これは本能のはたらきです。
さてわたしたちのコミュニケーションが、実はそのような落ち着きのレベルで支配されているとしたら、どのようにしてその落ち着きに至るのかが問題です。このことはとても難しい問題ですが、それでも簡単に言えることはいくつもあります。まず当たり前ですが、落ち着いているフリをしても意味が無いということです。本能はそういうインチキを完全に無視して真実を知ってしまいますし、そこにウソが入り込むと余計にややこしくなります。例えば自分が男性と二人っきりでいて、そこで落ち着いていられないのであれば、その落ち着いていられない自分をまず認めることが大事です。これを認められないことは、何より落ち着いていないことにつながりますから、まず落ち着いていないことを認めることが第一歩になります。
次に大事なことは、落ち着くということは、感情を薄めたり、無感情になるということではないということです。感情の無い人を好きになる人なんていませんし、感情はあなたの心そのものですから、これを埋没させては本末転倒です。落ち着くというのはそうではない。落ち着くというのはむしろ逆で、しっかりとした感情の中で、落ち着いていられることが本当の落ち着きなのです。例えば自分の子供が万引きをしてきて、それに怒らない父親は父親ではないでしょう。かといって、取り乱して怒り狂う父親も、父親としては頼りないのです。全力で怒りながら、それでも落ち着いた中にいられることが大事なのです。これは例えば、学生のときにいた、怖かったけど好きだった先生を思い出してください。その先生は、確かに怒ると怖かったけれども、ちゃんと落ち着いた中で怒っていたはずです。逆にヒステリーを起こして怒る先生は、子供心にもどこか馬鹿にしていたところがあるはず。これは微妙なことで難しいことですが、忘れないでください。感情の中で落ち着いていられることが何より大事なことなのです。
ここから先の「落ち着き」について、何が本当の落ち着きなのかを、語り尽くすことは困難です。ただ難しいことは抜きにして、このことだけを知っておいてください。わたしたち凡人が普段思っているよりも、はるかに深いレベルの落ち着きの次元があるのです。そしてそれらの落ち着きに至った人たちは、ものすごい存在感やものすごい表現力を発揮します。一流のアーティストの中にはこういう次元の人がいますね。彼らはわたしたちよりはるかに強烈な感情の中にいて、それでいてまったく落ち着きを失いません。これらの人の表現に触れると、一時わたしたちが別世界に連れて行かれたようになるのは、これらの人たちの深い落ち着きのレベルにわたしたちが共鳴させられているからなのです。わたしたちはそれぞれに、このことを目指さなくてはなりません。深く深く落ち着いたところに行き着くことが、美しい人になるということなのです。
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どのような交際相手とも、付き合うとすぐにケンカばかりになり、いつも短期間で別れてしまうというような人がいます。このような人は、一般的には感情的過ぎるからそのようになるとされていますが、よくよく観察するとそうではありません。彼らがすぐにそうしてケンカ仲になってしまうのは、彼らが落ち着いていないからです。落ち着いていないから、ほんのわずかな細波でも揉め事になってしまう。これは面白いことですが、実はそのようなケンカ仲になるかどうかは、付き合い方や会話の内容や、お互いの相性などには関係がないのです。落ち着いていないということが、イコール揉めるということ、ただそれだけなのです。何度も言うように、落ち着いていない人は相手も落ち着かなくさせますから、そのような二人が一緒にいると、お互いをどんどん落ち着かなくさせます。それはもうすでに、それだけで情緒不安定な状態ですから、そこから何をしたって必ず揉め事になります。ここにどのような工夫をしても、根本的な解決はしないでしょう。
女性の一部には、これはホステスさんなどに多い話ですが、人より美人で男性の目を引くものを持っているのに、男運がなく、ややこしい男ばかりと付き合い、男性不信になっていくというような女性がいます。このような女性も、落ち着きがないことによって不遇をかこっていることが多いものです。その女性は落ち着きが無いことによって、目の前の男性からも落ち着きを奪うのですが、このことが見た目の美人さとあいまって、男性が「酔う」というようなことが発生してくるのです。堅実な男性は普通、そのような気配を感じたときに、なんだかよろしくないなと感じて、その女性を避ける気分になるのですが、自分として確実に生きてゆきたい道を持っていない男性は、その落ち着かないという精神的動揺を、恋心だと錯覚して熱中することが多いのです。そのような男性は、精神的動揺から不安になるのですが、その不安はその女性を獲得することで解消する、というように信じるようになります。そうして熱心にその女性を口説くことになるのですが、これはもう心の根本を取り乱しています。だからおかしな関係になる。
あるいは同じように、見た目は人より美人であって、お酒を飲むのもはしゃいでお話するのも好きで、飲み会や合コンでは大活躍する女性がいます。そしてそういう女性に限って、その後の収穫というわけではないですが、結局はどの男性とも縁を結べず、口説かれずじまいになるということが多いものです。いわゆる「テンションが高い」というタイプの女性にこれが多いのですが、このような女性の不遇についても、やはり落ち着きがないということが原因になっていることが多いものです。その人は飲み会ではおおはしゃぎして、周りもそれに乗っかって、みんなで楽しくやれるのですが、そのはしゃぎ方が落ち着きの無い遊び方であるため、飲み会が終わるとその存在感がすぐに薄れていってしまうのです。おおはしゃぎすること自体が悪いわけでは決してありませんが、おおはしゃぎしながらも落ち着きを残している人もいますから、そこはもし悩んでいる人があれば、もっと別のやり方もあるのだということです。
このようなことは、探せばいくらでも例が出てきますが、結局大事なことは一つだけです。目の前の人は、自分の落ち着きの度合いに共鳴するのだということ。そして落ち着いていれば、自分の言葉はちゃんと相手の深いところに届きますし、落ち着いていなければ、何をどうしても届いてはくれないということです。一度この視点で、自分の周りにいる人を観察しなおしてみてください。周りにいる人だけでなく、目にする著名人などについても同様です。存在感のある人、人の心に残る人、人に何かを伝えられる人は、自分とは少し違う、深い落ち着きを必ず持っているはずです。あるいは自分が好きになった人もそう。あなたがその人を好きになったのは、その人から何かを受け取ったためであって、それが伝わってきたということは、あなたを落ち着かせてそれを受け取らせるだけ、深い落ち着きに至っていたということなのです。
お互いに、今より深い落ち着きに至れるよう、勉強してまいりましょう。
座って微笑んでいるだけで心に残る、そういう女になればあなたの勝ちです。
ではでは、また。
[了]