No.151 よう、ジャンク
漬物は塩辛い、という話は間違っていない。ただ発想がジャンクだ。明るく元気な女がいい、というのも同じで、正しいが発想がジャンクである。浮気はいけません、というのも正しいがジャンク。最近の世の中はこのような、正しいが間違っている、というようなことで溢れかえっている。
ジャンク、ということで言うと、やはり真っ先にジャンク・フードがイメージとして挙げられる。ファースト・フードのそれが代表的だが、これはやはりおいしいものだ。夜中に衝動買いするフライドポテトなどは、僕は大好きである。ただしそれはジャンクとしてのおいしさなので、奥行きのあるおいしさとは種類が違う。例えば、1970年代の、日本ケミコが輸入した正規品のマッカランと、現行のマッカランではどのように味わいが違うか、というようなことはジャンクではない。そしてそういう繊細で奥行きのあるおいしさは、ジャンクに混ぜ込むと識別できなくなってしまう。カラムーチョを食べながらでは、マッカランもクソもなくなってしまうだろう。
そのようなことは恋愛においてもよくある。深夜の居酒屋などで、アクの強い女性たちが、カレがさぁとかオトコってさぁとか、そういう話をしているときはジャンクだ。僕はそういう話に巻き込まれたとき、恋愛について難しい話はしない。ジャンクの中に混ぜ込んだら、繊細なものは無視されてしまうからだ。そしてあくまで僕は、ジャンクフードと同じように、それらのジャンクを否定しているわけではない。ジャンクはジャンクとして、楽しいしおいしいのだ。ただそれが、上等なものではないと、誰もが知っているように、僕も知っているのみだ。そしてせっかく生きてゆくからには、ジャンクでないものに出会いたいと思っているし、そのためにこっそりと活動もする。
ジャンクなものと上等なもの。このことには、多くのヒントが隠されている。一流のオステルリーのハンバーグと、レトルトのハンバーグがあったとしたら、前者のほうがおいしいし、そのことは子供でもわかる。ただ子供は、その本当の違いを捉えられているわけではないし、大雑把に「こっちのほうがおいしい、こっちのほうが好き!」としか思っていないだろう。そして子供は絶対に、その一流のハンバーグを真似て作ることはできない。子供はその違いの精髄を捉えているわけでは絶対ないし、そこを捉えて自分で作れるようになろうとすると、何十年もの修行としっかり育てた才能が要る。
そういうことがあるから、僕はもう成人した女性が、「彼が好き!」とのっぺらぼうの感想を言うとき、ウームと唸って肩をすくめるのだった。彼が好きなのは間違っていないし、それに釣りあうだけ明るくて元気できれいな女になる! というのも間違っていないが、そのジャンクな発想のまま進む彼女は、本当にイイコトになるかねえ、と僕は憮然とするしかないのだった。
時代、ということに責任を転嫁すると、時代は確実にジャンクを選んだ。女子高生あたりの、子供、まさにジャンクフードを愛してやまない世代を、文化の中心に置こうとした。そして時代の言葉は「イケてる」「アリでしょ」「ウザい」「イタい」「キモい」ぐらいに集約されることになった。この趨勢において中野重治を読んでいたら変人である。時代はジャンクになってしまったから、もう奥行きのあるラブレターは、書ける人ももらえる人もいなくなってしまった。
ずばり言うと、こういうことになる。今や僕たちは、どれだけ真剣になっても、どれだけ心をこめても、どれだけ人を愛しても、ジャンクしかやれなくなってしまった。例外はもちろんあるが、今やこのことから逃れることはきわめて困難になってしまった。十人が一箇所に集まったとき、その十人が十人ともジャンクでないということは、可能性としてはゼロに等しい。必ず威勢の良いジャンクが数人混じっていて、空間はジャンクに染まってゆくであろう。気の利いたサラリーマン川柳が並んでいる中に、種田山頭火の句が混じっていても、僕たちはそれをそれとして感じ取ることはできないだろう。
それらの結果として、ふと気づくと周りには、ジャンクばかりしかない、上等なものが何も無い、それどころか上等なものが上等としてわからなくなってしまった、として、それがどれだけ猛烈に寂しくても、後の祭りだ。回復は、しない。
ジャンクなものは、ジャンクとして楽しむとして、それとは別に、上等なものも持ちたいよねえ。そう思うのは僕だけではないはずだが、そう思うならお互いもう少し真剣になろう。静かにして、慎重になり、つんのめった声を出すのをやめよう。昔の人が言ったように、難しい本などもこっそり読んで(こっそりというのがポイントだ)、それを読んだだけで何かが分かった気にならず、引き続き慎重でいよう。日記でもラブレターでもたまには真剣に書いてみて、自分の脳みそがいかにつまらん状態になっているかを知ろう。
今、このような営みが出来る人、またそれを静かに続けて楽しめる人はごく稀だ。僕たちはジャンクに慣れきってしまっているので、勉強して努力したらポポーンと成果が出るものしか馴染めなくなっている。三ヶ月勉強して三ヶ月努力したら、翌年にはハネムーンに行きセレブになれます、というような話しか耳を貸せない。くれぐれも言うが、それはジャンクであって、またジャンクとして魅力が無いわけでもないからやっかいなのだ。
日本ケミコが輸入した、1977年、正規ルートのマッカランは、香りが開くとスウィートで、味の濃さと雑味のなさと、それはまるで宝石を飲まされているようなグレードの高さでありました。それに触れたときの喜びは、いい女と静かに出会ったときの喜びに、とてもよく似ている。感動して寂しさがなくなり、これは誰にもナイショにしようと、静かになるのだ。
[了]